第九話 謎の部活の隠された裏側と危険な先輩
「一命を取り留めたって」
友安さんの声がどこか遠くから聞こえて来た。
「藤芽くんのおかげだよ。とっさの措置が早かったから。あの、大丈夫。もう心配しなくていいから、落ち着いて」
「すいばせん」
岩永文久は自殺未遂をした。
オレは絶叫し、部長の身体を支えて友安さんに人を呼びに行ってもらった。
即座に男性の先生がやって来て、救助してもらえた。
幸いにも呼吸が止まっていた時間が短かったとかで、救命措置が間に合った。良かった、本当に良かった。ただ固まることなく、動けた。
「うっ、ううう」
オレはもう、途中から完全に動転してしまい、気が付くと部屋の隅に三角座りで座り込み、「ごめんなさい、ごめんなさい」と呟きながら泣いていた。
「君のせいじゃない。あの時のやり取りは全く関係ないよ。最近部長は疲れてて、思いつめてたんだよ」
友安さんの声音も暗い。直前に話をしていたのは彼だ。
異変に気付くことができなかったと沈んだ声で話していた。
「篠崎さんが下校してて良かった。あんなの見たらさ」
「はい、そう思います」
誰でも衝撃を受ける。ほぼ初対面に近く、良い印象を持っていないオレですら胸の中にナイフを刺されたような苦痛を感じた。
「本当にごめんね、初日から」
「いえ」
仕事内容は思ったよりもまともで、出来なくもなさそうだった。それが、まさか命を断とうする者がいるなんて思わなかった。
「岩永さんは一体どうして?」
「長く在籍してる人だからね。その分負担も大きかったんだよ。別に誰でもああなるってわけじゃない。同期のミニ先輩は全然普通だっただろう?」
もう一人の、小さい先輩か。
まだあまり話していないが、確かに岩永さんとは全く雰囲気が違っていた。
篠崎さん曰く、割り切り型。
その一方で、部長は感情型。
そのどちらになるかの分岐点があるんだろうか。
「帰ろう。それか、仮眠室使う? 僕も一人で部屋に戻るのはちょっとしんどいかもしれない」
気丈に振舞ってはいるが、身近に接する人が大変なことになったのだ。その場に居合わせた友安さんの衝撃はオレ以上だろう。
頷いて、今日は校舎に留まらせてもらうことにした。
夜道が怖い、一人になるのが怖い。近くに誰かが居て欲しかった。
「友安。一年生の藤芽春臣だっけ? 夕飯買ってきたから食べられそうなら」
「ありがとうございます。ガム先生」
駆けつけてくれた男の先生だった。
三十代半ばくらいの気の良さそうな人だ。
あまり気を払う余裕もなかった。
お礼を言って、休憩用の部屋で食事を頂く。
おにぎりや焼きそば等、かなり多めに渡してもらった。
こんなにいっぱい食べたの久しぶりだ。
だけど、全然味がしない。
友安さんも、食べながら目を拭ったりしていた。
ガム先生が安心させるよう、話しかけて慰めている。
小柄な友安さんなので、まるで父子のように見えた。
使い捨ての歯磨きセットなども用意してもらえたので、それだけ済ませて仮眠室のベットに潜り込んだ。もう考える余裕もなく、ただ目を瞑った。
まさに激動の一日だった。
翌日。他の部員にも岩永さんの件は伝えられた。それぞれに衝撃を受けていたようだが、特に竹平さんの反応は大きかった。
「僕のせいだ」
「違うよー」
ミニ先輩が即座に否定する。
「気にすることないよ。彼は自己管理が出来なくて単に潰れちゃっただけ。過分にスケジュールとかを管理してもらって、無理を止められなかった。見過ごしていたのは、私たちも同じだよ」
気遣いつつも、合理的に状況をまとめていた。
「竹くんのミスはミスとは言えないもの。私たちが勝手に決めたその場限りののルールみたいなものだし」
「でも、僕あれ……ミスじゃないんです」
涙声になって吐き出すように言う。
「大好きな無頼先生の新作で、僕何度もレビューしてるから二番手じゃなくて最初に投稿したいって思っちゃったんです」
どういう意味だろう。妙な話だ。
記事を書く順番が決められているなんて。
「それだって全く悪くないよ」
「でも、ルールを破った。魔が刺したんです。自分でも納得する文章を書けていましたし、これを一番読まれるところに掲載して欲しいって。そうしたら、どんなに気持ちいいだろうって」
「そういう気持ちのときもあるって。昔もね、よくあったよー、誰が先に投稿するかを散々話し合っても、抜け駆けとかあってさ。殴り合いの喧嘩もあった。ほんとに勘弁して欲しいよね」
ミニ先輩は呆れたように息を吐く。
「バカバカしい」
「あの、どうして投稿する順番が決められているんでしょう。オレは特に何も言われませんでしたけど」
さすがに疑問に思って聞いてみた。
「それはね、最初に投稿した人が一番得をする形になっているからだよ」
「え」
「ミニ先輩」
篠崎さんが咎めるように言う。
「これは言っとかないとだめでしょ。ねぇ藤芽くん、私達の記事が沢山読まれる条件って、何かわかる?」
「人気のある作品など、ですか」
「そうだね。他は記事の投下する時間とかね。一般的な動画とかブログとかなら、検索からの流入や、トラックバックとかね。オススメ、推薦、引用、共有。様々な形の繋がりや結びつきで閲覧へと至る」
多少学んだことがある。
早い段階で創作者の道を諦め、代わりにそれを広げる活動に興味があった。
だから、その意味もわかる。
「だけど私達にはそれはない。あるのは確実に一定人数が目にするという利点。最も目立つ場所に表示される構造的優位性、それに尽きる」
「ランキングの上の方は読まれやすい、というような?」
「うん。記事は最初に書いた人が一番上にリンクが固定表示されるの。加えて先行者報酬。最初に書いた人にだけ貰えるお金がある」
「そんなに細かくルールや条件が?」
「記事の配置はアクセスの多さを一番に考えるなら、という話。先行者報酬は美味しいけど、金額は全記事一律だからね。そこはさほど揉めない」
「それではなぜ?」
漫画学科に絞れば、三百人。
六人とすれば五十記事は割り当てられる。
「問題は基本となる報酬の方。これは記事のPV数で決まる。そして、何よりもランキングという絶対的なヒエラルキーがある」
不可避の絶対指標。
ランキングは上から順番に読まれる。
並列表示だとしても、視覚的な順位は確実に存在する。
「この学校では生徒はレビューできない。私たち以外に、恣意的に点数も入れられない。でもその代わり参照数や様々な評価基準が存在するらしいの」
「基準とは一体どんな?」
「詳細は不明。恐らく学校側の思惑もある。その結果、学年ごとに上位10名のランカーが決定されるわけね」
ミニ先輩は無感情気味に続ける。
「肝心なのは私達の記事への影響。上位ランクの作品ページのPV数は雪だるま式に伸び続け、その恩恵が大いに与えられる」
「波及的にオレたちの記事も読まれて報酬が増える?」
「そういうことだね。私たちのレビュー、またはレコメンドはかなり読まれやすい位置にリンクを配置してくれてるし。記事の閲覧数×単価=報酬額になる」
「つまり無尽蔵に上がり続ける?」
「ううん。一定の額を超えると単価が減衰していく。ここならではの仕組みで、多少の抑制はあるよ。つまりおおむね平均値に落ち着くわけね」
細かな部分は不明瞭だが、構造を理解すれば、話は見えて来る。
広告収益のある有名な動画配信サイトと似たような仕組みだ。
いや、それを遥かに超えた優位性だ。
前提として「広告」が掲載されていない。
商品リンクすらない。一見してそれとわからない。
それに伴う複雑なルールが無視されている。
誰からもそんな収益が生じるなんて思われない。
何よりも少人数での独占。競合となるは自分たちだけ。
「だから揉めた? 岩永部長はその」
良い作品のレコメンドを占有しようとした?
「岩ちゃんはちゃんとそこは考えてたよ。全員になるべく均等に報酬が行き渡るように調整してた」
「それはどんな風に?」
「例えば一位の作品の記事を書く場合は、二位以下をバランス良く他に回すとかね」
それで指定の話になるのか。
「最も閲覧の多い最高学年。無頼先生の作品は三位。しかも首位の記事は譲ってもらっていました」
竹平さんは俯き、力なく言う。
「岩永さんにとっても無頼先生は、特別でしたから」
友安さんは小さく息を吐いた。
やりきれない何かを漂わせるように。
順番を厳守しなくてはいけない理由があった。
そうした細やかな部分を置いておくにしても、疑問は尽きない。
「まず、どうやってそんな計算をされたんです?」
「サイト内の基本構造や仕組み、作品の伸びから推測される波及効果なんかを徹底的に分析して、地道にデータで示す形ね。彼はそれを周知して全員に納得させた」
ミニ先輩がファイルを取り出して、それを開いて渡してくれた。
ランキング順位の数字のデータなどが細やかにグラフにされている。
なるほど、こんな形で決めたのか。
「もちろん完全とは言えないけど、ランキング作品の担当では揉めないようにしてた。彼自身の利益をある程度度外視してね」
「そこは平等にやろうとされていたんですね」
数字を見ても今は頭が痛くなるため、ファイルを返した。
オレへの説明がなかったのは、恐らく初日だったからだろう。
恐らくは順番に段階的に教えてもらうものなのだ。
「うん、昔はもっと尋常じゃなく揉めた。だから余計、彼は秩序を乱したくないって気持ちがあったんだろうね。それに」
「ミニ先輩、もうそのくらいでいいじゃないですか。そんな生々しいことを気にしなくても、何も考えなくてもどうにかなるよ」
篠崎さんが口を挟む。
今聞いたのは、要はお金の話だ。
あまりに後ろ暗く、どす黒い。
ファンなんてとても胸を張って言えない。
無慈悲で利己的な数字の話。
ただ、この上なく現実を話している。
それに、竹平さんの話も捉え方が難しくなる。利を得るためではなく「ファンだから」という言葉。それは一つの免罪符にして毒にもなりえる。岩永部長がこだわった作者さんというのも、恐らくはそうなのだろう。ファンによる、席の奪い合い。
肌寒いものを感じた。
「藤芽くんも大丈夫だよね?」
その大丈夫は一体何を指しているんだろう。秩序を乱すなと言う意味か。場に奇妙な緊張感が漂う。そうか、要はお金の話で揉めたんだ。それで、細かい管理や厳密な計算をしていた人が過労で潰れた。でも、学校は未成年の活動に一体何をしているんだろう。
「どうも。部長が倒れたって本当?」
場の空気を壊すように、第三者が乱入する。
茶色と白髪が混ざった華やかな髪色の少年だ。
猛禽類の羽毛を思わせる、上質のギフトヘア。
身長はオレより少し高い程度。
顔立ちは整っているが、険しい顔つきに妙な凄みがある。
「加賀見くん。久しぶり」
友安さんが前に出る。
「見ない顔だけど、新入生?」
こちらを冷たい目で一瞥する。
「あぁ、うん。藤芽くん。彼は二年の加賀見千記くんだよ」
「よろしくお願いします。一年の」
「別に自己紹介とかいいから。それより聞きたいことがあるんだけど。部長がダウンしてるってことは、レビューがそれだけ止まるってことだよな」
ぐいと前に出て、詰め寄るように言う。
相手が小柄な友安さんだけに、少々危なげな光景。
傍から見ると柄の悪い男子が小学生に圧を掛けるような図だ。
「そうだけど、いつ戻ってくるかはわからないし、とりあえず」
友安さんが最後まで言い終わる前に、加賀見さんは言う。
「じゃあさ、もう好きにやってもいいよね? 元からあの部長が勝手に決めてたルールなんだし」
共犯者で同じ部の、ある種の同盟を結ぶ関係。
だけど曖昧で人間関係や暗黙の了解が支配する世界は、誰かの離脱で容易に崩壊するものだった。