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幸せの花を君に捧ぐ  作者: 綴 朔哉


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希望の光



 兄さんは、突然この世を去った。


 愛する人をその身を呈して、見事に守り抜いた。


 だけど帰らぬ人となり、結果的に兄さんが命をかけてまで守ったその人は、ひとりぼっちになってしまった。


 兄さんの愛した人である、深月紫翠さん。


 彼の第一印象はしゃぼん玉のようにふれた瞬間、消えてなくなってしまいそうなほどに儚げで美しい人。


 見るもの全てを、黙らせてしまうほどの美貌の持ち主。


 だけどその事に驕らず、誠実に人と向き合える人。


 そんな素敵な人と兄さんが交際しているというのを、応援しないという選択肢は俺にはなかった。


 小さい頃。初めて、兄さんと会った時。


 何だかんだ肝が座っている夕とは違って、俺は緊張していた。

 そんな俺たちに兄さんは、優しく声をかけてくれた。

 

「夕ちゃん、蓮くん。一緒にあそぼ!」

 夕の方が先に産まれてお姉ちゃんだとはいえ、僅か数分の差しかない俺たち。

 

 普段から姉と弟という意識はあまりなく、年上で何でもできる兄さんは憧れの存在で、俺にとってヒーローだった。


 少しでも兄さんに近付きたくて、幼い頃の俺は勉強や運動を一生懸命に頑張った。


 俺が頑張っているのを兄さんはよく見てくれていて、いつもたくさん褒めてくれた。

 

 今の俺があるのは、兄さんのおかげ。


 一緒に公園で遊んでいた時に俺が転んで怪我をした時は、子供の足では結構な距離がある家までの道をおんぶして帰ってくれた。


 夕が習い事の帰りに迷子になってしまったときも、兄さんは必死に探し周り、夕を無事に見つけてくれた。


 俺はそんな格好良い、兄さんみたいな人になりたかった。

 兄さんが困った時は、自分が手を差し伸べるのだと決めていた。


 なのに、兄さんがお母さんのことで悩んでいる時。


 俺は何も、できなかった。


 兄さんは大変なはずなのにそんな顔なんて一切見せず、ずっと俺たちを心配してくれていた。 


 だから、高校一年生になったばかりだったあの日。


 兄さんが紫翠さんを恋人として、家に連れてきた時。俺は、本当に嬉しかったのだ。


 優しい兄さんは、お母さんのことでずっと悩んできた。


 大学一年生の頃に父さんとお母さんの付き添いで買い物に出かけた時も、お母さんの暴走を止められずに兄さんの事を傷つけてしまった。

 

 お母さんも悪気があるわけではないことは、分かっている。

 だけど、これ以上兄さんを困らせないでほしい。


 それが、正直なところ。


 あの後。家に帰って少し冷静さを取り戻したお母さんは、父さんに泣いて謝った。

 兄さんに酷い事を言ってしまったと。紫翠さんに対しても。


 後日、謝罪に行けば兄さんは笑ってみせた。

 

「今の俺には、紫翠がいるから大丈夫だよ」

「ほんとに? 無理……してない?」

「無理してないのは本当。だけどね……紫翠への言葉は正直、今は許せない。かな……」

 複雑そうな表情を浮かべた兄さん。


 父さんから、何か聞いたのかもしれない。だけど兄さんは、俺や夕にはやはり弱音を吐いたりはしない。


「もうすぐ紫翠が帰って来るから、この話は終わりにしよう」

「……そうだね」


 ガチャっと扉が開く音。タイミングが良すぎて、少し驚く。


「ただいま。あっ、蓮くん! いらっしゃい」

「おかえり、紫翠」

「こんにちは、紫翠さん。お邪魔してます」

 

「ケーキ買ってきたんだぁ。食べる?」

「はい、いただきます」

「すぐ準備するね」

 嬉しそうにキッチンの方へと入っていく紫翠さんと、その姿を愛おしそうに見つめる兄さん。


 その時、ふと気付いた。兄さんの右手に、はめられた指輪の存在に。


 そして同じ物が、紫翠さんの右手にもはまっている。


「紅茶、淹れようか」

「ありがとう、雅」

 兄さんもキッチンの方へと行ってしまい、少し手持ち無沙汰になってしまった俺は夕へとメッセージを飛ばす。


 夕から返ってきたのは、ハートをいっぱい散らしているクマのスタンプ。

 そのすぐ後に、もう一件。

 

「心配なさそうでよかった」

「私も行きたかったのに、蓮だけずるい」

 そして、拗ねたようなメッセージを連投される。


 それは、俺に言われても困る。そもそも、バイトを入れていた夕が悪い。


 俺は、同じクマがため息をついているスタンプを返しておいた。


「蓮くん、どれがいい?」

 箱の中には苺のショートケーキ、ガトーショコラ、チーズケーキ。


「じゃあ、チーズケーキで」

「はーい。雅は?」

 キッチンからは、紅茶のいい香りが漂ってきている。


「紫翠、先に好きな方取って」

「どっちにしようかなぁ……迷う」

 真剣に悩む紫翠さんは、俺から見ても少しかわいいと思う。

 

 どっちも食べてみたくて決められないなんて、普段の紫翠さんのイメージからは全く想像できない。


 こうして、内面を知らなければ絶対に見られなかった部分だと思う。

 

「じゃあ、半分こにしようか」

「いいの?」

「もちろん。どっちも食べてみたいんでしょ?」

「ありがとう、みやび」

 そしてそれをわかっていて、その提案をする甘々な兄さんも。


 夕がもし彼氏とこんなやり取りをしている所は見てられないと思うけれど、なぜかこの二人なら不思議と見ていたくなる。


 この二人が、ずっと一緒にいられますように。


 俺は二人に会う度、そう思っていたのに。


 あの日、悲劇は起こってしまった。


 事故が起こった日。


 珍しく家には、全員揃っていた。


 久々に、外食でもしようか。


 そんな話を、家族でしていた。


 のんびりと準備をして、俺はリビングで父さんと一緒に女性陣の仕度が終わるのを待っていた。


 突然鳴った、父さんのスマホ。


 見覚えのない番号を不思議そうにしながらも、電話に出た父さんの顔色は見る見る青ざめていく。

 

「蓮、テレビつけて」

 何がなにか分からないままにテレビの電源を入れれば、悲惨な事故のニュース。

 大勢の人の中に、男が車で突っ込んだというもの。


 俺はその場から、動けなくなった。

 信じたくなんてないが、この事故に兄さんが巻き込まれたのだと分かってしまった。


 騒ぎに気付いたお母さんと夕も、続々と降りてくる。


「雅が、事故に巻き込まれたって……」

 兄さんのスマホに電話をかけても、呼び出し音がなるだけ。

 何度も、何度かけても出ることはない。

 

 俺たちは、慌てて兄さんが搬送されたという病院へと向かった。


 足を踏み入れた病院の中は地獄絵図と化していて、そこかしこに怪我人がいた。


 どうか嘘だと、人違いであってくれ。兄さん……。


 奥の診察室に兄さんは、寝かされていた。血塗れで。顔には大きな傷はなく、はっきりと兄さんだと分かってしまった。

 

「残念ですが……頭部を損傷していて、ほぼ即死でした」


 俺は目の前の人が、何を言っているのか分からなかった。

 理解、したくなかった。理解すれば、それを認めてしまうようで。


 医師はひとつ会釈をして、その場を足早に後にしていった。

 お母さんは泣き崩れ、夕も涙を溢れさせる。


 父さんも、俺もその場に呆然と立ち尽くすしかできない。


 涙は、出なかった。何の実感も湧かなくて。

 

 俺と父さんが諸々の手続きをしていた際、ひとりの看護師さんに話しかけられた。

 

「あの……すみません。陽向さんのご家族の方ですか?」

「そうです……」


「その、陽向さんが搬送される際に一緒にいた男性の方のご家族と連絡が取れなくて……もしご存知の方であれば、確認をしていただきたいのですが」

 

 ひとりの男性……もしかして、紫翠さんの事か?


「あの……その人は無事なんですか?」


「意識不明の重体ですが、一命は取り留めています」


「もしかして、深月紫翠さんという人ですか?」


「……! そうです」


「その方に会えますか?」


「……ご案内します」


 案内された、ICUの病室には紫翠さんの姿があった。


 たくさんの包帯と、管に繋がれた状態で。


「なんで……」

 なぜ、二人がこんな目に遭わなければいけないのか。


 次の日も、その次の日も紫翠さんは目を覚まさなかった。

 紫翠さんが生きていて嬉しい、早く目を覚ましてほしい。そんな気持ちと、紫翠さんが意識を取り戻して兄さんのいない現実を知ってしまう事への不安が俺の中でせめぎ合う。


 兄さんの葬式の前に、紫翠さんに会いに行った。

 

 だけど意識不明で、面会謝絶。


 それに、身内でもなんでもない俺が会うことはできないと言われてしまった。


 俺は受付で、必死に頼み込んだ。


 当初看護師さんたちは困っていたが、少しだけだと俺を病室まで連れて行ってくれた。


 そこには、搬送されたときと何も変わらない紫翠さんの姿。

 

「救助隊の方から少し聞いたんですが、深月さんは陽向さんのお兄様に折り重なるようにして倒れていたそうです」

「そう……ですか」


 兄さんは、紫翠さんの事を守ったのだろうか。


 漠然と、そんな事を考えた。

 

「あの、紫翠さんに何かあった時。俺に連絡をもらうことは、できませんか?」

 俺は頭を下げて、必死にお願いした。

 

「……わかりました。本当は駄目なんですが、今回だけです」

「ありがとうございます」


 ただの俺のエゴかもしれない。だけど俺はどうしても、紫翠さんをひとりにしたくなかった。


 兄さんの葬式。棺桶の中の兄さんは、眠っているみたいだった。

 あれだけの事故だったのに、顔には殆ど傷はなかった。


 事故の次の日。警察官が家にやってきて、事情を説明された。

 

 近くの防犯カメラに、事故の瞬間が撮らえられていたという。


 そこには兄さんと紫翠さんの姿も映っていて、車がぶつかる僅か一瞬のうちに、紫翠さんの事を守るようにして抱き寄せる兄さんの姿が残っていたという。


 その映像を見て俺は兄さんの事故後、初めて涙を溢れさせた。


 兄さんはやっぱり格好良い。だけど、あなたが紫翠さんを置いていったら駄目じゃないか……。


 

 そして事故から一週間後。紫翠さんが目覚めたと、病院から連絡があった。

 

 だか本人の状態から面会はできず、退院の日が決まり次第また連絡をしますとのこと。


 もどかしいけど俺はその言葉を信じ、連絡を待った。


 家族はみんな憔悴しきっていて、俺もこうして何かしなければ立っていられなかった。


 紫翠さんが意識を取り戻してから、一週間。


 退院の日取りが決まり、俺と夕は仕事を休んで迎えに行くことにした。


「蓮、紫翠さんもう、病院出ちゃったって」


 きっと、紫翠さんは死ぬつもりなのだと思う。


 兄さんのいないこの世界に、絶望して。


 俺は、慌てて車を走らせる。病院の近くの駐車場に車を停めて、夕と手分けして紫翠さんを探す。


 体力が万全に回復していない状態で、そこまで遠くには行けないはず。


 そうして探していれば、生気のない紫翠さんの姿を見つける。

 俺は夕に電話をかけて、見つけたことを伝えた。


「紫翠さん!」

「……れん、くん?」

「よかった、入れ違いにならないで」


 紫翠さんの目には、光が宿っていなかった。


 絶望が色濃く滲む表情に、心が痛む。


「れんくん。みやびが、死んじゃったのは、ほんと?」

 その言葉に誤魔化すことなんて、出来なくて。

「……はい」


「そっか……」

 兄さんの前で見せていた紫翠さんの表情は、見る影もない。


 ふらっと歩き始める紫翠さん。その手をどこにも行かないようにと掴めば、離して……と抵抗される。

 


「はなしてよ、ぼくもみやびのところに行くの」

 紫翠さんの心が、軋む音がはっきりと聞こえてしまう。


 どうすればいいのか、俺には分からなくて。


 紫翠さんのやりたいようにやらせてあげたほうが、彼は幸せになれるのだろうか。

 

 向こう側の兄さんと、一緒のほうが……。

 

 その時。反対側から、夕が紫翠さんの手を取ったのがみえた。

 

「紫翠さーん、探したよ」

 俺は、はっとした。一瞬自分が考えた事に、少しだけ怖くなる。


 夕の調子に紫翠さんは困惑していたが、少しだけ冷静になったようで大人しくついてきてくれた。


 音のない車内は静寂が支配していて、聞こえるのはエアコンから風が排出される音のみ。


 その静寂を破ったのは、紫翠さんだった。


「みやびはいま、どこにいるの?」


 母親を探す、迷子の子供のような口調に俺は何も言えなかった。

 

 不甲斐ない俺とは違って、そんな問いかけにも夕は上手く答えている。


 何も言えない、できない自分が情けない。


 骨になった兄さんを見た紫翠さんは崩れ落ち、花の涙を溢した。

 瞳からこぼれ落ちる瞬間に、涙は花びらへと変貌を遂げる。

 

 大量の色鮮やかな、赤色。

 

 その光景は、衝撃的。なのに、とても美しい。


 不謹慎な事は百も承知だが、どこか神秘的なその姿に目が離せなかった。


「紫翠さん……?」

 痩せてしまったその背中を擦っていた、夕の焦りの滲む声に現実へと引き戻される。


 そのまま電池が切れてしまったように、紫翠さんは気を失った。


 呼吸を確認して、ソファへとその体を横たえる。


「花の涙……本当にあるんだね」

「夕、知ってるの?」


「……うん、高校の時に少し聞いたことある程度だけど……その、愛する人を失うと罹る病気なんだって」

 神様は、残酷だと思った。


 なぜこの人から、俺たちから兄さんを奪ったのか。


 この世には、必要のないような人間は五万といる。実際に、事故を起こしたあの男がそうなように。

 

 なぜあんな奴のために幸せになれるはずだった人たちが、こんなにも傷付き離れないといけないのか。


 紫翠さんの目の下には、くっきりと隈が刻まれていた。


 兄さんと一緒の時には見たこともない、憔悴しきった様子。


 目を離せば、この人は消えてしまうのではないか。そんな不安が過ぎる。

 

 ――兄さん、あなたが手を繋いでいないと紫翠さんは……。

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