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幸せの花を君に捧ぐ  作者: 綴 朔哉


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青天の霹靂

 


 雅は近頃、何かに悩んでいるようだった。話しかけても上の空だったりすることも増え、それとなく聞いてみてもはぐらかされたりで、僕は雅の方から話してくれるのを待つことにした。



 それから、少し経った頃。


「ねぇ、紫翠。俺の話、聞いてくれる?」

 晩ご飯を一緒に食べた後、食器を洗っていた僕の隣でお皿を拭いていた雅が、そっと窺うように聞いてきたのだった。


 食後の珈琲を入れて、二人並んでソファへと腰を下ろす。


「俺ね、パフューマーとして独立したいなって考えてて……だけど現実的なことを考えてたら、それが正解なのか分からなくなってきちゃって……」


 フレーバーリストとして働いていた雅には、元々香水などを調香するパフューマーを志していた過去がある。

 だが日本では求人数が圧倒的に少なく、そちらの道を選ぶ人は海外に拠点を置くことも多いそうで、大学時代の雅はとても迷っていた。


 僕の存在が足枷になるのならばと離れることも考えたし、おばあちゃんのこともあって着いていくことは出来ない。だから、遠距離や別れも覚悟していた。


「雅には目標があるなら、僕のことは気にしないで……遠距離とか別れる選択肢も……」 

「紫翠と離れないといけないなんて、無理。そんなの仕事どころじゃ、なくなっちゃう……」

 はずなのに、必死の形相でなぜか僕の方が説得されてしまい、雅は今の会社へと就職を決めたのだった。


 独立は今すぐにというわけではないが、雅が働きながら通信講座で調香についてを学ぶ姿をずっと見ていた僕は、その選択に異議はなかった。 

 僕との将来を雅が真剣に考えた上で悩んでいたのだというのが分かるから、それに応えられるようにしっかりと考え、その上で辿り着いた応えをそのまま雅へ伝えた。


「僕も働いてるんだし、いざとなったら雅の事くらい養ってあげるから大丈夫だよ」

 今までずっと、僕は雅に助けられてばかりで、だから次は僕の番なんだよ。


 任せろなんて気持ちを込めて得意げな顔をしてみせれば、一瞬、雅の驚いた顔が見えて気付いた時にはその腕の中へと引き寄せられ、抱きしめられていた。


 雅に包まれていることを、認識した刹那。心臓は跳ねて、体温が上がっていく。

 もっと近くに行きたくて、その背中へと手を回し、これでもかというくらいに強く抱きつけば、雅もさらに強く抱きしめてくれた。

 二人の間に隙間なんて一切ないのではと思うほどに、僕たちは密着し、心臓の鼓動がひとつになる。

 いつも優しく包みこんでくれる体温に、つい笑みがこぼれてしまう。


「僕は雅がやりたいことをやって、楽しそうにしているのをみてるのがすきだよ。僕のことを一番に考えてくれてるのも嬉しいけど、僕は何があってもちゃんと雅についていくから大丈夫だよ……」

 雅の事を見上げて、懸命に伝える。言ってから、照れくさくなってしまい、それを隠すように雅の肩へと額をぐりぐりと擦り付けた。


「ありがとう、俺やっぱりパフューマーの夢を諦めたくないし、自分が調香した香水でブランドを起ち上げたい」

 雅はそうでないと、なんて。それに僕だけはどんなときも、何があっても、雅の味方なのだから。


「紫翠」

 雅がいつも僕の事を甘やかしてくれる時の、綿飴のようなふわりと優しい声が頭上から聞こえてきて、僕は勢いよく顔を上げた。

 おでこにキスが降ってきて、僕たちはきっと運命の相手なんだよなんて言う雅。



 ――雅の赤い糸の先は、僕以外認めない。



 それに、この繋がりがもし運命でなかったのだとしても、僕が強引にでも運命に作り替えてやる。そんなのは少し、勇ましすぎるだろうか。

 あまいキスの合間、幸せに溶かされていく僕は、ひとり心の中で微笑んでしまう。


 

 少し前から僕は、雅の二十七歳の誕生日を祝うために思案していた。

 幾つか調べていくうちに、記念にお互いの事をイメージして香水を作るというデートプランが記載されているネットのサイトを見つけ、ふと学生の時にデートで行った香水を調香できるショップを思い出す。

 そこなら雅の学びの参考になるかもしれないし、イメージ香水はロマンチックで喜んでくれるかもしれないと、そこを軸にプランを考えることに決めた。


「雅、お店みえたよ!」

 僕はこの日をとても楽しみにしていて、今日という日の手配は完璧だ。

 いつもよりもさらに気合を入れて準備をし、百パーセントの完成度の自分が大好きな雅と一緒にいられることが嬉しくてたまらなくて、このまま空を飛べるのではないかと思えるほどに足が軽く感じる。


 普段はあまり得意でない人混みも、全く気にならないほどだった。

 雅はそんな僕に危ないよ、なんてまるで母親が小さな子供に注意するかのように声をかけてくる。

 手を繋いでくれないかなぁ、なんて僕から繋ぐのは恥ずかしくて、少し期待していたら、横断歩道に差し掛かる。はやく! なんて雅と話していたら、遠くから女性の悲鳴が聞こえた。


「柴翠! うしろ……」


 血相を変えた雅の様子に、僕は咄嗟に後ろを振り向いた。


 ――刹那、車がこちらに向かって、人を跳ね飛ばしながら、物凄い速度で走ってくる。


 世界がスローモーションのように見え、瞬く間に近づいてきていて、脳は逃げなければと警鐘を鳴らしているのに、体は硬直して動かない。

 何かに強い力で引っ張られた瞬間、凄まじい車のブレーキ音と、激しい衝撃が体を襲った。

 気づいた時には、僕は温かい何かに包まれていて、回る視界と体の痛みで瞬時に状況を把握することができない。


「……柴……翠」

 雅の声が聞こえ、僕を包んでいた温かい何かの正体が雅だと、そこで理解した。

 僕はとにかく雅の顔を見ようと、腕の中からごそごそとぬけて頭を持ち上げる。

 その瞬間、耐え難いほどの痛みが走り思わず地面に手を付き、顔を歪める。

 明滅する視界は酷く不快だが、今は自分の痛みよりも雅の様子が最優先だと、必死に体を起こす。

 起き上がってみえた光景に僕は一瞬、息をすることを忘れた。


 視界を、埋め尽くすほどの赤血。


 左腕を下にして横向きに倒れている雅の頭の下や顔にも、それは広がっている。


「みや……び……?」

 恐怖で歯の奥が、カチカチと音を立てる。周りの状況なんて何ひとつ理解することは出来ないのに、このままでは雅が死んでしまうという事だけは、その赤を認識した瞬間に明確に理解することができてしまった。


「……柴翠……よかっ……た、でもしすい……おでこのとこ血がで……てる」

「……ごめんね、おれの……たいせつな……しすいにけが……させちゃった」

 雅は仰向けになり僕の顔に手をのばして左側の頬に触れ、目の下を親指で拭うように優しくふれられ、そこで自分が涙を流していることに気づいた。

 こんな時ですら、泣く事しかできない自分に嫌気がさす。


「……みやび、血が……あたまから血が……どうしたら」

「なか……ないでしすい、おれはだいじょうぶだから、かわいいかおが……だい……なしだよ、まもれてよかった……」

 へらりといつもと変わらないように笑っているのに、どんどん静かになっていく呼吸と、広がり続ける赤に言いようのない不安と恐怖は募り続ける。


「……しすいすきだよ……し……すいは、はながさくような、えがおでわらってるのがいちばん……」


 雅の手から力は抜け、ぱたりと地面へと落ちた。


「みやび……? ねぇみやび! うそでしょ、ねぇ目を開けて、起きてよおねがい……」

 必死に雅の体に縋りつき、周囲に助けを求めるために振り返ったそこは、まるで地獄の入り口のようだった。


 そこら中から聞こえる、阿鼻叫喚と漂ってくる血液の生臭いにおいは、正しく絶望を体現している。


 ――だれか、たすけて。


 その場に僕の叫びが、こだまする。あまりの恐怖にうまく息ができなくて、視界は激しく明滅し次第に、ぼやけて激しい痛みが頭を襲う。


 周囲の人の悲鳴と、けたたましい救急車のサイレンの音が遠くできこえる。


 僕のことはいいから、みやびをたすけて……おねがい、だれか――。


 そこで僕の意識はテレビの電源を落とすかのように、ぷつりと黒く途絶えた。

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