俺の色だけで満たされて
柴翠との関係が一歩進んでから少しして、俺たちは高校の卒業式を迎えていた。
式の後、担任の教師に呼ばれ少しの間。
俺がそばを離れた隙を狙って、立花さんが柴翠に話しかけていた。
明日から顔をあわす機会は、ほぼゼロに等しくなる。
だから今日のこの日に、想いを伝える子が出てくるであろうことを、予想はしていた。
柴翠のその容姿に惹かれ、恋をしてしまう子は多い。
外見から入ったとしても、内面の優しさを知れば、さらにその魅力に惹きつけられ、心は囚われてしまう。
年齢を重ねるごとに美しく、綺麗に成長していく柴翠。
そんな紫翠に、俺は常に気が気ではなかった。
だからずっと、俺はその関心が全て自分へと向くようにと、振る舞ってきた。
外見だけを見て判断し、恋している自分が好き。みたいな子は、手のひらを反すみたいに簡単に俺の方を向いてくれる。
その対処は面倒だった。それに加えて柴翠との時間を奪われるしで、苛つくことも多かった。
だが、そんな事には目を瞑り無心で上手く躱し、そういう子を紫翠から遠ざけてきた。
ただ唯一それが、効かなかったのが立花さんだった。
彼女は柴翠の人としての魅力に、気が付いてしまった。
俺と、同じ側に立つ人間だ。
だから俺の内心はとても穏やかではいられなくて、静かに距離を詰め紫翠を抱き寄せてから、威嚇するような視線を投げつける。
今、俺に向けて呆れたような表情を見せる立花さんが、悪い子でないのは知っている。
彼女は放課後に残って皆が嫌がる掃除を率先して行っていたり、困っている人がいればそっと手を差し伸べられる強い人だ。
だからこそ、人間的魅力の高い彼女が紫翠の周りにいることが怖かった。
いつか、大好きな紫翠が俺の前から居なくなってしまったらどうしよう。
もし彼女に、とられてしまったら……?
少しでも周りにその気配があれば、俺の心の中には大雨が降る。
取られるつもりが俺にはなくとも、紫翠の心を決めるのは紫翠本人だ。
そんな身を切るような不安に襲われて、来るかも分からない現実に怯えてしまう。
だから、彼女が柴翠のことを想っていることに気付いた時。
あの時、まだ紫翠と付き合ってすらなかった俺には当然、余裕なんてものはなく、それ故にずっと警戒対象であった。
そしてそれは、付き合ってからも変わらなかった。この世に、絶対はない。
それは自分の意志を含めてもそうだが、自分以外の心は見ただけでは、わからない。
ともすれば、本人でも分からないことは存在する。
だから、そういった疑問を感じる前にそれらの要因を俺はどうにかしたかった。
それに彼女は、俺の本性に気付いていると思う。
そしてそれは、先ほど彼女が浮かべた表情を見たことにより、俺の予想は確信に変わる。
器が小さいと思われてしまうかもしれないし、柴翠を信用していないのかと疑われてもおかしくはないが、嫌なものは嫌だ。
俺は柴翠の事を、絶対に誰にも渡したくないだけ。
その中で柴翠が俺以外の人を苦手そうにしている事実が、俺にとっての安心材料になっていた部分は大きい。
引き寄せ、抱きしめていることにより俺の肩に顔を埋める形になっている紫翠の耳元で、あの日を少しだけ意識して甘く囁けば、体から力が抜けていくのがわかる。
本当は見せたくないが、俺のなのだから手を出すなと牽制するためには仕方がない。
だけどそれでも、これ以上に彼女の想いを邪魔をし続けるのは無粋だと思った。
彼女は俺たちの関係に気付きながらも、紫翠への気持ちをずっと大切に温め、守ってきた。
その想いと事実は、人として尊敬に値するものだと俺は思う。
それに例えそれが報われることのない願いだとしても、いずれ幕を引かねばいけない時はくる。
彼女にとってそれが偶々、今日だったというだけの事。
「あの……」
なんとも形容し難い、苦い表情を俺に向けてから彼女は控えめに、紫翠へと声をかける。
猫のように驚き飛び跳ねるようにして、俺から距離を取る紫翠に少し寂しい気持ちも生まれたが、そんな仕草もかわいいと感じる俺は色々と末期なのかもしれない。
上手く言葉を見つけられずに狼狽えている様子の紫翠に、立花さんが声を掛ける。
「深月くん、困らせてしまってごめんなさい。でもこれだけは……私はあなたのことが、ずっと好きでした」
その声に紫翠の表情はすぐに、真剣なものへと変化した。
紫翠の中で丁寧に言葉を紡いでいるのか、少し考えた後。
想いへの感謝と丁重にごめんなさいを伝え、深く頭を下げた。
潔いその言葉の中には、たくさんの思いが籠もっているのだと思う。
優しく、心の綺麗な紫翠らしいものだった。
そろそろ返してもらおうとその手を取れば、繋いだところに力を込められる。
その僅かに感じ取れる、心の機微ですら愛おしくて。
誰からも見えないように隠してしまいたくて、そっと抱きしめた。
俺の首元に片耳を押し当てるようにして、反対側の耳を俺の手で塞ぐ。
耳を押さえる時に、僅かにふれた首筋。指先に感じる紫翠の心臓の鼓動は、派手に脈打っていた。
今、それどころではないであろう紫翠が聞こえていないことを信じて、俺と彼女は少し火花を散らす。
「深月くんのこと、ちゃんと大事にしてよね」
「言われなくても、そうするよ」
ふんっと言わんばかりに言葉を返し、見せつけるように手を繋ぎなおす。
彼女は何か悪巧みでも思いついたのか、一瞬こちらを見て挑発的な表情を浮かべたと思えば、スマホを取り出し紫翠に差し出した。
二人は俺の目の前で連絡先を交換し、少し話した後彼女は颯爽と帰っていった。
紫翠が思いの外、軽く了承したことに俺は動揺を隠せなくて、立花さんの思い通りになってしまったのが少し悔しかった。
やはり先ほど目の前で起こったことは面白くなくて、でもそれを言葉に表すことが出来ず、自分の中で上手く処理できない感情に悩んでいる俺に対して、紫翠はかわいいなんて言ってくる。
「もぉーかわいくないよ」
言いながらも、紫翠に言われるなら悪くないかもなんて、思ってしまう俺はやはり末期なのかもしれない。紫翠をはやく独占したくて、家路を急ぐ。
外からの陽の光を遮り、薄暗くなった室内にふたりきり。
息を奪うように、俺は深く口づけを落とす。
体内の酸素が少なくなり、熱に浮かされた頭では正常な思考なんて出来なくて、際限なく求めてしまう。
少し掠れた声で名前を呼ばれてしまえば、只でさえ持ち合わせていない余裕をさらに削られていく。
とろんと甘い熱に浮かされた瞳で、ふわりと美しく微笑む紫翠の表情は、この世のどんなものよりも綺麗に見えた。
紫翠の存在を確かめる為、額から始まり目尻と鼻先、頬や口元の黒子など顔中にキスの雨を降らせていく。
フェイスラインを辿り、喉元に柔く歯を立てると背中が浮いて、全身に力が入り動きは数秒止まった。
宥めるようにそこにもひとつキスを落としてから、唇で辿り心臓の上に紅い印を刻む。
何かを耐えるように、小さく息を吐きだす音が聞こえてその絶大な色気に魅了される。
「紫翠は、俺の事だけを見ていて」
お互いの荒い呼吸が響くなかで、懇願するようにこぼれてしまったその言葉は、抗いようのない俺の本当の心。
こんなに近くにいても、俺の心はまだ満ち足りることはない。
全然足りなくて、もっと満たされたくて。
必死にのばしてきた紫翠の腕を、自分の首へと絡めそのまま抱き寄せて、その唇をふさいだ。
ふれあった唇から俺の想いが、全て流れ込み伝わりますようになんて。
――愛してるよ、紫翠。




