夢見草
あの出来事から一ヶ月ほどが経ち、春が近づき少しずつ暖かくなり始めた日。
僕は病院で薬を処方してもらうため、久々に外出をしていた。
僕は自宅の最寄りの駅から、二十分ほどの六駅先にある病院へと通院している。
平日の昼間だからか、あまり乗客は乗っておらず、向かい合わせで平行に設置されている座席の一番端に僕はそっと腰を下ろした。
正面の大きな車窓から流れる景色をぼうっと眺めていれば、少しずつ色をピンクに染め始めた桜の木が見える。
今朝は体調も良く、情報番組で桜が開花し始めて、あと数日もすれば満開を迎えるだろうことを予報していたニュースを思い出す。
今日はまだ満開というには早いとは思うが、帰りは少し散歩をしてから帰ろうかと思いを巡らせていれば、時間はあっという間で、目的の駅への到着を知らせるアナウンスが流れる。
立ち眩みを起こさないようにと、ゆっくり座席から立ち上がり、電車を降りた。
駅を出てすぐ目の前にある、広い病院内の心療内科の受付窓口を目指して歩く。
病気の分類上、自律神経系の疾患に症状が近いことから、僕は心療内科を受診していた。
窓口で受付をしてから、渡された自分の番号が呼ばれるのを待つ。設置されているモニターに番号が表示され、指定された番号の部屋へと入れば、上月先生は穏やかに向かい入れてくれる。
いつも通り病状の現状報告をするためカウンセリングを受けて、一カ月分の薬を処方してもらう。
滞りなく用事は終わり、少しの解放感と共に病院を後にした。
広がる青空と、気持ちの良い天気。桜の木を探すため気の赴くまま、普段通る道とは別の道を通ってみる。
生まれた時からこの辺りに住んでいたが、こんな所に公園があるのを知らなかった。
木が覆い茂っている自然豊かで広い敷地へと、足を踏み入れてみた。
木漏れ日が降り注ぐ園路を散策し、見つけたベンチへ腰を下ろす。
公園内の桜はまだほとんどが蕾の状態で、開花しているものは少なかった。
ふわっと吹く風に髪がゆれて、心地よい風と暖かい日差しに、僕はそっと瞼を閉じた。
病院でのカウンセリングの際、先生は新たに涙零花弁症について書かれている海外の論文を見つけたと言っていた。
その内容は、人とのスキンシップを積極的に取ることで、延命することが可能かもしれないというものだった。
人とのふれあいにより心の安定を得ることができれば、ストレスの軽減に繋がり、症状が緩和される可能性はあるという。
スキンシップと言っても様々で、ハグや手を繋ぐ・抱きしめあう・頭を撫でる・話している相手に軽く触れる、なんていうことも含まれ、恋人や夫婦間であればキスやそれ以上の事も有効的だという。
一般論としてよく、ハグをすればストレスが三分の一程度、解消されると言われている。
おそらくこの疾患においてもそれは例外ではないのだろうと、先生は言っていた。
ハグなどの身体的接触には幸福感や安心感、ストレスの軽減などの効果、脳内から愛情ホルモンともよばれているオキシトシン、幸福感が得られるセロトニンやエンドルフィンなどのホルモンが分泌され、それにより幸せな気分になれたり、リラックス効果を得られるという。
愛する人とキスをすれば唇の粘膜を通して脳が刺激され、エンドルフィンやセロトニンが出始め、肌と肌とが触れ合うことによりオキシトシンは分泌される。
エンドルフィンには鎮静剤のモルヒネを摂取したときと、同様の作用があるくらいのものだとも言われていて、交感神経を抑制し、副交感神経を抑制することにより自律神経のバランスを整える役割を担っている。
精神的安定というものは寿命を延ばすということへの重要な鍵になるのではないのかと言っていた。
ただ現状ではあくまでも、延命効果に効き目があるというのにとどまっているため、完治できるという確証には至らないそうだ。
その論文に記載されていた症例によれば、罹患した患者は心に大きく傷を負ってしまう原因となる犯罪に巻き込まれた事により発症。
患者は涙が花に変貌を遂げた後、良いご縁に恵まれたようで心を許せる相手が出来たそうだ。
それにより精神的な安定を得ることができ、その相手とのスキンシップを習慣化したことにより、涙を流す機会がほかの患者に比べて少なかったという。
その影響もあってか、自律神経の乱れからくる体の不調もほかの症例に比べ少なかったそうだ。
その方は平均が約五年と言われている余命を大きく超えて、九年という歳月を大切な恋人と共に過ごしたという。
だがその幸せは、永遠には続かなかった。
恋人が病気により、亡くなってしまった。愛する人を失い、その悲しみからか衰弱の一途をたどり、その後一年もせず、亡くなってしまったそうだ。
愛する人が自分の前からいなくなってしまう哀しみと苦しさは、僕も痛いほどにわかる。
前述の症例に対して、涙を流し続けたことにより発症してから二年と持たずに亡くなってしまったケースも存在しているという。
元々精神疾患を患っており、人との関りも希薄だったというその方は、ある時、不慮の事故に遭い生死の境を彷徨うことになる。
その事が発症の引き金となり精神状態は悪化し、最終的には錯乱状態にまで陥ってしまった。
内向的で他人とのコミュニケーションが苦手だった事で、闘病中に心の安定を得ることが難しかった。
結果として症状を抑えることができず、死を迎えるのが早かったのではと結論付けられているという。
記録として残っている部分は限定的なので、発症の引き金を断定するのは難しい。
それ以前の因果関係まではわからず、共通点の有無は不明な部分も多い。
前述の寿命を延ばすことができた症例のように、愛情を享受できる環境にあったとしても、それが未来永劫続くとは限らない。
その愛情を一度失ってしまえば、人生は暗転し、愛する人にもう二度と会えない苦しみが、生きている限り永遠に続くかもしれない。
その暗い闇の中から這い上がることが出来なければ、衰弱の一途をたどり人生に幕を下ろすことになる。
後者の症例にしても、孤独に苛まれたその苦しみを計り知ることはできない。
何らかの心の負荷に耐えられなくなったことで発症し、原因不明の花の涙を零し、死へと一歩ずつ近づいていく。
延命のためのせめてもの救済措置ですら、愛する人からの愛情が必要になるかもしれないなんて非情で、残酷だと思った。
そしてそれが愛する人との死別や別れによって絶たれてしまったとき、さらに心は崖っぷちへと追い詰められる。
そんな言いしれようのない恐怖と不安は、次第に抱えきれないほどに大きくなり、精神は崩壊していく。
死が唯一、本当の意味での救済になるというのか。涙を流し続けることができれば、雅は僕のことを迎えに来てくれるのだろうか。
今は遠くなってしまった雅との距離をどうしたら、縮めることができるのだろう。
雅を失ったあの日から、僕は何度も考えてしまう。
またふわりと、優しく風が吹いた。僕はゆっくりと目を開け、眩い光に視界が包まれる。
どこから舞い飛んできたのか、淡いピンクの小さな桜の花びらが、ひらひらと優雅に碧空を揺蕩っている。
僕がみんなのもとへ行ったとき「頑張ったね」と褒めてもらえるようにしなければ。
きっと頑張ればまた、大好きな雅の腕の中で幸せに眠れるときがくる。
だからまだ、大丈夫。
心の中で何度も「そう」唱えて、ずっと自分に言い聞かせている。
思考が矛盾していることには、自分で気がついている。だけどその矛盾を見えないように抱えて、僕は今を生きている。
いつか僕も桜のように美しく、散ることができるだろうか。そんな夢物語を描き、僕は徐に立ち上がった。
――紫翠。
雅に呼ばれたような気がして振り返ってみても、そこには誰もいなかった。




