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第七話 黄昏に沈む讃え人と、鴉の誘い

「大丈夫? 藤芽くん」


「はい。すいません。変にキレちゃって」


 ここは部室から離れた教室だった。

 篠崎さんがジュースを買って来てくれたのでありがたく受け取る。

 彼女は眼鏡を外していて、少し幼く見えた。

 作業中のみ付けているようだ。


「お金、払います」


「いいって。そんな事気にしなくて」


 甘いオレンジジュースの味が喉に沁みる。

 鼻をすする。あぁ、恥ずかしい。


「部長は大丈夫でしょうか」


「友安くんが見てるから、彼なら宥められると思う」


 どこか他人事のように、慣れている風に言う。


「あの。この仕事、しんどいですか」


「うん。まぁね。藤芽くんもその内わかるよ。部長は一番長くやってるから限界来ててね。これまでよく保った方だと思う」


「そこまでですか」


「いや、岩永さんはちょっと特殊かな。あの人さ、無理し過ぎなんだよ」


 取り成すように言う。


「一日二万文字越え、月単位で五十万文字は書いてるかもしれない。最近は休みの日にも、ずっとデスクに張り付いてる。さすがに壊れるよ」


 その文字数は、オレが今日書いた分量の十倍だ。

 ぞっとするものを感じる。

 あの剣幕からも何か伝わるものがあった。


「そこまでしなきゃ、いけない?」


「そんなことないよ。大丈夫。あの部長はこれまで色々あったから、特殊な例だよ。ある程度ね」


 篠崎さんは含みのある言い方をした。


「三年生、もうミニ先輩しか残ってないからなぁ」


 ふぅっと、溜め息を吐く。


「彼女、励ますとかしないんだよね。生粋の割り切り型で、感情型の部長とタイプが違うし」 


 疲れたような、彼女の言葉。

 ライター部の抱える暗い何かを感じさせた。


「オレもっと、純粋に漫画家さんを応援するような活動なのかと思いました」


「それも別に間違ってないよ。でもね、初日からそんなカロリーの高いこと考えなくていい。他の人のことなんて、気にしなくていいから」


「はい。ただ、これからやっていけるでしょうか」


「あの人の言ったこと気にしてるの? ひょっとして漫画家志望?」


「いえ、そうじゃないんです。漫画学科の人と今日ちょっと話をしたもので」


 少しだけ胸の内から話を逸らす。


「それだけとは思えないけどなぁ。まぁいいや」


 篠崎さんはちょっと咳払いする。


「漫画家を目指す人が増えれば、作品も増える。全てを人類は消費しきれない。Festivals様も、食べてくれない」


 静かに教え諭すように彼女は言う。


「本当に何のためにってのはそりゃ少しは思うよね、誰でも」


「はい。過剰生産の話は、わかります」


 かつて滅亡しかけた人類は、救世主たる偉大な存在をあがめ讃える。

 そして彼らが好む食料である娯楽。

 特に漫画を大量に、必要以上に生産した。

 

 見捨てられるのが、世界の滅亡が怖いから。


 だからエンタメはもう人類にはとっくに消費しきれていない。

 未視聴のコンテンツで溢れている。

 再生回数、閲覧回数共に極小も当たり前。

 

 読まれもしない物語がいくらでもこの世界には転がっている。

 創作者と少しでも関わりがあれば、その生きにくさは肌で感じてしまう。


「でも、皆が少しずつもっと読んだり見たりしてくれたら、それで救われる人はたくさんいるのに」


「それを無理にやると誰かにしわ寄せがいくって話だよ」


 端的で、どこか否定しにくい言葉だ。


「だからこそ私たちみたいなものにお鉢が回ってくる。藤芽くんは普段どれくらい漫画を買ってる?」


「最近は、あまり」


 顔を逸らす。

 生活の糧にも事欠く毎日だ。

 確かに、口先だけの発言だと思う。


「ごめん、意地悪な質問だったかな。でもどうしてうちで他ジャンルのレビューしないかわかる?」


「それは、手が足りないから?」


「そうだよ。誰にでも限界はある。過度に向き合い過ぎてもいけない」


 言って聞かせるような口調だ。

 まるで懇願するようにも聞こえた。


「それで、あの人は無理をして壊れた」


 でも、レビューを書くだけのことでどうしてこんな話になる?

 もしくはレコメンド。推薦とはどういう意味か。


「でも、あの人の言葉には納得がいきません、どんな理由があっても」


 割り切れない思いがわだかまっていた。

 彼の事情は知らない。どうして無理をしたかも知らない。

 でも一番には作品を馬鹿にしたことが許せない。


「オレは、あの漫画が凄いって思ったんです。きらきらしてて、輝いているって」


「それは藤芽くんの心が綺麗だからだね」


「そんなことないです」


「心が濁れば目も曇るし、楽しいことだって楽しめない」


 彼女は諳んじるようにして呟く。


「私たちはまぁ、うん。もうやめようか。この話は」


 何かを言いかけて、切り上げた。

 恐らくはあまり良い話ではなかったんだろう。


「はい」


 ただ頷くしかない。不毛な議論だ。

 

 篠崎さんの言わんとすることは何となくわかる。

 今の社会は、漫画が生まれたばかりの頃ほど漫画家に優しくない。

 

 だけど、だからここでは優しくする。

 きっとそういうことなんだろう。


「おーい。篠崎さん。藤芽くん」


 友安さんだった。


「岩永さん、大丈夫そうだった?」


「うん、疲れたから仮眠室で寝るってさ。最近あまり寝てなかったみたい」


「あの、オレもすいません」


 頭を下げる。初日から、やらかしてしまった。


「藤芽くんのせいじゃないよ。あれは岩永さんが悪い」


 彼は強く断言する。


「調子が悪いからって、言っていいことと悪いことはあるよ。大変なのは誰でも一緒だ」


 穏やかな声の友安さんの声を聞いていると、だんだん気分が凪いできた。

 誰にでも何事かの事情はある。

 少なくとも、あの部長の考えがこの部の普通ではないのだろう。

 

「物語は、どんなものでも素晴らしいですよね」


 ぽつりと呟く。

 

「うん、もちろんだよ」

 

 彼の言葉にどこか救われる。

 

 それだけで、今は良い。割り切るんだ。

 過去のことを振り返っていても仕方ない。今を見るんだ。


「色々あるけどさ、せめてぼくらは、なるべく綺麗な気持ちで向かおう」

 

「そうだね。今は、やるべきことをしないとね」


 友安さんの言葉に、篠崎さんも静かに頷く。

 

 目の前のすべきことに気持ちの照準を合わせる。

 そんな、割り切った空気を感じた。


「今日はどうする? 疲れたなら、もう帰るかい?」


「いえ、あの漫画の感想をちゃんと最後まで書きたいです」


 ライター部の初日を、しっかりこなしたい。

 入学式すらなく、いきなり入った現場。

 それでも、最低限の役目は果たさなければ。


「そうか。それなら僕も付き合うよ。何でも聞いて」


「私もあと一記事書こうかな。ねぇ、そういえばお昼どうした?」


 ぽつぽつと話しはじめ、徐々に落ち着きを取り戻していく。

 良かった。周りの人たちはちゃんとしてる。


 ただならないものは感じるが、あの部長だけがおかしかったのかもしれない。

 焦らなくてはいけない、よほどの事情でも抱えているのか。

 オレにも色々あるように。


 記事を投稿し終えたのは、夕方ごろだった。


 作品ページを見ると、記事の見出しが自動で吹き出しのように表示されている。

 反映が早い。こんな風に記事として彩りを添えるのか。

 何だか達成感があった。


 もうグタグタに疲れた。

 最初の作品は、ストレートな冒険ものだったので感想を書きやすかったが、二作目は難しかった。

 なんと言ってもどう読むのが正しいのか、先輩たちに相談しても明確な答えは出なかったからだ。


「難易度が高いのは間違いないね。文学的っていうか、読み解くのは難しい」


 友安さんは冷静に分析するようにして、続ける。

 

「だけど、作者の人の執着や燃える何かは感じるよね。輝きって言うかさ」


 全身全霊で物語を描いているような、言うなれば真剣さ。

 その描き込まれた絵の力強さ、繰り返される暗示のようなモチーフ。

 見ていると心の奥が震えるような、興奮を感じる作品だ。

 

 猫家みかん先生の作品。もう一人の綺羅星枠。


「そうなんです。自分の解釈が正解かわからないですが。篠崎さんはどう思います?」


「十人十色の感想が出てくるタイプの作品だよね。考察するともっといろんな物語が膨らむかもしれない」


「作品としてのレベルが高いよね。作家性は群を抜いてると思う」


「はい。その分読解力と言うか、読む力も必要ですけど」


 記事を書くという理由がなければ、ネットで誰かの考察を探したかもしれない。

 誰かが挙げてくれる答えを頼りにする、考えさせる物語。

 

 自分の頭で答えを見出すのは、確かに難しい。

 エネルギーが必要で、だけどそれが心地いいと言えた。


「二本目でなかなか濃いの引いたね。さすが綺羅星枠かな」


 穏やかな友安さんの言葉に、微笑み返す。


「えぇ、でも他の作品も読んでみて、これが一番惹かれたんです」


 学校側が推薦している作品だからというのも確かにある。

 だけど描く人の人間性がにじみ出るような何かに強く引き付けられた。


「その気持ちをうまく乗せられてたら、作者さんもきっと喜んでくれるかもね」


「そうですね、そうだったらいいですね」


「レビューもレコメンドも、必ず読まれるとは限らない。でも、それでいいんだよね」


 篠崎さんは何かを包み込むようにそう評する。

 

 読まれない、目すら通してもらえない。

 その言葉は、せつなくも息苦しい真理だ。


 書き疲れて、廊下に出る。

 ふと窓から外を見た。

 既に日も暮れかけており、激動の一日が瞬く内に過ぎ去っていく。

  

 しばらくぼんやりしていると、鴉が目の前を横切った。

 その姿を目で追うと、生徒らしい誰かの姿が目に入る。

 きらきらと、遠めからでもわかる明るい髪。

 

 琥里きらら先生だった。

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