21.告 白
封環……繋がり合う小さな金色の輪が涼やかな音を立てる。
それは魂を揺さぶる音色。
──木漏れ日が、ゆらゆらと揺れていた。
微風が草の香を運んで来る。
この争いに明け暮れる世界で、後どのくらいこの風を感じていられるのだろうか。
まどろむ意識に身を任せていると、薄桃色の髪をした少女の姿がぼんやりと見えた。
「兄様!」
弾ける笑顔を見せる少女が抱きつく。
「こら、はしたないよ」
「まぁ! やっぱり兄様は私よりも、セラフィム達の方が大切なのですね」
少女は拗ねたようにそう言って、そっぽを向いた。
困ったな、それは大きな誤解だ。
機嫌を直して、はにかむ少女の碧い瞳。
彼女の小さな両手に握られた綺麗な花冠。
──終わる事なき戦い。
とめどなく流れる涙。
雨に濡れる小さな墓標の前で、ずぶ濡れのまま力なく立ち尽くしていた。
失われた少女のささやかな夢。
──別離。
「ヴィラノーヴァのプロジェクトに参加するだと? 馬鹿な事を言うな!」
射貫くような視線。親友である彼の瞳には怒りが宿っていた。
「もう此所へ戻る事は出来ない、お前はすべてを失ってしまうんだぞ!」
「それは、承知の上だ」
「目を覚ませ、お前ほどの腕を持つ男が!」
彼の憤激はおさまりそうにもない。
「俺は今日から『リスティ・マフィン』だ、それ以外の名は忘れてくれ」
金色の封環が奏でる音色が次第に遠ざかっていく。
人の心を通じて、僅かながらも干渉し合い存在している平行世界。
ふたつの異なる世界を隔てるために、記憶を封じた鍵は心の奥底に沈められた。
☆★☆
「う……」
網膜に焼き付いた閃光の槍と、エスペランゼの黒い機体。
そして、僕を庇うように立ちはだかったミュルフラウゼの後ろ姿。
僕は暗闇の中で目を開けた。鈍く痛む額を撫でながらゆっくりと身を起こす。
どうやら生きているらしい。
ブラックアウトしたメインモニターには、機体を制御するメインシステムの再起動を促す赤い文字が点滅していた。
靄がかかっていた意識が、次第にはっきりしてくる。そして僕はコクピットに美鈴さんの姿が無いことに気が付いた。
「美鈴さん、美鈴さんっ!」
ぐるりとコクピットの中を見回す。
シートから投げ出されたとはいえ、狭いコクピットの中で彼女の姿に気付かぬ筈がない。
「あ?」
コクピットハッチが開いたままになっている。
僕は体の向きを変えて、コクピットから恐る恐る顔を覗かせた。
「これは……水?」
自分がいる場所を確認する、ブレイバーは水溜まりの中に墜落していた。
力なく座り込むように頭を垂れている姿。僕は苦労してコクピットから這い出すと、機体を見上げて絶句する。
ブレイバーは酷い状態になっていた。
メインカメラを収めた頭部の装甲は全壊している。右の上腕からマニュピレーターは修理不可能なほど溶解してひしゃげていた。耐熱樹脂塗料は黒く焼け焦げ、胴体の装甲やメンテナンスハッチのほとんどが欠損して内部機関が剥き出しになっていた。
この状態でよくも逃げられたものだと思う。
「ごめんな、ブレイバー」
ざらりとした装甲をそっと撫でた。
僕は思い切ってブレイバーの膝から飛び降りる、着地した際に体がふらついて水溜まりへと落ちそうになったが何とか堪えた。
しばらくすると暗闇に目が慣れてくる。
幾本もの錆びた鉄骨が天井に伸びている、どうやら大きな建物の中らしい。鉄骨に沿って見上げると屋根に空いた大穴から夜空が見える。あらためて辺りを見回した僕はぞっとした。廃棄された発電所か何かの貯水槽に墜落したのかと思ったが、それにしては規模が小さ過ぎる。
ただの廃工場だろう。
僕は再び目を凝らして暗い建物の中を注意深く見回す。暗闇への本能的な恐怖から自然と肩に吊ったホルスターへと手が伸びる。
しかしどこかで落としてしまったのか、僕の銀色の拳銃は無くなっていた。
「美鈴さ~ん!」
心配が募り、心細くなった僕は大声で叫んでみたが、暗い建物の中に僕の声が虚ろに響くだけだった。美鈴さんは、外の様子でも見に行っているのだろうか。
一人ぼっちになってしまい、訳が分からない僕は仕方なくその場に立ち尽くしていると。
いきなり暗闇に生まれた目も眩むような光が僕を射抜いた。
「な、何だ……?」
耳にからみつく調子悪い発電機の音。強い光に手をかざしてじっと見据えると、僕を照らす大きなサーチライトの傍らに美鈴さんが立っていた。
「めっ! 美鈴さん!」
嬉しくて思わずうわずった声で叫んだが、 僕はそのまま凍り付いた。長い黒髪が揺れて美鈴さんがゆっくりとした動作で僕に銃口を向けたのだ。
銃身が銀色の鈍い光を放っている。あれは僕の拳銃だ。
鋭い視線に射抜かれて何も言葉が出てこない。僕を見据えた美鈴さんが静かに氷の微笑を浮かべた。
「あなたは一体何者なの?」
温かさの欠片もない声。
彼女の問いに、ぎゅっと胸が締め付けられた。
「そろそろ話してもらおうかしら?」
僕は視線を足下に落としたまま、ただじっと美鈴さんのよく通る声を聞いていた。
あの黒い装甲兵を『エスペランゼ』と呼んでいたわね。あなたは何を知っているの?」
美鈴さんは僕の返答を待っているのだろう。沈黙が辺りを支配した。
「リスティ……」
不意に名を呼ばれて僕が顔を上げた瞬間。美鈴さんが構えた拳銃が火を噴いた。
びくりと震える体、僕はするどく息を飲んだ。暗い廃工場の中に轟音がこだまする。僕の顔のすぐ横を弾丸が通り過ぎていった。
「物騒な弾丸……。対機人兵用の特殊徹甲弾ね」
美鈴さんはそう言って、続けざまに二回発砲した。
暗闇の中に跳弾の火花が散る。僕は顔を上げて真っ直ぐに立ち、しっかりと美鈴さんを見つめた。クレイバーグでもそうだったが、美鈴さんは僕がジャンク屋などでは無い事に勘付いていたのだろう。
「『エスペランゼ』……あの黒い装甲兵は、この星に生き残っているすべての人間を根絶やしにしようとしているんです」
渇いた喉の奥から苦労して声を絞り出す。
『惑星再生計画』
僕は海上都市ヴィラノーヴァの統率者、フレグランス・ウィスラー博士が率いる再生プログラムを遂行するチームに所属していた。
この星と人々を救うため、ありとあらゆる技術を導入する大規模なプロジェクト。それはこの瀕死の星にとって最後に残された、ただひとつの方策だった。
チーム内で僕が主任として担当したのは、当初は予定外の計画だったヴィラノーヴァを護る装甲兵の開発だ。
連合軍による攻撃が激化し、各地の支援研究所がいくつも壊滅してしまう状態が続いていた。
強力な「セラフィム・タイプ」に拠点を防衛させていたのでは、人類への被害が拡大してしまう。
かといってこれ以上支援研究所を失えば、プロジェクトは立ち行かなくなる。そんな事態を考慮した上での緊急的な開発計画だった。
ウィスラー博士の意見により、現状の人類すべてに畏怖を与えるための絶対的な存在が必要とされたのだ。幾たびの試行錯誤を繰り返した僕は一機の装甲兵の図面を書き上げた。
「そうです……」
唇をきつく噛みしめる、血でも吐くような呻き声が喉の奥から漏れ出した。
「エスペランゼは、僕が造ったんです!」
『エスペランゼ』その背に神々しい翼を広げる装甲兵。
大空を舞う純白の守護神。
僕は再生計画の守護者となったエスペランゼが滅び行く世界を救い、人々に希望の光を与えてくれると信じて疑わなかった。
自分自身の声がひどく遠くから響いてくるように感じられる。
美鈴さんの表情は変わらない、しかし僕に向けられている銃口がほんの少し揺らいだ。
「リスティ。あなたがヴィラノーヴァの研究員」
かすれた美鈴さんの声に口を噤むしかない。僕は世界の人々にとって、死と破壊を撒き散らす堕天使セラフィムを操る呪われた海上都市の亡者なのだ。
力が抜けていく上体を両腕できつく抱く。
……そしてあの日、僕の脳裏から決して消える事が無い血の惨劇。
ウィスラー博士は海上都市を警備している機人兵のプログラムを書き換え、研究所内のすべての研究員を殺すようにと命令を出した。
そして中央制御システムへは、現人類の抹殺命令を出したのだ。
『君は絆を信じられるかい?』
ウィスラー博士が、いつも僕に語っていた言葉。
それは、彼の深い絶望が語らせた言葉だったのだろう。
いくら訴えかけようとも何処までも憎み合い傷つけ合おうとする人間など、救いの手を差し伸べる価値もない。
ならばすべて消し去ってしまえばいい。
そして彼が率いていたプロジェクトチームは僕ひとりを残して壊滅した。
ずっと胸に抱えていた想いを、言葉として紡ぎ出すたびに僕の意識は冴えていく。
心に固く誓った、ただひとつの思い。
「僕は、エスペランゼを破壊しなければならないんです!」
心臓をポイントしているはずの銃口を真っ直ぐに見つめて大声で叫んだ。
「美鈴さんに出会った廃墟で、僕は一機の装甲兵を造っていました」
ヴィラノーヴァへ潜入し、エスペランゼを破壊しようかと何度も考えた。
しかし僕にはそんな能力が欠片も無い。
胸のポケットから、ケースに入った五枚のデータディスクを取り出す。ずっと肌身離さずに持っていた僕の大切な切り札だ。
「骨格や動力部、装甲と武装まで、約六十パーセントくらいの完成度でした……でも」
五枚の内、一枚を手に取り美鈴さんに掲げて見せる。
「新しい方式の機体制御プログラムを、海上都市から脱出する際に研究所から持ち出すことが出来なかったんです。コンピュータネットを使って、何とかデータをダウンロードしようとしたんですが」
「失敗して居所を知られてしまった」
「はい」
美鈴さんの静かな声音が告げる大きな失態、その事実を突きつけられて僕はうなだれた。
「迂闊な行動でした。ヴィラノーヴァの中央制御システムに、僕が生きている事を察知されているのを承知していたはずだったのに」
ヴィラノーヴァの中央制御システムは、エスペランゼとセラフィムに命令を送り続けている。僕が隠れている廃墟へと機人兵を引き連れたセラフィムが殺到して来たその空域で、美鈴さんのミネルバ隊はセラフィムの部隊と遭遇したのだ。
ヴィラノーヴァの中央制御システムは僕を恐れている。
そうだ。エスペランゼを破壊しうる可能性を秘めた装甲兵を新造する事が出来る僕を、生かしておく訳にはいかない。
だからエスペランゼが未完成の上、超長距離射撃になるにも関わらず、小型化に成功しエスペランゼの黒翼に搭載された『神の光槍』を発射させたのだ。
そして美鈴さん達ミネルバ隊が、その光熱波に巻き込まれた。
「僕のミスで、ミネルバ隊は……」
ずっと口にすることに怯えていた、僕は五枚のディスクを静かに置いた。
「このデータディスクがあれば、もう一度エスペランゼに対抗出来る機体を作り上げることが可能です」
顔を上げると銃を構える美鈴さんを見据え、ゆっくりと目を閉じた。
「それが、僕の責任だったんです」
大切なことは全て伝える事が出来た。
裁きを美鈴さんに委ねる、彼女に撃たれるのなら本望だ。
だが覚悟をしているものの、いつまでたっても僕は生きている。
……どうしたんだろう?
ごりっ!
耐えられなくなった僕が目を開けると同時に、銃口が額に押しつけられた。
美鈴さんが、いつの間にか目の前に立っていたのだ。
「うわわわわわわわわっ!」
驚いた僕はバランスを崩して尻餅をつき、背後にあった大きな瓦礫に後頭部をぶっつけた。
「っ~!」
声も出ぬ程の痛みに悶絶している僕を見ていた美鈴さんは、くすりと笑った。
「弾切れよ」
「え?」
美鈴さんがふとしたときに見せる温かな微笑みに見とれていると、彼女は大型の銃を器用に手のひらで回して僕へと放った。両手で銃を受け取った僕は、手のひらの銃と美鈴さんの顔を交互に見た。
「美鈴さん……」
「リスティ。たとえあなたを殺したって、誰が生き返るわけじゃない。勘違いしないで、私はあなたに話して貰いたかっただけ」
美鈴さんは長い黒髪を手で梳くと、ディスクのケースを拾い上げた。
「一人ぽっちで戦うのは、つらくて苦しかったでしょう? でも、もう大丈夫よね?」
ディスクを僕に差し出す、黒曜石の瞳は真剣だ。
「あなたが造った機体を私に任せてくれない?」
そうだ。僕はパイロットを捜していたんだ。
エスペランゼを凌ぐ性能を持つ機体を、御する事が出来るパイロットを。嬉しいんだか何だかよく分からないままに、目頭がじんと熱くなってきた。
「ほら、泣いてるんじゃないの。ブレイバーの修理は大仕事なんだから!」
僕は歯を食いしばって涙を拭うと、美鈴さんの手からデータディスクをしっかりと受け取った。
美鈴が差し出した手。
すべてをさらけ出すリスティ。
二人の想いが、今、ひとつになりました。