第7幕:「友愛の心を持つ姫」
第7幕:「友愛の心を持つ姫」
◇七王国暦274年 炎熱季45日
人間と鹿の部族との和平交渉、200年以上の因縁と隔たりがあるこの両者の話し合いは、参加者全員にとって想定外の進行となった。
果たして落としどころが見つかるか、そもそも明文化された和平が望まれるか、場合によっては生きて帰れない事も想定していたレダリア達外交使節一行、いやラズバンを除く外交使節一行はそれ相応の覚悟を決めて来ていたのだ。
対して鹿の部族の大族長クラガットも和平の必要を感じつつも、相手がその信用に足るか、鹿の部族の未来を託し得るか、重責を背負わせてしまう後継者の友として後事を託せるか、慎重に見極める必要があると思っていた。
そして今、両者の間には満面の笑みで踊る様にペンを走らせるラズバンがいる。
「では国境線についても、現在双方が認識している付近を不干渉地帯として互いに入植や開拓を禁止し、同時に明確な石碑等の目印も建てない、と…いやはや分かりづらくありませんか?」
「ラズバンさん、鹿の部族だけに止まらず霊峰の民の基本的な認識としては、今でも人の部族が家を建てた地は狼の部族や山猫の部族の大地なのよ」
「石碑なんか建てたら鹿の部族が石碑より先は人間の国って認めた様なものじゃない、そんなことしたら狼や虎の部族が納得しないでしょう?」
「あああ、なるほどそういう…いやはや難しいですね」
「難しく考える必要なんて無いのよラズバン」
「と、言いますと?」
「貴方は何も考えずただ聞いた内容をそのまま記録してればいいの」
小さくはいと答え肩を落とすも体は正直で、紙面を泳ぐペンの勢いは衰えを知らず本人の調子の良し悪しに関わらず記録すると言う行動に澱みは無い。
小難しい話し合いには加わりたくないとばかりに席を離れ、居並ぶ鹿の古参戦士達と談笑していたラッシルトも流石は記録係だぜと感心する。
レダリアにとってはこれ以上邪魔をされたくない一心であり、ラッシルトも内心は呆れながらの感心であったのだが、このちょっとした行動も交渉の追い風となった。
鹿の戦士にとってラッシルトとは尊敬の対象であり、そう簡単には他人を認めない頑固者なのだ。
それがラズバンを褒めた、しかもその男は族長クラガットとも平然と相対した、これはただ者では無いのでは…と過分な評価と視線がラズバンを襲う。
そしてそのラズバンが頭の上がらぬ主がレダリアなのだ、そう思って見ると先程の慌てっぷりなど嘘の様に威厳が備わっている様に見え始め、更には…
「ねえレダリア、貰ったレシピに書いてあるこの食材も今後は交換して貰えるかな」
「えっと、ああ胡椒とタマネギですね、胡椒の流通量は少ないですが鹿の民の希望であればきっと優先して確保してくれると思いますよ。タマネギも必要ですか?普通に栽培されているものかと…」
「タマネギは食べても辛いし、焼いても食べづらくて畑には植えて無いんだ、煮込むとあんなに美味しくなるとは知らなかった」
「あーなるほど、タマネギなら北部で多く収穫されるのですぐに交易品として指定出来ると思います」
「そうか!レダリア、楽しみにしてるからな!」
“気高き新芽のシルガット”がその気高さを忘れてしまったかの様に笑顔で話しかける様子は、まるで年の離れた姉妹の様では無いか。
人の部族から使者がやって来ている、それもどうやら人の族長の娘が、和平の話し合いを望んでいると言うがその条件として一体どんな無理難題を…
猜疑心からその程度に考えていた鹿の部族の古老達であったが、部族皆の娘の様な存在であるシルガットがレダリアレダリアと呼び慕っている相手をどうして無下に出来ようか。
部族の後継者としてシルガットに過剰な期待を寄せてしまっている彼等だが、同時に孫やひ孫の様なシルガットにとてもとても甘いのだ。
「儂らもその人間の料理とやらが食べてみたいですぞ」
「うむ、シルガット様が美味しいと言うならば我等の口にも合いましょうな」
「左様、どんな味なのか興味が湧いて…いや、ここで“とても興味深いです”と言えばいいのかな?」
ぬわっふぁっふぁ、と古老の一人が笑えば他の皆も釣られて笑った。
ただ一人、今の言葉のどこが面白かったのか分からないラズバンだけが、首を傾げながらもせっせとその様子を書き留めるのだった。
“使命と願いは頭上の小王旗と共に、厳しき銀風にも負けぬ炎を内に秘め、死をも恐れぬ騎士の魂を奮い立たせ、いざ相対するは万夜を超えし霊峰の長…!
いやはやしかしこれは予想外でした、100年も生きると友愛の心を持つ姫と一目で見抜けるものなのでしょうか、和やかな場となり喜ばしい限りです”
数刻の後、長引くとは思っていたが予想と異なり和やかな雰囲気で話が弾んだ結果長引いた交渉の一回目を終え、和平の大枠を決めた両者はしっかりと握手をした。
引き続き細かい部分の詰めやこの場に居ない他の部族への説明と交渉もある為、まだまだ外交としてはやっとスタートラインに立ったばかりである。
だが、これは長い歴史において非常に大きな一歩と言えた。
レダリア達はこれまで存在しなかったスタートラインに立つと言う“出場権”を勝ち取ったのだ。
「それでは!おおば…クラガット様に代わって!このシルガットが!遠路遥々やって来た人の部族からの一行を歓迎する!乾杯!!」
ワーっとそこら中で乾杯の声や奇声嬌声が上がり、杯のぶつかる音や蹄を踏み鳴らす音が響き渡る。
鹿の部族の大族長クラガットが治める村、クラガット村の外れにある広場には大きな焚き火が組まれ、その火の回りに毛皮を敷く形で用意された席には多くの鹿の民が集まっていた。
焚き火で炙られる芋には豪快に岩塩がふりかけられ、熱した石板の上では多種多様なキノコが踊り、ミルクで煮込まれた野草や根菜類は良い香りを漂わせている。
別の鍋では発酵した果物とミルクで造られた鹿の部族特製のミルク酒も温められており、人の部族の手によって造られた葡萄酒や蒸留酒の栓も開けられれば大宴会の始まりだ。
「ちゃんと飲んで食べて記録してる?ラズバン」
「いやはや、若い方達は見回りや準備に追われているのでしょうか、顔ぶれが随分とご高齢の方ばかりの様な…」
「え?そういえばそうね、ほんと話は聞いてないけどよく見てるわね貴方、そういう事も記録するのかしら」
「勿論です、記録とは後で見た人がその中から必要な情報を得られれば良いのですから、記録する側は何が必要かなど考えずに何でも記録しておくのです、…と、教わりました、はい」
「そうかもしれないけど、うわあ…それ紙足りるかしら?頭が痛くなりそうな文字の大群だわ、きっと貴方にそれを教えた人もここまでとは思って無かったと思うの…」
「ぬふふ、記録係は生きている限りずっと仕事だな、ほれ乾杯!」
ラズバンが胡坐をかくその周囲には、まるで呪い(まじない)の札でも撒いたみたいにびっしりと文字が書き殴られた紙が敷き詰められていて、ただでさえ奇人の類なのに更に異様な空間を演出してしまっている。
変わり者だがただ者では無い、とりあえず挨拶はしておきたいが近寄り難い、揃って自分が最初の一人になるのを恐れ遠巻きにしていた鹿の民に苦笑しながら、杯を片手にレダリアとラッシルトがラズバン攻略の手本を示す。
ラズバンの顔色を窺う必要も、そのペースに合わせる必要も無い、ズケズケと話しかけて好きなように振る舞えば良いのだと。
すぐに今が好機とばかりに鹿の民達が集まり、ラズバンは慌てて散らかしていた紙片を掻き集めるとこれはこれでと貴重な体験を楽しむのであった。
「おうよ、俺の息子もラッシルトの村にいるぞ」
「うちの娘もラッシルトさんの所で鍛えて貰っているわ」
「って訳で、前にも言ったかもしれないが俺の村は若いのばかりでな、その分他の村の平均年齢が上がってんだ、この村なんて一番古い村だからな、どこ見てもジジババばっかりだぜあーやだやだ」
「おいこらてめこのやろラッシルト!あんたの方がジジイじゃないか!」
「うるさい足腰弱った奴に言われたかないぞ!見ろ俺のこの頑丈な脚を!」
「なにおう、無駄にデカい脚振りかざしやがって!」
「本当にデカくて邪魔な脚ですよね!死ぬかと思いました!だいたいいい大人があんな寝相の悪…」
「だー待て待てその話は終わっただろう!?蒸し返すんじゃねーよ頭痛くなる!」
いいぞもっと言ってやれという声がラズバンに飛ぶあたり、ラッシルトは何処へ行っても“面倒臭いおっさん”の素質がある様だ。
そんな喧々諤々の睨み合いも、そこに険が無ければ良い見世物で、見届け人のレダリアも酒が入った周囲の観客も大いに盛り上がる。
そしてその温かい空気を見守る瞳が少し離れた所にもあった、濁り無き黒曜の瞳を持つクラガットとシルガットである。
「随分と愉快なお客様ね、ラッシルトがあんなにも楽しそうにしているのはいつぶりかしら」
「大叔父様はいつもあんな感じじゃないですか?」
「アレは真面目に振る舞うのも辛気臭いのも嫌いだものね、それでも随分と気を許している様に見えるわ」
「確かに、ハルシャエーラ様がお越しになった時と似ている雰囲気です」
「そうね、ナバナグーともあんな感じで気が合っていたわ」
「え、“あの”ナバナグー様ですか」
「そうよ、“笑い砕くナバナグー”。あの熊の子は狂戦士なんて言われているけれども、根は優しい子だから」
「おおばば様にかかれば偉大な戦士もあの子扱いですか…」
齢100を数える大族長とは、即ち現代における各部族長や二つ名を持つ戦士達を産まれた時から知っている者なのだ。
彼女が否と言えばどの様な要望も通らない、彼女が是とすれば全ての部族がそれに従う、そして彼女は誰よりも聡明でその信念が外聞に囚われる事も時流に流される事も無い。
彼女がここにいる限りここが霊峰の民の中心なのだ。
…彼女がいる限りは。
「シルガットはまだ他の族長にはあった事が無かったわね」
「はい、先代の虎の族長は記憶にありますが、あまり良い思い出ではありません…」
「ああ、大地を取り返す為の戦いを訴えに来た時ですね、確かにすごい剣幕だったわね」
「あの者が亡くなり虎の民も少しは大人しくなるかと思ったのに、まさか単独で人の村を奪いに行くなんて」
「シュミュラはあわてんぼうさんね」
「そんな悠長な!現にこうしてレダリア達がその話をしに来てます、私達も動かない訳には」
「その通りよ可愛いシルガット、だから貴女には少し酷だけど旅に出てもらおうと思っています」
「…なんで?」
話が見えず一生懸命に考え込むひ孫の頭を撫でて、クラガットはゆっくりと立ち上がると二度手を叩いた。
それだけで気付いた者が合図を出しそれがすぐさま伝播していく。
今の今まで賑やかな雰囲気に包まれていた宴会場は静まり返り、皆の視線は黒曜の瞳に吸い込まれた。
「少し、お話しをしましょう。八年前にこの村で行われた族長会議の話です、アズベリアの方々に私達霊峰の民の事を知って頂く為、そして皆も話し合われた結果のみでその詳細までは聞いていないでしょうから」
───八年前、アズベリアの暦で七王国暦266年、クラガット村。
「クラガット様、狐の族長クロコンテ様が到着されました、これで全員です」
「ありがとうラッシルト、長旅でお疲れでしょうから皆さんには今夜の夕食の席で会議を行うと伝えて、外れの広場の準備はどうかしら」
「万全です、先程料理の準備も始める様に言いつけました」
「流石ね頼りになるわ、村の様子はどうかしら」
「お客人達が皆屈強な戦士と一緒に来ていますので少し落ち着かぬ様です、デュミュラ殿が例の人間達も連れて来ていますし…」
「何も無いとは思うけれど、シルガットと若い子達は広場の反対側の家に集めましょう、それから…」
大規模な宴会の準備が進んでいるのに、どこか緊張感のある、賑わいとは程遠い空気が流れる村。
総人口も村の数も多い鹿の部族の中でも最大規模のクラガット村ではあるが、役目のある村人以外は家の中に籠り、村内で多く見かけるのは物々しい雰囲気の各部族の戦士達。
霊峰の民の部族長達が勢揃いするのは果たして何十年ぶりだろうか、そんな珍しい光景を見たがる子供達を家に押し込め、粛々と宴会と言う名の会議の場は整えられてゆく。
齢90を越え老境に至るも依然としてその威厳を保ち尊敬を集めるクラガットのお膝元で無礼を働く者こそいないが、それでも少し落ち着きが無いのは会議の議題が異例の内容だからであろう。
虎の族長からの推薦と提案、アズベリアを追われた人間の一団を霊峰の民の一部として迎え入れると言う内容は、流石のクラガットも個人では決めかねたのだ。
夜になり、ぞろぞろと火柱の上がる村外れの広場に集まって来た多種多様な霊峰の民達の関心は、大族長クラガットと、やはりと言うべきか虎の族長の横に腰を下ろした人間達にあった。
“襲撃者”であり、“裏切り者”であり、今は“復讐者”を名乗る人間の一部族である。
「皆さんよくお集まり頂きました、既に個別の挨拶は済ませていますが改めてこの場で、会議への招待に応じて下さった事に感謝を、そしてこうして懐かしい顔ぶれもある皆さんが揃った事を嬉しく思います。まずは乾杯を…」
一瞬腰を浮かしかけた人間に注目が集まり緊張も走るが、どうやら立ち上がって乾杯をするものと勘違いしたのだと伝わり安堵の声や溜め息が聞こえてくる。
慌てて細々(こまごま)と虎の族長が声を掛け何かを教えている様子は、その仲が良好である事を示していた。
懸命に耳を傾け周囲の所作に合わせようとする人間達からは、緊張と同時に何としてでもという強い意気込みを感じられ、恐らく後が無いのであろう彼等の必死さが見て取れる。
「緊張しなくていい、というのは無理があるのでしょうね、ですが勇猛なデュミュラがこの場の安全を保証するのでしょう?ですから皆さん落ち着いて、人間のお客様も、まずは乾杯をしてゆっくりと話しましょう」
杯をぶつけ合う硬質な音と、少し硬い乾杯の声が聞こえ、タイミングを見計らっていた村人達が焼き上がったばかりの野菜や肉、湯気の上がるスープを運んで来る。
早くに村に到着し既にくつろいでいた者はゆっくりと飲み物に口を付け、今日到着したばかりの者、とくにその供として付いて来た戦士などは到着後もゆっくりと食事を取れる時間が無かった為ここぞとばかりに料理に手を伸ばす。
まずは一口、何かを飲み食べこの場の“参加者”になる、それが霊峰の民の習慣なのだ。
「久しぶりに顔を見せてくれた方、随分と成長して雰囲気の変わった方、代替わりして新たに族長となった方、それぞれに初顔合わせの方もいるでしょう、まずは新たなお客様への紹介も兼ねてご挨拶しましょうか」
ニコニコと笑顔を振り撒くクラガットは、場の雰囲気を明るいものにしようと言う考え以上に本当に嬉しかったのだろう、彼女からしてみれば久しぶりに親戚の孫やひ孫が揃って訪ねて来てくれたようなものなのだから。
少し緊張の色を見せ深呼吸する若い族長、んっんっと声の調子を確かめる女性、背筋を伸ばし威風堂々と構える者、それぞれに自己紹介の準備に余念がない。
「それではまずは…私はクラガット、鹿の部族の族長で“麗しき新芽のクラガット”と呼ばれています、この場を用意させて頂いたのも私ですから何か至らぬ点があれば教えて下さいね」
静かな挨拶に大きな拍手とその様な点などあろうはずが等の声が上がる、応じる皆の力強さと声音を聞けば、その信頼と権威が絶対的なものであるのは明白だった。
「あー、本来ならば族長を優先すべきなんだろうが、お客人に分かりやすい様に部族ごとにまとまって挨拶した方がいいだろう、な?」
「何か図体のデカいのが出しゃばって来たぞぉ」
「だーまってろナバナグー!ったくよ、あー俺は鹿の部族の戦士でラッシルト、“踏み抜く蹄のラッシルト”だ、この村での面倒事は俺が面倒だから止めといてくれ」
知るかだの引っ込めだの、果てにはブフンブフンと威嚇の鳴き声まで上がるが、総じて笑顔で笑い声混じりなのはつまりそういう事なのだろう。
城下町の広場で歌う下手くそな吟遊詩人や酒場で騙る出来過ぎの冒険譚を自慢する素人に野次やブーイングが飛ぶのと同じで、真面目な顔をしていた人間の頬が少し緩んだのをクラガットは見逃さなかった。
「やれやれ、ラッシルト殿の後というのは少々やりづらいが…俺はヤジャック、山羊の部族の族長で“崖跳びのヤジャック”です。それからこいつが…」
「お初にお目にかかります皆様、山羊の部族の語り部、“崖落としのベルジャク”をどうぞ覚えて帰って下さい」
「…すいません、妹は少々気が強くてですね、何と言いますか気が強いと言うか、いや強すぎると言うか、とにかく気が強くて態度ってものがですね…」
日頃から妹の尻に敷かれているであろう山羊の若い族長には皆から同情の視線が集まる。
だがその哀れみさえ、自分より兄の方が注目を集めていると思った妹には不満なのだろう、続けて“崖落とし”の由来を語ろうとして後ろの山羊の戦士達に抑えられる姿は滑稽だが平和であった。
「…わたくしの番でいいのかな?クフクフクフ。お久しぶりの方が多くいますな、狐の部族の族長、“足刈りのクロコンテ”でございます」
「クフクフク、狐の部族の薬師でショロトルテと申しますじゃ、部族の皆からは“笑顔の守り手ショロトルテ”と呼ばれとりますじゃ、クフクフクフ。クラガットと一番齢が近いのは私じゃろうか、何かあればいつでも大族長を引き受けましょうじゃ」
「これこれ婆さん、齢を重ねていればなれるというものでは無いでしょう、大族長には知恵や判断力が必要ですよ、そうわたくしのような、ね。クフクフクフ」
一応の拍手は起きるが先程までよりも控えめなのは気のせいでは無いだろう。
だが皆が今の言葉を本気にしている訳でも無さそうなのはその苦笑交じりの顔を見れば分かる。
狐の部族とは昔からこうだからだ、頭は良いがクセの強い、常に利権を狙うが無理はしない、言葉に出してみて周囲の反応から進むべきか否かを天秤に掛ける。
もし手応えがあれば本当に大族長の座を狙う気があるのだろうが、今の反応を見てその頭は既に別の利権の得方を模索している事だろう。
「はっ、相変わらずだな、見よ人間がどう反応して良いか困っておる。さてその人間よ、我は熊の部族の族長にして最強の戦士、“鉄潰しのグラムガー”だ、聞いた事があろう」
「聞いた事があろうって、あんたも人間の客人を困らせてんじゃねーか」
「黙っておれラッシルト!」
「最強の戦士の座を渡したつもりは無いぞぉ族長ぉ!俺こそが熊の部族の最強の戦士ナバナグー、“笑い砕くナバナグー”だぞ!」
「何か図体だけデカいのが出しゃばって来たぞおい」
「黙れラッシルトォ!」
デリケートそうな話題に次いでデカい戦士同士の怒鳴り合い、人間の困惑など誰も気にしていないのか、少なくとも後列の席に多い戦士連中はあまり気にしていない様だ。
彼等がただの民でも狩人でも無く戦士たる所以は結局のところ人間相手の戦いの為なのだから、人間に配慮するという考え方は毛頭無いのだろう。
火を囲む円形の席でクラガットから隣に隣にと順番が回っていたが、やれやれとばかりに鼻で笑った虎の族長は順番を飛ばす様にと身振りで示した、自分と人間は最後にと考えているのだろう。
「ふーん?それじゃあ私だね。山猫の部族の族長は私、“夜闇の翠眼セルサヘラ”だよ、仲良くしてね?」
「“どう”仲良くするんだか…山猫の部族の語り部ハルシャエーラです、ほどほどによろしく」
「ハルちゃん固いかたーい、でも気を付けてね人間さん、この子は“舞い踊る瞳のハルシャエーラ”、夜の闇に踊る瞳を見たら…もう死んでるかもよ?」
「…セルサヘラ様もハルシャエーラ様も自重して下さい。うちの族長達がスミマセン、山猫の部族に加わっている兎のペンリッドです、ペンちゃんて呼んでください」
それぞれに温度差の激しい自己紹介にすぐ隣に座る人間達はより一層困惑するが、流石に困惑し慣れたのか手を振るペンちゃんに釣られて人間の少女も手を振り返していた。
そして最後に控えるのは狼の部族だったが、流れと共に皆の視線が集まるもその族長らしき人物は声を発さない。
そもそも他の部族は部族の要人と護衛も兼ねた屈強な戦士達が大勢来ている中、狼の部族からの参加者は僅か6人のみで、全員がフードを被りその静かさと相まってより一層の不気味さを醸し出している。
だがそれも無理からぬかなと、先程までやりたい放題自由に振る舞っていた面々ですら、その勢いで狼の部族の番だと指摘する事も無い。
この会議は事前に大まかな期日と議題が伝えられこうして集っている、話し合われる内容はアズベリアを離反した人間の部族の扱いについてであり、狼の部族と人間との因縁は誰しもが知る所だ。
「ルーシャ、どうしますか。…判断を私や他の族長に預け、その結論にのみ従いますか、それとも…」
クラガットの問いかけにも黙して答えぬ狼の部族に、しかし非難や解答の催促などは上がらない。
霊峰の民ならば誰もが知っている、狼の勇壮な遠吠えはもう100年以上聞こえてこない、その連なる美しい輪唱が響いた大地はもう無い、その民はもう…居ないのだ。
長く続いた人間との戦いの中で、狼の部族はその8割ほどが霊峰に旅立っていた。
「仕方がありませんね、会議の終わりにもう一度…」
「お待ちくださいませ大族長様、代わりに私が」
スッと手を上げたのは狼の族長の横に座っていた人物、声を聞いて初めて女性だと分かったその人物がフードを脱げば、現れたのは齢20ほどの若い狼の娘であった。
「貴女は確かルーシャの…」
「はい、族長の家系に名を連ねるガーシャと申します、大族長様。狼の部族の総意は固まっております」
「まだ会議はこれからだけれども」
「どのような内容であったとしても、狼の部族は人の部族の受け入れに反対します、ですが」
虎の族長デュミュラの眉間に皺が寄り、人間達の多くは俯く、だがその答えは予想通りでもあったから誰も驚きはしない。
「ですが、この会議の判断に従います…必ず」
力強い最後の一言には、一体どれほどの決意と想いが込められていたのだろうか。
クラガットはガーシャの目を見てゆっくりと、しっかりと頷き、無言で杯を掲げた。
それは狼への敬意か、それとも霊峰へ旅立った者達への慰霊か。
「狼の部族のガーシャ、その言葉忘れないからな、絶対に守れよ」
「やめぬか!狼は言葉を曲げたりなどせぬ、絶対にだ!だからこれ以上構うな、言わせるな…」
「…親父がそう言うなら」
「すまぬ、気を悪くされたなら謝ろう、ルーシャ殿の沈黙とガーシャ嬢の言を我は尊重する」
勇猛で獰猛で、だが戦士や語り部としては間違い無く一流のこの男が頭を下げたのだ、腰を浮かしかけていた幾人かの戦士が酒をあおり肉にかぶり付き、ラッシルトがダンダンと地をならして空気を断ち切ればそこまで。
クラガットが改めて虎の族長に手を差し伸べれば挨拶の続きが始まる、さあ最後は貴方達ですよと。
軽く咳払いをしたその男の存在感は、背丈が特別高いわけでも図体が熊の様に大きいわけでも無いのに頭抜けていて、今日の議題の提案者という事も加味すれば、今この時だけは大族長クラガットすら凌ぐかもしれない。
その堂々たる言と髭も空気も震わせ良く響く重低音には、王者の風格があった。
「この場を設けてくれた大族長クラガット殿に敬意を、そして今日こうして集まってくれた全ての民に感謝する、我が名はデュミュラ、虎の部族の現族長“鉄穿つ爪のデュミュラ”である。…先ほどは息子が失礼した、おい」
「…虎の語り部、シュミュラ。…俺は人間に負けた事が無い“血染めの爪のシュミュラ”だ、この爪で何人もの人間どもを…あ…」
この少し自意識過剰な虎の青年は、父親に窘められた状況を格好悪いと思ったのかそれとも他の参加者になめられるわけにはいかないと思ったのか。
とにかく点数を取り戻そうとしてこれまでの戦果と自らの武勇を誇ろうとしたのだろう、だが…。
これがただの宴会であったなら拍手が沸き起こったかもしれないし、羨望の眼差しを向ける者も居たかもしれない。
しかし居並ぶのは族長やそれに次ぐ者、そして歴戦の戦士達ばかりである。
それ以上に状況を悪くしたのは、その話題の人間がすぐ隣に居て、これから仲間にしようと言う話合いを行う所なのだ、虎の部族主導で。
「シュミュラよ、少し風に当たってこい」
その声は厳としていたが、優しさも感じられるものだった。
大人しく席を立ち背中を丸めて歩く息子と、それを心配そうに見送る人間の娘とを見て、デュミュラは複雑なその心境を言葉には出来ず、酒の匂いと共に飲み込み深い溜め息を吐く。
出鼻を挫かれた形にはなったが、それでも話を進めない訳にはいかない、デュミュラが顔を上げれば黒曜の瞳と目が合った。
「クラガット殿、すま…」
「シュミュラはあわてんぼうさんね、昔の貴方にそっくりだわ」
「いや、そんな、あれは本当にまだまだで…」
「それで、ご紹介頂けるのかしら?貴方のお友達を」
その言葉で皆の意識が改めて人間達に集まる、シュミュラの事は虎の古参戦士が一人追いかけて行った様だ。
デュミュラは頼りになる部下と大族長の配慮に心の中で感謝を述べ、意識を戦いのそれへと切り替えた。
「…勿論ですとも、今日は皆知っての通り、この我が友等を味方に引き入れるべくその許可を得る為に参った、後に遺恨を残さぬようここで議論を尽くしたい!!」
それはアズベリアのラズバンが霊峰の民族史に触れた日、炎熱季でも肌寒い薄曇りの宴会場で鹿の笑顔に囲まれた日の出来事。
記録すべき事が山積みになった、争乱の嵐が吹き荒れる前の出来事。
◎続く◎
前回から1か月ちょっと空いてしまいました、申し訳ありませぬ。
ちとリアルでごたごたしとりました、やはり人間は信用出来ぬ、ぐぬぬ。
さて、ラズバンの自覚無き活躍によって友好関係が前に進んだ人間と鹿の部族。
歓迎の宴の席では過去の因縁が、虎の部族や“裏切者”に関する過去が語られ始めます。
その後編にあたる次話は続けて投稿しますので、そちらもどうぞ!