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幸せの花を君に捧ぐ  作者: 綴 朔哉


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和らぎの魔法

 


 俺たちが就職して、もうすぐ一年の月日が経とうとしていた。

 その日はとても寒くて、朝出勤する時も手足が悴んで仕方がなかった。


 

 仕事を終え自宅に帰ってきたばかりだった俺に、紫翠から連絡が入ったのだった。


 茉白さんが倒れて、病院へ運ばれたと。


 俺は脱いだばかりのコートと財布、スマホだけを持って家を飛び出した。


 病院に着いて見た紫翠の顔色は、真っ青で血の気が引いてしまっていた。

 俺は安心させるように抱きしめ背中を撫でて、落ち着かせる。


 そのまま手を繋いで、病室へと踏み入れた。


 意識の戻らない茉白さんを見て、言いようのない不安と恐怖に襲われる。


 俺にとってもおばあちゃんと呼べる大切な存在である人のそんな姿に、動揺する気持ちの波は高く大きく打ち寄せる。


 ここで俺が折れては、駄目だ。


 懸命に心を落ち着かせ、平静を装う。


 夜も遅く俺たちは一度、自宅へと戻っていた。帰ってきてからもずっと動き回り、一時も休もうとしない紫翠をできる限り穏やかな声で呼ぶ。


「おいで、紫翠」

 ゆったりとした動きで近付いてきた紫翠は、体を小さく縮めるようにして俺の胸に収まった。


 そのまま揺り籠のようにゆらゆらと、紫翠を抱えたまま右へ左へと体を揺らす。


 その間、俺は紫翠へと話しかけ続けていた。


 そうしているうちに、強張った体からは僅かに力が抜けた。それでも紫翠は子供が眠ることを拒むように、愚図っていた。


 そんなかわいい子のおでこに、キスを贈る。


「怖い夢からは、俺が守ってあげるから、大丈夫」

 王子様のような気障なセリフも、抱っこも紫翠がそれで安心してくれるのなら、幾らでも続ける所存だ。


 儚げな笑顔を見せたその少し後、控えめな寝息が聞こえてきた。


 今の紫翠は手を離せば消えてなくなってしまいそうで、俺は宝物を抱えるように大切にそっと抱きしめる。


 暫くの間そうして俺はここにいるのだと、紫翠が帰ってくるべきはこの腕の中だと、覚え込ませるように包みこむ。


 起こさないよう、慎重にベットへと連れて行った。


 翌朝、俺の腕の中で目覚めた紫翠の顔色は、温度を取り戻していた。


「今日ひとりで、大丈夫?」

 朝食を用意しながら、そっと聞いた。


「うん、大丈夫だよ」

 ありがとうと笑う、その瞳には不安が滲んでいるように見えた。


 だけど紫翠の決めた事を否定する権利は、俺にはない。


 できるのは紫翠が手をのばした時、いつでもその手を取れるように準備をしておくことだけだ。


「わかった、また夕方に連絡するね」


 定時に仕事を終えることが出来た俺は、近くのスーパーへと急いでいた。

 食欲が減退しているであろう、紫翠が食べやすいものを頭の中で思い巡らす。


 雑炊、は少し味気ないような……。


 でもあまり、食べ応えのあるものもよくないだろう。


「どうしようかな……」

 スーパーにあるレシピの紙がふと、目にとまった。トマトリゾット……か。


 あれなら酸味があって、紫翠も食べやすいかもしれない。

 そうと決まれば、足早にトマト缶に玉ねぎ·茄子·人参·舞茸など必要なものを続々とカゴへ入れていく。


 レジを済ませ、頃合いかと紫翠へ電話をかける。


 聞こえた声からは、心細さが伝わってくる。


 十五分ほどで着く旨を伝え、走り出した。



 ――早く、紫翠のもとへと向かわなければ。



 インターホンを押して、出迎えてくれた紫翠の顔には疲労と不安が、色濃く浮かんでいた。


 笑ってくれるようにと、努めて明るく振る舞う。


「紫翠、キッチンお借りします」

 お邪魔しますなんて言いながら、部屋へと入った。紫翠が着いてきていないことに気付き、名前を呼ぶ。


「紫翠ー?」

 慌てて来た紫翠を見て、おいで? なんて手を広げ、腕の中にそっと入ってきた紫翠を優しく抱きしめる。


 悲しみも、不安も全て、俺が取り除いてあげることができれば、なんて今まで何度、考えてきたことか。


 調理器具を拝借し、茉白さんに教えてもらった通り、丁寧に下拵えをする。

 料理は食べてくれる相手の事を考えて、心を込めて作るのが上達の鍵なのだと教えてもらった。


 自分の作ったものが愛する人の血となり、肉となる。


 頭から爪の先まで、自分が作ったもので構成される、その喜びは計り知れないほどの幸せをもたらす。


「花言葉のように、秘めた気持ちや愛を伝える事ができるのよ」

 茉白さんはよく、そう言って穏やかに笑い、旦那さんである柴翠のおじいさんの話を聞かせてくれた。


「愛する人が喜んでくれるものを作ろうと頑張れば、自然と出来るようになるよ」

 そんな記憶が、呼び起こされてしまう。茉白さんの不在は、寂しい。

 涙を零してしまわないように、俺は無心で野菜を刻んでいた。


 そんな時、ふと視線を感じそちらを窺えば、僅かに目を輝かせて俺の手元を覗く柴翠の姿があった。


 お腹すいた? なんて少し冗談めかして聞いてみれば、うん。なんて小さく返事が聞こえた。


 刻んだニンニクをオリーブオイルで炒め、香りが出てきたらみじん切りの玉ねぎと角切りの茄子、舞茸も入れる。

 しんなりとしてきたら生米も投入し、さらに炒める。


 お米が透き通ってきたら、トマト缶とコンソメを入れて、塩や胡椒で味を調えながら、お米が柔らかくなるまで煮込む。


 その間に南瓜をレンジで加熱し、潰してキャラメル、クリームチーズを和えて作るサラダも作ってみた。


 こちらは少し前にネットのサイトで偶々見つけたもので、柴翠が好みそうだとレシピをメモしておいたものだ。


 味見をしてから、器へとよそって食卓へと並べる。


 料理を目の前にして、柴翠のお腹の音が小さく鳴ったのが聞こえた。

 柴翠はスプーンを取ると、そっと掬って口に運ぶ。


 どうやらお気に召したようで、少なめに盛り付けていたというのもあるが、サラダまでしっかりと完食してくれた。


 元々、小食の柴翠は何かあるとすぐに食事を疎かにしてしまう。

 時間があれば出来るだけ一緒に食事を摂ったりと工夫をしていても、忙しくなったりするとそうもいかなくなる。


 特に今回のように極度のストレス負荷が予測されるときは尚更で、常に気を張ってしまう柴翠の肩の力が上手く抜けたようで一安心だ。


 入浴まで済ませ、後は眠るだけというタイミングになったとき。

 俺はもうひとつ、用意していたものを準備していた。


 ティーポットに規定量の茶葉を入れて、沸騰させたお湯を注ぎ入れる。

 海のように美しい深い青がドレスのフリルのように広がり、目にも楽しい。


 もしも気に入ってくれたら次に淹れる時には、紫翠にも見てもらおう。そう、考えながら数分蒸らしカップへと澄んだ青を注ぐ。

 飾りとしてカモミールの花を浮かべ、彩りを加える。


 レモンのスライスも忘れずに、用意しておく。


 これが後から、このお茶に魔法をかけてくれるのだ。


 ガラスのティーカップは美しいのだが、取っ手以外は非常に熱くなってしまうので、少し冷ましてから柴翠の前へと置いた。


 熱いから火傷しないように、気を付けてね。なんて言った俺の言葉通りに、柴翠はカップの温度を確かめてから両手でそっと持ち上げた。


 形の整った唇をカップの縁につけて、こくりと嚥下した。


 それにより、喉仏が上下に動く。


 ふわりとハーブの香りが鼻を抜けたのか、甘く微笑みふわりとした晴れやかな表情を柴翠は浮かべた。


 その表情に俺の目は釘付けになり、視線を離すことが出来なかった。


 俺の説明を真剣に聞いてくれる柴翠に、言葉の中に混ぜて俺の愛を告げてみる。

 それはどうやら上手く伝わったようで、俺の愛の告白を受け取ってくれた柴翠は赤く染まった頬を誤魔化すように、カップへと息を吹きかけていた。


 だけど、赤くなった耳は隠せていなくて、そんなところも愛おしい。


「これね、レモンを絞ると色が変わるんだよ」

 用意していたレモンをそっと浮かべれば、その周辺から少しずつ紫色へと変化し、オーロラのように広がっていく。


「魔法みたい……」なんて呟いた柴翠は興味津々といった様子で宝石のようなその瞳は、光彩を放っている。


 視線がこちらへ向けられ、きらりと美しい世界の中に光の束が煌めいた。


 視線が絡み合った、刹那。


 柴翠の周りに花が舞ったように、俺には見えた。


 視界いっぱいに映る、愛する人の姿に脳内は歓喜に酔いしれる。


 その幸福感を胸に抱いたまま暫し、穏やかな時間を過ごしていれば、柴翠の瞼は重くなり、うつらうつらと頭は船を漕ぎ始める。


 眠りの世界へとすでに片足を踏み入れてしまっている柴翠の手を取り、絵本のお姫様のように抱き上げて、俺たちはベットまで移動した。


 もうほとんど目は開いていないのに、俺の首に手を回しぎゅっと抱きついてくる。

 その姿に庇護欲は掻き立てられ、愛おしさは何倍にも増す。

 無意識であろうその行動は、俺への信頼の証のように思えてならない。


 伝わる体温はいつもよりも温かくて、俺の願掛けはしっかりと効いたのかもしれない。


 寒がりの柴翠がこだわって選んだ手触りの良い、保温性の高い布団に優しく下ろしてから、二人してくるまった。


 少しだけ意識が浮上したのか、柴翠の方から唇にふれてくる。


 数回、戯れに重ねた後。柴翠は俺の懐へと潜り込み、猫のように何度か擦り寄って落ち着く場所を見つけたのか、小さな寝息が聞こえた。


 自由気ままなそれは小さな子供の様で、顔を綻ばせてしまう。

 愛くるしくて、俺は腕の中のこのぬくもりを一生離さない。


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