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幸せの花を君に捧ぐ  作者: 綴 朔哉


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雨夜の虹

 


 初めて、柴翠と出会ったその時。俺は確かに運命のような、強い縁を感じた事を覚えている。


 きっとこの先何年、何十年とこの人とは一緒にいるだろうという妙に確信めいたもので、俺にとって必然だったともいえるその出会いは所謂、()()()()というものだったのかもしれない。


 

 中学校の入学式で、校長先生のお祝いの挨拶という名の退屈なお話が始まる。

 それを聞きながら漠然と、いつになったらこの長い話は終わりを迎えるのだろうかと考え、襲ってくる睡魔と退屈は容赦がない。


 結局、式の間は揺れそうになる頭を抑えておく事に苦労した。

 式が終わり教室まで戻ってきたそこでも、担任教師の砂を噛むような、つまらない話が始まる。


 学生生活の心構えなんて聞かされても、俺には取るに足らない話だ。俺にとって中学校の三年間なんて、母親の望む通りに必要のない事はせず、無難に過ごすという事だけしかない。


 規律を守らないといけないという事に対しては理解できるが、それを守るかどうかはその人の感覚によっても違う。

 そもそも、こういうものを守れる人は教えられなくても守れると思う。当然、逆も然りだとは思うが。


 俺は面倒事には首を突っ込みたくないし、自分にあるこの黒く濁った感情を表に出せば、日常に支障が出るかもしれない。

だから俺は今日も当たり障りのない徒人として、日常を送る。


 この空虚な時間に、意味なんてあるのだろうか。


 自己紹介もつつがなく終わり、僅かに存在していた緊張感から解き放たれ一息つく。

 次の人ね、なんていう教師の指示に従い、後ろから椅子を引き立ち上がる音が聞こえた。


「深月紫翠です……よろしく、お願いします」

 綺麗な響きだけど変わった名前が聞こえ、どんな子なのかと興味を惹かれ振り返った俺の目に飛び込んできたのは、緊張を滲ませて少し震える声で挨拶をする男の子。

 決して名前の響きに負けていないほど、あまりに端麗な子で驚く。

 周りに輝きが見えそうなほどの美貌と、対照的なその緊張を隠しきれていない様子に胸は締め付けられ、目を奪われてしまう。


 自分が突然抱いた感情の正体を知りたい好奇心と、少し動揺した気持ちを整理していたら、いつの間にか必要事項等の連絡も終わり、話は二週間後にある宿泊学習へと移っていた。

 キャンプ場で飯盒炊爨などの共同作業を行い、社交性や柔軟性、傾聴力等を身に付ける目的で行われる行事だ。


 正直、こういった協調性を養うと言ったような行事は苦手であるが、数日間でも自宅を離れられるという点で助かる所は多くあった。


 そこでの班構成は順調に決まり、机の向きを変え六人一班の体制になり諸々の話し合いが始まる。


 左隣でとてもじゃないが、見ていられないくらいに体を硬直させている柴翠の様子に、どうにかこの緊張を解してあげることはできないかと、機会を伺っている事に気付く。

 その自分にしては珍しい感情に、驚きを隠せない。


 役割分担の際、斜め左前に座っていた女子が、声高に班長の役目を買って出ていた。

 俺含め、特に異論もなく決定した事により、その子が場を仕切る。

 特にどの役割になったとしてもどうだって良い俺は、他の人の動向を伺いつつ話を聞いていたのだが、その子はあろうことか紫翠に話を振ったのだ。


「ねぇ、深月君はどの役がいいの?」

 その子にとって紫翠を選んだことに何か意図があったのかは不明だが、これだけ緊張している様子が伺えるのに、態々視線を集めるような事をする意味が、俺にはわからない。


「えっと、僕は……」

 案の定、急に全員の視線が向いたことにより困惑し、俯くようにして視線を彷徨わせている。


 俺は全員が見えるようにと、揃えた机の中央に置いてある役割分担の表を見て唯一、二人の人数を割り振られている美化係というものを見つけた。

 助け舟になるかどうかは分からないが、声をかけてみる。


「じゃあ、俺と一緒に美化係をやるとかはどうかな?」

「え……?」

 表情を窺うように少し覗き込み、顔を少し上げてくれたその瞳には薄く涙の膜が張っているように見えて、その美しさに俺は思わず息をのむ。


 我に返り少しでも安心させるられるようにと、努めて優しい笑顔を浮かべ話を続けた。


「美化だったら、掃除くらいしか役回りないし、二人編成だからやりやすいんじゃないかな」

 どう? かな、なんてダメ押しとばかりに聞けば、控えめに頷いてくれた。


 その後にお礼を伝えようと声をかけてくれた紫翠は、緊張の色を残しつつも、笑顔を見せてくれる。


「ねぇ深月くん、紫翠って呼んでもいい?」

 俺はそれが嬉しくて、この子の事をもっと知りたいと思い、つい口走ってしまった。


「いいよ、僕も雅って呼んでもいいかな?」

 思っていたよりも明るくて、気さくに話してくれるのだなとか、俺の名前を覚えてくれていたのか、なんて少し嬉しくなっている自分に気付く。


 こんなに誰かと話をして高揚したのは、初めてかもしれない。


「もちろん、紫翠に呼ばれるの嬉しいなぁ、いっぱい俺の名前呼んでね」

 俺は嬉しさをうまく隠すことが出来なくて、柄にもない事を言ってしまい、そんな自分にやはり驚きを隠しきれない。


 俺は少しでも紫翠と仲良くなりたくて、一緒に帰らないかと誘ってみることにした。

 快く了承してくれた紫翠に、俺は心躍るような気持ちにさせられる。


 紫翠との会話は時間を忘れてしまうほどに楽しく、有意義なもので公園に少しだけ寄り道をするつもりが、空に少しずつオレンジ色が差してくるほどの時間まで、あっという間に過ぎてしまった。


 オレンジ色の光に照らされている紫翠の横顔は、その長い睫毛が影をつくり、元来の端正な顔立ちも相まってふれれば消えてしまいそうな程に儚げな雰囲気を醸し出している。


 瞬きひとつの間にでも消えてしまいそうな、そんな焦燥感に駆られてしまうくらい、その姿は美しい。


 夢を見ているような、幸せな時間。


 そんな時でもポケットの中に存在している携帯電話が振動し、現実を思い出させてくる。

 柴翠には気付かれないように電源そのものを落とし、この時間を誰にも邪魔されないようにと、手のひらに収まる機械を黙らせた。


 だが、残酷にも時の流れを止めることは誰にもできず、そろそろ帰らないとだね。なんて言う柴翠は少し寂しそうで。


 できる事なら俺も、あの家に帰りたくなんてない。


 だけど、そういうわけにもいかない。


 それに何より、紫翠をそれに巻き込むわけにはいかないために渋々、帰路へと就くことになった。


 

「柴翠、少し暗くなってきたから気を付けて帰ってね。また明日」

 別れ際、笑った顔を見せてほしい俺は、声を掛ける。


「雅も気を付けてね」

 目論見通り、花の咲くような綺麗な笑顔を見せてくれた柴翠と手を振りながら別れる。


 その背中を少しだけ見つめた後、俺も自宅へと足を向けた。


 見えるのは、いつもの帰り道。


 だけど、少しだけ気分は高揚している。


 明日が来るということが、こんなに楽しみだと感じるのは、いつぶりだろうか。

 もう思い出すことが出来ないほどに、前の記憶を呼び起こそうとしても、朧げにしか出てこない。


 今からは苦痛しか待っていないのだとしても、その数時間を耐え抜けば、また明日紫翠に会える。


 必死に自分へと言い聞かせ、ポケットから携帯電話を取り出し電源を付けた。

 その画面には母からの着信を知らされる通知が数十件と並んでいて、俺はため息をひとつ零す。


 その履歴には気付かないふりをして、再びポケットにしまう。


  この頃には、すでに俺の家族関係はまるで坂道を転がり落ちるかのように酷くなっていた。


 状況は悪化の一途を辿り、その不和は取り返しのつかない程にまで陥り、自宅が居心地の悪いものに変わり果てた。


 早く、明日になってほしい。


 紫翠に、会いたい。

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