第5幕:「空に願う白銀の王女」
第五幕豆知識
【シルガット】…気高き新芽のシルガット。霊峰の民の中でも温厚な鹿の部族の語り部(指揮官/代理)。大族長のひ孫で鹿の部族の後継者と目されている芽吹いたばかりの未来の駿才。
第5幕:「空に願う白銀の王女」
◇七王国暦274年 炎熱季44日
とにかく大丈夫ですよと、怒っていませんよとひたすらに伝えるしかない。
実際あまりに唐突な展開に驚きはしたが、困惑こそすれそこに怒りは無かったのだから。
目の前で大泣きしてごめんなさいを繰り返すシルガットに、レダリアは弟のエドルトの数年前を思い出し勝手に親近感を覚えていた。
あの弟王子もやんちゃでずけずけと物を言う性格で、言いたい放題言った後で父や母にこっぴどく叱られてこうなっていたのだ。
「ったく、直系だからって甘やかされてんだろ、お前達ももっとしっかり躾けろよ」
「いや、躾けるなどそんな…」
大きな背中を小さく丸めて、とてもとても申し訳無さそうにしているのは先程まであんなにも屈強そうに見えたシルガットの護衛二人。
レダリアに対する容赦の無い毅然とした対応や、ラッシルトと互いに引かず収めずの言い合いをしていた勢いはどこへやら、今はその体躯と表情のアンバランスさに笑いさえ込み上げて来る有り様だ。
「知らなかったんだから!仕方ないだろう!」
「なぁにが知らなかっただ!知らないとお前は他の部族にああいう態度を取るのか?ああ?」
「ごめんなさい…」
すっかり牙を抜かれて、いや角を折られて、いや…とにかく心を折られたシルガットに残ったのは幼さで。
ラッシルトのくどくどとした説教に若干の反抗を試みるも、容赦無くへし折られてずっと泣いている。
特に先程レダリアの素性を聞かされた際の護衛共々思考停止した顔など、悪戯が想定以上の大事になってしまった子供の様だった。
「いやはや、今日も驚く出来事の多い日ですが、同じくらい興味深いとも言えますね」
「まあそうね、ラッシルト殿とシルガット様の関係とか、そもそもどの様な経緯でこちらにいらしたのかなどお聞きしたいです」
「いいぞ!ラッシルトはうるさくてとっても厳しい大叔父な…」
ドシンッ
と、ラッシルトがその大きな足、後ろ脚の蹄で大地を踏み鳴らせば衝撃と緊張が走った。
それは他人の目を惹き付けるにも、場に集中と緊張をもたらすにも、相対する者を畏怖させるにも十分だろう。
なるほど、“踏み抜く蹄のラッシルト”と言う訳か。
「いいか?そもそもこの二人がこんな暢気な性格じゃなかったら今頃殺し合いになってたかもしれないんだぞ?話を流してくれてんのが優しすぎて普通じゃないんだからな?お前は他部族の使者にもあんな態度を取れるのか?もし相手が虎の部族の使者だったらどうだ?お前は喰われて部族間戦争が始まるぞ?事の重大さを本当に理解してるんだろうな?だいたい…」
「レダリア様、どうやら私達は暢気で普通じゃないらしいですよ」
「貴方と一括りにされてるのが納得いかないんだけど…、戦争を回避する為に外交しに来たんだから大事にする訳にも行かないでしょう、確かにちょっと問題有りだったけども」
「分かった!もう分かった!」
「本当に分かったのか怪しいもんだ、まあいいからまずは自分の事から話すのが礼儀ってもんだろう、何がうるさくて厳しいだ怒るぞ」
「もう怒ってるじゃん!今だって怒って…」
スッと片足を上げたラッシルトを見てピタリと止まると、シルガットは改めてレダリア達に正対しコホンと声を整える。
レダリア達はレダリア達でグッと足に力を入れて踏ん張り、耳に手を当て何かに耐える構えを見せていたが、ゆっくりと下ろされた剛脚を見て安堵の息を吐いた。
それを見てニヤニヤするラッシルト、この男、絶対にわざとである。
「…私はシルガット、鹿の部族の族長クラガットのひ孫に当たる、次期族長の“気高き新芽のシルガット”だ」
「自称だがな」
「違う!おおばば様が言ってくれたんだから!お前はきっと気高い族長になるって!」
「つまり今はまだ自称な訳だ」
「うぅ…絶対になるんだから!…絶対に立派な族長になっておおばば様達を安心させてみせるから…」
その頭を撫でるラッシルトの手は、足と同じでとても大きく太く不器用そうだが、とても優しかった。
「ありがとうございますシルガット様。…それにしてもラッシルト殿が大叔父?貴方そんなに偉かったの?」
「偉くねえよ、直系じゃないただの戦士だ」
「家系図が良く分かりませんが、恐らく外戚に当たるのではないかと」
「なるほどね、そうすると鹿の部族の語り部は族長の親戚や外戚が担っているのかしら」
「いねえんだ」
はい?と二人揃って首を傾げるのは、レダリアがラズバンに似たのか、ラズバンがレダリアに似たのか、それとも似た者同士なのか。
すぐに詳細をたずねたいところだったが、口をへの字にして俯くシルガットの様子から何かを察したレダリアは、口を開きかけた察しの悪い隣の男の眼前に杯を突き出して牽制すると、同じ様に皆に杯を勧めた。
雪が混じらずとも雪原に吹く夜風は冷たい、慣れているとは言え鹿の民とて寒さを感じない訳では無いのだろう、そっと両手で湯気の出る杯を包んだ幼い顔が綻んだ。
「いい匂い」
「ベリーティーです、お代わりもありますよ」
「欲しい」
「ラズバン?」
「はい?」
「ラズバン?ん?」
「ん?あ、はい、はいはい!すぐにお持ちしますね」
本当に察しの悪い、と白い溜め息をつくレダリアにシルガットがクスりと笑う。
やはりまだ幼い、と思った。
人間に例えても十歳かそこらではないだろうか。
鹿の部族の族長は長年に渡り代わっていないと聞くが、その後継者がこの少女だと言うのには何か訳がありそうだと思えた。
「さて、どう説明したもんかな、いやどうもこうも話としちゃ単純なんだがな」
「無理には聞きませんが?」
「いやどうせ部族同士交流を持つなら知っておいて貰わないといけないことだ」
その言葉はレダリアへの返答であると同時に、シルガットを納得させる為の言葉でもあったのだろう。
ポンと置かれた肩の手に、幼い顔はしばしの沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「族長のクラガット様は若くしてとても優秀だった、部族の期待を一身に背負い“麗しき新芽のクラガット”と呼ばれ齢30を数える前に族長の座を継いだ程だ」
「なるほどその頃から既に呼び名があったから新芽なのですね、それにしても…」
「ラズバン話の邪魔をしないで」
「ぬふふ、こいつの仕事は見て聞いて書き記す事なのだろう?気になる事があったら遠慮せず聞け」
「ああ、すみません。えっと、人間で100歳まで生きる者は稀なのですが、鹿の民の寿命はどの位なのかなと思いまして」
寿命という言葉にビクりと反応し、膝に置いた蹄をギュッと握り込んだシルガットは、しかししっかりと前を向いて話を聞いている。
その一見落ち着いた様子は彼女を縛るその言葉が既に以前から身近にあったのだろうと察せられた。
「俺も人間の寿命に詳しく無いが、同じくらいなんじゃないか?100を数えればそれだけで尊敬の対象だ、大抵の奴は70か80で霊峰へ旅立つ」
「クラガット様にお会いできるのはそれだけで大変名誉な事ですね、私、明日がより楽しみになって来ました」
「ああきっと歓迎してくれるだろうさ、あの方ならな、きっと大丈夫だ…」
その少しだけ歯切れの悪い言い様に花開いていたレダリアの表情が曇る。
だが眼前にはブンブンと首を縦に振るシルガットが居て、それが歓迎を肯定するものなのかそれとも空気の変化を感じ取って大丈夫と言ってくれているのかは分からないが、とにかく根は良い人なんだろうと思えた。
“いずれは気高き、でも今はまだ純真な、新芽のシルガット”ふとそんなフレーズが思い浮かんだが、直後に隣の見習い詩人の顔も浮かんで慌てて掻き消す。
なんだかモヤっとして横を見れば浮かんだ通りの能天気なニコニコ顔がそこにあって、レダリアは思わず平手を振り抜いた。
「え?ほら、もう、ラズバンが余計な事言うから話が脱線してしまったじゃないの!」
「え?えええ?あの、はい、すみません…」
流石に唐突過ぎて周囲も驚いているが、レダリアはラズバンに非がある体で押し通す事にする、普段の言動による補正も考えればこの試みは成功するだろう、それが良いかは別として…。
語り部には部下に対するこれくらいの畏怖の植え付けも必要か、と小さく聞こえた気がしたが聞こえなかった事にした、お願い貴女は真っ直ぐに育ってと思いながら。
「でだな、クラガット様には娘が一人いた」
“いる”では無く“いた”か、と。
既にその先の展開が見え始めた語りにラズバンのペンは走るが心は失速する。
自身も詩人で物書きだからこの男は文章の表現や語尾にはとても敏感なのだ、人情や言外の意思疎通にはあんなにも鈍感なのに。
「その娘の伴侶となったのが俺の兄だ、だから俺は直系じゃない、そして兄夫婦にも一人娘がいた」
また“いた”かと、ただ真っ直ぐに焚き火の炎を見つめるシルガットに心がゾワゾワする。
「その娘にもまた一人娘がいてだな、それがこのシルガット様って訳だ、だから俺は大叔父って事になる、以上」
「ちょっと以上じゃないでしょ、あれだけ思わせぶりな事しておいて、私の覚悟を返しなさいよ!」
「そうですよそれだけじゃ歴史が分からないですよ!」
「ぬわっはっはっは、ああ歴史な、そうだよな、ええとだな…」
「レダリア、私は人の民が嫌いな訳じゃない、でもこうして話をするまで正直怖かったよ」
先程までとはまるで別人の様に落ち着いた、達観したとでも言うべきだろうか、その幼い容姿にそぐわぬ雰囲気に皆が呑まれた。
霊峰に見守られし鹿の部族に、ある時優れた力を持つ雌が生まれた。
名はクラガット、100年以上も続く人の部族との戦いの中で、多くの霊峰の民が疲弊し、その数を減らし、その大地を失い、その傷を癒す時間を必要としていた時期だ。
最大勢力を誇った狼の部族は戦士と大地を失い、森の中へと姿を消した。
徹底抗戦を呼びかけた虎の部族は、族長の死により勢いを失った。
虎と共闘した熊の部族は、もともと少なかったその数を更に減らし防戦一方となった。
狼、虎、熊という前衛を失った狐と山猫の部族は、自ら先頭に立って戦う事を良しとせず後退した。
そして他の部族を支援していた鹿と山羊の部族は、その支援先を失い普段の生活に戻った。
人の部族は狼の遠吠えが聞こえなくなった大地に石の家を造り、その地に根を張り、今や大樹となった。
時折り伸びた根や枝を刈り取ったが、もはや霊峰の民に大樹を伐り倒すだけの戦力は無かった。
それ故に、大地を取り戻すにしても、諦め共存するにしても、癒しと思案と自らを納得させる為の時間が必要であった。
そのまとめ役となったのが鹿の民の若き族長である。
狼は姿を見せず、虎も熊もその手の記憶は未だ紅く、狐と山猫は判断に従うとのみ伝え、山羊は物資の枯渇を理由に大任を避けた。
結果、人の部族と直接戦う機会が少なく、民も大地も多く残っており、食糧供給をも担っていた鹿の部族が霊峰の民の中心となったのは必然であったのだろう。
以来、鹿の部族のクラガットの下、緊張を保ちつつも戦いの無い年月が流れた。
「あれはシルガット様が生まれた直後の事だ、クラガット様は健在でその叡智は衰えを知らず、寿命で霊峰に旅立つのが先か耄碌して族長の座を譲るのが先か、などと皆で言っておったのだ。そこへカランディアを名乗る者達が来た」
「カラン…!ああ…」
「王女様は知ってるみたいだな、人の部族の語り部の一人だったんだろう、カランディアの奴らは」
「勿論知っています、カランディア家はアズベリア貴族の一つ、勇猛果敢な戦士の家系でカランディアの大槍という異名も持つ名家でしたから」
「ええと、今はそちらの、西の民に合流したと聞いていますが…」
「ふん、正式に霊峰の民となった訳じゃねえ、虎が都合よく使っているだけだ」
フンっと、鼻息の荒いラッシルトの言葉には苦々しさが混ざる。
アズベリアを追われ西の民に寝返り、共に王国を狙う一派となったと聞き及んでいたが実状は異なる様だ。
カランディア家とはアズベリア王の頭痛の種であり、レダリア王女が別れの言葉を掛けられなかった親友の家であり、エドルト王子が憎む裏切りの家である。
「人の部族の、そのカランディアが率いる奴らによって鹿の部族の村が二つ燃えた、その一つが兄と義姉が語り部だった村だ」
「…」
「勿論その時はクラガット様も大層お怒りになってな、でも別に戦いが終わっていた訳じゃねえ、ちょっと100年ばかしお互いに休憩してただけだからな、何も約束やら何やらを破られた訳じゃないから民を集めて追い返すに留めた。ま、その追い返すだけでも戦意も練度も低い鹿の部族は大きな被害が出てな、その結果が俺のとこの若い連中って訳だ」
ラッシルトが大袈裟にやれやれと、苦労してるんだぜと言わんばかりのお道化た態度を取ってくれたから、レダリアもラズバンもその場で謝罪の言葉を言わずに済んだ。
少なくとも、この立派な角の男は今ここで謝罪を望んでいる訳ではないと理解出来た、望みはもうこれ以上戦わずに済む事なんだと。
「ああ、そういやその後すぐにそっちの族長から荷が届いたな、大量の食材やら木材やら、詫びの品ってのは分かったしその中にあの銀貨や金貨もあったんだぜ」
「それであんなにも大量のアズベリア銀貨を…ん?しかし王様は何故実用的な物資に銀貨も混ぜたのでしょうね?」
「…事態が落ち着いた頃に正式に使者を出したはずよ、その時に金貨や銀貨で人間と物を交換出来る事も伝えた…?」
「今は数季に一度、そっちの商人と戦士がそれぞれの大地の中間辺りで旗を立て天幕を張ってる事がある、それを見かけたらこちらも金貨や資源と荷車を持って行く、非公式だがそういう事だ」
それはきっと王宮の倉庫番と王軍だろう。
なるほど、両者間に正式な条約も無ければ国交も無かったが、少なくとも鹿の民とはそうやって物流があり、王国は西の民の情勢情報を得ていたのだ。
ふんふんと感心するラズバンを横目に、レダリアはぼんやりと、エドルトが聞いたら何故教えてくれなかったのかとうるさそうだなと考えていた。
「さてそんな争いがあってから割とすぐだな、鹿の民のいくつかの村で病が蔓延した、戦いで傷を負って帰って来た者が原因だったと言う奴もいたが本当かどうかは分からん。結果としてクラガット様も一時意識を失っていたが回復された、だがハルガ…こいつの両親は霊峰に旅立った、だから族長の直系はこいつしかいない」
10年ほど前に一度旅立ちかけた齢100を数える族長、その後継者として唯一残ったシルガット、その頃はまだ生まれたばかりだったはずだ。
その成長は常に部族の皆に見守られ、皆に期待され、族長の座を継ぐ準備を望まれた事だろう。
そうだ、彼女は気高くあらねばならなかったのだ、皆を失望させない様に、偉大な族長の直系として恥ずかしく無い様に。
レダリアは少しだけ自嘲気味に笑った、何故なら同じ期待を掛けられた自分はどうしただろうか?
(半分エドルトに放り投げて、王宮を離れて自由に馬を駆って、今だって自分に何かあってもエドルトがいるからと逃げ道を用意している)
自分では役不足かもしれないが、この少女の友になれたらいいなと思った、だからしっかりとシルガットの方を見て、手を伸ばそうとしたが先に伸ばされたのは幼い手だった。
「レダリアは王女なのだろう?王女と言うのは族長の娘の事だと聞いた、私はひ孫だが実質族長の娘の様なものだ、だから私達は同じだな」
決して同じでは無いと思うが、これから同じになりたいとも思う、こんな気高い鹿の王女と共にこの北の地の歴史を歩みたいと。
その真摯で純粋な瞳に吸い込まれる様に、レダリアは差し出されたその手を取った。
“雪原の雪をも溶かしそうな未来への熱意、互いに国を想う二人は出会うべくして出会ったのだ、空に願う白銀の王女は霊峰に祈る黒曜の王女の手を取った、その手が100年先も離れぬ事を願って”
「レダリア、おおばば様は人間が嫌いだ、ばば様達の命を奪ったからだ」
「カランディアが奪った命はアズベリアが奪った命、その事から逃げる気はありません」
「でもおおばば様はとても聡明だ、鹿の部族の未来の為に人の部族とは何らかの形で和解すべきだと考えている、自らが人の部族への憎しみを隠す事で部族の皆に納得を促している、大叔父様も同じだ」
「本当に偉大な…族長の中の族長と言うべきお方ですね」
「今日ここで、村の中では無くここで、レダリアとこうして近くで話が出来て本当に良かった」
トコトコと移動して来てレダリアの横にエイッと座る、その行動には遠慮も緊張も無く自然体で気安い。
距離感の詰め方に幼さを感じて思わずその頭を撫でてしまったが、シルガットがくすぐったそうに、でも気持ちよさそうに撫でられるがままなのを見てそのまま撫で続ける。
もし妹がいたとしたらこんな感じだったのかしら、とそう思ったがこんなに気の合う気の強い姉妹がいては、エドルトが大変そうだと苦笑した。
「人間を遠目に見た事はあったがこうして会うのも話すのも初めてだ、話に聞く人間は毛皮の代わりに亀の甲羅の様な物を身に付けていて、とても大きな遠吠えを上げる怖い奴らだと思っていた」
「う、うーん?」
「面白い例えですね、鹿の部族が出会った人間と言うのが総じて戦場での事だったからではないでしょうか」
「あ、なるほどそういう事ね」
「だから村でおおばば様と一緒に改まって会ってたらもっと警戒しちゃってたと思う」
目を細め気持ち良さそうに撫でられ続けるシルガットは、なるほど警戒感など皆無である。
少し眠気も出て来たのかぼんやりとする少女を温かく支える姉の様な存在、それを見守るのは立派な角の男と頼りなさそうな男と焚き火の火。
周囲では人と鹿の民が湯気の上がる杯を片手に談笑し、ここだけ見れば既に200年のわだかまりは溶けたかの様だ。
「レダリア…鹿の民と人の民が本当に仲良くなるには…自分ではダメなんだっておおばば様が言ってた…人との…辛い思い出の無い…」
「寝てしまったか?」
「その様です、どうしましょうラッシルト殿」
「そのまま俺の天幕へ、寝かせてやろう、お子ちゃまは寝る時間だからな、ぬはは」
レダリアは肩を預ける様に眠ってしまったシルガットをそっと抱き上げ、起こさぬ様に慎重にラッシルトの天幕へと運んでいく。
そもそもはクラガットの村の語り部代理として様子を見に来ていたらしく、護衛の二人は彼等の姫をラッシルトに預けると報告の為に村へと戻って行った。
見送る護衛達の先に村の灯が見える、娘たちを失った義母の村だ、ラッシルトは複雑な想いを抱えながらも未来を見据えた、まずは明日、あの村での会談が鹿と人の両者にとって大きな転換点となるだろう。
「まあ、なるようになるだろうさ」
明日の大一番に備えて自分も寝るか、そう思って天幕に戻ると、ラッシルトの荷物は全て外に放り出されていた。
まさか一緒に寝るつもりじゃないわよね?、そう言われ引きつった笑みと共に周囲を見渡すと、若い戦士達は目を逸らし、いそいそと自分達の天幕へと潜り込むのであった。
それはアズベリアのラズバンが気高き魂と共に歩み始めた日、炎熱季でも欠かせぬ焚き火の温もりが心の壁を溶かした日の出来事。
悲しき決意に胸打たれた、争乱の嵐が吹き荒れる前の出来事。
◎続く◎
ラズバンはやっぱりラズバンです。
でも歴史や物語の話題になると突如として覚醒する事がありますご注意ください。
前回から一転してシリアスなシルガットさんのターン。
わがままっ娘かと思いきやものすごい重責を背負う、鹿の未来を担うキーマンでした。
こういう子には幸せになって欲しい、でもそれなりに苦難にも見舞われて欲しい…(ゲス
そんなシルガットさんとレダリアの友情の始まり始まり、です。