第六話 蠢く浸食定着体とグルメな超越者
岩永部長が、唐突に烈火のごとくブチ切れている。
「だから、俺の前に投稿してんじゃねぇよ! 指定と違うだろうが!」
「すいません、すいません」
縮こまっているのは影の薄い竹平さんだった。
両手で頭を抱え、声が震えている。
「予定スケジュールは完璧に組んであるだろうが! 確認を怠るなっていつも言ってんだよ!」
声のボリュームがどんどん上がっていく。
「こっちが気ぃ遣って細かく配分考えてやってんのがわかんねぇのかよ!」
自分が怒られているわけではないが、ぶわっと冷や汗が出る。
嫌な記憶が蓋をこじ開けられ、自分の足が宙に浮くみたいだった。
落ち着け、平気だ。怒鳴られているのはオレじゃない。
「あの人の記事は俺が最初に書かなきゃいけないんだよ!」
苛々と、声をどんどん大きくする。
「あああああっ! なんで、なんで、なんで!」
目を見開き、両手で頭を抱え込む。
「頑張って頑張り尽くして、この仕打ちか!」
部長は自分の頭を掻きむしる。
「俺にどうしろって言うんだよ! どうしたらいいんだよ!」
周りの部員たちは壁際に下がっており、友安さんが止めに入る。
「落ち着いてください。落ち着いて」
「もう駄目だ。こんな状況で頑張るなんて、できない。できるわけねぇだろ!」
岩永部長は誰も目に入っていないように、一人で何事かを喚いている。明らかに様子がおかしい。
「クソ運営。クソ運営クソ運営クソ運営」
不意に部長と目が合う。
ぞわっと、背中の産毛が立つ。
目が据わってる。
彼はオレが手にしていた形態端末を、乱暴に奪い取る。
「そうか、新入生。いいな、お前は」
ブツブツ呟きながら、画面を目にしている。
直前まで、猫家みかん先生の漫画を開いていた。
指を軽く動かし、内容を閲覧している風だ。
いや、自分のを使ってください。そう抗議しようとしたときだった。
「あはははは、おい。お前この漫画の記事書いてたのか」
無遠慮な物言いに、オレは血の気が引く。
「やめとけよ」
「え?」
「意味わかんねぇ。きついぞ、これは。讃え続けるのはきつい。なんで、こんな漫画描くんだろうなぁ。はははははは」
狂ったような笑い声で、まるで見下すように。
こんな漫画、こんな漫画って、なんだよ。
どうして。
そんな失礼なこと口にするんだ。
それは言っちゃいけないことなんじゃないのかよ。
父さん、兄ちゃん。琥里先生の顔が浮かぶ。
悪く言われたくなんてないよね。
一生懸命に、描いてるんだから。
「やめてください」
オレは部長から端末を取り返し、胸の中で守るようにする。
「この人の漫画、オレは好きです。絵も凄いし、確かに理解するのは難しいけど」
なんと言うのが正解かはわからない。
ただ、傷つけてはいけない何かだと感じる。
「それは読む側が上手く読み解けないだけで、じっくり読んで、色々考えるタイプの話だと思います」
「あ?」
「それに作品の良し悪しは、個人の感覚です。オレ、オレたちの決めることじゃない」
動揺して、言葉が乱れる。気圧される。
「わかりにくい。それだけで独りよがりだってわかるだろ?」
据わった目で冷徹にこちらを見下ろす。
「それじゃあ、良くて気まぐれなFestivals様が味見する程度だ。完読はされない」
そう言われて言葉に詰まる。
心臓が跳ね上がるように、軋んだ。
「娯楽性が低ければ、人類評価が上がらない。最低限の土俵に立つには、頂上を目指さなくちゃいけない」
彼は暗い声で続ける。
「超越者の評価指標を守らないと。細心の注意を払わないと。正気を失くす、壊れる。アイツラみたいに」
彼自身が壊れているように、病んだような口調で呟く。
苦し気に、呻くように。
その印象はどこかゾンビめいていた。
「だから、それは何も考えてない何かだ」
「何も考えてないなんてことは」
「純粋な娯楽の時代はもう終わってる。今の時代、漫画を素直に楽しむのは無理だ。全部価値が決められてる」
世界を外敵から守ってくれる絶対庇護者。
正体不明の宇宙生物とも異世界人とも言われる。
『Festivals』様はエンタメが大好き。
娯楽を糧として生きる、生命体。
だから人類は彼らにそれを捧げていた。
子どもでも知ってる今の世界の常識。
でも、今のこの場に何か関係あるのか?
娯楽の超過剰生産社会。
全部は『食べて』くれない。
紙の本は一部の有名作家にのみ許された特権。
多くの漫画は世に出てもほとんど読まれない現実。
もはや商売として成り立たず、無償化が加速する漫画業界。
部長の言わんとすることも、わかってしまう。
「俺はそういう漫画は、讃えられない」
虚ろな眼差しで呟く。
「もう何もかもがわからねぇ。そうだよ、そうだ。そうなんだ。あぁ、そうだ」
彼は目を見開き、突然様子が変わる。
「これは、俺たちが『讃えるため』だけに存在するんだ」
まるで別人のような、異様な形相。
何だ、明らかにおかしい。
「なら、もっとわかりやすくあれよ!」
意味不明だ。
あまりに自己中心的で、呆気に取られるような暴言。
怒りの鋭さの矛先が、あまりに強烈過ぎる。
「オブラートに包まなきゃ語れない。数がこなせない。処理しきれねぇ!」
作品の価値を、作者の努力を一切顧みていない。
一体何を処理すると言うんだ。
「台詞が少ない、暗喩が多い、もっとわかりやすくしてくれよ!」
それは内容の個性であって読者が口を挟むことではない。
何を言ってるんだ、この人は。
「これじゃあ、心から讃えられねぇんだよ!」
もはや支離滅裂だ。
「わかりにくいんだよ。何が面白いのかもう、わかんねぇ」
吐き出すように言う。
まるで平衡感覚を失った人のようにふらつく。
「頭がおかしくなる。もう苦しさしか出てこない。こんな漫画頼むからもう描かないでくれ!」
岩永部長は机の上を拳で力任せに叩く。
カップが床に落ちて割れる音がした。
部長の言葉が繰り返し頭の中で反響する。
『こんなもの描かないで! 描いちゃダメ!』
頭によぎるのは母親に自分の描いた漫画を引き裂かれた時の記憶だ。
あのときの母の顔と、今の部長の顔がダブる。
『あなたにはお兄ちゃんやお父さんみたいになって欲しくないの! もっと幸せになれる生き方だって他にあるのよ、あったはずなの!』
震えるオレを抱きしめる、父さんの温もりと嘆きの声。
『ごめんな、こんな漫画描いて、本当にごめんな』
もうやめてくれ。
色んなことが一斉に押し寄せて来て、理性のブレーキが緩む。
やばい、これ来てる。来る。呼吸が荒くなる。
岩永部長の顔が、滲んで良く見えない。
『宇宙一の大傑作を土産に帰ってくるからな。約束だ』
兄ちゃん。耀司兄ちゃん。
『そしたら、父さんの漫画も』
抑えれない。抑えきれない。大事なものが、壊れる。
お金だ、金がいる。金がいる。金がいる。じゃないと。
「その漫画の作者は、どうせ成功なんてできない」
どこか、遠くから聞こえてくる。
まるで亡霊のような口調で、無慈悲に告げる。
「フェイバリットマークなんて、絶対」
その言葉で、完全に理性の糸が切れた。
フェス様の押印から漏れた、選ばれなかった漫画家。
父さんの漫画に与えられなかった、完全なる印。
漫画なんて描かなければ良かったと叫んだ母の言葉。
冷静さが溶けた。抑えられない。
何かがキレる。それでいいんだよ、と誰かが甘く囁く。
あぁ、また「いつもの」声。
「バカに、するな」
自分の口が勝手に動く。
そのまま、突き動かされる衝動のまま、彼に向かう。
「バカにするなバカにするな! 一生懸命描いてる人を馬鹿にすんなああああああああ!」
部長に掴みかかっていた。
泣いてるのが自分でも分かった。