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ミネルバの翼  作者: 冴木 悠宇
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25.ミュルフラウゼの想い

 ミュルフラウゼの細い両肩に、恐る恐る手を置いた僕は混乱している頭を振った。

 システムの記憶領域で数字の羅列に過ぎない存在の彼女が、僕の目の前で確かに実在している。澄んだ碧色の瞳、体の温かみさえ感じるその存在感に僕は息を飲んだ。

「ミュルフラウゼ。君は、どうして……」

「リスティ。私はいつでも、あなたと共にいました」

「僕と……?」

 表情を緩めて微笑んだミュルフラウゼは、僕の胸元で揺れる銀のペンダントをそっと指で触れる。

 そのペンダントは以前、海上都市でウィスラー博士から渡された物だった。

「リスティ、あなたは覚えている? 海上都市の研究棟で起こった惨劇を」

 忘れられる筈などない。あの恐怖、あの悔しさは僕の記憶に深々と突き刺さっている。志をひとつにした仲間達はみんな死んでしまった。

 ウィスラー博士が発した命令により、すべての研究員は命を絶たれてしまった。その結果プロジェクトは暗礁に乗り上げ、世界は混沌に落とし込まれたのだ。僕にはどうしても理解する事が出来ない、ウィスラー博士はどうしてあんな凶行に及んだのだろう?

 息苦しさに喘ぐ僕を気遣うように、再びそっと胸に頬を寄せたミュルフラウゼが言葉を紡ぐ。

「あの時すでに、中央制御システムはプロジェクトを中止すると決定していたの。人の心で息づく悪意を消し去る事など出来ない。人々の汚れきった魂など、存在する価値も無いと」

「馬鹿な! そんな……そんなはずはない!」

 僕はミュルフラウゼの言葉を否定するように、激しく首を振って叫んだ。

「僕達は何のために頑張ってきたんだ。中央制御システムは、どうして人類の抹殺なんか宣言したんだ!?」

 理解する事が出来ない僕は苛立ちに耐えきれず、両手で髪を掻きむしった。

「誰もが心に持っている、ほんの小さな悪意は暴走を始め、膨れ上がる負の感情は優しさも信頼も、思いやりや慈しみまでも飲み込んでしまった」

 ミュルフラウゼは言葉を切った。

 可愛らしい薄桃色の唇が告げるのは、醜く歪んだ人の心。

 僕はやるせない想いに、きつく唇を噛んだ。

「海上都市ヴィラノーヴァが建造された真の目的は、より良い方向へと導かれた心を持つ人々を守る事だった……でも」

 人々は差し伸べられた、温かな救いの手を振り払った。

 海上都市が持つ優れた技術力を我が物にしようとする醜い欲望によって、戦火は瞬く間に拡大されたのだ。

「その人々の愚かな行為が、救う価値も存在する価値もない魂だと判断されたの」

 すべてを見透かしてしまう、少女の澄んだ碧い瞳。

「でも、ウィスラー博士はそれを認めたくなかった。だからプロジェクトを続行するようにと中央制御システムの説得を続けた。あの時、プロジェクトの続行を願っていたのは、ウィスラー博士とリスティ……あなただけだった」

 自分の両肩をきつく抱いたミュルフラウゼの体が、細かく震えている。

「プロジェクトの中止を阻止しようとして、ウィスラー博士は中央制御システムへの強制介入を試みたけれど……それは不可能だった。中央制御システムに掌握されたエスペランゼやセラフィムなど、装甲兵のコントロールすら取り返す事が出来なかった」

 僕はミュルフラウゼの悲しみに濡れる碧い瞳をじっと見つめて、ミュルフラウゼの言葉を追う。

「ただひとつ残された手段として、ウィスラー博士はもともと中央制御システムのインターフェイスだった私を、システムの奥深くへと介入させる事に成功した」

 僕から身を離したミュルフラウゼがそっと手を振ると、空間に幾つもの光球がぼうっと浮かぶ。

 目を奪われる、神秘的なその光景。

 それは、彼女が人間ではないという証だ。

「私が惑星再生システムを実行させるためには、実際にこの世界を見て感じ得たデータを中央制御システムを介さずに、最下層で眠る実行プログラムに転送するの。そして正否の認証を受けなければならない。だからウィスラー博士は、私をあなたのペンダントに移して……」

「僕と行動を共にさせた」

 ミュルフラウゼの沈黙が、僕の意見を肯定していた。

 博士はあの惨劇の最中に僕だけを海上都市から脱出させた。それは僕の行動を予測しての事だったのだろう。海上都市を脱出した後、僕はジュエル号での旅路で人々の優しさや強さ、魂を包む温かい心を自分の胸に刻み込んだ。

 ……ミュルフラウゼと共に。

 そして僕は、人類を抹殺しようとするエスペランゼに対抗するために、白き女神ミネルバを造った。

「あの時、博士は……」

 そう、博士は僕に言った『君は生きろ、そして見届けてくれ』と。博士はすべての想いを僕に託したのだ、命を投げ出して中央制御システムへ反逆した。プロジェクトの中止を支持するすべての研究員を殺し、僕だけを脱出させた。

 自らも絶望の縁に立たされていたのだろう、人の心を信じられなくなりつつある自分に脅えていたのだろう。 

 それでもウィスラー博士は、たったひとりで懸命に戦った。

「だから私は、ずっとあなたと一緒にいたわ。あなたと共にこの世界を見つめ続けていた、あなたが感じた嬉しさや悲しさ、怒りや憤り……そのすべてを胸に刻んで!」

 ミュルフラウゼが、その小さな手で僕の両腕をしっかりと掴んだ。

 僕の腕を握る、小さな手に込められた強い力。

「エスペランゼを破壊しただけでは、人々を救う事は出来ない。海上都市は崩壊し惑星再生計画は灰燼へと帰してしまう。それを止めるには、私が蓄積した膨大なデータを実行プログラムへと転送しなければならないの!」

 ミュルフラウゼの言葉に、僕は力強く頷いた。

「ミュルフラウゼ。君が中央制御システムを介さずに、実行プログラムへアクセス出来るポイントは何処にあるんだ?」

「アクセスポイントの入力機器は、ヴィラノーヴァ尖塔の頭頂部にあります!」

 僕はモニターに映る視線の先、暗雲が渦巻く天空を刺し貫くように聳えている、禍々しい尖塔を睨み付けた。

「もう時間がないの。リスティ、私を尖塔へ連れて行って!」

「分かった」

 強く拳を握りしめる。これは、僕に出来る最後の仕事だ。

 不意に、ミュルフラウゼの碧い瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれた。小さな手で一生懸命に涙を拭い、ミュルフラウゼが僕を見つめる。

 彼女がゆっくりと手を振ると、その手の動きに合わせて光球はまるでモニターのように映像を映し出す。

 そこに映っているのは、計り知れない死への不安と恐怖に脅えながらも居住コアで身を寄せ合う人々の様子。

 産着に包まれた小さな乳飲み子を、しっかりと抱く母親の姿……。

 年老いた両親を懸命に励ます、息子の姿……。

 その瞳は無慈悲な空を見据え、口々に祈りの言葉を捧げている。

 そんな人々の様子が、刻々と光球の表面へと映し出されていく。

 輝く幾つもの光球に囲まれて、ミュルフラウゼがしっかりと僕の瞳を見据えた。

「リスティ……最後にもう一度だけ聞かせて、あなたはこの世界が好き? 人々が好き?」

「ああ。好きだよ、大好きさ!」

 迷う事など無い、僕は大きな声で答えた。

「うん」

 可愛らしくはにかんで頷くミュルフラウゼが、逡巡するように一度俯いた後、勢い良く顔を上げた。

「リスティ!」

 思い詰めたその表情。

「……本当に、私の事が分からないの?」

 ミュルフラウゼの悲痛な声が、僕の意識を殴りつけた。

「ミュルフラウゼ……?」

 そう僕に告げるミュルフラウゼの姿が、次第に薄れていく。

「お願いだ、教えてくれミュルフラウゼ! それはいったい……」

「リスティ」

 唇を噛んだ少女、瞳を潤ませる清らかな涙。

「あなたと同じように、この世界を救おうとした人々がたくさんいるの。メノアやリオネルに出会ったでしょう? 人の心を通じて干渉し合う、もうひとつの世界から海上都市と共に現れた人達……ごめんなさい。私にはこれ以上、あなたに真実を伝えられる権限が与えられていない」

 ミュルフラウゼの瞳から、再び大粒の涙がぽろぽろと溢れ出す。

 涙を流す少女は、声を詰まらせた。

「私は、あなたの記憶の奥底に眠っている大切な人の姿……さようなら。私の大好きな、優しい…お兄……様……」

 懸命に言葉を紡ぐ少女が、やさしい、やさしい笑顔を見せた。

「ミュルフラウゼ!」

 叫んだ瞬間、突然広がった目映い閃光が視界を奪う。

 僕にはその光が何なのか、すぐに分かった。

 エスペランゼの「神の光槍」と、ミネルバの「高出力砲撃ユニット」の膨大なエネルギー衝撃波が真っ向から激突したのだ。

 突如襲った激震と爆風に船が大きく揺さぶられ、僕は床へと投げ出された。

 心の奥底で連なる金色の環が、微かな音を立ててひび割れる。

 そうだ――。

 『リスティアード・セレスティ』それが、僕の名前だ。

 この世界の裏側に、心の連環を通じて互いに干渉しながら存在する、もうひとつの世界がある。

 それが僕の故郷だ。

 その故郷を焼き尽くす大きな戦争で、僕はたったひとりの大切な妹を失った。

 長い長い戦争は終息したが、悲しみに泣き崩れる心の闇は広がり続けた。

 憎悪と欲望に、蝕まれてしまった人々の心。

 その深い闇は人の心を通じて隣り合う、もうひとつの世界までをも蝕み覆い尽くしていく。

 このままでは表と裏で存在する、ふたつの世界は成り立たない。

 救いの手を差し伸べるのだ、人々が安らぎの時を刻み続けられるように。

 救いの手を差し伸べるのだ、すべてを失ってしまうその前に……。

 だから僕は躊躇することなく、温かな記憶を差し出した。

 ふたつの世界のバランスを取るために。

 悲しみの思い出と共に故郷を捨て、この世界の人間として生きるために。

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