第1幕:「雪解けの笑顔持つ北将の姫」
第一幕豆知識
【アズベリア王国】…この世界に七つ存在する王国の一つ。大陸アーベングロット北部の雪深い小国で北方アズベリアとも。長年原住民である霊峰の民との確執が続く。
【ラズバン】…ラズバン・グレイア。偉大な戦士を祖先に持つ家系の新芽、ほぼ全ての分野において凡庸だがその人柄は多くの者から愛されている。
【レダリア】…レダリア・アズベリア。アズベリア王国の姉王女であり北軍の将。行動の人であり常に率先して動き物事に首を突っ込む。
【エドルト】…エドルト・アズベリア。アズベリア王国の弟王子。成人したばかりでありその期待も評価もこれからだが姉同様に極めて活発な性格。
【霊峰の民】…霊峰の麓に住まう獣人達の総称。鹿、山羊、狼、虎、熊、狐、山猫の民などが確認されている。アズベリアでは西の民と呼ばれ、近年では人間の言語を解する。
第1幕:「雪解けの笑顔持つ北将の姫」
◇七王国暦274年 炎熱季15日
【アズベリア】の王宮は慌ただしい雰囲気に包まれていた。
一年を通して天候の安定しないこの北方の地において、それでも炎熱季は比較的日差しが見込める貴重な時期である。
それは農耕の時期であり、狩猟の時期であり、開拓の時期であり、旅の時期でもある。
だが人が動けるという事は、それは軍が動ける時期でもあるのだ。
アズベリアはその建国の歴史と国土、外的要因などから内部での争いはほとんど見られない。
そんな事をしていては簡単に国は疲弊し、減った国民の数は簡単には戻らず、そうなれば外敵によって滅ぼされかねない事を皆が理解しているからだ。
だから武装した多くの兵や民が王都にやって来た時、一体何事かと、何をトチ狂ったのかと思われたのだが…。
「それでは既にランデラは陥落したと言うのだな、その周辺の村々共々に」
「はい、我が力及ばず申し訳ありません王よ、久方ぶりの快晴に民達も喜び山林に分け入った所、次々に悲報が届き、兵を出しましたが遭遇した敵勢は多くそのまま押し込まれ籠城する間も無く…」
「そうか、いやよい、良くぞ民達を引き連れここまで辿り着いた、道中苦しかったであろうゆっくりと休むが良い」
項垂れるランデラ城主は見る方も胸を締め付けられる程に憔悴しきっていて、その苦労が窺えた。
それを見送る王の眼差しは優しく、王女の願いは温かく、王子の決意は固い。
この国の民はその団結力において他国に比肩するものは無いと評されるが、それは王も例外では無く、民や臣下と近い距離感で物事を考え愛されている。
王子などは良く城下町に顔を出し、気さくに民達と交流している姿が度々目撃されているらしい。
「父上、この虎の民による非道、許す事は出来ません!すぐにも討伐隊を出しましょう!」
「まだ全貌が分からぬ、先陣を切って出て来たのが好戦的な虎の民であったというだけで、その後ろに他の民も続いている可能性もある」
「お父様、西の民達はそれぞれに相争う事もある間柄、その様に団結して来る事があるのでしょうか」
「歴史を読み解けば確かに彼等は各々に独自の文化を持ち、互いに必ずしも良好な関係では無いだろう、だがここ十年で見れば状況に変化があったからな」
「裏切り者共のせいですね、あいつら人間のくせに西の民に協力なんか…」
「やめよ【エドルト】!あの者達をその様に言うものでは無い、あれらは…少なくとも裏切り者などでは無い」
父王に叱られ勢いを失った王子と、言い澱み続く言葉の出てこない王に、謁見の間には気まずい静寂が流れる。
アズベリアが建国されて既に200年以上が経過しているが、その間総じて西の民と呼ばれる霊峰の麓に先住していた者達とは敵対関係にあった。
それはアズベリアにとっては生きる為の場所を確保する戦いであり、西の民にとっては古来の土地を守る為の戦いで、互いに譲れぬものがあったからである。
文化と技術で勝るアズベリアと、数と地の利で勝る西の民、その戦いは一進一退を繰り返し、ここ100年程は実質的な国境線が出来て争いも膠着していたのだが。
「お父様、どうして今になって西の民達は動き出したのでしょうか、数年前にも一度使節を送り、今は戦うべき時代では無い事を確認し合ったはずでしょう」
「良く学んでおるな【レダリア】、あの時使節を受け入れたのは鹿の民や山羊の民であった、西の民の中でも人数の多い部族で影響力も大きい者達だ」
「…ではやはり今回の侵略は虎の民の単独的な暴走なのではないでしょうか?」
「これは未公開の情報になるが…数年前に開かれた西の民達の族長が集う場にて、人の民、即ちアズベリアと袂を分かった者達が西の民の一部族として認められたそうだ」
「西の民が人間を仲間として受け入れたのですか!?ですが、それは、それなら西の民達と我等もより良い関係を築ける可能性がある事を意味します」
「そうであって欲しかった、だが残念な事に彼等はアズベリアへの抗戦と人間の技術を提供する事を条件に受け入れられたそうだ、それ以降虎や熊、狐などが騒がしいと聞く」
アズベリアの西にそびえ立つ霊峰、その麓に古来暮らす獣の外見をした二足歩行の先住者達。
自らを【霊峰の民】と呼び、アズベリアでは西の民と呼ばれる彼等は、一説によると霊峰に宿る不思議な力によってより強靭な体躯と人並みかそれ以上の知性を得たと伝わる。
有名な部族では鹿の民、山羊の民、狼の民、虎の民、熊の民、狐の民、山猫の民などが確認されているが、そもそも霊峰一帯が彼等によって強固に守られている為に人の手が入らず、その詳細は未だ不明のままである。
だが人間が隣人として現れてから既に多くの時間が流れ、彼等も学び、見様見真似で人間が扱う道具の再現なども行って来た結果、一部の霊峰の民とは会話や交渉が成立するに至った。
「硬革や金属板で武装した者も見かけられるようになったと聞く、数で勝る彼等がそういった技術も身に付けてしまっては、果たしてどうなるか…」
「大々的に軍を招集し攻め込むべきです父上!こうして侵略があった以上こちらにも動く大義名分があります!」
「いいえまずは話の通じる部族へだけでも使者を送りましょうお父様、勝っても負けても白い大地が赤く染まる様な事態は避けるべきです!」
「姉上は甘すぎます!既にランデラはアズベリアの民の血で赤く染まったではありませんか!」
「ランデラを忘れるつもりもそのままにするつもりも無いわ、でも軍など召集したら戦う気など無かった部族まで敵に回す事になるかもしれないじゃない!」
再び謁見の間は紛糾する、国を守る為にすぐにも戦うべきだと主張する弟王子派と、国の将来の為にもまずは話すべきだと主張する姉王女派、そしてそのいずれにも賛同せず態度を保留する者と場は三分された形だ。
いずれの言にも一理あり、共に国の事を考えての発言であるこの議題は平行線をたどり、結局結論の出ぬままに夜を迎え明日に持ち越される事となった。
───王宮の東側に位置する巨人館。
自室に戻った王子エドルトは不満たっぷりにまくし立てる、その熱は時間が経っても全く収まっておらず話しに耳を傾ける貴族達は良いが壁際で縮こまる使用人達は一様に頭を下げ飛び火を恐れていた。
普段は明るく朗らかで良い王子なのだが、精神的にはまだまだ幼く悪気は無くとも気に入らない事があるとやや威圧的になったりもする、よく言えば人間味のある、悪く言えばやんちゃだがそれでも嫌われないのは最後には他人の話を聞くからだ。
「なぜ!なぜ姉上は!時間を与えれば与える程こちらが不利になる可能性があると言うのに!」
王子の主張するこの発言に追従する臣下は決して少なくは無かったが、それでも押し切れなかったのは西の民の総数が多い事と、地の利が相手側にある事、そしてこの王子がまだ成人間もなく実戦経験が無い故の言葉の重みの無さだろう。
対して会話と和平を望む姉王女レダリアには実戦経験がある、実際に兵を率いて西の民と戦った事がある彼女は凄腕とまでは言えずとも決してお飾りでは無く、その肌は血を浴びその剣は血を吸っている。
軍を起こせば必ずその一翼を担う事になるであろうレダリアが戦いを望んでいない、この事がランデラの復讐に燃えていた戦士達の一部を黙させた。
「王子の言はごもっともです、我等としても戦う準備は常日頃から整えておりますし、王のご命令あらばすぐにも軍を召集出来ますが…」
「問題はレダリア王女が動かねば北軍も動かぬ事、そして西の民と接さぬ東軍も動きは鈍い」
「王も判断しかねているとなると、仮に今我等が強引に動いたとて王軍も動かぬでしょう、流石に西軍と南軍だけでは数が少なすぎる」
王の直属と東西南北の5軍団からなるアズベリア王国軍は、その全てを結集させても決して大軍とは言い難い。
そもそもが東からの流民を起源としており歴史があるとは言えどもまだ300年には達しないこの国は、この世界に存在する7つの王国の中でも人口の面でケルストウ王国とワースト2位3位を争っている。
厳しい土地だけにいざとなれば国民の多くが武器を手に取れるが、ここ100年程の比較的落ち着いた情勢がその刃を錆びつかせているのも事実であった。
「国を挙げ、一致団結して挑まねば勝てませぬな…」
「悔しいけど皆さんの言う通りです、ですから明日もう一度姉上と父上を説得しましょう!」
野太い賛同の声が上がる中、誰に聞かれても恥ずかしくない会話だと開け放たれていた扉からハープの音が響いてきた。
ポポロンポロン…ポギョン
音色と共に現れた男は優雅にお辞儀をするとツカツカと歩み寄り話しの輪に加わる。
「エドルト王子、皆さま、素晴らしい熱意と意気込みですね、間違いなくこのアズベリアの歴史に残るであろう話し合い、是非私も…」
「…おおグレイアの、確か宮廷書士のラズバン殿であったか?」
「いえ、書士見習いであったかと」
「それはもうだいぶ前の事だ、今は宮廷楽士になったとか」
「まだ楽士見習いでしょう」
「…今はその、宮廷詩人…見習いをしております、はい」
アズベリアの【ラズバン】の家系、グレイア家は先祖に素晴らしい戦士を持つ家系であり、近年の没落ぶりはあれど同じく戦士の家系である騎士達からの仲間意識は強い。
その為こういった場に現れてもすんなりと受け入れられる事を、彼は先祖に感謝すべきであろう。
「私はラズバン殿の演奏、面白くて好きだったんだけどな」
「王子…ありがとうございます、王子や使用人達には喜んで頂けたのですが、楽士殿からは公式の場には出せぬと、あははいやはや何とも」
先程の演奏っぷりではさもありなんと微妙な納得感が広がるが、無能や役立たずと非難されるに至らないのは彼の人柄によるところが大きいだろう。
この時代、まだ宮廷道化師という職は生まれていなかったが、世が世なら彼ほどの適任はいなかった、のかもしれない。
それでは結局詩人としてもまだ見習い扱いのラズバンが今何をしているのかと言えば、その人柄と人脈を活かして王宮内の派閥の壁を越えて渡り歩き、この国で起こる出来事の多くを見て記録していた。
そのうち史官がまとめる近年の公式史書が発行されたら、それを参考にアズベリア史を題材とする自作の詩を作りたいと思っての事だったが、皮肉にも自身の記録こそがこの国で一番多角的で一番詳しい内容である事を彼はまだ知らない。
「それでラズバンよ、お主は王子派か、それとも王女派か?」
「私は詩人ですよ、詩人はただ物語を歌い表現する者、いずれにも属してはおりま…」
「なるほど中立派か、しかしどう転んでもいずれは西の民と戦う事になるであろう、それが大きな戦になるか局地的な物で終わるかは分からぬがな」
「左様、そうなればラズバン殿も戦士の血が沸き立ちましょう、戦場で是非とも兵達を鼓舞して頂きたい」
「はあ…その時は考えさせて頂きますね」
結局こうして自分の意見を言えず流されるのはいつもの事であった。
勿論、この後王女派の集まりにも顔を出しそこでも仲間扱いされて流されて、顔を出さずとも当然の様に中立派からも仲間だと思われているのがラズバンという人物である。
翌日、再び開かれた会議はやはり平行線を辿り、その晩にアズベリア王はラズバンの進言を聞き入れて軍の召集と使者の派遣の同時進行策を決断した。
王子派はラズバンが王を説得したと喜び、王女派はラズバンが時間を作ったと褒め、中立派はラズバンが王国二分の危機を救ったと評した。
実際には疲れ果てた王がラズバンの歌や演奏を“楽しみたい”と呼び付け、その際に目を通した彼の記録に目を見開き決断を下したもので、当のラズバンは王に指名された喜びのまま、ただひたすらに歌い続けていたのであった。
───王の決断から数日後、王宮の西側に位置する霊峰館。
王女レダリアの居室には多くの商人達が集まり、毛皮の絨毯の上には所狭しと自慢の品が並べられていた。
精巧な作りの工芸品や年代物の味のある食器類、豪奢な燭台や煌びやかな宝石箱、美しい刀剣に緻密な装飾の盾や鎧。
それぞれの持つ歴史や逸話に心躍らせ、名工の仕事に感動し、これらの品に待ち受けるこの先の出会いに思いを馳せる…のはラズバンだけである。
王が西の民の中でも友好関係にある部族へと使者を派遣するに当たり、王女レダリアは自ら立候補してその役目を引き受けた、これはその手土産として持参する品の選定の場。
幼少時からとても活発で10歳になる頃には大人顔負けの馬術を身に付けたレダリアは、自ら進んで騎士の道を目指し、王もそれを認めて実力でその地位を勝ち取った。
故に彼女は王女であり、騎士であり、王国の北軍を率いる将でもある。
「私に何かあってもエドルトがいる」普段からそう公言してすぐに王宮を飛び出すレダリアを、王は心配しながらも諦め半分に黙認していた。
だから今回の国外への、それも敵地となっているかもしれない場所への使者として彼女が立候補した時、王は一応は悩んで見せたものの内心はきっとそう言うのだろうと予想していたし答えも決まっていたのだ。
実際のところこの重大な局面における王の代弁者として、政治的に発言力のある王女であり軍事的にも影響力のある将という立場はとても都合が良かった。
それに聡明利発なこの自慢の娘であれば、良く話し説得し、西の民達の情勢を計り、例え危機が訪れても血路を切り拓いて帰って来るだろうと踏んだのだ。
そんな父親としては果たしてどうなのか、という王の思惑を知ってか知らずか使者となったレダリアは、必ずその役目を良い形で果たすべく準備に余念が無かった。
「その燭台は素敵ですね、西の民も近年では積極的に火を扱う様になっていますし、きっと喜ばれるでしょう」
「おお、素晴らしいご判断です。この美しく輝く燭台が灯す火は必ずや場だけでは無く見る者の心をそして両国の未来をも明るく照ら…」
「ラズバン、早く金貨を。まだ商品を並べ切れていない者もいます、どんどん決めてしまいましょう」
「ああっはい、ただ今…」
一々感想を述べようとしてバッサリと切り捨てられたラズバンはとても残念そうにしているが、レダリアは仕事に関する世間からの評価が押し並べて低いこの宮廷詩人見習いが、無駄な事を考えさせずどんどん仕事を詰め込めば割と使える事を発見していた。
最初に仕事の内容を伝え任せておくと彼なりに無駄にアレコレと考え何故その結論に至ったのか理解に苦しむ結果になるが、指示を出しながら共に仕事をすれば能力自体は決して低くは無いのだ…高くも無いのだが。
だが人柄については誰からも評価が高いのだから、これでそこそこ仕事も出来るのならば十分に有益な人材と言えた、特に今回の様な信頼出来る少数のみを供に外交に向かう場面では。
「この食器類は数を用意出来ますか?それならばこれらを10セット分買い取りましょう1セット当たりこの位でいいかしら?ラズバンこれも」
「は、はい、いやはや何とも」
「後はこの木工細工と石工細工も貰いましょう、流石に石工の品は重いわね、荷馬車に積むにしてもこの位かしら」
レダリアが次々と購入する品を決め値段も交渉し、ラズバンがあたふたと支払いを済ませていく、学があり計算も出来るのだからこの程度の仕事は簡単であった。
これがそもそもの品定めと値段交渉の段階から彼に任せてしまうと、不必要な品までまとめて高額で売り付けられる事になるのだ。
「レダリア様、こちらの剣や冑なども見事な作りで目を引くと思うのですが…」
「ダメよラズバン、武器は警戒されるし万が一の場合にあちらの戦力になってしまうわ、防具も同じ、それに西の民は体つきがそもそも人とは違うし頭には角がある者だっているのよ」
「ははぁなるほど、そこまでは考えが回りませんでした」
「今すぐにとは言わないから回るようになってちょうだい」
いやはや何とも、と頭を掻きながらいつもの口癖を口にするラズバンを、レダリアは微笑ましく、でも期待はせずに見守るのだった。
輸送に耐えられるように商館で改めて布に包まれたり木箱に収められたりと準備が整えられた品々が兵達によって荷馬車へと積み込まれてゆく。
それを指示するレダリアの姿とそれを遠巻きに眺める民達、とその光景を更に遠巻きに捉えしっかりと記録するラズバン。
彼の記録は基本的に詩にする材料として取っている為、行動全体の記録と言うよりはその主役となる人物や物を中心に描かれる、今回の外交使節であれば勿論レダリアがその中心である。
「ええと、雪踊る広場に舞い降りたるは雪解けの笑顔持つ北将の姫、嗚呼麗しきその手を翳せば騎士が跪き優しき声を発せば民が酔いしれる、嗚呼その瞳がこちらを向けば如何なる者とて…」
「ラズバン遅い!目録との照合はどうしたのですか!」
自分の役目を思い出した蕩け顔のラズバンは足下の雪を一掴みするとそれで顔を洗い冷やし、眉を吊り上げる王女の許へと急ぐのだ。
相手に警戒をさせ過ぎず、けれども最低限の安全の確保も考えて、今回の使節は王女レダリアと副使としてラズバン、レダリア麾下の騎士が5人に兵士が10人、危険と利益を天秤にかけて挑戦を選んだ商人が2人の合計19人、荷馬車は合計4両。
商人は守るが王女の安全が最優先であり、その二つが同時に並び立ち得ない場合には商人は見捨てると騎士は言うが、優しき王女は騎士に商人を守ってと命令するでしょう、だから王女は騎士達に任せて貴方達は商人を守ってあげて下さいね。
そう言われた兵士達が訝しむ様にラズバンを見るが、これでも一応貴族で副使なので了解の返事をしてレダリアに本当にそれでいいかの確認に向かった。
信用が無いなぁと頭を掻くラズバンだが、振り返ったレダリアと目が合い彼女が笑いながら兵士に頷くのを見ればそれだけで彼は幸せだった。
周囲の評価の通り、確かにラズバン自身に戦術家としての才は無かったが、多くの戦史や戦歌を調べた事で過去に用いられた戦術に対する造詣は深い。
現状に対して臨機応変に考える事は出来ずとも、似た様な状況や場面を過去の戦記や戦歌の中に見出しそれを模倣する事ならば出来る、それを見抜いたレダリアは有能な戦術家であり、彼女が太鼓判を押す事でラズバンの才は活かされている。
が、彼自身がそれを自覚しておらず自信無さげに話す為に、結局聞いた方はレダリアへの確認が必要になるのだが…。
「レダリア様、贈り物の積み込みが完了しました!」
「ありがとう、ご苦労様。ラズバン、物や品数に問題は無いかしら?」
「贈り物に問題はありませんが積み荷が…」
「何?何か問題があったの?」
やや低くなった王女の声音に商人達が不安げに顔を見合わせる、確かに納品したはずだと。
積み込んだ兵士達も一つ一つ確認しながら運んだのだから大丈夫なはずだと自分に言い聞かせている、もし何か足りないとなれば彼等の所持品チェックも行われる事になる。
「いやはや、車輪を見ると当初の計算より軽そうだなと思いまして、でもやはり問題ありませんね、全部あります」
ホッと胸をなでおろす商人と兵士達、だが顔色が変わったのはレダリアだ、そんなはずは無いと。
「本当に全部あるの?材質もチェックした?当初の計算ってどんな計算をしたのかしら?」
「贈り物全ての重量を考えて、なるべく綺麗に三等分になるように積み分けを考えまして、でもどうやら予定とは違う積み方を…」
「ラズバン?何で4両あるのに三等分で計算したの?どうしたらそんな計算方法になるのですか!」
「いやそれは、1両は水食糧と薪に馬用の干し草を積む予定でしたので…」
そこまで聞いて近くにいた騎士の1人があっと声を上げ思わず口元を押さえた。
あれやはり問題が?と首を傾げるラズバンの前で、全てを察し深い溜め息を付いたレダリアは出発の延期を告げる。
よくやったわラズバンと言われれば魂が天にも昇る気分だが、その横で本当に魂が天に昇りそうな顔をしていた騎士は笑顔のレダリアに連れて行かれた。
外交使節のミスと出発延期を聞いて一時的に王子派が勢いを得たかに見えたが、それはすぐにひっくり返る事になった。
補給担当の騎士が地にも埋まりそうな顔をして戻って来た翌日、改めて出発する予定としていた日は朝から雲行きがあやしく、出発を躊躇っていると昼前には雪が降り始め午後には吹雪になった。
年中雪が降るこの北方の国でも珍しい炎熱季の吹雪に、人々は慌てて農地や家の戸の確認に追われた。
当然ながら吹雪の中での野宿は避けるべきであり、特に近隣の街や村へでは無く国境を越えて遠く霊峰の麓へと向かう外交使節には吹雪は大敵だ。
それが延期になったおかげでこの吹雪を避ける事が出来たのだ、ラズバンはここぞとばかりにレダリアの強運と祖先の加護を謳い、王や民を喜ばせ意図せず王子派の口を噤ませたのである。
二日続いた吹雪が去ると、空には炎熱季でも珍しい良く晴れた青空が広がり、薪に火をくべ引き籠っていた人々は想定外の薪消費に文句を言いながらいそいそと活動を再開する。
そんな急ぎ足の民もレダリア一行の列が通れば顔を上げて笑顔を見せ、手を振り成功と無事を祈る声を掛けている。
先頭を行く馬上のレダリアは気合十分であり、ラズバンや同行者達も民の声に笑顔で応えた、一人素直に喜べていない減点騎士を除いて。
「姫様、どうかご無事で!この城下の守りは儂らにお任せあれー!」
「まあモルド、自警団の皆さんも!貴方達が居れば安心ですね、皆を頼みます!」
「皆聞いたか!姫様のお墨付きだぞ!」
街門前でレダリア達を待ち構えていた自警団からワッと歓声が上がる。
兵達に負けぬ団結と統率を見せるモルド達から声援を受け、民達に見送られ、一行は敬礼する兵達の守る街門を通り抜けた。
その先に広がるのは一面白で覆われた大地。
アズベリアの祖先が旅の果てに辿り着き、絶望しながらも屈せず切り拓いた大切な土地。
確かに元々は西の民達が自由に走り回っていた原野であったのだろう、それでも自分達が生きる為に絶対に必要な場所。
その想いを目を閉じ胸に手を当て確かめ直し、レダリアは、ラズバンは、一行は、今や情勢の分からぬ西の民の地へと向かう。
それはアズベリアのラズバンが歴史に大きな一歩を踏み出した日、炎熱季でも雪が降る事のある北方の国に珍しく雲一つない青空が広がった日の出来事。
これが長旅になるなど知る由も無い、争乱の嵐が吹き荒れる前の出来事。
◎続く◎
実質この第一幕からが本編です、ラズバンとレダリアのセット販売、なんだか面白い事になりそうだとは思いませんか…?
更新はゆっくりになるかと思いますが、もしお気に召しましたらブックマークなどして気長にお待ちいただけますと幸いです。
あ、暇つぶしに前作で処女作の「砦の魔女」編はいかがでしょうか?
正直言って魔女編前半はちと読みづらいと思います、自分でもそう思います、ですがどのような形で終わるかのアプローチはものすごく考え抜きましたので、覗いてみたり~感想なんかも気軽にいただけますと~とっても喜びま~す!
それではなるべく近日中にまた…