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ミネルバの翼  作者: 冴木 悠宇
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26.美鈴

 漆黒の破壊神が突き出す光槍の勢いを、白き女神は下方から斬り上げた光剣の刀身でその勢いを殺ぐ。至近距離からミネルバが発射したビームキャノンの一撃は、エスペランゼの黒く堅牢な装甲に弾かれた。

 迸る目映い閃光が、白と黒の相反する意を持つ機体を照らす。思念というものが視覚的に捉えられるのなら、双方の戦神が纏うのはまさに対極に位置する想いだ。

 間合いを計るように、黒翼を開いたエスペランゼへと迫るミネルバ。苛烈な斬撃を見舞うが、その一撃はシールドに阻まれる。

 エスペランゼの光槍が振り下ろされる刹那、ミネルバの光剣が鮮やかな弧を描いて迎え撃つ。その瞬間、閃光が視界を埋め尽くし、空間そのものが悲鳴を上げたように揺らいだ。

 分厚い憎悪を切断する事も叶わず、エスペランゼに蹴り飛ばされたミネルバが後退する。大きく体勢を崩したミネルバへ、エスペランゼのビームガトリングが浴びせられる。

 渦巻く闇の力を懐へと導くかのように吼えるエスペランゼ、闇から這いずり出す果てない絶望は光を浸食し、ミネルバを絡め取ろうとする。

「……このっ!」

 わずかな判断ミスが命取りとなる。

 美鈴はビームガトリングを受けたダメージを表示するウインドウへ、ちらりと視線を向けて舌打ちをした。

『白き女神を駆る者よ……』

 コクピット内に響いてくるのは、以前にも耳にしたことがある落ち着いた低い声。

 漆黒の破壊神エスペランゼが、美鈴へと語り掛ける。

『……お前は、何を信じて戦うのだ? お前が命を賭けてまで守ろうとしている、醜い心を宿す者達はそれほどの価値があるのか?』

「この期に及んで、何の問答をする必要がある!」

 幾千、幾万もの光の礫を振りかざす光剣で薙ぎ払い、美鈴は叫んだ。

『心を繋ぐ温かな絆など失われて久しい。閉ざされていく心は醜く……何かを、また誰かを傷つけようと牙を剥く。その結果が痛めつけられたこの世界の姿だ、貴様達の醜い心を映した鏡だ』

 エスペランゼは静かに言葉を紡ぎ続ける、荒んだ人の心を淡々と断罪する。

『この私が手を下さずとも、いずれ滅びる弱い心を宿す者達よ。しかし、それでは貴様達が犯した深い罪を償うことにはならぬ。その身に恐怖と絶望を刻め、貴様達が差し出す命が、心に沈殿するどす黒い欲望を浄化させるための代償だ』

 エスペランゼが仕掛ける猛攻に、防戦一方のミネルバが大きく後退する。

 ミネルバを追うエスペランゼが勢い良く光槍を回転させ、唸る魔風を身に纏い突出した。黒い豪腕が握る長大な槍の柄で力任せに殴りつけられ、その衝撃で失速したミネルバの機体が一直線に海面へと落下していく。


 ――小さな優しさも、ささやかな思いやりも見失い。己の欲望のみを追い求めた醜い心はどこまでも膨れ上がり、この星を蝕み続けた。

 闇に蝕まれどこまでも墜ちて行く心は、温かな木漏れ日、柔らかな微風、この星がふと見せてくれた優しさを無惨に引き裂いた。


『貴様達に存在する価値など、ありはしないのだ』

 追い打ちを掛けるエスペランゼの言葉は、ビームガトリングにさらなる力を与え、ミネルバへと降り掛かる。光弾が海面に着弾し、幾つもの水柱が海面に高く吹き上がった。

「言いたい放題になど、させるかっ!」

 海面に激突する寸前で大きく翼を広げたミネルバが、バーニアを全開にして姿勢を制御し、再び空へと舞い上がる。

『聞こえているか、白き女神を駆る者よ……』

「黙れ……黙りなさい。あなたは、創造主を信じられないの!?」

 両肩を震わせる美鈴が叫んだ。

 美鈴が発した激しい激情に、エスペランゼが沈黙する。

「……お前が言うとおり、人間など賢い生き物じゃない。脆い魂を、時の流れに逆らえず朽ち果てる体に押し込んだ、どうしようもない生き物よ」

 喉の奥から絞り出すのは、心の奥へと深く深く沈めていた怒りと悲しみ。

「だから殺すというの? だから消し去るというの?」

 己もその人間という生き物だ。

 美鈴とて、すべて分かっているなどと、自分が賢いなどと言うつもりはない。

「でもね……」と、紅い唇が小さく動く。

 居住コアという運命を託した小舟の上で震える人間達は弱い者を庇い、身を寄せ合って恐怖に耐えている。絶望に苛まれながらも互いを励まし合い、光と希望を信じている。その決然とした表情は、信ずるに値するのではないだろうか。

 空を覆う暗雲を見つめる人々の心は、優しさを忘れてなどいない。  

「あいつに。もしも、リスティに出会わなかったら、私は……」

 感応機を強く握りしめ、対峙する漆黒の戦神を見据えながら。美鈴はリスティの温もりを覚えている赤い唇を開く。

「私は明日に脅え、今日を生き抜く事を諦めていた……。冷えた魂が求める、温もりを欲する声が聞こえぬように耳を塞いでいた!」

 美鈴は今この瞬間に、己を述懐する。

「私はね……帰りたいの、リスティのところへ」

 胸へと灯った温かな光、それは美鈴が胸に抱くただひとつの願いだ。

 自分の両手を見つめていた美鈴は、そっとその手を胸に当てる。狂おしいほどの愛情、込み上げてくる気持ちを守るように両手で大切に包み込む。

 物心ついた時にはすでに両親は亡く、美鈴は荒んだ街で育った。空を見上げ手を伸ばしても、そこに未来など描く事は出来ず。ささやかな夢など抱いた事は無かった。ただ無為に時間を過ごしていた、生きる事の意味さえ見出せずにいた。

 だから戦った、ただ戦う事しか出来なかった。

 しかし、何も守れなかった。

 荒んだ心を包み込んでくれた、そんな自分を愛してくれた人も失った。

「そう、リスティに出会わなければ……私は間違いなく、あなたがもたらす闇を喜んで受け容れていた」

 温かい想いを否定したままで、寂しく死んでいただろう。

 リスティは、美鈴の折れた翼を癒してくれた。

 美鈴に、未来を信じさせてくれた。

「あいつは……リスティはね。こんなに乾いて荒れた大地を、ひとりでずっと走り続けてきたのよ」

 リスティの傍らで、ずっとその姿を見つめ続けていた。

 はじめは馬鹿馬鹿しく思えた、ひどく滑稽な姿に見えた……しかし、それが間違いだったと気付いた。

「ひとりで全部抱え込んで、走って走ってつまずいて思いっ切り転んで。痛くて怖くて、寂しくてたまらなく不安で、もう立ち上がりたくないのに。でも、あいつは泣きべそかきながら歯を食いしばって立ち上がるの。そんな姿を見ていたら、手を差し伸べたくなるじゃない?」

 人を守るためにどんなに傷付いて倒れても尚、前を見据えて立ち上がる強さを持てるのだ。

 こんなにも、一途な強い意志を持てるというのか。

『あいつが信じたものを、今は自分も信じてみたい』

 力強い鼓動を続ける心臓の音を確かめる、リスティと共にこの世界で生きている。

 そう思うだけで、力が湧いてくる。

「全部終わらせて抱きしめてあげたいの。よく頑張ったねって、もう一度キスしてあげたいの」

 その瞬間、歓喜に打ち震えるだろう魂を思い、美鈴は大きく息を吸った。

「……それにはね」

 死の恐怖を纏い眼前に立ちはだかる破壊神を、鋭く睨み付けた黒曜石の瞳が輝きを増す。

「あなたが邪魔なのよ!」

 美鈴の叫び声と同時に感応機が激しく明滅し、白き翼を広げてエスペランゼに肉迫するミネルバが光剣を振り降ろす。

 エメラルドグリーンの閃光を放つ斬撃を、エスペランゼは素早く後退すると光槍の穂先で払った。美鈴の激情に応えるように連射される、ミネルバのビームキャノンがエスペランゼの漆黒の装甲へ突き刺さる。

「あいつは、人が心に持つ優しさを信じているからっ!」

 ビームガトリングを放ちながら、突進してくるエスペランゼが切り払う光槍の一撃を、ミネルバの光剣が受け流す。互いの武器が激突する度に、双方の機体から装甲板が激しく弾け飛んでいく。

 美鈴が胸に抱くただひとつの純粋な想い、ミネルバはその純粋な心を体現するように斬撃を繰り出す。ミネルバのビームキャノンがエスペランゼを幾度も打ち据え、エスペランゼのビームガトリングがミネルバの装甲を叩き付ける。


 どれほどの激突を繰り返したのだろうか……。


 ミネルバとエスペランゼは、互いに距離を取って滞空した。

「……ありがとう、ミネルバ」

 息を弾ませる美鈴は、眼前を鋭く睨み付けていた黒曜石の瞳をふっと緩める。

「後は自分でやるわ。勘違いしないで、あなたを信用している。でもあなたは、ずっと私を庇い続けるでしょう?」

 モニターに映っているエスペランゼに注意を払いながら、美鈴はそっと語りかける。しかし、ミネルバは黙して答えない。エスペランゼのように自我とも言える機能が与えられているのかは想像がつかないが、美鈴はそっとミネルバへと語り続ける。

「このままの状態で戦い続けていたら、私の方が後どれほども保たない。あなたにもそれは分かるわよね? もう最後に賭けるしかないの」

 エスペランゼとの激しい激突で、ミネルバの機体も傷つき疲弊している。

 各部の装甲が剥がれ飛び、唯一残された武器である光剣の刀身を維持する出力が、安定しなくなってきている。背中の美しい羽根も、今では切れ切れで痛々しい。 

 美鈴は気付いていた。

 自らの限界を超えそうになるぎりぎりのタイミングで、思考制御システムの安全装置が作動している事を。美鈴が自らの目の前で、リスティに安全装置のシステムをオミットさせたはずだったのだが。

 まさか、ミネルバ自身がシステムを再構築したのだろうか?

「……お願い」

 美鈴は感応機から手を離して、静かに目を閉じた。

 すると、美鈴が両手を当てていた二基の感応機がシートの後方にスライドして姿を隠し、見慣れた操縦桿が現れる。ヘルメットのバイザー内に映されていた情報が一新され、ミネルバの機体制御がマニュアルモードに切り替わった事が表示された。

 それは、ミネルバが美鈴へと示した応え。

「ありがとう。大好きよ……」

 操縦桿を握りしめてそっとつぶやいた美鈴は、覚悟を決めて再びミネルバを加速させる。

 突然、今までとは比べものにならない加速が美鈴に襲い掛かった。

 加速の際に生じる衝撃を、極力軽減させるフローティング・シートもまったく役に立たない。急激に範囲が狭くなり、光を得られぬ視界。骨が軋み全身が悲鳴を上げている。胸を肺を、内蔵を激しく圧迫する力が牙を剥く、美鈴が胃液と共に大量の血を吐き出した。

 視界を閉ざす暗闇に恐れ、気管を詰まらせる血に激しく喘ぎ咳き込みながらも、歯を食い縛る美鈴は操縦桿を握りしめ、絶対に加速を緩めない。

 突進するミネルバを迎え撃つ、エスペランゼの光槍が空を切る。

 ミネルバのスピードが、エスペランゼをわずかに越えた瞬間だった。機体を沈み込ませながら、激しく回転するミネルバが握る光剣の切っ先が、すれ違い様にエスペランゼの片翼の根本に食い込む。

 光剣の刀身が黒い装甲を融解させ、漆黒の翼が切断される。仰け反るように身を反らせるエスペランゼが、苦悶の呻き声を上げた。

 しかしそれは、ミネルバが放つ事が出来た最後の斬撃だった。 

 力を失ったエメラルドグリーンの刀身が消失する。片翼を失ったエスペランゼが、覚悟を決めたように光槍を真っ直ぐに構え、最大加速で姿勢が崩れたミネルバの背後から突進してくる。

 振り向いたミネルバ、真っ正面から激突した光と闇の戦神。

 エスペランゼが突き出した光槍がミネルバの胸部装甲を突き破り、その胴体部分を貫通した。

 背中から光槍の穂先が突き出し、ミネルバの左腕と左の翼が根本から千切れる。

 激しい衝撃に火花が散り、コクピットのメインモニターと左側面のモニターが粉々に砕け散った。

「掛かった!」

 美鈴は自分の血と、無数のひび割れで視界が遮られたヘルメットのバイザーを手で粉々に砕き、声の限りに叫ぶ。刀身が消失した光剣を手放して突き出されたミネルバのマニュピレーターが、エスペランゼの顔面を鷲掴みにした。

 ミネルバのマニュピレーターが、エスペランゼの顔を守る装甲に深く食い込んでいく。

 残った右の翼を閉じたミネルバは、そのまま機体に装備された全てのバーニアを全開にするとエスペランゼの機体と共に、ヴィラノーヴァの尖塔の搭頂部へと向かい加速する。

「これで……最期っ!」

 エスペランゼ頭部が、ミネルバのマニュピレーターに握り潰されて粉砕する。美鈴は掴んだままのエスペランゼの機体を、海上都市の尖塔へと力任せに叩き付けた。

 ミネルバとエスペランゼ、ふたつの機体は縺れ合うように、海上都市にそびえ立つ尖塔頭頂部の外壁を突き破った。

 凄まじい衝撃が、容赦なく美鈴の体へと襲い掛かる。


 ――そして、訪れた静寂。


 暗闇に閉ざされたコクピットで、美鈴は虚空へと震える手を伸ばす。

 ゆらゆらと闇の中で何かを求め、そして何かを掴むように握りしめられた手……。

 その腕が、力を失った。

「リス…ティ……」

 もう体が動かない、声を出す事も出来ない。

 美鈴は優しく包み込む闇へと、静かにその身を任せた。

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