第3幕:「未来を拓き征く烈姫」
第三幕豆知識
【ラッシルト】…踏み抜く蹄のラッシルト。霊峰の民の中でも温厚な鹿の部族の語り部(指揮官/村長)。過去に人間との戦いで多くの仲間を失い若い世代の育成に力を入れている。
第3幕:「未来を拓き征く烈姫」
◇七王国暦274年 炎熱季38日
標の無い国境を越えた翌日、計画的に酒を盛られたなどとは毛ほども思わず、ただただ眠りこけていた昨日の自分に対する陰気な後悔と愚痴をこぼし続けるラズバンに誰もが辟易としていた。
再び酒を盛ってしまいたいところだがここは既に敵地であり、いつ何が起きるか分からない状況で男手を一人潰す訳にはいかない。
何よりここでラズバンを酔い潰してその間に何事かあった場合、その後の彼の面倒臭さは容易に想像出来るというものである。
それにこれでも一応は使節の副使であり、王からも旅の記録を楽しみにされている存在なのだ、例え剣で役に立つ事が無かろうとも、ペンは持たせなければならない。
「ラズバンうるさい」
「しかしですね、やはり昨日の出来事を記録出来なかったのは記録官として…」
「別に何も無かったわよ、国境って言っても壁や門がある訳じゃないし、今と同じ光景」
「ですが、やはり、ああ、国境を越えるその瞬間、そこに何も無くとも、湧き上がる決意や緊張を感じ言葉にしたかった…!」
「では別行動を許可します、馬も貸すので単騎で国境線へと戻りその感動を味わい文章にした後、急いで合流してください」
急に大人しくなり何なら一度も持ったことの無かった荷馬車の手綱を預かろうとする宮廷詩人見習い。
苦笑しながら注意点を添えて手綱と座席を譲った兵士は、してやったりの表情を浮かべる主と顔を見合わせ静かに笑った。
幸いにして本職とは言えない人物に手綱を握られた馬達が暴れ出す事も無く、天候も落ち着いたまま西進した一行はやがて背の低い針葉樹がまばらに生える地に至った。
ここまで来ればもう鹿の民の集落は近いはずで、いつ遠出をしていた者と遭遇してもおかしくはない。
アズベリア西部と国境を接する鹿の民は西の民の中でも最大派閥であり、比較的気性の大人しい彼等がそこに居るからこそこれまで両者が全面衝突に至らず済んでいたと言っても過言では無い。
何故なら好戦的な性格で知られる虎の民がその南に居を構えるが、同じく好戦的で虎と馬の合う熊や狼の民の集落は、鹿の民や山羊の民の地を間に挟んだ反対側に位置し、良くも悪くも好戦的な西の民の連携を阻害する形になっているのだ。
「いやはや、流石に緊張してきました」
「貴方が?冗談でしょう?」
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか、私を何だと思ってるんですか」
「いつもいやはや言ってる人」
「いやは…や」
ドッと笑う騎士や兵士達をジト目で睨んでみるものの、バツが悪そうになどしないどころか誰一人として笑うのを止めようとしない辺りラズバンの扱いが分かろうと言うもの、そう彼は愛されキャラなのだ、たぶん。
悔しそうにしながらも結局一緒になって笑ってしまう彼の事を誰が嫌おうか、そしてこれこそレダリアがラズバンを副使として同行させた理由でもあった。
緊張していたのは何もラズバンだけでは無い、永らく不戦状態が続いていたとは言え和平を締結する事も無かった因縁の相手の地、その懐へ何の保障も無く飛び込む外交使節が緊張しないはずなど無いではないか。
相手を刺激しない様に、それでも何かあった場合には対応出来る様にと少数精鋭で同行している騎士や兵士は揃って経験豊かであり、付いて来た商人も危険を承知の上で賭けにでた図太さと胆力の持ち主で、それぞれが狡猾にその緊張を押し隠す術を身に付けている。
そんな中、王都生まれ王都育ち何をやっても見習いどまりの見習い宮廷詩人ラズバンの裏表の無い発言や行動は、隠された緊張と強張った頬の皮をほぐすのだ。
願わくばそれがついに姿を現した“彼等”にも通じて欲しいと思いながら、先頭のレダリアはそっと片手を上げて隊列を停止させた。
「そのまま動くな、人間!」
「敵意は無い!アズベリア王の言葉を預かって来た、鹿の民の族長と話がしたい!」
遠目からも前方に鹿の民が武装して集まっているのは見えていたし、周囲の木陰にも動きがあるのは把握していた。
しかしレダリアは敢えて速度を変える事無く前進を続け彼等の懐に飛び込んだ、それは必要以上の警戒をさせない為でもあったし、鹿の民ならばいきなり襲ってくる事もあるまいという打算もあったのだろう。
こういう場面において王宮育ちの姫とは違い自ら軍を率い先頭に立って行動してきたこの王女は強かった、威風堂々としたその姿と大声は相手の意識を釘付けにし主導権を握らせない。
実際、外交使節一行が停止するとそれを取り囲むように木々の間から鹿の民達が現れ槍の穂先を向けてきていたが、レダリアのあまりに堂々とした物言いになるほどそうなのかと納得して構えを解いてしまっていた。
本来ならば統率している者の命令があるまで警戒を解いてはいけない場面であり、これが自分の配下の兵であったなら頭を抱える光景だが今は都合が良い。
逆に前方の集団から溜め息と共に進み出たのは、頭を抱えたそうな表情をした立派な角を持つ鹿の民の男で、レダリアは指揮官としてちょっとだけその男に同情する。
「まあその人数で戦いに来たって事は無いんだろうが、お前たちは人の部族では無く人間の国から来たという事でいいんだな」
「そうだ、東にある人間の王国、アズベリアから西の民と話しをする為にやって来た」
「話をする事にどんな意味がある、その言葉の重さにどんな保証がある、このままお前たちを捕らえる事は簡単だぞ」
「ふふ、そうか?私の配下は精鋭揃いだ、対して貴公の仲間は少々戦い慣れていない様に見受けられるが…」
「レレレレダリア様!?こんなに囲まれてるのに相手を挑発してどうするんですか!!」
「ラズバンうるさい!邪魔しないで!」
「…そちらにも未熟な者は居る様だが、まあいいだろう。確かに勇敢な鹿の戦士は数少ない、今の世代に実戦経験のある者は極僅かだ」
そう言って立派な角の男が何事か指示すると、すぐに幾人かが木々の間へと走って行った。
コーンコーンと木に斧を入れる小気味よい音がすれば、流石のラズバンにもある程度は察せられる。
待っている間も両者の睨み合いは続いていたが、既にそこに一触即発の空気は無く、流れる風に髪をなびかせるレダリアと前脚を組む立派な角の男はどちらも不敵な良い笑顔である。
やがて帰って来た鹿の民達によって両者の間には即席の会談場が設けられた、丸太の樹皮の一部を斧でざっくりと削っただけの腰かけに、震えは止まる程度の焚き火。
先に立派な角の男がどっかりと腰を下ろし、手で、いや果たして手と呼ぶべきか蹄と呼ぶべきか、とにかく前脚を伸ばしてレダリア達にも席に着く様に促す。
「いやはやありがたい、揺れない椅子は何時間ぶりでしょうか、多少硬くても文句は言いませんとも、それに焚き火を起こしていただけるのも素晴らしいご配慮ですね」
「ああ、まあな。お前たち人間は毛が少なく寒さに弱いのだろう?」
「そうですね、この様に服や外套を重ねないと凍えてしまいます、いやはやいやはや」
「ふん、軟弱な、それでよくこの地で生きていられるものだ。それで、お前が語り部か?」
「語り部?ああ、ええ、そうですともよくお分かりで!私は宮廷詩人のラ…」
「待て、待て待て待て!違う!語り部は私だ鹿の語り部よ」
そもそも、席に座る様にと促されたからといって、ましてや尻と腰を休めたいなどという理由で、王女で正使のレダリアを差し置いてさっさと座るラズバンに問題があるのだ。
当たり前の様に我先にと自分の前に腰を下ろした戦士らしからぬ男を見て、立派な角の男がソイツを会談相手として認識したのも、同時にそのすぐ後ろにいる威勢の良い女を護衛役か何かだと思い込んだのも当然と言えば当然か。
慌てて話しに割って入りラズバンを横に蹴り除けて、改めて男の前に座ったレダリアには既に疲労の色が見えた。
「すまない、この男の事は気にしなくていい、ただの記録係だ」
「…うむ、そうか。組しやすそうだと思ったんだが残念だ」
「期待に応えられず申し訳ないが、そんな期待に応える訳にもいかないじゃない…」
「互いに苦労が多い様だな、アズベリアの語り部よ。私は霊峰に眠る亀の眷属、鹿の民の【ラッシルト】、この一帯の語り部だ」
「私はアズベリアの王女レダリアだ、族長の娘だが同時に戦士達を率いる語り部の1人でもある」
「ほう…それは立派な事だ」
いずれも相手の空気に呑まれまいと、優位な立場を勝ち取ろうと視線に火花を散らし、さてどう切り出したものかと思案する。
既に両者の空気に呑まれたラズバンは焚き火の横で震えながら、しかしそれでもペンを動かす手だけは止めない。
だがここまでの一連の流れと会話を文章化したところでどうしても聞かねばならない事があった、とても重要な、何故自分は語り部を名乗ってはいけないのかという点である…!
「あのーレダリア様?会談を始める前に記録を取る上での確認がありまして…」
「…何?邪魔だけはしないでよ?余計な事を言うのも禁止ね」
「とても重要な確認です、恐らくこの中で一番語り部という言葉がしっくり来るのは私じゃないかと思うのですが、どうして私は語り…」
「すまぬラッシルト殿、少し時間を頂きたい」
「構わぬ、そう言えば人の部族として迎えられた者達も同じ様な混乱をしておったぞ、意味が異なるのだろう?」
「その通りです。よく聞け不勉強なラズバン・グレイア、“見習い”の宮廷詩人」
「うっぐ…はひ」
「西の民における語り部とは、即ち皆の意見や言葉を集約代弁する存在、人数の多い彼等の中でその中心的な人物や戦士の統率者、村の長など発言の権利を持つ者ががそう呼ばれている」
「…ああ、なるほど、民衆の言葉の代弁者で権力者なのか。それは確かに伝承や物語の語り部とは全く違いますね」
ラズバンが素早く納得してくれた事に心の底から安堵して、さあ仕切り直しよと意気込むレダリアに追い風が吹いた。
肩に乗る長い髪を視界の中へと躍らせたその風は、ほのかに甘い香りも運んで来たのだ。
それは人間よりも鼻の利くラッシルトの鼻もくすぐり、後ろに控える鹿の民達がこれは何だと一斉に風の中に鼻先を伸ばしヒクヒクとその匂いの正体を探る、その姿が少しだけ面白くてレダリアは笑ってしまった。
「はぁぁ、どうにもうちの者達は緊張感に欠ける、これが本来の鹿の民の姿なのだろうが、こんなにも戦士に向かぬ部族が他にあろうか…」
「おかげで私達人間は助かってますね、最大派閥の鹿の民がこれほど穏やかでなかったら、過去の戦いはより激しくより悲しいものとなっていたでしょう」
「より悲しい、か。どうやら貴女とはまともな話が出来そうだ」
再び不敵な笑みをぶつけ合う二人には既に敵対心は無く、あるのは若干の警戒心と大きな興味である。
それは横でペンを走らせるラズバンも同じで、こちらもとても良い笑顔で記録に没頭していた。
そんな3人へ荷馬車から降りて来た商人が木製の杯を差し出す、その手には小さな鍋が握られており、先程から漂っている甘い香りはそれが原因であろう。
多少は緊張感の残っていた鹿の戦士が近づく商人を止めようとしたが、その商人の戦士らしからぬ風体と何より匂いが気になったラッシルトが問題無いと戦士を制する。
商人が持って来たのは煮だしたベリーティーであった。
「お待たせしました、王国南部で最近流行の干し果実入り紅茶でございます、温まりますよ」
「気が利くわね、ありがとう。これはサービス?それとも対価が必要かしら」
「いえいえこれは先ほどラズバン様から皆さんにお出しする様にとご注文を頂いたものでして、既にお代も頂戴しております」
そう言ってそれぞれの杯に温もりと幸せをもたらす紅茶を注いでゆく、そこから流れる湯気だけでも味わえないかとまたいくつもの鼻先がヒクついていた。
これは良い交易相手になり得るぞと直感で確信した商人は、杯を両手で包み込んで顔を緩ませるラズバンの肩を叩いて下がって行った。
「気が利くじゃないラズバン」
「いやはや立ち止まると寒さがより強く感じられたもので、何か温かい物をと多めに銀貨を渡して頼んだんですが、どうやら律儀に銀貨分だけ用意してくれたみたいですねありがたい事です」
「それは言わずに格好付けておけばいいのに、まあそこが貴方の良い所でもあるんだけど」
「いやはや…」
「それで、もう飲んでいいか?」
「ごめんなさいどうぞ、私達も温かいうちにいただきましょう」
「えっとこういう場合、毒見も兼ねてコチラが先に飲んで見せるべきなのでは…」
「いらんいらん、同じ鍋から注いだのは見たし俺たちは多少の毒など消化出来る」
消化出来るからといってそれはどうなんだ、と思うラズバンを尻目に豪快に杯をあおったラッシルトはしばし目を閉じた後、鼻からゆっくりと長く湯気をくゆらせその味と香りを楽しんだ。
その後も手の中の杯をしげしげと眺めたり興味深そうに荷馬車の方を見たり何やら考え込んでいたりして、とにかく興味を持って貰えた様だと安堵するレダリア。
横でちびちびと啜っては熱そうにするラズバンに心の中でお手柄よと微笑んだ。
「変わった味だけど甘くて美味しいわね、北部ではベリーなんて見ないけど南部だとこういったベリーが採れるのかしら」
「いえ、アズベリアの地では残念ながら自生していないと思われます、私が以前に貿易で失敗した際に取り扱った事があるのですが、こういった干し果実入り紅茶は西大陸のケルストウ王国で盛んに生産されていまして、その原料となる様々なベリーや果物などはそのお隣のメイヤーナ王国の野山が名産地なのだそうです」
「なるほど、確かにこの男では失敗しそうだな」
「ええ、ラズバンに貿易は無理でしょうね」
「そこは重要じゃありません!」
カラカラと遠慮無く笑うラッシルトの顔には、面白い奴を見つけたぞと書かれていた。
「おいさっきの商人!この飲み物はもっと作れるか?」
「勿論です!少しお時間を頂ければ大鍋で作りますが?」
「ここに居る57人分、幾らだ」
「銀貨80枚で如何でしょう?」
「族長のいる村まで護衛してやる!」
「銀貨70枚」
「道中の関係は良好でありたいものだな?」
「65枚!」
「俺は他の部族にも顔が利くぞ?」
「…60枚!」
「お前が優先的な交易の権利を得られるよう進言してやってもいい」
「…!!゛゛~50枚!!これ以上はっ!」
「おい俺からの奢りだ、ありがたく飲め!迷惑かけるんじゃないぞ!」
ワッと沸き立つ鹿の民の様子はまるで王都で祝い事があった時の城下街の様で、人も西の民も変わらないなと思わせてくれた。
アズベリアには今でも西の民の事を誤解している者が多い、歴史上何度もぶつかりその記録や絵画は残っているが誇張が多く、近年の交流の少なさも相まって実際に西の民と会って話をした者が極端に少ないからだ。
そして両者が稀に出会う事があるとすればそれは盾の壁越しに見る怒れる形相の人や虎や狼、不毛な戦いを避けようとは考えれても、仲良くしようなどとは思えないだろう。
それがここ100年程の両者の歩みであり、考え方の根底にあるものであった。
レダリアはそれを壊したい、壊して手を取り合えれば国はもっと豊かになれるはずだと思い、願っている。
ラズバンはその想いとこの出会いの様子を、ただ克明に書き記した。
“未来を拓き征く烈姫、勇ましき大角の雄と相対す、その勢その勇その言互いに譲らず、紅茶が美味しかった”
「そう言う訳で記録係、商売やら交渉ってのはああやるんだ」
「勉強になります…」
「ちゃんと書いとけよ」
「はい…」
ぬわっはっはっはと大声で笑われバシバシと肩を叩かれたラズバンは、困り顔でいやはや言うものの、少しだけ嬉しそうだった。
「さてアズベリアの語り部よ、お前たちは我等の族長との会談を希望しているが、それは当然血生臭いものでは無いと思っていいな?」
「勿論です、見ての通りの19人のみ、後続はおりません。話し合いたい内容は今後の和平と…虎の民の動向についてです」
「シュミュラ達か…まあ、であろうな」
シュミュラ?と分かりやすく首を傾げるラズバン、レダリアもその名に心当たりは無かったが顔には出さず先を促す。
ラッシルトはラッシルトで目の前の二人の関係性や理解力は把握していて、心の中でそうかシュミュラでは通じぬかと思い至るが表情には出さない。
話し手の配慮が足りないと指摘する事も聞き手の知識が足りないと唾棄する事も出来たが、両者共に相手の能力を高く見積もっており、何よりどちらも望んでいるのは戦いでは無いのだ。
結果、間でバカ正直に疑問や感情を表に出すラズバンの存在は何とも都合が良かった。
「ふむ、記録係が困ってるか?シュミュラとは現在の虎の部族の族長の名だ、数年前に代替わりしたばかりの比較的若い族長でな、“血染めの爪のシュミュラ”などと呼ばれいい気になっている」
「へえそんな二つ名が、ちゃんと書いておきなさいラズバン」
慌ててペンを走らせいやはや興味深いと呟くラズバンによしよしと頷き、涼しい顔をして話しを進める二人は長年轡を並べていたかの様な連携で何ともしたたかだ。
同時にラッシルトは、「人間の国はやはり侮れず寒さに弱い軟弱な者達と見下すのは危険だ」と再認識し、レダリアもまた、「西の民は数が多いだけの文化や技術で劣る者達だ」などと言うのは過ちであると実感した。
もし両者間の過去の歴史を顧みず、今だけを語るならば最初の交流がこの二人であった事は双方にとって幸運であったと言えよう。
共に戦士でありながら、剣を交えるより言葉を交わす事を好むこの二人であった事が。
「シュミュラが虎の部族を率いてそちらの村を襲った事は承知している、その件について我等は関与していないが無関心な訳でも無い」
「その答えがこの出会い、ですか。あと村だけでは無く城も攻め落とされています」
「鋭いな、別に霊峰の民は共同体という訳では無い、無いが同じ存在を崇拝し同じ地に共存している、お前たち人間にまとめて西の民と呼ばれている事も知っている、だから虎の決断に応じたお前たちがこちらに来る可能性も考えて巡回していた所だ。…城と言うのは大きな村の事だろう?」
「…ぞろぞろと兵を連れて来ていたら即時開戦も有り得たかもしれませんね、良かった。あと城は城です、砦や城の区別は無いのかしら」
戦闘にならず良かったとそっと胸をなでおろすレダリアの存在は、ラッシルトにとって予想された望まぬ来客では無く、望んでもみなかった予想外の客人であった。
ラッシルトは鹿の民の中でも大柄で長年に渡り散発する小競り合いの生き残りという事もあり、戦士を率いる語り部として部族の中でも強い存在感があったが、本人に言わせればただの苦労人で望んでもいない語り部を押し付けられているだけ。
ならばせめてとその立場を利用して、さっさと引退して気楽な生活が送れる様にと戦士達を鍛え後任を探しているが、現在の所彼の目論見はうまくいっていない様である。
同時に戦いは他の部族に任せて自分達は村でのんびり過ごせばいいではないかとも考えているが、無駄に真面目で頭も切れてしまうが為に、結局今回も巡回の必要性を感じて自ら貧乏くじを引いてしまうのだ。
続く彼の気苦労は、果たしてこの出会いで変わるだろうか…。
「城とか砦ってのは村とは違うのか、規模が大きくなると呼び方が変わるのか?」
「村にも大きい小さいはありますし、砦や城も大小様々ですが…えーとそうね、うーん…ラズバン?」
「はいはい、村は基本的に民の住む家の集まりです、そこで作物を育てたり物を加工したりして生活しています。砦は兵が…戦士達が戦う為に籠る壁に囲まれた場所でずっとそこで生活している訳ではありません。そして城は…そうですね、村と砦が一緒になった形が一般的です」
「ほほう、それだと俺たちの村は全部城だな、案内する族長の城はデカいぞ」
少年の様に目を輝かせるラズバンにラッシルトもまんざらでもない様で、気をよくして次々と質問に答えているが、果たして大丈夫なのかしらとレダリアはラッシルトの方を心配してしまう。
だが聞いた話を殴り書きしている記録係にも、それが敵情に関する貴重な記録だという自覚は無いのだろう、ただただ初めて聞いた興味深い内容を興奮のままにインクで紙にぶつけているだけだ。
そして振り返ってみれば、甘い香りを漂わせる大鍋を囲み次は俺だいや俺が先だと商人に器を差し出す若い鹿の戦士達。
そこには何とも平和な、そう、誰が人間で誰が鹿の民かなどどうでも良くなる様な、甘く優しい時間が流れていた。
「よーしお前たち、クラガット村までお客人を送って行くぞ、しっかり護衛しろよ!」
「はーい!!」
元気の良い返事は上がったが、すっかり餌付けされた鹿の民は護衛と言いながら、器に残した冷めてしまった紅茶をちびちびと舐める者、騎士や兵士に友達の様に話しかける者、いったいどんな荷が積んであるのかと商人に尋ねる者など、遭遇当初の緊張感はまるで無い。
だがそこに一体感を感じたレダリアは早くもこの外交の成功を確信していた。
少なくとも鹿の民とは分かり合える、不戦協定どころか和議さえも結べるかもしれない、そう思わせるだけの空気がここにあるのだ。
そしてその空気は間違い無く御者台で楽し気にする二人から流れている、乗騎の上で後ろを振り返ったレダリアは苦笑するしかなかった。
手綱を持つ力加減に悪戦苦闘する立派な角を持つ男と、自分もつい先日覚えたばかりの手綱捌きを偉そうに講釈する見習い宮廷詩人。
「いや、だからそれじゃ、はあ全く…」「うるさい、出来てるだろ、ほら見ろよ!」、延々と不毛で馬鹿馬鹿しいやり取りをする二人だが馬が合うとはこの事か、よく飽きないものだと感心してしまう。
そんな二人の乗る荷馬車に歩みを合わせるべく慣れた手綱捌きで馬の行き足を落として、レダリアは問題児達に話しかけた。
「それでラッシルト殿、そのクラガット村というのは遠いのか」
「そうだなあ、こののったりとした速さだと5日ってところだな、道中俺の村や他の語り部の村には寄らないんだろう?」
「出来る限り急いで族長殿にお会いしたいと思っています、今この時にも虎の民との戦いが始まってしまっているかもしれないから」
「シュミュラなら勝てると思えばどんどん突っ込んで行きそうだしな」
「一応、既に防衛の為の軍は動いているはずだからそう簡単には通さないと思うけど」
「奴は頭が悪い訳じゃない、血気盛んだが無謀な戦いはしないだろう、睨み合いで済んでりゃいいな」
「そもそもこんな事になってなければもっと良かったのですが?」
「それは直接奴に言ってくれ、鹿の民は関係無い」
失われた魂と家を追われた民の事を想い、少しだけムッとして嫌味を言ってみたレダリアだったが、そう返されてしまってはそれ以上の言葉は出ない。
飄々としているラッシルトの態度を見れば、なるほど確かに西の民達は互いに親密な関係と言う訳でも無さそうだ。
「ええと、もし、もしもですよ?虎の民から共にアズベリアと戦おうと持ち掛けられたら、鹿の民はどうするんでしょうか?」
「その理由次第だな、族長の許に語り部連中が集まってあーだこーだ言って、まあ最終的には族長の判断に従うさ」
「何でそんなに面倒臭そうなんですか…」
「面倒だろう、戦いなんてやりたい奴らに任せとけばいいんだよ、そもそも霊峰の民が戦って来たのは東からやって来た人間に奪われた土地を取り戻す為であって、鹿の部族の土地は昔からあまり変わってないんだよな」
「へえ、その話はとても興味深いわね、我々アズベリアの人間がその昔に長旅の末この地に辿り着いて王国を築いたのは間違い無い、その際に元々そこに住んでいた西の民との間で戦いがあった事も事実でしょう」
「じゃあ今からでも土地を返して出て行ってくれるのか?」
「出来る訳が無いでしょう…まあその表情では本気で言ったのでは無いのでしょうけど、困らせないで」
くくく、と含みのある笑い声を聞いてやっと冗談だと分かった察しの悪いラズバンは、再び舌戦を始めそうな二人に挟まれ首を痛めそうだと嘆く。
だがこの話題に興味が無い訳では無い、無い訳が無い、残されている王国の記録には生きる為に西の民と戦いアズベリアの地を勝ち取ったとのみあり、具体的にどのような戦いだったのか、この地にどの様な部族が住んでいたのかまでは記されていないのだ。
「それでその、今アズベリア王国がある地には元々どの部族が住んでいたのでしょうか?」
「大きく土地を失ったのは狼の部族と山猫の部族だな、特に狼の部族はそこで多くの民を失い失権した事を今でも根に持ってるぞ」
「虎の部族では無いのですね、てっきり彼等が古の土地を取り戻そうと躍起になっているものとばかり」
「奴らは元来好戦的で自分達の領土を広げその力を誇示したいだけだろう、それはともかくその頃に霊峰の民の間で人間と戦う為に盟約が結ばれたのさ、それは今でも生きてる」
「その盟約によって西の民は団結し、いずれかの部族から要請があれば共に戦う、とそういう事か」
「そういう事だ、勿論それは人間相手の場合に限るけどな。…だからもし、今の狼の族長が大々的に人間への復讐でも宣言すれば全ての霊峰の民はその戦いに加わる事になるだろう、お前達が真に話すべき相手は狼の部族かもしれんな」
自分達が生まれ育った王都、既に長い歴史があり当たり前の様に人間が暮らす場所。
だが300年以上前の昔にはその地に住んでいたのは狼の民達だった、それを追い出し国を築いた事実は例え長い時間が流れていても消える事は無い。
それは理解していた、記録としての知識はあった、だがこうして実際に西の民と話してみる事でこんなにも印象は変わるものかと驚く。
どこか遠い日の話の様な、自分達とは直接関わりの無い話の様な感覚だったものが、急に身近に感じられ自然と鼓動が速くなる。
「なんだか急に胸が苦しくなって来ました…」
「あら奇遇ねラズバン、私もよ。でも、聞かなければ良かったとは思わない、聞けて良かったと思います」
「とりあえずあんたとは戦いたくないな、間違いなくあんたは面倒な敵になる、やるなら俺が引退してからにして欲しいもんだ」
「戦わなくて済む様に話をしに来たんです、何とかしないと、何とかしますよラズバン!」
「え、はい、え、ええ?」
突然の決意表明に巻き込まれた見習い宮廷詩人は困惑した表情で挙動不審、しどろもどろになりながらも、その手だけはしっかりと仕事をしていた。
それはアズベリアのラズバンが西の民との邂逅を果たした日、炎熱季でも溶け切らぬ雪原で予期せぬ茶会が開かれた日の出来事。
屈強な御者の後輩が出来た、争乱の嵐が吹き荒れる前の出来事。
◎続く◎
ヨワヨワ鹿の部族登場!
…とか言いつつラッシルトさんはめっちゃ強キャラの予感がします。
いるよね、なんか面倒くさそうにしてて働かないけど、いざ動いたら超有能な人☆
まぁ、普段動かないのはそれはそれで問題なんですが…。
そんなこんなでレダリアとラズバンの珍道中はついに西の民(霊峰の民)との本格的な遭遇を果たしました。
一筋縄では行かないが敵対的でも無い相手との会談はラズバンが活躍したりしなかったりします。
そして語られるアズベリア王国と西の民との古い因縁…
まだまだ国境を越えたばかり、そして鹿の民は西の民の中でも最も友好的、旅の序の口でつまづく訳にはいかないレダリアの奮闘は続きます。