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第4幕:「幽玄と国を憂う白姫」

第四幕豆知識

【クラガット】…麗しき新芽のクラガット。霊峰の民の中でも温厚な鹿の部族の語り部(指揮官/族長)。齢100を数える鹿の女大族長で他の霊峰の民からも一目置かれている。


第4幕:「幽玄と国を憂う白姫」


◇七王国暦274年 炎熱季44日



外交使節一行がラッシルト率いる鹿の戦士達と共に西進を続けて4日、日も暮れかけた頃に前方の丘に明かりが灯るのが見えた。

起伏の少ない平原はそのほとんどが雪に埋もれていて、時折り小規模な茂みや針葉樹の林もあるが基本的にはどちらを見ても見晴らしの良い…白ばかり。

だから若干の岩場を含む雪化粧の無いその丘は、砂漠の中に現れた緑のオアシスの様に、吸い寄せられるような存在感があった。


「ねえラズバン、その砂漠とかオアシスって言うの、見た事あるの?」

「いえいえ、自慢ではありませんが王都を出たのは今回が初めてですので実物は見た事がありません、ですが王都で会った貿易商人が旅の話と共に絵を見せてくれたんです、それは遥か東のエルドマ王国とノーデント王国との間に広がる一面の砂の地だそうで…」

「一面砂…想像出来ないわ」

「貿易商人達はアズベリアに来ると一面雪で驚くそうですよ、面白い話ですよね」


一年を通して雪が降る北方の地の人間には雪の降らない生活が想像出来ない、ましてや砂ばかりの荒涼とした地の事など尚更である。

それでも七王国がそれぞれの存在と王権を認め、共通の暦である七王国暦を数え始めて200年以上、近年は陸路や海路での交易貿易も盛んになり、他国の地勢や風土、歴史なども伝わって来ている。

霧の谷、砂漠地帯、飛竜の舞う高山、大森林、貿易船より大きな生き物が棲む海域、火山地帯、大草原…いずれも伝説上の地では無くなって久しいが、だからと言って身近な存在かと言われれば否だ。

人の手が入らぬ未踏の地などそこかしこに存在し、海運は不確定要素が大きく、実際に国外に出る者など余程の大商会か傭兵といった武装集団くらいで、名も無き民が旅に出ようものならそれは大地や深海に肉体を、空に魂を還す覚悟が必要になる。

そんな世界だからこそ、危険を乗り越え運ばれる他国の品には高値が付き、冒険の末に広げられた地図には大枚がはたかれ、詩人の歌う異国の伝承や物語は何処へ行っても酒場の華なのだ。


「雪を見て驚いてるようじゃこの地では暮らしていけんな」

「いえ、彼等の様な商人は一所に留まらず常に各国各街を渡り歩いているんですよ」

「家無しって事か?それこそ想像出来ないな、俺たちにはこの霊峰を望む土地こそが全てだ」

「きっと彼等貿易商人にも帰るべき国や家はあると思います、それでも危険を冒すのは成功すればそれだけの富が得られるからで、きっと稼いだら後は誰かに任せて悠悠自適ってところかと」

「ゆうゆうじ…あん?まあ稼ぐだけ稼いで引退するって事か、俺もそうありたいもんだ」


この人は頭の回転が速いなあと、一行に停止の指示を出しながらやって来たラッシルトに感心する。

最初の出会いの時点から分かっていた事ではあるが、西の民とは決して野蛮で文明レベルの劣る相手では無い。

現にこのラッシルトなどは、アズベリアの王宮に居並ぶ将や官の中に居てもなんら不思議では無いと思えるのだ、姿格好は別として。


「ラッシルト殿、西の民にも金や財産といった意識はあるのだろうか?」

「人間の使う金貨や銀貨は人間相手にしか使えないからあまり価値は無いが、宝石や鉱石、生活を豊かにする品や珍しい品、あとは土地ってところだな」

「それにしてはよくあれだけのアズベリア銀貨を持っていましたね」

「ふん、これでも“踏み抜く蹄のラッシルト”なんて大層な呼び名を付けられちまっててな、要はただの古参で生き残りってだけなんだが語り部として村を一つ持ってる、だから土地とそれなりの資源と、人間の硬貨っていう“生活を豊かにする珍しい品”を持ってるのさ」


そのどうだと言わんばかりの得意気な顔にはレダリアもラズバンも笑って同意するしかなかった。


「それで、“踏み抜く蹄のラッシルト”殿はどうして隊を停止させたのかしら?」

「…、見ての通りあの先に見える丘一帯が鹿の部族の現族長【クラガット】様の村だ、だが既に日が暮れ始め火が掲げられた、このまま進んでも到着する頃には日が完全に沈んでしまう」

「それでしたら我々も火を掲げここに居るぞと示しながら進みましょうか、ええと松明は…」

「いやダメだ、一つ良い事を教えておいてやる。霊峰の民には特に夜目が利く部族がいる、その関連で、あー、その昔に色々とあってだな、とにかく今は日が暮れ村の各門に火が掲げられたら、それは出入り禁止の合図だ」

「…初めての出会いが火の掲げられた村の門越しにならなくて良かった、道中で貴方と会えた事を改めて嬉しく思います“踏み抜く蹄のラッシルト”殿」

「だーやめろやめろ!むず痒くて仕方ねえ!」


今度はレダリアの方がしてやったりの得意気な顔をして、カラカラと笑う鹿の戦士達はラッシルトの怒声に慌てて散って行った。



結局あまり近付き過ぎると双方無駄に警戒するだけだと言うラッシルトの言に従い、隊列を停止した村まで数刻ほどの場所で野営する事にした一行は、雪を払って地面を確保し即席の焚き火を囲んで夜を迎える。

いつもより早めの夕食は、たっぷりの具と香辛料を入れたチーズ煮込みの大鍋がぐつぐつと良い音を立て、鹿の民の鼻をヒクつかせるだけでなく人間にもだらしのない顔をさせるが、これは先行投資だと張り切る商人二人の計画通りであった。

またしても次は俺だいや俺が先だと商人の前に器を突き出す輪には騎士や兵士も加わっていて、美味しそうに器に顔を突っ込む者や他人の具を狙う者、豆などの携帯食を放り込み味変を試みる者、どっかりと座り込んで談笑するグループや真面目に監視をしながら恨めしそうに睨む者。

人と鹿の民の入り混じった賑やかなその様子は、戦史や英雄譚に登場する傭兵団の野営地の一幕に似ていて、自らもちゃっかりと大盛りチーズ煮込みを確保したラズバンはホクホク顔でペンを走らせる。

だからそんな彼に断れるはずなど無かったのだ。


「あのラズバン様、今夜の料理ですが鹿の民との交渉がスムーズに進む様にと持って来たとっておきの具材でして」

「ええ、ええ、とても素晴らしい味わいです、チーズの塊を豪快に放り込んだ時には驚きましたが濃厚なチーズが芋や人参と良く絡んでそれにこの絶妙な辛みと香りのアクセントが…」

「おお、はいはい、その通り、お目が高い!是非その辺りの感想や我々商人の貢献も記録しておいて頂けますと…」

「勿論です!丁度今その素晴らしい貢献を書いていたところなんです!」

「ありがとうございます!おお、しっかり書いてありますね、騎士様や兵士さん達、それにラズバン様にもご満足頂けた様で何よりです。それではお代はこの位になります」

「いやはや美味しい食事は皆を笑顔に…こんなにするんですか?」


保存用チーズの表面の様に固まるラズバンと炙ったチーズの様に蕩ける笑顔の商人。

既にその貢献は文字として自らの手でしっかりと記録してしまっており、勝敗は明らかなのだがそれにしてもこの値段はと内心で唸る。

そこへ鼻歌混じりにやって来たレダリアに相談しようとして、その両手に持つ器と輝くような笑顔を見れば完敗と言わざるを得なかった。


…後に話を聞いたレダリアが腹を抱えて笑い、半額を負担してくれた事をラズバンは生涯忘れなかったと言う。




───人と鹿の野営地、日没後。


雲はあるが雪が降る程では無く、雲間に覗く夜空は他に例えようが無い深い青で、ラズバンはこの色が好きだった。

宮廷画家見習いの経験もあるこの男はその青が簡単には作り出すことが出来ない色合いであり、そもそも濃い青の色自体がなかなか描く機会が無い事を知っている。

アズベリアの地は基本的に白であり、王都の中ですら降り積もる雪と石と木の色が視界のほとんどを占める。

普段の空は厚く垂れ込める雲と淡い青色のコントラストであり、陽の短いこの地の民が家路につく時間は早く、深い青が広がる夜空が見える時間には皆夢の中である。

港街を持つ南部であれば海を描く機会も多いかもしれないが、そうでも無い限りアズベリアでは深い青を見る事も描く事も稀で、そもそもその染料となる植物や顔料となる鉱物も現在までに産出されていないのだ。


満腹になった腹を夜空へと突き出し、深呼吸をして息を吐き出せば世界が真っ白に染まる。

そんな至福の時間を過ごすラズバンの許に湯気の上がる杯を片手に上司がやって来た。


「こんな所で寝ていて大丈夫なの、王都育ちには野営は堪えるとか言っていたじゃない」

「いやはや、王都を出立した直後は荷台に乗っているだけでも凍えるかと思っていたんですが、不思議なもので人間慣れるんですね」

「言うようになったじゃない、でももう20日以上旅をしていて、その間立ち寄ったのはアンビアでの一晩のみ、慣れて貰わないと困るけどね」

「レダリア様も配下の方々もこんな感じで行軍する事があるのでしょう?いやはやこれは大変だ」

「そうよ大変なのよ、物資の輸送や管理だって大変、軍を率いるって言うのはそういう事、だからもう何年か訓練を積んだらエドルトにもこの大変さを実際に経験して欲しいわ」

「そうすれば簡単に戦うべきだとは言わなくなる、と?」

「どうかしら、勇ましい性格なのは悪い事では無いわ、それでも現実を知って物を言っているかどうかで言葉の重みは間違い無く変わるから」

「エドルト様の為にも、ですか…」


夜空を見上げて淡々と語るその横顔、深い青と白い肌、赤らむ頬と白い吐息、流れる銀糸と降り積もった白。

ああ綺麗だなと、これこそ絵に残すべき光景なんだろうなと、想像の絵の具を心のキャンバスに沁み込ませ、野営も悪くないなと思う。


「綺麗よね、王都の上にもあるのにこことは違う気がする」


ラズバンはちょっとだけドキッとして、例え見習いでも詩人を名乗るなら貴女の方が綺麗ですとでも言った方がいいだろうかと少しだけ迷って、そこに居るのが自分の国の王女である事を思い出す。

自分は何を言おうとしていたんだと心の中で自虐し、熱くなった頭と頬を冷やす為に今すぐにでも目の前の雪に潜りたい衝動に駆られるが、流石にそんな奇行を見せる訳には行かないと言葉も体も思い止まった。


「王都の夜の青はその下に無数の宝石を散りばめた様な美しい輝きを持ちますが、ここで見る青はどこまでも白いキャンバスの上に描かれた飾り気のない純粋な青の様に思います」


その例えにレダリアはちょっとだけドキッとした。

なるほどうまい表現だと納得したし、へえ見習いでも詩人は詩人なのね少しはやるじゃないと思うが声には出さない。

言ったら最後この詩人はきっと調子に乗るし、また大袈裟な文章にして書き記すのだ、だから言わない、決して恥ずかしいとか動揺が声に出るかもしれないからではないのだ。


「…ラズバンは何故宮廷詩人になろうと思ったの?」

「アズベリアの歴史や遠い異国の物語に興味があったから、と言えば聞こえはいいのですが…」

「あら違うの?」

「いやはや…それは事実なのですが、その、知っての通り様々な職務に挑戦した結果辿り着いたと言いますか…」

「ああそっか、交渉事も剣の腕も宮廷の諸々も見習い止まりなんだっけ」

「う、はい、ですので今度こそは見習いを抜け出せればと」

「向いてると思うよ、宮廷詩人。んー、どっちかと言うと吟遊詩人かな、詩を作るのは得意そうだからあとはまあ歌声を…あと50年くらい特訓すれば立派な詩人になれるんじゃない?」


そんなに掛かったらお爺さんになってしまいます!と割と本気で抗議するラズバンに、レダリアは指を差しケラケラと、普段は見せない少年の様な無邪気さで笑った。


“白に染まる世界に佇むその姿は儚く印象的であり、幻想的という言葉が✔✔✔✔✔──────


 ──────王女という衣を纏ったその人には、雪原を飛び回る姿こそが似合うのかもしれない、幽玄と国を憂う白姫という幻想を脱ぎ捨て、ただ自由に軽やかに…”



「ねえラズバン、アレ、何だと思う?」

「とても素晴らしいと思います」


スパンと良い音を立てて振り抜かれた平手は見た目以上に力強く、腑抜けていたラズバンなど軽々と薙ぎ倒された。


「あごめん、そんなに力を入れたつもりは無かったんだけど」

「あっ…ぶ、ふぉあ?すみませんすみません聞いてませんでした、何でしょうか!?」

「いいからまずは起き上がってその雪を払いなさい、で、あの光、動いてるわよね?」


ジタバタともがきながら起き上がり体中に纏わりついた雪を払って指差された方を見ると、確かに夜闇に揺れる光があった。

まだ遠いがゆっくりと移動するその光は間違い無く人工的なものであり、しかも野営地へと近づいて来ている。

急いで対応をしないと!と思うがまず何をすればいいのか判断しかねている内に歩哨の兵から要警戒の声が挙がり、それに応じて仮眠や休憩を取っていた他の騎士や兵達も声を掛け合い動き出し、にわかに野営地は騒然とし始めた。


「私の配下は優秀ね」

「いやはやその様で、とりあえず私達も合流しましょうか」

「そうね、とりあえず貴方は頭の雪も払った方がいいわ」


いやはや言いながら一生懸命上を向いて帽子についた雪を払おうとするラズバンに、レダリアは呆れる。

被ったまま上を向いても帽子についた雪は見えないわよと思いながらも楽しいので指摘はしなかった。

ついでに怪訝そうな表情でやって来たラッシルトに肩をすくめて見せる。


「なあこいつは何やってんだ?何かの儀式か?」

「さあ?でもそれで周りが明るくなるなら儀式は成功じゃない?」

「なるほど間違いない」


ぬわっはっはっはっはと個性的な笑い声を上げるラッシルトは落ち着いていて慌てた様子は微塵も無いが、その背後では若い鹿の戦士達が右往左往しているのが見えた。

焚き火の炎に照らし出され天幕に踊る黒い影は、その人とは異なるシルエットも相まってまるで人形芝居でも見ているかの様だ。


「それで、そっちは何やってんだ?」

「そっちと言うと、私達の事よね。あそこに明かりが見えるかしら、あれが何なのか分からないから兵達が警戒しています、ラッシルト殿に心当たりは?」

「あーん?あー…はあはあなるほど、あれは鹿の民だが…おお、シルガット様じゃないか」


夜の雪原にポツリと浮かぶ光を見ても大して驚いた様子の無いラッシルトを訝しみながら改めて光を見てみるが、やはりどう見ても光の点程度にしか見えず鹿の民だと言われてもピンと来ない。

横ではラズバンも同様に目を凝らして一生懸命夜闇を見つめているが、何も分からない様でしきりに首を傾げていて、その度に頭にまだ残っていた雪がパラパラと舞い落ちているが喜劇か何かだろうか。

苦笑なのか溜め息なのか分からぬ白い息を吐き、目視を諦めたレダリアが追加の情報を得ようとラッシルトへ向き直ると、ちょうど真逆の様子の配下達が走り寄って来るのが見えた。


「レダリア様!村の方から誰かやって来ている様です、光源が一つ、他には見当たりませんが夜闇に紛れている可能性もあります」

「ラッシルト様~人の民が突然大声を出して怖いです、一体どうしちゃったんでしょう、どうしましょう!?」


“練度”それが語り部二人の頭に浮かんだ共通の言葉であった。

一方は胸をなでおろす溜め息を、片や頭を抱え深い溜め息を。


「ラッシルト殿、取り急ぎ問題は無いと思っていいのですね?」

「ああ、ちょっとした来客だ、落ち着いて待ってりゃいい」


村からの客人を迎える準備をと言われた兵士は伝言を叫びながら商人を起こしに向かった、恐らくデキる商人の事だ、既に起きて耳を傾けているだろうが。


「村からシルガット様が来るぞ、あー人間はその歓迎の準備で忙しいんだろうよ、だから気にしなくていいと伝えろ」

「うへぇシルガット様が!?それはマズイ…それにしても人の民って変わってるんですね、こんな歓迎の仕方をするなんて」

「そうだな変わった奴らだな、ぬわっはっはっはっは…いいから伝えて来い!」


足をもつれさせながら慌てて走り去る鹿の戦士をレダリアは生温かく見送る。

人間は決して変わってなどいないぞと思うが事の根源は話を捻じ曲げそれを否定せず肯定した横の男にある。


「適当な事を…警戒心が強く仕事の出来る者を変わり者呼ばわりするのはどうかと思うのですが、警戒と歓迎では何もかも違うじゃないですか」

「ん?俺は人の民は変わってると言うからそうだなと返しただけだぞ、ぬはは」

「貴方が変な納得のさせ方をしたからでしょう!全く人間のどこが変わってると言うのですか、種族の違いによる価値観の違いをそうやって言うのは良くありませんよ」

「いや、だって変わってるじゃないか人間は」


突然視線を向けられた男はワタワタと複雑怪奇な否定の儀式をして、いやはや言いながら傾げた頭からは最後の雪がパラりと落ちた。

レダリアはそれ以上何も言わなかった。



商人によって再び用意されたベリーティーの小鍋が良い香りを漂わせる中、人間にも目視可能な距離までやって来た雪原の光は、なるほどカンテラを掲げた者を先頭にゆっくりと歩く三人の鹿の民だった。

特徴的なのは後ろの二人が持つ長い槍で、いずれも何やら飾り付けがされている。


「どの方がシルガット様ですか」

「先頭でカンテラ持ってる小柄なのですよ」

「フードを被っていますね、どうしてあの距離からシルガット様だと分かったのでしょう」

「あの後ろのが持ってる槍、あの長さは武器じゃなくて語り部の印みたいなもんでな、ほら、あんたらが持ってる旗と同じだ」

「なるほど、あの飾りの種類によって識別出来る紋章旗なのですね」

「んでまあシルガット様は若い雌でな、あの通り小柄で角も無い、後ろのデカいのは槍持ちの護衛だな」


周囲が深さの分からぬ雪原の為そもそもどのくらいの背丈なのか測りかねていたが、なるほど掲げ持たれたカンテラの位置は後ろの戦士の胸辺りでしかない。

そしてフードから角を出していない、もしくは大きく膨らんでいない事も考えれば、先頭を行く者は小柄で角の無い雌の鹿の民と言う訳だ。

そんな渦中の一行は野営地の近くまで来ると、歩みを緩めるどころか勢いよく雪を蹴り上げ迫って来た。


「あー先に行っときますが、驚かないで下さい、そういうお方なんで」


珍しく微妙な顔をするラッシルトに、レダリアもラズバンも何か嫌な予感がした。

果たして高圧的な物言いなのか人間嫌いなのか、それとも嫌味な性格なのか対応に困る性格なのか、はたまた…。


「…おいラッシルト!!」

「はっ!」

「この匂いは何だ!!」

「これは人間の飲み物で…」

「飲ませよ!!」

「ははっ!」


槍持ちの戦士を置き去りにして勢いよく野営地に駆け込んで来た小柄な人物は、開口一番ラッシルトを使いっ走りにした。

大柄で立派な角を持つ鹿の語り部がスッと片膝を落とし、落ち着く間も挨拶をする間も無く再び腰を上げ兎の如き華麗なターンで小鍋の揺れる焚き火へと走って行く。

その流れる様な出来事に人間達は呆気にとられ、挨拶をするタイミングを逸してしまった。

やっと追い付いて来た護衛が飾り槍を地面に突き立てシルガットに何やら囁くと、彼女はフード付きの外套を脱いで護衛に渡しそこで初めて顔があらわになった。

当たり前の様に近くにいたラッシルトの若い戦士にも命令を出し丸太椅子や灯り用の松明を持って来させているが、その素顔は見るからに若く幼いとさえ言えそうだ。

毛並は若い故か生活の質によるものか分からないがとても綺麗でふわふわと暖かそうで、興味深そうに周囲を見渡す瞳は黒曜石の如く美しく焚き火を反射している。


「本当に随分とお若い方の様ですね」

「そうみたいね、それにカリスマ性もありそうだけどどちらのタイプかしら」

「どちら、とは?」

「強力な立場や権力を後ろ盾とするものか、それとも彼女個人の人柄や言動によるものか」


そんな話をコソコソとしていると、件の彼女と目が合ってしまった、バッチリと。

間違い無くレダリアとラズバンを睨んでおり、スッと伸びた耳もピクピクと探る様にこちらを向いている。

若い戦士が運んで来た丸太椅子に腰かける事無く、ズカズカと遠慮も警戒も無く近寄って来る様子は勇敢とも無謀とも無知故とも取れる。

そんな彼女はレダリア達の前まで来ると、両手を腰に当てフフンと偉そうにこう言った、いや実際偉いのは確かなのだろうが。


「おい人間、ラッシルトの村の奴らに捕まるなんて随分と間抜けなんだな」

「あの、シルガット様?別に私達は捕まった訳では」

「ならば降伏したのか?数を恐れて勇敢さを捨てた臆病者か、それとも無益な戦いを回避したと評価するべきか」

「いえあのそうでは無くって…」

「どちらでもいい、だが相手を見極められないのは愚かだぞ!ラッシルトの民を見よ、あんな若者ばかりそれもへなちょこばかりわざわざ集めた村の戦士を恐れるなど腑抜けにも程がある!」

「お待ちくださいご挨拶をさせてください私は…」

「いーや待たないね!ラッシルトの物は私の物だ、もっと説教してやりたいけどとりあえずその首飾りは綺麗だな貰ってお」


怒涛の勢いでしゃべりながらレダリアに肉薄したシルガットの手は、しかし狙った獲物、琥珀をあしらった首飾りに届く事無く雪を掴んだ。

スコーンと良い音を立てて後頭部を直撃した杯は、そのままくるくると宙を舞ってラズバンをも襲い、大袈裟に驚いて腕を振り回した詩人の体勢を崩させ再び雪原に沈める。

体感の無さと驚きでジタバタと雪の中をもがくラズバンと、何が起こったか分からず小さな体でモゾモゾと雪から抜け出そうとするシルガット、二人に挟まれたレダリアは悩むことなく小さな少女に手を伸ばした。


「あ、あのシルガット様大丈夫ですか」

「♯♯%!♭♭♯$#%!!っぶは!」

「シルガット様お怪我は!おい人間の雌、触るな離れてろ!」


腕を取り上体を引き起こしたところで護衛の男に雑に引き剥がされた、もう一人の護衛は後ろでラッシルトと口論になっている。

ペペペッと口から雪を吐き出すと、泣きそうな、もしくは悔しそうな、はたまた恥ずかしそうな、顔の毛を逆立ててなんとも言えない形相で歯ぎしりするシルガットはやはりまだ幼く見えた。


「何が降って来た?何がどうなった!?」

「はっ、ラッシルト殿が投げた杯が見事にシルガット様の後頭部を直撃しそれはそれは綺麗な姿勢で顔面から雪…」

「わわ分かった!もういい!おいラッシルト!これは何の真似だ!」

「っああ、おいほらシルガット様と直接話すってば、離せ!おい馬鹿娘、聞きたいのはこっちだ!」

「馬鹿娘とは何だ馬鹿娘とは!」

「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い!」


双方肩を怒らせズンズンと距離を詰め額をぶつけそうな勢いで火花を散らせるが、身長差がありすぎる為ほとんど垂直の睨み合いである。

護衛の二人は板挟みでオロオロと、レダリアとラズバン(やっと起き上がった)も仲裁すべきかオロオロと、相変わらずラッシルトの若い戦士達もオロオロとしていて、胆の据わった商人と古参の騎士兵士だけが寒さに手をさすりながら白い溜め息を吐いた。


「部族の戦利品を得るのは族長の直系である私の権利だ、何故邪魔をする!」

「何が権利だ今回は何もしてねぇくせに!そもそもあの嬢ちゃんは戦利品じゃねえ!」

「うるさい決まりは決まりだ!それとも何か?独り占めでもするつもりか?あの雌の…雌…はは~んさてはお前あの人の民の雌を自分の物にでもす…」


スパーンと空気を裂く音がして、護衛の戦士が咄嗟に支えなければシルガットは再び雪に埋もれていただろう。

そして誰の目にも、ラッシルトが振り抜いた手に躊躇や手加減などは無く、彼が本気で怒っているのは明らかだった。


「だから馬鹿娘だと言っているんだ、これ以上醜態を晒して鹿の民の顔に泥を塗るな、義母さんを悲しませてくれるな…」


駄々っ子を叱る様な、躾ける様な、諭す様な。

怒りの中に含まれる願いを感じ取って、猛然と言い返そうとしていたシルガットは不服そうに、それでも何も言わずに俯いた。

皆が気まずそうに言葉を失う中、風下に居たラズバンに少し唸り始めた夜風が言葉を運ぶ、その散り行く囁きの断片はごめんなさい大叔父様と聞こえた気がした。



それはアズベリアのラズバンが美しき白と青を見た日、炎熱季でも凍えそうな夜の雪原を泳いだ日の出来事。

幼き鹿の女傑と出会った、争乱の嵐が吹き荒れる前の出来事。




◎続く◎


ラズバンは没落しつつはあるものの王国の名門貴族の人で、一応それなりに格は高いのです。

だから兵士や商人からすれば雲の上の人のはずなんですが、兵士からぞんざいに扱われたり、商人から良いカモにされています。

勿論言葉通りの意味では無く、それは愛あるイジリであり、商人の請求も売り込みが上手いだけで価格は妥当なものです。

そんな彼はラッシルトたち鹿の戦士にも気に入られた模様、遊んでくれる友達が増えて良かったねラズバン( *´艸`)


そして問題児も登場、シルガットさんの今後の活躍にも乞うご期待。

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