第十三話 あなたの心を踏み砕くおぞましき真実
次の日。
やはりポイント額は消えていない。それどころか増している。
記事の継続報酬のようなものが入るらしい。
数字の大きさに頭がバグりそうになってくる。本当になんだこれ。
わずか数日の活動で百万越え。
こんなに大きい数字見たことねぇよ。
誰かと話したい。
できれば、部とは関係ない相手がいい。
しばらく歩いていると、知った顔を見つける。
「琥里先生」
「あっ、藤芽くんか。びっくりした」
「すいません。先生って呼び方、やっぱりまずかったですかね」
厳密にはペンネームは猫家みかん先生。
ただ、匿名性を担保する意味がある以上は下手に呼ぶことはできない。
「ううん。ちょっと恥ずかしいけど全然いいよ」
「ありがとうございます」
「まだこっちの名前は使ってないんだけど、いつか琥里きらら名義でも漫画出したいなぁ」
楽し気に、夢見るように言う。
「あの、少しお聞きしたいことがあるんですが」
「はい?」
どこか不思議そうに、首をかしげる。
全く何も知らない、素朴と言っても良い様子。
世界が違う。彼女だけが輝いている。
本当は聞かない方がいいことかもしれない。
聞いてどうなる、ということでもある。
「レビューってどう思います?」
加賀見さんのあの記事が目に入ってないか、少し気になる。
かえって下世話な問いかけになるかもしれない。
でも、聞かずにはいられなかった。
「うーん? あぁ綺羅星さんのね。超嬉しかったよ」
何だかあっさりと、軽やかに答える。
「綺羅星さん」
そう言えばそんなたとえを口にしていた気もする。
「うん☆五くれた人が居てね。星が沢山だから綺羅星さん。まだ一人だけどね」
その口ぶりだと、昨夜の記事は見ていないようだ。
「何だか不思議な感じですね、先生の方が綺羅星さんじゃないですか?」
こちらはむしろただの闇でしかない。
「レビュー書いてくれる人たちもすごいよ。私あんなに上手い文章とか書けないし」
彼女は。顔も知らない誰かをごく自然に讃えた。
「文才すごいし、本当に嬉しかった。ありがとう、って言いたいな」
何とも言えない複雑な感情が胸の中に湧く。
少しだけ気持ちが上がり、同時にバカだなと感じる。
これが普通に書いたレビューなら、良かったのに。
「本当に優しいよね。何にも得がないのに、ただ作品が良い、って言ってもらえるの」
まるで幼子のような笑顔。
彼女は喜びが抑えきれないように続ける。
「何だかね、フェス様のお言葉みたい。君達は、綺羅星みたいだって」
それに続く言葉は、すごく、讃えたい気持ち。
あるいは。
「心が震えて、幸せってなる。これが私の目指す娯楽なんだって」
裏側にある、おぞましい事情さえなければ。
もっと違う気持ちを抱けた。
例えば、そう。漫画家さんとレビュワーみたいな、物語。
昔、そんなラブコメを読んだ。
「また書いてくれるかなぁ。えへへ」
彼女の笑顔はあまりに無垢で、息苦しさを感じた。
いっそ、大いなる尊敬の念が湧いて来た。
オレなんかと話してくれている。何も知らないからこそ。
でも、その朗らかさや親し気に接してくれる態度に応える。
何だか泣きそうになった。
「あの、これからも先生って呼ばせてもらっていいですか?」
声に涙がにじまないように抑えて言う。
「まだ漫画も読んでもらってないのに! じゃあその、私の作品あとでこっそり教えるね」
悪戯っぽい微笑みを浮かべる。
生き生きとした子どものような輝き。
あまりに、誰かが重なる。
「他の人にはまだ秘密にしてね。あと、感想はいらないからね!」
言われてちょっと、ビクッとする。
別に怒った風ではなく、すぐに笑顔になる。
「学校では生徒同士がレビューし合うのダメだって教わったんだ」
「そう言えばオレも聞きました」
生徒じゃないので、例外ですが。
「まぁ、顔を合わせる人だと難しいよね。私もレビューは上手く書けないや」
琥里きららは自分の頭を軽く小突いた。
少しだけ話をして、何でもない風に別れた。
「それじゃあ、またね!」
元気良く、彼女は手を振ってくれた。
「はい、また」
そんな風に返してしまった。本当は関わりを避けた方がいい。
絶対に直に接するべきではない相手だ。
だけど、その輝きに惹きつけられる。
見た目やギフトヘアだけではなく、その人間性。
彼女を見ていると、居なくなった大事な人を思い出す。
そのまぶしさに懐かしさと息苦しさを覚えて、泣きたくなった。
人目を避け、鼻をすすりながら歩いた。
自分は幼い。まだ小学生のままのようだ。
あの時期からどこか時間が止まっている。
それも、どうしようもない理由からだ。
ライター部の校舎内。廊下で、加賀見さんを見かけた。
その背中は酷く疲れているようで、肩を落としている。
岩永部長のことを連想し、不安を感じて声を掛けた。
「先輩」
「なんだよ、一年の誰だっけ。どうでもいいけど」
敵意のようなものは感じなかった。
ぐったりと暗い目とやつれた顔。
明らかに顔色が悪かった。
憔悴し、疲弊しきっているのがありありとわかった。
凄まじい作業量の末の自爆。
もはや怒りや混乱を通り越した労いの気持ちすら湧く。
結果として、彼は失っただけだ。
「あの、アレのことですが」
「んだよ。文句か? 何も知らない一年に何か言われる筋合いはねーぞ」
ぶっきらぼうに言い放つ。
憎まれ口を叩く内はまだ大丈夫だろう。そう思いたい。
「文句とか、オレが言うことじゃないです」
既に学校側から十分な警告はあっただろう。
敢えて責める理由はもはやない。
「じゃあなんだよ」
「先輩の記事読みました。その、凄かったです」
過去の記事はそのまま残されており、先輩たちにどれかを教えてもらった。
理知的で筋だった物語の紹介や魅力。
少し斜に構えつつも、小気味の良い文章で讃えた、そんな文章。
琥里先生の作品の感想にしても、まともな部分も多かった。
例えばこんな一文だ。
『ここまで延々と執拗なほど作者が女性であるだの、処女性が強いなどと本作を紹介した。うんざり来る方も多いだろうが、当然これはあくまでも一読者による推測である。同時に現世に縛られた己の救われなさを浮き彫りにしている』
『つまり、これほどまでの邪念を駆り立て、それだけ読者に主人公の『わたし』への深い共感を促す作品なのだ。そうであるだろうと、思わせる内容なのだ』
『誰の中にも存在しうる『あなた』。誰の中にも己に迷い、普通というものがわからない自分が居る。だから『わたし』は優しいばかりでない世界の中で、迷い続ける。読者である私も、普通というものが、よくわからない。だからこそ強く、心が揺さぶられた』
『普通とは何だろう。わからない。そう呟いた『わたし』と、同じ苦しみを持つ迷子のような『私』が自然と手を繋いだ。つまりこれは、星と星を繋ぐ物語と言えるかもしれない』
『著者の次回作を想像するとどこか胸が躍り、心が湧きたつ。無味乾燥な現実を、救われない『わたし』を、どこか鮮やかに彩ってくれる、運命の出会い。いつかまた、『綺羅星のあなた』に会える。一人ぼっちの宇宙の中でさ迷い、繋がりを求めてさまよう『あなた』と『わたし』。出会うことが出来て、とても幸せだと感じた。長く言葉を費やしてきたが、一言でまとめるなら』
素晴らしい、と伝えていた。
「どうしてあんなことを?」
刺激的な言葉で煽りつつも、最後は讃える流れに着地させる。
自分には真似できない、刺激的で工夫に満ちたレコメンド。
饒舌で、少し余裕はない。わざとらしさもある。
強引なところもあるし、百点満点ではきっとない。
だけど、不合格とまでは言えない。
本来、物語への感想は自由。
だからこそ、気にかかる。
「わかるだろ。報酬。それだけだよ」
まるで共犯者を見るような目だ。
会って間もない人だけど、こちらを真の意味では見下していない。お前もそうなんだろう、と暗に示しているようだった。
「あなたが無茶をした理由は、ひょっとして」
執拗なほどに記事を投稿した執念、おびただしい作業量。
先輩たちの激しい落ち込み。
世界が終わるんじゃないかと言うほどの沈鬱さ。
お祭りとは対照的な、まさに葬式のような空気。
超高額の報酬が必要な人間。
「お前、借金いくら? 俺は一億二千万」
「や、約二億ほど、です」
正確な額ではなく、推定でだ。恐らく総額は更に増える。
「ふっ、あはは。負けたわ」
加賀見さんは壊れたように笑いだす。
「そうだよ。ライター部とか言う悪趣味な集まりには億単位の借金を抱えた奴らが集まってんだよ」
わかりやすく全てを語ってくれた。
そうだ、考えればわかることだ。
自分だけに事情があるなんてわけない。
みんな等しく「訳あり」だ。
でも、心のどこかで自分以上に背負っている人間なんていないと思っていた。
岩永部長の自殺未遂を見ても、それでも、心の片隅にこびりついていた。
「額自体は全然、大したことないよな。横領とか桁違いのが世の中にごろごろしてるから。ただ、普通に返すとなると、一気に無理ゲー」
乾いた声音で告げる彼の暗い瞳。
まるで鏡に映る己を見たようで、ゾッとする。
混乱する気持ちをなだめるためだけに、口を開く。
「でも、まだやり直しはできるじゃないですか」
ただの欺瞞だと自分でも思う。
「あ?」
眉根をしかめ、こちらをにらみつけて来る。
だけど、引かない。この人は腹も立つことはあるが、仲間だ。
同じ苦しみを背負っている以上は、分かり合える。
「みんなに謝って、また頑張りましょう。今度はちゃんと相談して、協力して。急いで稼ぐ必要ないじゃないですか」
億単位の借金とは言え、普通に働いても返せない額ではない。
ここでの莫大な報酬と、時間さえかければ良いのだ。
何か、良い仕事に就くとか。
「お前将来の夢とかないの?」
「夢、ですか」
重くて、遠くて、自分にはもはや縁遠い言葉だ。
「俺たちは既に十代の輝かしい時間を、借金返済っていうアホくさいことに費やしてんだよ」
冷ややかでこの上ない真実だ。彼は続ける。
「平等に均等に仕事を分けていったら、どうしたってそれなり以上に残りは出るぞ。考えりゃわかるだろ? 良い仕事って何? 他に俺達に何ができんの?」
容赦なく、鋭い口調で詰めて来る。
「時代を考えろ。現実を見渡せ。思考しろ」
彼は勢い良く述べ立てる。
危険なスイッチが入ってしまったようにこちらを見据えて来る。
「都合良く上手い仕事なんて転がって来ない。動画配信とかも一昔前なら夢があったよな。でも今はダメだ。どこも上位の奴らが席巻してる。特に創作。一発逆転なんてありえない」
「それ、は」
身を持って知っている。
父さんが届かなかった境地。
兄ちゃんが越えようとしていた壁。
残されたのは、何者でもないオレだけ。
「Festivalsの降臨以降、近年稀に見る『娯楽消化率』低下。何事も時代や社会情勢によって左右される。ここは侵略者どもにぶっ壊される前の大昔じゃねぇんだよ」
こちらに近づいて来る彼の剣幕に圧され、後ずさる。
「世の中そんなに甘くない、って誰か教えてくれなかったか?」
その剣幕に薄っすらとした恐ろしさがこみ上げていく。
「これは明らかな期間限定の特別待遇」
彼はとても冷たい口調で続ける。
「卒業後の返済は自分のレベルに合わせてやるしかない。情勢の読めない社会。超越者に確実に閲覧される上位層に富とリソースが集中し、起こるのは底辺創作者の大量離職」
理路整然と言い放つ。
彼は淀みなく、こちらの甘さを叩き切る。
「また狂気の時代がやって来るかもしれない。本当、絶望だよ」
まるで、世の中に失望しきった大人のような口ぶりだ。
「残額何千万の返済で二十代全部潰れるかもな。今の平均時給や就職率知ってる? そして返済し終わって、ようやく、ようやく貯金0スタート。あっはっは」
乾いた笑みを浮かべ、天井を見上げる彼。
「面白いよな、俺たちの人生。スタートラインどんだけ先だよ。散々甘い汁吸わされた後にそれだぜ? 耐えられるわけねぇよ」
彼はただ嘆くように息を吐き出す。
「でも、なにか才能を生かした仕事をすれば」
冷や汗を掻きつつ、理性的であろうとした。
「それ友安や篠崎の前で言ってみ? まぁ普通はそう思うもんだよ、普通は」
彼は「普通」を強調するように繰り返す。
「でもな、足りないんだよ。多少何かが出来た程度では無理。到底追い付かない」
こちらを射貫くような鋭い眼差しに、胸がざわつく。
破り捨てられた漫画。
完成したことのない長編小説。
考えるだけで胸の痛くなる、現実。
「この学校は国内でも五指の有名校。若き優秀なクリエイターの卵、あるいは雛が集められる。差は目に見えてわかるよな」
漫画学科の作品だけ見ても、プロと相違ない水準。
本気で命と魂を削って生きている。
彼らは戦士であり、勇者。
「俺たちはどこまで行っても卑怯な裏口入学。やることはわかるよな?」
「推すしか、ない。誰かを」
言われるがままに。
そうしないと、お金はもらえない。
だからこその、レコメンド。
「讃えるしかない。あまたの綺羅星を。それが結論、違うか?」
言葉が胸に刺さり続ける。本当になんだ、ここは。
創作者を育てる場所に、どうしてこんな悪趣味な立場が存在するんだ。
「お前だってそうだろ。夢なんてあっても、諦めたし捨てた」
一切の遠慮もなく、首筋に切りかかるような言葉の刃。
「金に屈した。現実に折れた。だからここに居る」
何かになりたい。
でも、なれない。
大エンタメ時代。自分の実力だけで食べていける人間は多くない。
黄金の階段と呼ばれる、人類最高の賞。フェス様の押印。
超越者のお気に入りだけがエントリーできる偉大なる娯楽。
生半可な実力では、ついていけない。
あれだけの漫画があって、ランキングに入れるのは何分の一の確率。
順位を考えると、もっとだ。
才能もあり、優秀な人たちも将来が約束されたわけではない。
稼げない。食べていけない。今の世の中では。
綺羅星は、いつまでも輝かない。
挫折や失望。少しはわかる。その苦い味。
でも本当にそうだろうか。
夢を本気で目指して叶わなかった苦しみを、知っているだろうか。
「で、聞くけど、お前『も』親の借金か?」
「‥‥‥はい」
「またかよそういうの。それで親のことは好きなんだろ、どーせ」
彼は吐き捨てるように言う。
「そうです。だからオレは」
「はッ」
オレの一言に、吐き出すように大声を上げる。
「違うんだよ。全然違う」
「加賀見さんも」
「だから、そこを誤解すんなって言ってんだよ!」
爆発するように、一気にまくしたててきた。
それは燃えるような炎であり、疲れた彼からなお放たれる怒り。
「一緒にするんじゃねぇよ、俺はお前らとは違うんだよ!」
彼は猛る感情を抑えきれないように叫ぶ。
凄まじい怒りに、圧倒される。
加賀見千記は、修羅の如く吠えていた。
「生き方が! 気の持ちようが!」
あらゆるものを許せないと言うかのように叩きつける。
胸に突き刺さるような、怨嗟。
「大好きな親のために頑張れる奴と! 大嫌いな親に捨てられた奴とじゃさぁ!」
大人びた彼の表情は、今にも泣き出しそうな子どもみたいだった。
第一章、残り二話。




