一緒に寝よう
「和樹、一緒に寝よう」
「…うん」
優護と俺は付き合って二か月、いい関係を保っている。
でも俺には悩みがある。
それは…。
「…すぅ」
「………」
優護が手を出してくれない事。
泊まりに来てくれて一緒に寝ようと言ってくれるけど、本当に寝るだけ。
それ以上に進まない。
やっぱり俺のこんな平凡顔じゃ、その気にならないかなぁ…。
優護と俺の出会いは去年の春。
引っ越してきたお隣さんが優護で、同い年という事もあり、すぐに仲良くなった。
優護は俺が女性だったら確実に一目で落ちるほどのかっこよさで、それなのに全然それを鼻にかけないというか、絶対モテるはずなのに本人はなんでモテるのかわかってないみたいで、『みんな優しくて気を遣ってくれてる』と言う変なやつ。
どっちも男が好きってわけじゃないのに、毎日のように会ううちに距離が徐々に近付いていって、優護の優しい笑顔にどきどきするようになった時には怖くなって一旦近付くのをやめた時もあった。
でも会えないと寂しくて隣に優護がいないと心がすーすーして落ち着かない。
酔った勢いで優護にその事を伝えたらキスされた。
起きてから、『付き合ってもいないのに手を出してごめん!』と土下座され、優護も酔った勢いだったのかと胸が痛くなった。
だけど、『和樹の言葉が嬉しくて舞い上がってしまった結果です…』と床に額を擦り付けて謝られて俺はもうどきどきが抑えられなかった。
俺から『付き合ってください』って告白して即OKもらって、酒の抜けた状態でもう一度キスをした。
それが二か月前。
それから頻繁にお泊まりに来てくれるのに、進展なし。
でもそうか…キスの時は手を出してくれたんだ。
じゃあなんでもう手を出してくれなくなったんだろう…。
まさかキスの事を反省してとか…?
言いそう…優護なら考えられる。
という事は俺からなにかアクションを起こさない限りずっとこのまま!?
「…和樹、眠れない?」
「あ…ううん、大丈夫。起こしちゃってごめん」
「ん…」
ぼんやりした目の優護が俺を見ているので慌てて首を横に振る。
ぎゅうっと抱き締められて、すん、とにおいを嗅がれた。
「和樹のにおい、優しくて好き…」
「……」
またすぅすぅと寝息を立て始める優護。
俺がおかしいのか?
もしかして俺、煩悩まみれ!?
いやでも恋人との関係を進めたいって思うのは普通だよな!?
性欲も人並みにあるし、…優護だって性欲あるはず。
俺を抱き締める腕。
優護のにおいをこんなに近くで感じていたらどきどきしてしまうの、しょうがない。
やっぱり俺の見た目じゃその気にならないのかもなぁ…。
「そりゃ和樹は平凡顔の代表だから」
「やっぱり詠一もそう思う?」
「うん」
優護との事、友人の詠一に相談してしまった…。
だってひとりで考えていてももやもやするだけだから。
でも詠一の答えも俺の出したものと同じだった。
俺の部屋に招いてふたりでビールを飲みながらおつまみを食べる。
「誘ってみた?」
「ううん…誘ってその気になってくれなかったら落ち込むから」
「まあそうだよなぁ…和樹、色気ないし」
「……」
色気ってなに。
身に着けようとして身に着くものなの?
「なんなら俺で練習してみる?」
「え、やだ」
「即答すんなよ」
詠一の笑えない冗談は置いといて優護の事だ。
ほんとにどうしたら手を出してくれるんだろう。
「だいじょーぶだって、痛くしないから」
「は?」
詠一が俺の顎を持って顔を近付けてくる。
見慣れてるから忘れてしまうけど、こいつもそれなりに整った顔してるんだよな…と、ぼんやり見入ってしまう。
「和樹、鍵開いてたよ……」
「!?」
いや、このタイミングはないだろ。
優護が部屋のドアを開けて三人固まる。
かと思いきや、詠一はまだ顔を近付けてくる。
「いやいやいや!」
「ぐ」
詠一の顎を押し上げてキスをぎりぎりで避ける。
「えっと…和樹? どういう状況?」
恐る恐るといった感じで聞く優護。
聞かなくちゃいけないけど聞きたくないって顔をしている。
絶対誤解されてる!
「違うから! これ友達だから!!」
「どーも。加藤詠一です。和樹の事ならなんでも知ってます」
「え?」
「詠一!」
詠一の自己紹介に優護は怪訝な顔をする。
俺が止めたのがかえって悪かったのかもしれない。
「照れてる和樹、可愛いよね。俺、大学の頃から和樹のそばにいるけど、ほんとに堪らない。あ、脇腹にホクロがあって、そこをなぞってあげるとすごく可愛い声出すの知ってます?」
「は!?」
「……」
なに言い出すんだ、こいつ。
脇腹なんてなぞられたらくすぐったくて声出て当たり前だろう。
それを誤解させるような言い方するな。
優護は黙って詠一をじっと見ている。
「優護、違うから! こいつ酔ってふざけてるだけだから!!」
「ふざけてないよ、和樹。だって和樹が欲求不満な事だって俺は知ってるだろ?」
「詠一!!」
「欲求不満…?」
また眉を顰める優護。
どういうつもりだ詠一。
なにか俺に恨みでもあるのか。
「えーっと…お隣さんですよね? 和樹の彼氏の」
「西村優護です」
「そうそう、西村優護さん。欲求不満な恋人を放っておいちゃうひどい彼氏。イケメンなのにやる事が残酷」
「詠一!! マジでもうやめて!!!」
「やーめない」
やっぱり俺に恨みがあるんだ。
なにしたっけ。
色々あり過ぎてどれに恨みを持ってるのかわからない。
詠一が立ち上がって優護に近付き、顔を覗き込む。
「ねえ、優護さん? 和樹の事そんなに好きじゃないなら俺にちょーだい?」
「え?」
「俺だってずっと和樹狙ってたんだ。それをいきなり現れたアンタに横取りされて、はっきり言って気分悪い」
「……」
「和樹をアンタに渡したくな…むぐ」
優護が唇を引き結ぶ。
俺は詠一を黙らせようと追いかけて手を口で塞ぐ。
そのままずるずると部屋の隅に引っ張って行って詠一の手の甲を抓った。
「なにふざけた事ばっか言ってんだ! 俺に興味なんかないクセに優護に喧嘩売るな!」
「興味あるよ? 和樹をもっと知りたい」
「そういうおふざけはいらない!!」
「…じゃあどうしたらおふざけじゃないって信じてくれる?」
詠一の声が急に低く、真剣なものに変わる。
怒っている時のような声。
でも妙に熱っぽい。
俺の耳に顔を近付けて、わざとらしいリップ音を立てて耳たぶにキスをする詠一を押しのけようと動くけれど、それより先に詠一を押しのける手があった。
「和樹に触らないで」
聞いた事のない優護の声。
優しい声音なのに、奥に強さを感じる。
詠一を俺から引き剥がして、キスをされた耳たぶに今度は優護の唇が触れた。
「!!」
「消毒」
すっと優護の舌が耳の輪郭をなぞる。
「可愛い、和樹…」
「っ…優護…」
なにこれ。
ほんとに優護?
目が違う。
「やだ…やめて、優護…!」
「やめない。和樹を誰にも渡したくないから」
シャツの中に手が入ってきて肌に直接触られる。
望んだはずなのに望んでない。
怖い。
「ストップ」
「「!!」」
すっかり存在を忘れていた詠一が優護のシャツの襟を掴む。
「和樹、嫌がってるし泣きそうじゃん」
正直、助かったと思った。
優護が違う人みたいですごく怖かった。
「…和樹、俺が嫌なの?」
「……」
「和樹…?」
「いや、今のは明らかに嫌がってただろ」
「加藤さんには聞いてない」
優護が俺をまっすぐ見るけれど、俺は目を逸らしてしまう。
「和樹…」
「…優護、怖かった」
「ほら、嫌がってる」
「詠一、黙ってて」
詠一には黙っててもらわないと拗れそうだ。
はいはい、と言いながらビールを飲み始める詠一が視界の隅に見える。
優護はじっと俺を見ている。
「優護に触って欲しかったのは本当、だけど…」
「和樹は俺が嫉妬しない人間だと思ってるの?」
「え?」
「和樹に俺以外の誰かが近付いたり、触ったり…嫉妬で気が狂いそうなんだけど」
優護って嫉妬するの…?
いつも優しくて、そういうどろどろした感情とは無縁に見える。
「和樹が俺以外の名前呼ぶのだって気に入らない」
「!!」
ちゅっと音を立ててキスをされる。
もしかして俺が知らなかっただけで優護って独占欲すごい人?
急にどきどきし始めたらどこからか舌打ちが聞こえてきた。
どこからかって言うか、詠一しかいないけど。
「すげーめんどくさい男」
「詠一…」
「和樹、俺に乗り換えちゃえよ。今乗り換えるとお得だよ」
「仕事みたいに勧誘するなよ…」
詠一はスマホのキャリアショップで働いている。
でも俺は回線を乗り換えるように男を乗り換える気はない。
「ごめん…俺、優護の気持ち全然わかってなくて…」
「うん。これからもっと俺の気持ち知って」
またキス。
なんだか詠一に見せつけてるような…?
「あと、加藤さんと仲良くするのもやめてね」
「……」
またまたキス。
ような、じゃなくて絶対に見せつけてる。
こういう優護も初めて知った。
「いや、優護さんがなんて言おうと俺と和樹には深い繋がりがあるし、それは揺らがないから」
「詠一、そういう誤解を招く発言は…!」
「俺と和樹はそれよりもっと深く繋がるから大丈夫」
「!!」
優護…そんなキャラだっけ。
もう一度俺にキスをして、満足そうに笑む優護。
詠一がものすごく嫌そうに顔を歪める。
「和樹がもやもやしても全然手出さないくせに…口ばっかりじゃねえの?」
「……」
詠一は余計な事を次から次へと言う。
優護は俺の顔をじっと見て、頬にキスをする。
「そういえば和樹、欲求不満なんだっけ」
「っ…」
それは…。
「よかった」
「え?」
「焦らした甲斐があった」
「焦らしたって…?」
作戦成功というような顔をする優護。
なんだか今日は新しい表情をたくさん見ている。
「たくさん焦らせば、和樹から欲しがってくれるかなって思って」
「!?」
「でも他の男に相談するのは想定外だった…」
悔しそうに顔を歪める優護。
え、じゃあこれまで手を出してくれなかったのって、わざとなの…?
「…俺の見た目じゃその気にならないから手を出してくれないんだと思ってた」
「まさか! 俺はずっと和樹が欲しかったけど、和樹も俺を欲しがってくれないと意味がないから、辛いけど我慢してたんだよ」
「なんだ…そうだったんだ…」
優護も辛かったんだ。
でも焦らさなくたっていいのに…。
俺だってずっとずっと優護を求めてた。
「じゃあ加藤さんさっさと追い帰して初めての熱い夜にしようか」
「絶対帰らねー」
詠一が缶ビールを呷る。
優護が詠一の腕を引いてずるずると玄関に連れて行く。
なんかわーわー言ってるけど、優護はお構いなしに放り出した様子。
ドアを閉めて鍵とチェーンをかける音がする。
俺は『熱い夜』という言葉に心臓がバクバク言って身体が動かない。
玄関から戻ってきた優護と目が合って、つい視線を逸らしてしまう。
「和樹?」
「……ごめん。ちょっと…」
「緊張してる?」
「うん…」
優護が欲しいのは本当なんだけど、緊張するのも本当。
動けずにいたら優護が優しくキスをくれた。
だんだんキスが深くなってきて、そのままふたりでベッドに倒れ込む。
何度となく一緒に過ごした夜と全然違う初めての夜は、優護の愛が熱過ぎて火傷するかと思った。
「和樹、一緒に寝よう」
「…うん」
「嫌?」
「嫌じゃない、けど…」
あの火傷しそうな夜から優護は毎日のようにお泊まりに来てくれて、一緒に寝ようと言う。
その『寝よう』は以前とは違ってしっかり俺を求めるもので。
息を吐く間もないくらいに愛されて、俺はちょっと恥ずかしい。
それに身体中にキスマークが残っていて、見る度に顔が熱くなる。
これってやっぱり、“優護のもの”って事なのかな…。
「けど?」
「優護の体温に慣れ過ぎちゃってて…いいのかなって」
優護を独り占めできるのは嬉しいけど、そのうち誰かに怒られそう。
誰かって誰かわからないけど。
「足りないよ。和樹はもっと俺の体温に溺れて?」
「えっ!? 無理!」
つい『無理』と言ってしまってからはっとする。
優護を傷付けたかも。
「和樹ってほんとに全部可愛い。…もう我慢できない」
「…ん」
不意のキスにふわっと香る優護のにおい。
あっと言う間に優護に溶かされていった。
END