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幸せの花を君に捧ぐ  作者: 綴 朔哉


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999本の薔薇の花束を、君に。


 茉白さんは柴翠を置いて、この世を去った。


 病院へと搬送されてから、十日も経っていなかった。


 あの日。空気は凍てつき空気中の水分は氷の結晶となって浮遊し太陽光を反射して、幻想的な光景を作り出していた。

 その美しい現象は本州では珍しく、それはまるで茉白さんの旅立ちを祝しているようだった。

 

 葬儀を終えた後の柴翠は抜け殻の様で、体調を崩すことが一段と増えていった。

 

 ある朝、柴翠からの着信を知らせるスマホを手に取り電話に出れば「たすけて、みやび」なんて肝が冷える内容。

 

 俺は至る所に体をぶつけながら、慌てて家を飛び出した。

 

 家の前まで辿り着き、預かっていたスペアキーで中へと入る。

 そこには、自分の部屋のベットでスマホを抱えたまま汗だくで気を失っている柴翠の姿。


 その瞬間、心臓を氷漬けにされたように体は固まり脳は、思考を数秒止める。

 背中を冷たいものが伝っていく感覚に、自我を取り戻す。


 縺れそうになる足を懸命に動かして、そばへと近づき額にふれる。

 

 柴翠の手が何かを探すように彷徨っていて、その手を俺はそっと掴まえ目元へ手をのばす。


 瞼がゆっくりと開いて、熱に浮かされ水分を多く含む瞳が露わになり光が宿った。

 

 本人に熱があったという自覚はなかったようで、ぼんやりとしている柴翠の身の回りを整えつつ、体の具合を聞けば寒いという。

 

 これ以上、熱が上がってしまうのは不味い。


 俺の心配を他所に、柴翠は人肌が恋しいのか甘えるように、両手をのばしてくる。


 隣に潜り込んで近頃、少し痩せてしまったその体を引き寄せて、温めるように包み込んだ。

 

 それから何度か、柴翠が体調を崩す度に俺は甲斐甲斐しく、看病をした。

 俺にとっても大切な茉白さんから、柴翠の事を託されたから。


 遺品整理の際に見つけた達筆な文字で書かれた茉白さんからの手紙には、俺への愛情のこもった言葉がたくさん並べられていた。


 本当の孫ではない俺にも、茉白さんはとても良くしてくれた。


 俺はそんな優しい茉白さんが大好きで、色々なことを教えてもらった。

 

 柴翠と恋人関係にあると伝えたときも、茉白さんは自分の事のように喜んでくれた。


「柴翠のことを改めて、よろしくお願いします」

 あの時、言ってくれた言葉を俺は一生忘れない。

 

 そんな日々が続いていた時。柴翠の方から、一緒に住むことを提案されたのだった。

 四六時中、一緒にいることが出来る環境は温かくて、幸せで。


 俺の柴翠への愛は時間の経過と共により大きく、深くなっていった。

 こんな日々が永遠に続くことを願い、幸せな日々をかみしめる。

 

「君がいなくなる一日前まで生きたい」という言葉を、何かで見た時。

 俺はそれだと紫翠が悲しむから、死ぬ時は一緒か、もしくは俺が紫翠の一秒後が良いなんて真剣に考えていた。

 

 それを、まだ本人に話したことはないが、大切な時に取っておこうと思っている。

 

 今日はいつにも増してご機嫌なようで、かわいい顔をたくさんみせてくれている。

 同じ家で過ごすようになってから、柴翠の体調は少しずつ安定してきていて、元々少なくはなかった頭痛の頻度は減少し、熱を出す回数も徐々に減ってきていた。

 

 何気ないこういった日常の一コマが幸せだなんて思いながら、ゆっくりと会話を楽しみつつ本日の目的地に向かう。

 向かっているのは昔、紫翠と一緒に行った思い出の香水ショップ。


 そこでお互いが調香した香水を交換して、記念にしようと少し前から紫翠が俺の誕生日に向けて、計画してくれていたものだ。

 

 俺の学びの機会と、気分転換を兼ねているのだと思う。


 二週間ほど前のこと。調香の仕事をしている俺はここ最近、色々と思い悩んでいた。

 紫翠はずっと、それを気にかけてくれていたのだった。

 

 調香師という仕事は、大きく分けるとフレーバーリストとパフューマーというものに分かれる。

 前者は食品や飲料といった口に入るものの香料を調合、開発するもので後者は香水やフレグランスなどの調合をするものになる。

 

 俺は前者の方の仕事をしているが、元々の志望は後者のパフューマーで、就活のときも初めはパフューマーとしての求人を探していた。


 だが日本では比較的重要が少なく、求人の数自体も少ないとても狭き門だった。


 活躍の場を海外に求める人が多いと聞き、一度は考えた。

 だが、俺は結果的にフレーバーリストとしての道を選ぶことにした。

 

 当初、紫翠はその選択を俺がしたのは自分のせいなのではないかと思いつめていて、自分が足枷になっているのなら別れた方がいいのではなんて、危うく我を忘れかけるほどの言葉を言われたこともあったが、俺は全力で阻止した。


 そんな事になれば仕事どころではなくなってしまうと、必死に説得し今に至っている。

 

 そもそも選択を決めたのは俺であり、その選択をした事自体に後悔はない。

 今悩んでいる原因というのは少し違うところにあって、自分でパフューマーとして起業し店を持つか、このまま今の会社にフレーバーリストとして勤め続けるかというものだ。

 

 本来、独立するとなれば一般的には十年ほどの下積みを経てというケースが多いようではあるが、俺自身は挑戦をしたい気持ちが大きかった。


 だが職場環境も良く、給料形態や福利厚生などの面でもしっかりしている今の会社を辞めてまで、リスクを冒す必要があるのか。

 

 ここで、大きな決断をしてもいいのか。


 成功しなかった時、紫翠との未来は……?


 悩みに悩んだ結果、一人で抱えきれなくなった俺は少し情けないが、思いきって紫翠へと相談することにした。

 

 紫翠は、最後まで真剣に聞いたうえで少し考えるような素振りを見せた後。

 案外あっさりと、雅のやりたい方でいいんじゃない? という回答が返ってきた。

 

「僕も働いてるんだし、いざとなったら雅の事くらい養ってあげるから大丈夫だよ」

 なんていたずらっぽく口角を上げ上目使いで言う紫翠に、俺はめちゃくちゃ惚れ直し思わず抱きしめる。


 あの時とは違って、自分から離れようとしない事に俺への信頼と愛が目に見えたようで、嬉しかった。


 普段は少しぬけていて天然を炸裂させるかわいい子なのに時折、見せてくれる潔くて格好いいところも併せ持ってるなんて、反則だと思う。

 

 出会ってから十五年近くの月日が経つが、紫翠への愛は日々更新されていくばかり。

 

 紫翠は急に抱きしめてきた俺に、初めこそ少し驚き戸惑った様子だったのだが、少しするとごそごそと動き収まりの良い位置を見つけたのか、俺の背中に手を回して大人しくなる。

 

 ちらりと見えた耳は赤くなっていて、何年一緒にいてもまだ初々しい所を見せてくれる紫翠に愛おしさは込み上げ、抱きしめる力を僅かに強めた。


 紫翠はふふっと嬉しそうに笑い一連の流れに満足したのか、俺より少し低いところにある顔が窺うようにそっと見上げてくる。

 

「僕は雅がやりたいことをやって、楽しそうにしているのをみてるのがすきだよ。僕のことを一番に考えてくれてるのも嬉しいけど、僕は何があってもちゃんと雅についていくから大丈夫だよ……」

 

 そう言う紫翠の言葉はいつも、俺の背中を押し勇気をくれる。


 紫翠が言ってくれるなら大丈夫だと、根拠のない自信かもしれないがそう思える。


 俺は紫翠に出会えて、恋人になれてよかった。


 きっと俺たちは運命の相手で、こうなることは決まってたんだよと言ったら、雅はロマンチストすぎ。なんて言われてしまうだろうか、それとも俺の大好きな笑顔でそうだね、僕もそう思うよと言ってくれるだろうか。

 

 当の本人は自分で言ったものの、恥ずかしくなったのか顔を伏せてしまい、俺の肩に頭をぐりぐりとこすりつけてくる。

 

 照れ隠しなのだろうが、俺はまんまと紫翠が仕掛けた罠に嵌った。

 的確に俺の心臓を撃ち抜いてくる紫翠と一緒にいる限り、俺の心臓はいくつあっても足りないと本気で思う。


 だけど、それも悪くないなぁ、なんて考えている俺はもうだいぶ重症だと思う。

 

「ありがとう、俺やっぱりパフューマーの夢を諦めたくないし、自分が調香した香水でブランドを起ち上げたい」

「良いんじゃない? 雅はそうでないとね」

「紫翠」

 俺はありったけの愛を込めて、名前を呼ぶ。


 ぱっと顔を上げる紫翠。その表情は、どこか嬉しそうで。


 俺の悩みをあっさりと解決に導いてくれた紫翠に、お礼と愛を込めておでこにキスをおとす。

 

「俺、本当に紫翠と出会えてよかった、俺たちはきっと運命の相手なんだよ」

「あたりまえでしょ、雅に僕以外の運命があるなんて認めないよ」

 それよりこっちには? なんて軽く頬を膨らませながら、自分の柔らかく艶のある唇を指差し催促してくる。

 

 一瞬衝撃が強すぎて意味を理解できなかったが、もの凄くかわいい事を言われたのでは?

 少しあざといっ! とも思ったが、紫翠に対して激甘な自覚がある俺には、効果覿面で。


 仰せの通りキスをおとす。


 それをきっかけに甘い時間を過ごしたことは、俺たちだけの秘密だ。

 

 そんな甘く幸せな時間を思いだし、無性にふれたくなる。

 今手をつないだら恥ずかしくて怒るかな……なんて考えていたら、少し前を歩いていた紫翠から声がかかる。

 

「雅、お店みえたよ!」

 少し先に見えているビルの二階にある看板を、指差して教えてくれる。

 

「紫翠、人がいっぱいいるからあまりはしゃぐと危ないよ」

 そこは人が前後左右にたくさんいる所謂、スクランブル交差点というもので、休日である今日はとてつもない数の人が行き来をしている。

 

  はーいなんて言って、俺の呼びかけで隣に戻ってくる紫翠。


 これだけの人がいれば、手を繋いでもバレないと思うんだけどな……と実行に移すか迷う。

 

 そうこうしながら横断歩道に差し掛かり、紫翠が嬉しそうに俺より半歩先を歩き「雅、はやく!」 なんてこちらを振り返りながら、少し長めの距離を横断していたその時。


 女性の悲鳴が、少し離れた位置から聞こえた。


 何事かと思い辺りを見回していると、俺から見て斜め左側にいる紫翠の背後から人を跳ねながら、猛スピードで走ってくる車が見えた。

 

「柴翠! うしろ……」

 俺の体は考える間もなく、動いていた。


 咄嗟に守らねばと手を伸ばし、紫翠の頭を抱えるようにして抱き寄せた。

 

 ――次の瞬間。


 襲ってくる強い衝撃と、少し遅れて感じる激しい痛みに心臓が早鐘を打つ。

 全身の血が沸騰しているかのように熱く、うまく息ができなくて苦しい。

 

 耳がキーンとなり、音が聞こえない。


 腕の中にぬくもりを感じて、差し当たり庇うことはできたみたいだと安心する。

 

 ……紫翠は、無事なのだろうか――。


 

「……柴……翠」

 掠れた声しか出なかったが、必死に絞り出す。


 しばらくすると、ごそごそと動きだす感覚が伝わってきた。

 

「みや……び……?」

 少しして、紫翠の声が聞こえた。


 よかった生きてる……。

 

「……柴翠……よかっ……た、でもしすい……おでこのとこ血がで……てる」

 俺は顔だけを上向けて、紫翠の姿を捉える。顔をみれて、酷く安心した。


 右のおでこの所、血が出てる……怪我させたくなかったのに……。


 紫翠泣いてる、お願いだから泣かないで。

 

「……ごめんね、おれの……たいせつな……しすいにけが……させちゃった」

 仰向けに体勢を変えて、綺麗な青空越しの紫翠を見上げた。

 震えてしまう右手をのばして頬にふれて、流れる涙をぬぐってあげる。

 

「……みやび、血が……あたまから血が……どうしたら」

 頭から血? あぁだからこんなにも痛いのか、心配させちゃうな……。

 

「なか……ないでしすい、おれはだいじょうぶだから、かわいいかおが……だい……なしだよ。まもれてよかった……」

 俺は大丈夫だよ、紫翠。


 君をおいていったりはしないよ、ずっとそばにいるよ。

 

「……しすいすきだよ……し……すいは、はながさくような、えがおでわらってるのがいちばん……」

 だめだ、紫翠の顔が霞んでみえない。


 俺は、紫翠の笑顔が見たいのに。

 

 身体が重くて、力がうまく入れられない。


 凍えそうに寒いけど、紫翠がそばにいてくれるから、不思議と怖くないな。

 

 意識が、黒く塗り潰されていく……。

 

「みやび……? ……みやび! ……でしょ、ね……きてよお……い……」

 紫翠の泣き叫ぶ声が聞こえ……深い水の中にゆっくりと沈んでいくような感覚がする。


 今すぐに顔が見たいのに、眠くて目があけられないんだ……。


 目が覚めたら抱きしめさせて。


 そこからいくらでもお説教きくから……ごめんね、紫翠。

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