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幸せの花を君に捧ぐ  作者: 綴 朔哉


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愛及屋烏

 


 あれから今も俺は、柴翠に母の事を話せずにいる。


 だが中学生の時と違い、柴翠がそばにいてくれることにより辛く苦しいだけのものではなくなり、少しずつ前向きに考えられるようになっていた。

 そんな折に、俺が大切に温めてきた気持ちが報われるかもしれないと思うきっかけになることが起こる。


 いつも通りに体育の授業をこなし、体操服から制服に着替え、俺がネクタイを締めているところを柴翠に見つめられた。


「雅は、ネクタイいつも綺麗に結んでるよね」

 自分の首元を指しながら、褒めてくれる。俺は自分の好きな子からそんな風に言われ嬉しさを隠せなくて、ネクタイを締めるのが苦手だと言い言葉通りに苦戦している柴翠に俺がやってあげようか? なんて言ってしまった。


 恥ずかしがり屋の柴翠は断るかなとも考えたが、思いの外、乗り気のようで嬉しそうにネクタイを手渡される。


 何よりも大切なものを扱うかのようにそっとネクタイを柴翠の首に回し、苦しくないように細心の注意を払いながら結んでいく。

 近づく距離に、自然と体温は上がってしまう。


 相手のネクタイを締めるとなれば、勝手が変わり難しい。

 声をかければ、はっとした様子を見せ紫翠は、そのままゆっくりと顔を背けた。

 顔を横に向けたことにより、その柔らかそうな髪から覗いている耳が赤くなっているのがわかる。

 表情までは窺えないが、思っていたより距離が近くて恥ずかしかったのだろうか。


 少しは意識してもらえたりしないだろうかなんて、淡い期待が膨らんでしまう。


 できたよと声をかけると、自分の首元に視線を移し、ありがとうなんて少し早口に言って、早く戻らないとなんて今までに見たことのない速さで片付けてしまう。


 照れを隠したいのか、急いで教室に戻ろうとする紫翠が可愛くて俺はつい、からかいたくなってしまった。


 もしかして照れてる? なんて言葉を少し前を歩く紫翠に投げてみれば、照れてないもん。なんていう非常にかわいい返しがきた。


 この時、俺は身を持って好きな子ほどいじめたくなるというのを実感することになり、その拗ねたような口調ですら、愛おしい気持ちを増幅させる要因にしかならない。


 もう少しその姿を見ていたくて、俺は教室のクラス札が見えてきた所で少し歩調を早め柴翠に静かに近づく。

 柴翠が早足で扉に向かい手を掛けようとした所を狙い、ゆっくりと顔を覗き込むようにして、俺のほうが少し身長は高いのだが、上目遣いになるように工夫し声をかけた。


 少しでも自分の事を意識してほしい俺は、内緒話をするかのように声のトーンを落とし囁く。


 一瞬、固まってしまった柴翠を横目に見てから、扉を開けて教室内へと足を踏み入れた。

 もっと、俺の事を見て。柴翠にとって、陽向雅という存在がもっと大きくなるようにと願望を込めて。


「ちょっと雅、からかってるでしょ……でもまたお願いする、かも……」

 今度は俺が、大きめの爆弾を食らうことになってしまった……。

 少しずつ小さくなる声は、俺の中にある感情をかき乱す。

 こんなに可愛くてたまらない事なんてあるのだなぁと、一周回って感心するほどだ。

 その衝撃が俺の内側を走り抜けていき、羞恥から目を合わせてくれないその様子もいじらしくて、堪えきれなかった笑みがこぼれ落ちてしまう。


 耳まで赤くなっていることを指摘すると、いじわるをする俺は知らない。なんて本格的に拗ねてしまったようで、それすらも可愛くて仕方がない。


 ご機嫌斜めになってしまい、どうにかしてご機嫌を回復させねばならないので策を考えなければいけないのだが、それ以上に柴翠の一連の行動は俺にとって破壊力が並外れていて、心臓を鷲掴みにして離してくれない。

 それどころか愛おしさが、永遠と言っても過言ではないほどに増し続け、欲が湧く。



 ――柴翠を、独占したい。俺だけのものにしたい。



 そんな権利が俺にない事は理解しているが、柴翠が愛おしいという気持ちに歯止めが利かなくなってきてしまった。

 何も話さなくなった俺を不思議に思ったのか、こちらを窺うためにおずおずと視線を向けてくる柴翠の愛おしさに、我慢できず言ってしまう。


「紫翠はほんとうに、かわいいねぇ」

 愛おしい柴翠。どこまで、君の事を好きにさせたら気が済むのか……。


 俺はこんなにも君に惹かれて、心底惚れ込んでいるというのに。


 ――だから、どうか俺の事を好きになって。


 こんな感情を俺は知らなくて少しだけ戸惑うが、不思議と嫌な気持ちにはならなくて。

 俺は母が壊れていく様子を見て、人を愛するということに対して抵抗感が芽生えつつあった。

 一度溺れてしまえば、僅かなボタンの掛け違いから人一人の人格を変えてしまうほどに、愛とは重く怖いものなのだと。

 俺は恋愛なんかして愛する人をつくり、母のようになるのならば、自分は一生一人でいい。

 愛だ恋だなんてものに、俺はずっと否定的だったはずだ。


 なのに柴翠と出会ってから、俺の考え方は覆されてしまった。

 好きな人ができると、こんなにも世界は色付いて綺麗に見えるものなのだと、初めて知った。


 俺の方を見てほしい、笑った顔が見たい。


 ――もっとそばにいたい、ふれたい。


 なんてあの時、恋愛に対して否定的だった俺はもうどこにもいなくて、そんな自分の単純さに笑うしかないという感情を抱いた。

 こんな俺が、人を愛せるのか不安な気持ちも僅かには残っているが、柴翠への気持ちを認識した時に起きてもいないことを悩んでも仕方がない。

それにどうにもならないからと、早々に考えることをやめた。


 だから、今もそんな俺の思いが届くようにと気持ちを視線に込めて、柴翠の事を見つめる。

 柴翠は驚いたように目を瞠り、瞬きすらも忘れてしまったかのようにその場で完全に固まってしまった。


 ――俺の視線の意味に、気付いて。


 徐々に柴翠の顔が赤くなり、体温が上がっていっているのが手に取るかのようにわかる。

 その反応に嫌悪の色は滲んでいなくて、ひとまず安心できた。

 脈ありだとまでは現状言えないが、僅かでも可能性はあると思ってしまってもいいのだろうか?

 でも今、俺が気持ちを伝えてしまったら恥ずかしがり屋の柴翠はきっと逃げてしまう。


 だから、ゆっくりと柴翠のペースに合わせて気持ちを伝えていくつもりだ。

 結局友人としての一番になれればいいなんて格好つけていても、それだけでは満足できなくなってしまった。

 自分だけのものにしたい。なんていう独占欲は、やはり母譲りなのだろうかと、複雑さは滲んだ。


 だけど俺は母のように、自分を見失ったりはしない。気持ちを伝えられたとしても無理強いはしないし、柴翠の気持ちを最優先するという意思に変わりはない。


 これだけは、神にも誓える。たとえこの気持ちが叶わなかったとしても、俺にとって柴翠は大切な人だ。

その事実にも変わりはないと、俺は断言できる。


 予鈴が鳴った。


 未だ目の前で固まったままの柴翠に声をかけ、自我を取り戻したであろう柴翠は、呆然としたようなどこか曖昧な返事を返し席へと戻っていく。

 きっと今、俺の事で柴翠の頭はいっぱいなんじゃないかな、なんて満ち足りたような気持ちになる。

 もう少し俺の事を考えてほしくてもう一度、柴翠を呼び止める。


「柴翠! また後でね」

 振り返ってくれたことが嬉しくて、つい頬が緩んでしまい笑顔で手を振る。

 柴翠は少しだけ苦しそうに顔を歪めたかと思うと、手を胸のあたりで彷徨わせるようなしぐさの後、控えめに手を振り返してくれた。

 自分から仕掛たくせに、それはどちらの意味として取ればいいのだろうかなんて俺の中に少しの不安がよぎり、俺の方が紫翠の事でいっぱいになる。

 あまり授業に身が入らなくて、密かに振り返り見えた柴翠の様子はどこかぼんやりとしているようにみえた。



 一日の授業を終え、誰もいない一人の自宅へと帰ってくる。

 あの後、結局柴翠はどこか俺に対してよそよそしくなり気まずさが残ってしまい、あまり話すことが出来なかった。

 俺は完全に加減を間違えてしまったのかもしれないと、一人反省会をする羽目になった。


 急に目が合わなくなってしまい、とんでもなく焦燥感に駆られて、いつもの一人暮らしの快適さは鳴りを潜めてしまっている。

 

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