17.決意~祝福の花束
ジュエル号は旅の最終目的地、ガディさんの故郷である最大級の居住コア『クレイバーグ』へ到着した。クレイバーグは大戦以前に栄えていた、かなり大きな都市の跡を利用している。
人口も多く様々な運搬船がひっきりなしに入出港を繰り返す。
この世界で避難所の役割を担う居住コアがどんなに栄えても、先に未来があるわけではないが……。
多くの人々が暮らすクレイバーグは賑わっている。
ジュエル号のクルーにはクレイバーグ出身者が多いらしい。港と呼ばれる運搬船の発着場に掲げられた旗、色とりどりの紙テープ、クルー達の家族や友人が大勢出迎えに来ていた。
「すごいですね」
「ほんと」
いつも驚いてしまうその光景。超巨大運搬船に積まれている信じられないほど大量にある物資。
搬出作業の邪魔にならないようにと、隅っこでじっとしている僕と美鈴さんは、久しぶりに見る人波の賑わいをぼんやりと眺めていると。
「お父さーん!」
大きな声が聞こえた、手を振りながら一人の女性が駆けてくるのが見える。
二十歳位かな? 柔らかな色のワンピースを着ている、清潔なイメージの綺麗な人だ。
「おお、レイチェル!」
いきなり聞こえたぶっとい声……こ、この声は。
ちらりと横を見ると、美鈴さんが固まっている。
そして僕の横を「筋肉ダルマ」じゃなかった、ガディさんが凄い勢いで走って行った。
おとうさん、お父さんって、え? お、親子?
ひしっ! と、抱き合う親子の感動的対面シーン。
僕と美鈴さんが放心状態になっていると、ガディさんは娘さんと思える女性と一緒に、こちらへやってきた。
「紹介するよ、レイチェル……俺の娘だ」
微笑んだレイチェルさんが、ぺこりとお辞儀をする。
ごつい歯を剥き出しにして笑うガディさんは、どことなく照れている様子だ。
「何処で誘拐してきたのよ」
半眼でぽつりと言う美鈴さん。
そう思えてしまうのは確かだけど、よりによって何て事を。
僕がびびりまくっていると、ガディさんは真っ赤になってトロンと鼻下を伸ばし、レイチェルさんは手を口に当てて、くすくすと笑った。
「んふふふ、見てくれ嬢ちゃん。これが俺の妻でな。カトリーヌっていうんだ、いい女だろ?」
ガディさんが、大切そうに懐から取り出した写真には、小さな女の子を抱いている一人の女性が写っていた。
それを見て、あんぐりと口を開けている美鈴さん。
おそらく、抱かれているのはレイチェルさんだろう。良かったねレイチェルさん、お母さんに似てて。
「数年前に、病気で先に逝っちまったがな」
少し寂しそうなガディさんが心なしか肩を落とした。僕の苦手なしんみりとした空気が辺りを覆う。
「ね、お父さん」
急に歳を取ったようなガディさんの背に、そっと手を置いたレイチェルさんは努めて明るい声を出した。
「約束よ。帰って来たら式に出てくれるって言ったわよね?」
レイチェルさんが振り向くと、いつの間にか所在なげに立っている青年がぺこりとお辞儀をした。
ははは、全く気が付かなかった。
「おお!そうか、そうだったなぁ!」
そう叫んだガディさんは、驚いている青年に向かって突進した。青い顔で身を引いた青年を捕まえると頭を大きな手で撫で回している。
「わはははははは、娘を頼んだぞ!」
え? っていう事は。
「レイチェルさん、ひょっとして?」
「はい。わたし達、結婚するんです!」
レイチェルさんは、とびきりの笑顔で嬉しそうに答えた。
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
「お二人とも……ありがとうございます」
レイチェルさんが頬を染め、恥ずかしそうにうつむいてしまう。そこへ果報者の青年を担いだガディさんが戻って来た。
「二人とも聞いて驚け! 結婚式は明日なんだ。ジュエル号の帰港を祝ってパーティも開かれる。盛大な結婚式になるぞ!」
そしてガディさんはくしゃくしゃにした青年を、ぽいと放り出して手を打った。
「ぼうずにお嬢!二人はジュエル号の恩人だ。ぜひ、式に出てくれ!」
「あ、いや、その……」
僕が返答に困っていると、
「お二人とも、ぜひ!」
へろへろの青年を介抱しながら、レイチェルさんもそう言ってくれた。
「私、飲んべぇよ?」
お酒に目がない美鈴さんが黒曜石の瞳をきらきらと輝かせている。
その飲みっぷりたるや……。
僕が途方に暮れていると。
「おお。頼もしいぜ、お嬢! ひと樽でもふた樽でも、遠慮なく空けてくれ!」
ちょっと目を潤ませているガディさんが豪快に笑った。
☆★☆
その日の夜更け――。
クレイバーグより数キロほど離れた場所で、僕はオフロードバイクを降りた。
宵闇から冷たい風が吹き付けてくる。暗闇にぼんやりと浮かんでいる廃墟、海上都市ヴィラノーヴァの支援研究所跡は気持ち悪い事この上ない。
辺りに人影が無いことを確認すると、僕は肩に吊ったホルスターから拳銃を抜いた。
鈍い銀色の自動拳銃は大型で扱い馴れない僕の手には余っている。
弾倉を開けて弾の有無を確認すると、静かにスライドを引く。ブレットの中心に超鋼を仕込んだ『対機人兵用特殊徹甲弾』が、薬室内に装填された。
使うことが、なければいいけど。
扉の横へ目をやると、建物への通電設備はまだ生きている。
作業服のポケットから取り出したディスクを、セキュリティシステムのロック機構へ読み込ませると、小さな画面にはパスワードの入力を求める表示が灯る。
支援研究所全てのパスワードを、僕は知っている。
キーボードを数回叩いて入力を済ませると、微かな電子音と共に扉のロックがはずれた。
ぎっ……。
レールが歪んでいるらしく、扉は不自然な動きで開いた。
僕はポケットにディスクをしまうと、注意深く様子を伺いながら建物の中へと踏み込む。建物の内部が荒らされた様子はない。拳銃を握る手に、じっとりとした汗が滲むのを感じる。
人が近づかないのをいいことに盗賊のねぐらになっている可能性だってある。
僕は壁に背を預けながら、そろりそろりと薄暗い通路を進む。目的の部屋はすぐに見付かった。
はやる心を抑えて、慎重にセキュリティシステムをクリアする。解錠して部屋の中へ入った僕は、光量を極力抑えたマグライトを点けて背負っていたリュックを降ろし、中から取り出した情報検索用の小型端末を起動した。
僕はジュエル号で旅をしながら、こうして廃棄された海上都市ヴィラノーヴァの支援研究所跡へと忍び込んでいた。
僕の目的は、ひとつのプログラムを記録したディスクを手に入れることだ。データルームに保管されているディスクを片っ端から端末に読み込ませる。しかし千枚以上のディスクを検索しても、目的のデータを記録したディスクは見付からなかった。
心の中では、ほぼ諦めていた。組織の末端である支援研究所になど、置かれているはずなど無いのだ。
「やっぱり駄目か」
予想した通りだった。
落胆した僕は山のようにディスクが散らばるその場に、ぺたんと座り込んだ。
「はは……は」
乾いた笑いが漏れる。
何気なく時計を見ると、もう午前二時を過ぎていた。
☆★☆
翌日は、新しい人生を歩き出した二人を祝福するかのように気持ち良い快晴になった。
「おめでとう!」
「レイチェル、幸せにね!」
結婚式に参列した人々は、口々にお祝いの言葉を二人に投げかける。
紙吹雪が舞い、新郎は新婦の手をとってゆっくりと教会の扉から現れた。幸せ一杯の二人に、僕は心からの温かい拍手を送る。
レイチェルさんの放ったブーケを受け取った女性が、うっとりとブーケを胸に抱きしめている。
そして寝不足でへろへろになっている僕の隣には、ドレスアップした美鈴さんがいた。淡いブルーバイオレットのドレスに白い花のコサージュは、落ち着いた雰囲気の美鈴さんを際立たせている。
光りを弾く、美しい黒髪に薄化粧。唇には柔らかなピンクのルージュ。今日の美鈴さんは、いつもの颯爽としていて、格好いい美鈴さんとは雰囲気が違う。
「どうしたの? しゃきっとしなさい!」
見とれている僕の額を指で弾いて笑う。普段は氷の微笑をたたえている美鈴さんの暖かい笑顔を見るとなんだかほっとする。
僕は嬉し泣きをしているレイチェルさんを見ながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
そうそう。お幸せにね、レイチェルさん。
教会前の広場では、無礼講の酒宴が始まった。沢山の酒樽が開けられて誰彼ということなく酒が振る舞われ、皆それぞれに心からの酔いを楽しんでいる。
あくまでも、それぞれに。
僕は喧騒を避け、ベンチに腰を下ろした。
幸せそうな人々の顔、顔、顔。
こうしていれば、世界が今置かれている切迫した状況など忘れてしまいそうだ。
そうだ。
忘れてしまえれば、どれだけ幸せか。
「あ~りぃすてぃ、たぁのしんでるぅ~?」
「わぁっ!」
ううっ酒臭い。背後から美鈴さんに抱きつかれ僕は大声を上げてしまった。
「なぁに、おどろひているのろよぅ~」
ああもうこの酔っぱらいは。
美鈴さんは酒瓶を持ったままふらふらとした足取りで僕の横へ来ると、すとんとベンチへ座った。
「へへへ、あらひにかふぉうなんら、いっひぇんおくねんととうかはらひのひょ」
美鈴さんが胸を張る。飲み比べでもやらかしたのか、公園の芝生で累々と酔っぱらい達が倒れているのが見える。どうやら「あたしに勝とうなんざ、一千億年と十日早い!」とか言っているようだ。
誰もがこぞって美鈴さんに勝負を挑んだようだったが……美鈴さんはたった一人で、二十人からの挑戦者を撃退してしまったようだ。
「ふはははははははは!」
ひたすら得意げに笑い続ける美鈴さんは、こめかみを押さえて頭痛に耐えている僕の首に腕を回した。黒い瞳がとろんとして頬が上気している。
「ね、リスティ~」
「何ですか?」
また酔っぱらいの戯言だろう。
僕がめんどくさそうに返事をすると、美鈴さんは僕の首に回した腕にぐいっと力を入れた。
「夕べ、何処に行ってたのよ?」
「え?」
僕に詰問を浴びせる美鈴さんの鋭い口調。
ほ、本当に酔っているのか?
「あらひ、みたわひょ~」
あ、あれ?
「く~」
身体を一瞬堅くした僕だったが、ふと気が付くと美鈴さんは、僕の肩に頬を寄せて眠っていた。ほっとした僕は、美鈴さんが握っている空の酒瓶をそっと手から取って地面に置く。
幸せそうな寝顔。
顔におちた黒髪を掻き上げてあげると、美鈴さんは何やらむにゅむにゅと寝言を言った。
「やれやれ、お嬢は眠っちまったのか?」
美鈴さんの寝顔を見ている僕の頭上から、ガディさんの声がした。
「はい」
見慣れぬタキシード姿の巨体を見上げた僕が頷くと、
「こりゃまた可愛い寝顔だ」
赤い顔をしたガディさんはごつい歯を見せて笑い、僕の横へどっかりと腰を下ろした。
「ところで坊主。今更の話だが、お嬢は連合軍所属って事になるんだろう? 所属部隊名は聞いているのか?」
「美鈴さんの所属部隊名ですか?」
ガディさんのいきなりの問いに、僕は美鈴さんと初めて逢ったときの事を思い出した。
「ええと、確かミネルバ隊って聞きましたけど。それが何か?」
「ほほぅ」
興味深げに聞いていた、ガディさんの目がぎらりと光った。
「お前、ジャンク屋なんかじゃねぇな?」
ガディさんの低い声に、僕の小さい心臓が一瞬跳ね上がった。
「へへへ、どうやらそうらしいな。まぁいいや」
ドングリ眼でじっと僕を睨んでいたガディさんは、すっと広場に目を向けて綺麗に無精ひげを剃った顎を撫でて笑った。
「いいか坊主。お前は知らないようだが、ミネルバ隊は連合軍選りすぐりのエース・パイロット達の部隊だよ」
僕は思わず、ガディさんの横顔を見た。
美鈴さんが旧連合軍のエース・パイロット……。
「驚いたぜ、俺も初めて拝んだんだからよ。お嬢のブレイバーの左肩に描かれたエンブレム。剣を携えた女神はミネルバ隊のマーキングなんだよ」
ガディさんは、僕の頭を鷲掴みにした大きな手にぐっと力を入れた。
「ジャンク屋連中の話じゃな、ミネルバ隊は神ともあがめられているのよ。旧連合軍が壊滅寸前の打撃を受けた一戦で、ヴィラノーヴァのセラフィムを数百機撃墜したのさ……。量産型の装甲兵がたったの六機でな。お前ほど装甲兵に関しての事情通が、知らない訳がねぇだろう?」
そ、そうなのか?
気付かなかった。いや、ガディさんの言うとおり僕は知らなかったんだ。
「もっとも、そのおかげで死神扱いさ。それ以降、新しい連合軍の上層部に恐れらるのも無理はねぇ。軍の監視下で危険な作戦行動ばかり……。要するに厄介者さ。でなけりゃお嬢のブレイバーも、軍があんな状態で運用する訳がねぇ」
ガディさんの話を聞きながら僕は端で見ても分かるほどに狼狽し、背中にはびっしょりと冷や汗をかいている。
恐る恐るガディさんの方へ目を向けると、ガディさんは僕を一睨みした後、にいっと笑った。
「そんなこたぁどうでもいいんだ。なぁ坊主、お前自身の事に関しちゃあ、俺はこの際聞かねぇことにする」
「ガディさん?」
僕がちょっと身を引くと、
「へへ、この果報者が!」
ガディさんはいきなり僕の首にぶっとい腕を回した。
「え? え? え?」
そのまま、ぎりぎりと締め上げられる。
苦しい、僕は目に涙を浮かべて逃れようと懸命にもがく。
「ミネルバ隊の一員やってたお嬢がどんな娘か、ずっと観察してたんだけどよ」
ガディさんは、美鈴さんの寝顔をちらりと見た。
「やっぱりなって思ったよ。お嬢はまさに『抜き身の剣』ってところだな。それに、いつもどこか綺麗な顔に、冷たい氷の仮面を張り付けてるじゃねぇか」
ガディさんが評する美鈴さんのイメージは、おおむね正しい。
「心に一線を引いて、どんな事があってもそこから先は人を寄せ付けねぇ。絶対に氷の仮面を外したりしねぇくせに、お前にだけはこうやって気を許してるんだぜ? どう思うよ、おい?」
どう思うって聞かれても。
「さぁ?」
「まったく……てめぇはよ」
ごっ!
首を傾げた僕は、また石みたいなげんこつで殴られた……痛い。
「まぁいい。こいつは宿題だ、よ~く考えな!」
ガディさんは「ガハハ」と、笑って賑わう酒宴へと目を向けた。
「おかしいだろ?」
「ガディさん?」
「飲んで、食って、歌って、踊ってどんちゃん騒ぎさ。明日……いや次の瞬間、憎らしい羽付き野郎の攻撃で、全てが跡形もなく消し飛んじまうかも知れねぇってのにな」
僕は思わず、ガディさんの日に焼けた精悍な横顔を見つめた。この巨大な居住コア「クレイバーグ」も、セラフィムに幾度もの攻撃を受けているようだ。
それは所々破壊された街の様子から、容易に想像することが出来た。
「だからだよ、皆忘れたいのさ」
ガディさんの横顔に、不敵な笑みが浮かぶ。
「だがそれだけじゃない。今この一瞬を大切に生きようとしている。そして俺達は、決してあきらめねぇ! このままじゃ終われねぇんだ。羽根付き野郎も何もかも、みんな綺麗に片付けてやる!」
それは聞いているだけで心が熱くなる、頼もしい言葉だった。
今日この日を、祝福の花束を抱えた人達の笑顔を、僕は絶対に忘れない。
――そうだ、僕の心は決まった。
小さな寝息をたてている美鈴さんを見つめ、僕は胸元で輝くペンダントをきつく握りしめた。