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第2幕:「北限に咲く一輪の花」

第二幕豆知識

【ペルナ】…ペルナ・セルビンシア。アズベリア西軍を率いる女伯爵。恵まれた体躯と鍛え上げられた肉体は女傑の呼び名に相応しい。


第2幕:「北限に咲く一輪の花」


◇七王国暦274年 炎熱季30日



王都を出発した外交使節一行は、水食糧や薪燃料などもしっかりと積み込んだ4両の荷馬車と共にゆっくりと雪原を進んでいた。

アズベリアはれっきとした王国ではあるが、国土のほとんどが強弱はあれど常に降る雪に覆われており、国内の各街や村、城や砦は雪上を進み辿り着くしかない。

銀風季ともなれば連日の猛吹雪により標や道筋は失われ往来は困難となり、王都と東西南北の各中心地ごとに孤立状態に陥る事もしばしばである。

そんな土地である為、ぎっしりと荷を積んだ荷馬車は走るのでは無く雪を踏みしめて一歩一歩歩みを進めており、たった4両と19人とは言えその移動に身軽さは感じられない。


「レダリア様、そろそろ休憩にしませんか…お尻が痛くなって来ました」

「ラズバンは椅子に腰かけているのですから大したことないでしょう、馬に乗っている者はもっと大変ですよ」

「いやはやしかし、これは何とも、あ゛あ゛っ…」


雪の下にあった石でも踏んだのか先頭の荷馬車がガタンと大きく揺れると、ラズバンは泣きそうな顔で歯を食いしばる。

考えて見れば、レダリアを含む騎士や兵士、そして街を行き来する事の有る商人達は皆馬や馬車での移動に慣れていたが、ラズバンだけはこうした移動に不慣れであった。

レダリアはそれを少しだけ不憫に思いながらも、ラズバンのお尻と外交とを天秤に掛ければそれは揺れる事無く片側に落ち着くだろう。

せめてラズバンの気を紛らわせようと一曲陽気な歌を披露してくれと頼めば、今度は聞く側がげんなりとする番であった。


「なあ商人さん、次の街まではどのくらいか分かるかね…その、そこで強めの酒を買いたいなと」

「同感ですよ兵隊さん、自分で飲んで酔ってもいいし、あの吟遊詩人見習い殿を酔い潰すのもいい。そうですなこの速度だと明後日の昼には西のアンビアに到着出来るかと」

「明後日…明後日か…」



王都から北西方面へと目印の乏しい雪原を進む一行、その最終目的地は西の民の中でも友好的な事で知られる鹿の民の集落であった。

事の発端は王都の南西方面にあるランデラ城と周辺の村々が突如として虎の民に襲撃され、住む場所を追われた人々が王都へと逃げ込んで来た事にある。

その襲撃はあまりに突然であり、ここ100年程の友好的とは言えずとも膠着状態にあった両者の関係を考えれば予期せぬ出来事であった。

その為ランデラを含む西部一帯を守る西軍は軍の召集が間に合わず、結果的に北西部にある西の中心地アンビアにやっと集結を完了し、そこから虎の民へと睨みを利かせている状態であると言う。

外交使節一行がまず始めに目指しているのはまさにその西軍が駐留する西都アンビアであった。


「はてさてアンビアではゆっくり出来るといいのですが、私は王都を出て他の街まで行くのは初めてでして、アンビアにも非常に興味があります」

「ゆっくりと言うのが時間的な話ならばそんなにゆっくりはしていられないでしょう、ですがアンビア領主のサルベリア侯爵はとても良い方ですから、一晩とは言えゆっくりと腰を落ち着けて休めるでしょう」

「かの有名なサルベリアの斧の血を引く侯爵ですね、いやあそれはお話するのが楽しみです」

「まあ、問題は西軍の将セルビンシア女伯爵の方でしょうね…」

「おや、そういえばその方は王都でも見掛けた事がありませんね、どの様な方なのでしょうか」

「彼女は女傑という呼び名に相応しい方です、とても誠実で決して悪い方では無いのですが…その、直情的とでも言いましょうか、割と頭に血が上りやすいので今回の件でもきっとランデラの復讐に燃えていると思います」


なるほどそれは大変そうだ、と感想を述べつつもラズバンの頭の中では並び立つ二人の女将と流れる不穏な空気、決裂からの団結という物語が思い描かれていた。

西軍の危機に駆け付けるレダリアの北軍、もしくはその逆でもいいかもしれない、背を預け合う構図というのも悪くない。

時折り振動に合わせて「んお゛お゛」とか「おあ゛あ゛」と奇声を発しながらも妄想に耽る宮廷詩人見習いを、残念そうに、しかし大人しくなった事には感謝しつつ見守る同行者達。

満足そうにうんうんと頷くラズバンを見て何となく察したレダリアは、大前提として国内も西の民との関係も争いなど無いのが一番ですよとその杭を心臓に刺した。

図星であり期待を打ち砕かれた詩人は目に見えて落ち込み、皆の笑いを誘うという隠れた大役を立派に果たしている様だ。



時折り奇声や歌声、悲鳴や笑い声の聞こえる不可解な荷馬車の一団を、雪原に身を伏し枯れ木の裂け目から睨み付ける鋭い眼光が一つ。

その瞳は縦に長く一般的に猫目と呼ばれるものだ。

だが猫と言うにはあまりにも頑強そうなその巨躯は、それでいてとてもしなやかな動きを見せ一団に気付かれる様なミスは犯さない。

多少の寒さなど物ともせず、あえて雪を被りその黄と黒の目立つ体色を隠して獲物の動きをじっと観察する姿は狩人のそれである。


やがて追いかけていた荷馬車が街の門に吸い込まれていくのを見届けると、自身も背景に吸い込まれる様にその姿を消した。




───七王国暦274年 炎熱季32日、西都アンビア。


領主の館へと続く大通りには無理矢理に場所を確保した露店が多く並び、よく言えばとても活気が、見方によっては喧騒に包まれていた。

それもそのはずで、そもそもアンビアは西の中心地ではあるものの、どちらかと言えば西の民への守りを意識して造られた防壁に囲まれた街であり、住人も兵士とその家族が半数を占める。

そんな街に召集に応じた西軍の部隊が続々と到着し、更にはランデラ方面から逃げて来た民が加わり、そこに商機を見出した商人や職人達も集まって来ているのだ。

普段の倍近い人間が往来を行き来すればそれは賑やかにも煩くもなろうと言うもの、そこに更に追い打ちを掛ける様に誤報が飛んだが為に街は大変な騒ぎになっていた。


「レダリア王女!共に西の民を打ち倒しましょう!」

「西軍万歳!北軍万歳!今こそ我等の力を見せる時だ!」

「まずはランデラの奪還からだ!そのまま虎の民の棲み処まで攻め込んでくれよう!」

「ウオォォォォォォ!!」



外交使節一行がラズバンの泣き笑いの末にアンビアの街に辿り着くと、閉まっていた大門は先触れも出しておらず守兵との挨拶も身分確認も行っていないのに待っていましたとばかりに開かれた。

先頭に見えたのが王女のレダリアであったから、もしくは掲げられている旗が王の代理を示す小王旗であったから、と考えれば分からなくも無いが、それでも本来であれば名乗りと来訪理由を述べてからの開門が手順である。

そして門をくぐってみれば押し寄せた兵士や民達に囲まれてこの有り様であった。


「おお、流石はレダリア様、そのお姿を見せただけでこれ程までに皆の士気を高めてしまわれるとは!」

「そんなはずないでしょう、ないわよね?とにかくいくら何でもこれは大袈裟過ぎるし私にも何が何だか…」


もしここで意気揚々と号令でも下そうものなら今すぐにでも戦場へ向かえそうな程の熱気に、中心にいるレダリアが一番困惑している。

国内でのレダリア王女の人気はかなり高いと言えるが、それでもこれは異常で、引きつった笑みを浮かべ軽く手を上げて応えるにとどまっていた。

そうこうしている内にも次から次へと兵達が押し寄せ、狭い路地などは完全に人で塞がり、大通りとてとても荷馬車が進める様な状況では無い。


「どうしましょうこれはちょっと想定外だわ、これじゃあ移動するのは無理ね」

「騎士達に命じて道を空けさせましょうか?」

「いいえまだまだ集まって来てるわ、それにこの熱気よ?これから戦いにでも行くのかしらっていう興奮状態は一歩間違えば暴動になりかねないわ」

「いやはや何とも、困りました」


後から後から新たな民が押し寄せ声を上げるものだから、場を沸き立たせる歓声は収まるどころか最早収拾がつかない程のお祭り騒ぎだ。

ここぞとばかりに酒や食べ物を売り込む図太い商人も居て、杯をぶつけて乾杯する兵の姿や嬉しそうに串焼きの肉を頬張る家族も見える。

レダリアが制止の声を上げれば鎮まるだろうが、それは目の前の笑顔に向けて水桶をひっくり返す様なもので、とても良い手とは思えなかった。

街の兵から杯を渡され一緒に飲み始めてしまった配下の兵を窘めつつ、レダリアは極力黙ってこれ以上の燃料を投下しない様にし、事態の鎮静化を…計っていたのだ。


「おお集う民達よ~猛る戦士達よ~其を統べたるは北限に咲く一輪の花~その憂いを晴らさんとここに団結せん~ ~♪~ ~♪~」


とても調子はずれの、決して上手いとは言えないそんな歌でも、酒が入り興奮状態にある者達にくべる燃料としては十分だった。

要約すれば「王女の為にみんなで頑張ろう」である、盛り上がらないはずがない。

ラズバンとしては只々困り顔のレダリアを元気づけようと思っただけだったのだが、想像力の欠如とは恐ろしいものだ。

薪を追加された大鍋はせっかくのスープが蒸発してしまうのでは無いかという勢いで沸騰し、ボコボコと噴きこぼれ始める。

荒ぶって頭をぶつけ額を押さえる者、騒ぎ過ぎて転倒する者、飛んで来た杯が当たり泣き出す子供、抜き身の剣や斧を掲げ歌い始める兵士…。

流石に阿呆(ラズバン)と群衆を止めなければと声を上げかけたレダリアに更なる追い打ちを掛けたのは、大通りの先からやって来た同格の将であった。


「いいぞ!飲め!歌え!奮い立て!待ってたぞレダリア姫、あたし達の前に敵無しだ!」


暖かそうな毛皮をふんだんに使った上等な鎧は金属製の重装ながらガチャガチャという音を発しないが、その女傑は見ているだけでノッシノッシとでも音が聞こえてきそうな存在感がある。

爆発四散した大鍋の後始末までは面倒を見切れないとばかりに頭を抱え、人をかき分けやって来た満面の笑みを浮かべる女傑の頬を引っ叩いたレダリアは、まくし立てる様に文句を吐き出し次々と命令を下して場の収拾を図るのだった。




───西都アンビア、領主の館。


夕刻になってようやく街全体が落ち着きを取り戻し、改めて来訪の目的を告げた外交使節一行はまるで山猫の民の様に背を丸めた女伯爵に先導されて領主の館へと招かれていた。

領主のサルベリア侯爵は豪華な晩餐を用意してレダリアとその配下の騎士達を待ち受けており、まさにこれから情報交換も兼ねた宴が始まるところである。


なおこの場に居ないラズバンは先程の反省を促すため部屋に鍵を掛けられ閉じ込められていた。

その客室は温かくフカフカなベッドなども備えつけられており、宴の場と変わらぬふんだんに塩や香辛料を使った食事や汁気たっぷりの果物も用意されているが、レダリア達の動向を見届けたい彼にとってこの隔離は何よりの拷問である。

勿論この仕打ちはレダリアの発案で効果は抜群だ。

何とか抜け出そうと試みるも石造りの建物は強固で隙が無く、窓は高く小さく飾り格子がはめ込まれており、凄い剣幕の王女に厳命された扉の前の兵士は説得にも買収にも応じるとは思えない。

嗚呼何という事か!と悶々とするラズバンは食事に手もつけず毛皮の絨毯の上で唸って唸って唸ってバタリと仰向けに寝転がった。

頭は知識欲に支配されていたが、体の方を支配するのは極めて強大な疲労という名の敵であり、旅慣れぬラズバンの腕や足はまだ国境を越えてすらいないのに悲劇のヒロインの如き悲鳴を上げて休めと訴え掛ける。

このまま眠るしかないのか、そう悔し涙を流して諦めかけた時、後頭部にビリビリと響く声が聞こえた。


「もう、もう分かったから、すまなかった、なあ、機嫌を直しておくれよ…」

「もう怒ってません!ぜんっぜん怒ってません!」

「怒ってるじゃないか!思いっきり怒ってるじゃないか!」

「ふははははは!ペル嬢の弱気な姿などいつぶりに見たかな」

「うるせぇ黙れ狸ジジイ!その呼び方もやめろ!」


聞き覚えのある王女の声に、先程道中で聞いたばかりの女伯爵の声、そして状況と内容からして笑っているのは館の主の侯爵か。

慌てて寝転がっていた毛皮の絨毯をめくってみれば、なるほど床は板張りでよく探せば僅かな隙間も見つかった。

どうやらこの部屋は地階にある広間の端、その二階部分に位置しているらしい。

もっと広間の真上の部屋だったならばよく見えたのに、とは思いつつも自業自得なので贅沢は言えない、そもそもレダリアを怒らせなければラズバンも宴に参加出来ていたはずなのだ。

急いで鞄から紙とインクを取り出し、床に這いつくばる様にして板の隙間から広間の様子を覗き込む姿はまるで盗賊か何かの様でとても貴族には見えないが、そんな事は歴史の記録に比べれば些末な問題であった。

見下ろす広間は床から天井まで高さがあるため、宴のほとんどの会話は断片的にしか聞き取れないが、幸い目的のレダリアは元気に声を張り上げており、女伯爵は元々声が大きく、侯爵も気分良さげに笑いながら話していてよく通る声である。


「とにかく悪かった、この通りだ!だって仕方ないだろう?そう報告を受けたんだからさ」

「そもそも何であんな事になったんですか」

「どうにも途中で話が大きくなってたみたいでさ…」



西の民の急襲を受けランデラ城が陥落し、ここアンビアにはその奪還の為に西軍が集結していた。

だが当然、西の民との全面的な戦争になるのであれば西軍だけでは足りず王国を挙げての動員が必要になる。

その為アンビアはいつでも戦える準備は整っているものの手を出して良いか判断しかね、兵達も臨戦態勢のまま待機していたのだ。

そこに王都方面から外交使節一行がやって来た。


「隊長!王都の方から旗を掲げた一団がやって来ます!」

「それじゃ分からん!何処の旗だ、何か特徴は!」

「あ、あれは王女様じゃないか?王女様が…小王旗を掲げてこっちに来ます!」


街壁の上からレダリア達を視認し報告を行った兵士はしっかりと仕事をしたと言えるだろう。

壁の内側でその報告を受けた警備隊長も決して対応が悪かった訳では無い。


「レダリア王女が小王旗を…王が動いたか!」

「隊長殿、という事は王軍か北軍のいずれかが援軍に来たのでしょうか」

「まだ分からんがいずれにせよ丁重にお迎えしなければ、おい開門の準備だ!お前は一足先にこの事を報告に行け」


命令を受けて領主の館へと走った兵士も、ただ与えられた任務を果たそうとしただけである。

だがランデラ陥落の件もあり、状況の変化に敏感になっていた街の人々は急ぐ兵士を見て何事かと問い掛けたのだ。


「おい兵隊さんや、そんなに急いで何があったんじゃ?まさか敵が現れたのか?」

「大丈夫だ爺さん安心しろ!王女様が来てくれたんだ、むしろ良い報告だ!」

「おおお、レダリア様が我々を助けに来てくれたんか!ありがたい事じゃ!」


すぐにこのやり取りは伝播し、そこかしこで上がる喜びの声に兵士も嬉しくなってしまったのだろう。

道中の後半は聞かれずとも「王女様が来てくれているぞ」と喧伝しながら領主の館へと走り抜けた。


「何の騒ぎだ!誰か状況を把握している者は!」

「はて、街壁から合図は出ておりませんので敵襲では無いと思いますが…お、伝令が来たようですぞペルナ様」

「伝令!ご報告致します、王都方面より王女レダリア様が小王旗を掲げてこちらへと向かっているとの事!」


領主の館の入り口でこの報告を聞いたのは西軍を預かる女伯爵の【ペルナ】・セルビンシアとその配下の騎士達であった。

この女伯爵は決して浅慮の人では無かったがこの時はランデラの復讐に燃えており、周囲の騎士達が「援軍だ!」と声を上げた事ですっかりその気になってしまったのだろう。



「まあなんだ、そう言う訳でてっきりあんたが援軍を引き連れて到着したものとばかり…」

「面白い伝言ゲームが見れた訳ですな、ふはははは!」

「うるさいうるさい!だから私は悪くないだろ!」

「飲め?歌え?奮い立て?あたし達の前に敵無しだ?」

「いやだからそれは、援軍が来たんならすぐにも出撃出来るかもしれないって私も熱くなっちまってさ…」


ジト目で訴えるレダリアから視線を逸らす事も出来ず、ううぅっと見かけに似合わぬ声と表情を見せるペルナに侯爵も居並ぶ騎士達も遠慮の無い笑い声を上げている。

きっと彼等は酒が入りレダリアが味方にいる事で気が大きくなっているのだろうが、酔いが醒めレダリア達が出発した後の事までは考えていないだろう。

「いやはや何と無謀な」と感想を述べるラズバンは、こうして外から物事を眺め分析し記録する分には優秀なのだ、自分が当事者として巻き込まれた途端に彼等と同じく愚か者になってしまうのだが…。

兎にも角にも赦されたかは疑問だが、一連の状況に関する王女裁判の結果は「ペルナに貸し10個です」という判決が言い渡された。

悔しそうに酒をあおる女伯爵はしかし、とても楽しそうであった。



「なるほど、王もそれでは困っただろうな、ふはははは」

「笑い事ではありませんよ侯爵!まあお父様も私とエドルトの意見が正反対になってしまったせいで難しい判断になったと思いますけど」

「あ奴はレダリア様とエドルト殿下のどちらも溺愛しておりますからな、しかも双方共にそれなりの数の腰巾着が付いておる」

「おいおいそんな事レダリア姫の前で言っていいのか?首が飛ぶぞ」

「なぁに、あ奴とは長い付き合いだからな、今更この程度で飛ぶ首では無かろう。ま、真面目なエドルト殿下の前では危ないかもしれんがな」

「それは私が真面目じゃ無いとでも言いたいのですか?ん?ん?」

「いやいや、レダリア様はとても柔軟な考えをお持ちだと褒めておるのですぞ」

「けっ、狸め」


なかなかの言い合いだったが、この三者には三様の空気感がありつつも気が合うのだろう、歳もバラバラで果たすべき役目も異なるがそこには久しぶりに集まった親友同士の様な絆が感じられた。

ラズバンはそれを少しだけ羨ましいと、自分もその場に加わりたいと思ったが、同時に今の立ち位置にいるからこそ得られる物もあると気付かされる、この第三者的な視点というか俯瞰視点というか…つまり這いつくばって天井の板の隙間から覗き込む視点である。

しかし彼はまだ知らない、毛皮の絨毯の下までは日常的に掃除をされていなかったのだろう、僅かだが砂や埃が溜まっており、そこに這いつくばり顔を押し付けて覗き込んだままいつしか眠気に負け、翌日軟禁を解くべくやって来たレダリア達にその黒い顔と汚れた礼服をドン引きされる未来を。

だがそれでも彼は幸せだ、何故ならレダリアの普段は見られない行動や表情は記録すべき得難い経験であり、レダリアと歩む時間の全てがこれまでの年月に勝る密度であり、これから向かう霊峰の麓は記録すべき宝の山である。

それらに比べれば多少怒られたりドン引かれたりする事など「いやはや何とも」だ。




薄曇りながら適度に風が吹き過ごしやすい日は旅人に好まれる、翌日はそんな日になった。

外交使節一行はレダリア達と荷馬車4両に加え、背に荷を括りつけた荷馬が3頭増えていた。


「これで借りは1つ返したからな」

「じゃあ残り9つですね」

「くそ、なんでこうなったんだ…」


王から与えられた外交使節の役目とレダリアの考えを聞いた侯爵と女伯爵は、自ら進んでアンビアからも追加の土産を持たせると言ってきた。

西部を安定統治したい侯爵は話し合いで解決するならそれも良しとして、貴重な塩を提供してくれた。

この大陸北部の寒冷地では塩と言えば岩塩であったが、侯爵は交易で海を越えた先にある海洋国ケルストウから粒の細かいサラサラとした塩を手に入れていたのだ。

また女伯爵からは木炭が提供された、彼女は戦争に賛成する立場ではあったが、戦略的に見れば西の民の方が数が多く全てとまともにぶつかるのは得策ではないと理解しているからだろう。

そして西の民も人間と同じく日常的に火を扱うが、その技術は高くなく燃費の良い木炭は寒いこの地で暮らす全ての民にとって有益な物として十分な魅力を持つのだ。


「ふはは、いいではないかこれで丸く収まるなら安い物だ」

「ありがとうございます、預かった品もうまく活用して何としてでも平和的な解決を、最低でもいくつかの部族とは不戦協定を結んでみせます」

「頼んだよ、でも虎とは停戦するなよ?少なくともそれはランデラ一帯を取り戻してからだ」

「虎の民と直接会えるかは分かりませんが、もし話し合いが出来る場があれば侵攻の理由や交渉に応じる気があるか確認するつもりです」

「ああ、任せたよ!」


“レダリア王女の和平への願いは霊峰より高く、その決意は大地に眠る氷より固い、その真摯な想いに心打たれた侯爵と女伯爵は自ら進んでその前に跪き、旅の成功と安全を祈り涙した”

とはラズバンが誇張して記録し、後にレダリアに美化し過ぎであると修正を厳命されたアンビア出立時の様子である。


だが実際に、西の民が棲む常に危険と隣り合わせな地へ赴くレダリアの身を案じ、涙ながらに無事を祈るアンビアの民が居たのは事実であったし、外交使節一行が門を抜け雪原に消えた後の侯爵達の様子はレダリアもラズバンも知り得ぬ事であった。



「あんたは頑張り屋で真っ直ぐ過ぎるんだからさ、気負い過ぎて無茶するんじゃないよ、ちゃんと帰っておいでレダリア様」

「古の魂よどうか姫をお守りください、古き友の娘をお守りください、この国の未来をお守りください…」



とても賑やかで愉快な方達でしたね、とはラズバンの感想であり、あの二人が西の守りで大丈夫なのか時々心配になるわ、とはレダリアの感想である。

自分達が思っている以上に心配され、同時に信頼されてもいる事など知る由も無い能天気な会話を、しかし同行する騎士や商人達は穏やかに、決意も新たに見守るのだった。

既に来た道を振り返ってもアンビアの外壁は見えなくなり、この先は寄り道をしない限り村も存在しない、見渡す限りの雪原を数日行き標の無い国境線を越えればそこはもう西の民の地。

引き返すならまさに今だがそんな事を考えている者は居ないだろう、先頭を行くレダリアが何よりも明るく前向きであり、彼等はその明かりに照らされ進んでいるのだから。

アンビアで購入したとてもごわごわとした、それだけ毛量と厚みのある毛皮をお尻に敷き、皆から勧められるままに蜂蜜酒や乳酒の小壷を空けたラズバンはやがて夢見心地のまま国境を越えた。



それはアズベリアのラズバンが初めて国外への一歩を踏み出した日、炎熱季でも短い陽の光を浴びた荷台で午睡の誘惑に負けた日の出来事。

国境をこの目で見たかったと後悔した、争乱の嵐が吹き荒れる前の出来事。




◎続く◎


前回出来れば近日中にと言ったな、あれは嘘だ。


…有言実行出来ずすみませんでしたぁぁぁ(ズサァァァァ

そんなこんなでお送りする北の姫君の本編第二幕。

まだまだ場面は王国内なので血生臭い事件などは起こっていませんが物語は徐々にきな臭くなって行きます。

次話からはついに王国領を出て西の民の地へ…!

その容姿以外はほとんどが謎に包まれている彼等との外交は、果たして上手くいくのでしょうか。

全てはレダリアの手腕(政治)と、レダリアの手腕(ラズバンの手綱)に掛かっている!

頑張れレダリア、負けるなレダリア、耐えろレダリア…!


それではまた次話でお会いしましょう~

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