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第8幕:「時を駆ける約束の姫」


第8幕:「時を駆ける約束の姫」


◇七王国暦274年 炎熱季45日



これではいくら紙とインクがあっても足りない。

ラズバンは必至にクラガットによって語られる霊峰の民の族長会議の様子を書き留めていたが、今やとにかく流れと必要な言葉のみを殴り書きしている状態であった。

最初は自身の感性の赴くままに言葉の表現を選び、時に注釈を入れ感想なども併記していたのだが、あまりの情報量の多さにそれどころではなくなってしまったのだ。

ただでさえ謎に包まれた西の民に関する内容で全てが記録対象なのに、いきなり主要部族の要人の名前やその個性を紐解く言葉が列挙され、そこにはこれまで知られていなかった部族まで登場してきたではないか。

ラズバンは兎の部族についてもっと詳しく聞きたい気持ちを抑え、とにかく記録する事に集中する、この後はアズベリアを離れたカランディア家が登場するのだ、話しの密度は更に増すだろう。


「デュミュラ、シュミュラ、人間の娘…」


ぶつぶつと呟きながらひたすらにペンを走らせ、後で全てを思い出し補足出来る様にと言葉の波に乗り情報の海原を漕ぎ進む。

だからその横に苦虫を嚙み潰したような主の顔がある事になど気付きようが無かった。




───七王国暦266年、クラガット村。


「バスク殿」

「おう…座ったままの方が良いか?」

「ふむ、立ってはいけないという事は無いが、座ったままで話すのが一般的だな」

「そうか、では…霊峰の民の皆さん、私はバスク・カランディア、アズベリア王国の語り部の一人であったが、今は家族等と共に虎の部族の村に身を置かせて頂いている」


そう言って胡坐をかいたまま頭を下げるバスクに続き、背後の人間達も同様に頭を下げる。

一瞬の静寂を挟んでデュミュラが大地を叩けば、他の霊峰の民も大地を鳴らしたり拍手をしてその名乗りに応じた。

その拍手の小ささは先ほどの狐の部族へのものと同様に心からの歓迎を受けていない事に起因するが、間があったのはどちらかと言うと頭を下げるという行為に対して理解が無かったからであろう。

根本的な文化が異なる事を如実に示した形とはなったが、同時に間に入る者がいる事で十分に交流が可能だという事も示されたのだ。


「どこから、何から話せば良いか迷う所ではあるが、まずは鹿の部族に対してお詫びしたい、この通りだ」

「今ここにいる貴方がたにその気持ちがあるという事は理解しました、どうぞ頭を上げてくださいバスクさん、ですが私達が戦わねばならなかった理由、私達の村が焼かれなければならなかった理由をお伺いしましょう」

「クラガット殿!こうして詫びているのですから…!」

「いやデュミュラ殿、これは避けては通れぬ道なのだ、貴殿も先程言ったではないか、遺恨を残さぬよう議論を尽くすと」


難しい顔をして黙り込む虎の族長と、バスクからひと時も目を離さぬ鹿の族長、つい2年ほど前にこの人間達が鹿の部族の大地へと侵攻し、2村を焼き多くの鹿の戦士が霊峰へ旅立ったのは周知の事実である。

クラガットの問いは当事者である鹿の部族として当然の権利であり、大族長であるかに関わらずこの話題の主導は彼女以外には考えられなかった。


「私達は勘違いをしてしまったのですクラガット様、カランディア家は元々アズベリア王国南部に地盤を持つ家で、あの時は…2年前の戦いが始まる前ですが、西部の要衝ランデラの城主が高齢を理由に退任を申し出ていた為、一時的に兵を連れ城主代行としてあの地に駐屯していたのです」


ブフンと荒い鼻息を出したラッシルトをデュミュラが睨み付ける。

バスクは続けて大丈夫かと空気の流れを窺うが、ラッシルトが目を逸らしたのとクラガットが無言で顎を上げ続きを促したのを見てとにかく自分達の身に起こった事を全て話そうと決めた。

侵略者と呼ばれるに至った経緯と、裏切り者にならざるを得なかった経緯とを。


「地元を離れ土地勘の無いランデラで過ごす中であの日、当家の偵察隊から国境付近に大規模な鹿の軍が居るとの報告を受けました、私はすぐに兵達を率いその軍を追い、姿を発見した時その行軍の先には王国の商隊キャンプが見えたのです」

「おいそれは…いや何でもない続けてくれ」

「このままでは商隊が襲われると思い、私は突撃の判断を下しました。そこで多数の戦利品、金貨や物資を得た事で兵達の士気は大いに高まり…私もその勢いに乗じて逃げる鹿の軍への追撃を命じました」


何てことしやがる、と誰に言うでも無く小さく吐き捨てたラッシルトに、近くにいた鹿の民達が賛同を示そうとしたがスッと上げられたクラガットの手によって制される。

それはラッシルトも同じで、これ以上口を挟みませんとばかりに一度両手を広げて見せると、その手で酒と野菜をむんずと掴み口に放り込みこれでもかと良く咀嚼した、バリボリと。


「…私達は勇敢…に…いや、今の言葉は忘れてください、とにかく鹿の軍に対し優位に戦いを進め、村の近くまで押し込みました、そこへ村から別の語り部の軍が援軍として現れ…私達はその全てを討ち払い…返す刃で村を焼き滅ぼしたのです」


最初に燃えた村の名はカラガット村と言い、その村長はクラガットの娘、戦士達の語り部はラッシルトの兄であった。

位置的にはアズベリアに一番近い村であり、一度は廃村となったがその後に再建され、新たな村の名はラッシルト村と呼ばれる事となる。


「その時の私達は勝利に酔いしれ、また驕り高ぶっていたのでしょう、西の民恐るるに足らずと声高に叫び、その状況から西の民の地へと攻め入る好機であるとして、王都へ王国全軍の出動を要請しました」


この時のアズベリア王の決断次第では、バスクは英雄になっていたかもしれないし、今頃は国境線も大きく変わっていたかもしれない。

しかしそうはならなかった、自らが旗頭となり西の民の地へと侵攻するつもりであったバスクは王都からの増援が来るものと確信し、焼き払った村の跡地に陣を構えそこで後続の到着を待った。

その間、鹿の民との小競り合いはあったが簡単に追い返す事が出来た事も、バスクに増援さえくれば一気に侵出出来るという自信を持たせてしまったのだろう。

実際、鹿の戦士は数は多くともその士気も練度も低く、敵として事を構えるには楽な相手であったのだ。


「しかし…いくら待てども増援の軍は来ず、軍の撃破と村の跡地から得た食糧も底を突き、更には鹿の戦士が各地から集結して来た事で数的な不利は看過できぬ差となり、私達は撤退を余儀なくされたのです。その…帰路でした」

「鹿の大地が騒がしいと聞いてな、援軍の要請は来ていなかったが我等虎の戦士が北上しているとバスク殿達との遭遇戦となった」


雪が降り視界の悪い中、鹿の大軍に追われ撤退中のカランディア軍は横合いから虎の戦士達による攻撃を受けた。

それはまるで計算された様な奇襲であり、鹿と虎の共謀による伏兵の罠へ追い込まれたのだとバスク達は思ったのだ。

実際、虎の戦士達の戦意と暴威は鹿の比では無く、乱戦の中でカランディア兵は次々と雪原を赤く染め、雪の中へと姿を消した。


「このままでは壊滅するという状況で、私の弟が殿(しんがり)として踏み止まり…私達はランデラへと帰り着いたのです」

「あの時の語り部とその配下の兵達の勇壮さは虎にも負けぬものであった、なあダンスク殿。鉄の爪を持つ腕を千切り飛ばしてもなお我を睨み付けていたダンスク殿を我は戦士として気に入った」

「騎士としては最後の戦いが虎の族長相手だったと言うのは名誉な事だが、負け戦な上にこの通りとなれば喜べぬ、ふん、だが悪くは無かった」


デュミュラに応えたのは既に戦士としては引退済みである事が分かる風体の、隻腕の男であった。

ダンスクと呼ばれたバスクの弟は怪我自体は治ってもなお人の手を借りねばまともに生活出来ぬほどの重傷を負った様で、虎の部族であったなら自ら霊峰への旅を計画していてもおかしくはない。


「苦しまぬ様に胸か首でも貫こうと思ったが全身を覆う鉄の甲羅が硬くてな、さてどうしたものかと思っていた時に残った手で握りしめる宝物が見えた、それは何かと問えば震える声で娘のくれた物だと言う」


ダンスクの首には飾り気のない革紐に通して下げられた宝石付きのお守りの様な物があり、今も残された左手で大事そうに包み込まれている。

その傍らで恥ずかしそうに顔を俯けている娘、兎のペンちゃんに手を振ったりシュミュラの背中を心配そうに見送っていた娘が、ダンスクにお守りを渡した彼の娘なのだろう。


「その時我はまだ若虎であったシュミュラの事を思い出した…まあ今もまだまだ若虎ではあるが。息子が既に戦士として独り立ちしている齢であればもし戦いに敗れたとしても後を託す気持ちで霊峰へ旅立てるだろうと、だが培った戦いの技も知恵も全て教えてやると言った約束を果たせず旅立てば後悔が残るだろうと思った、だから聞いたのだ」

「寒さと流れ出る血で意識も危ういと言うのに、デュミュラ殿は娘との約束はあるかなどと聞きおった、だから簡潔に答えたまで。…娘の婚儀を側で祝ってやれぬのだけが心残りであると」

「背を向ける者には爪と牙を、戦士には爪と牙と敬意を、それが虎の部族の信条だ、だから娘思いの立派な戦士には敬意ある死か再戦を望む解放かの二択があった、だが鉄の甲羅を剥がして殺すのは敬意があるとは言えまい?そして解放したとて帰り着けずに死ぬのは目に見えておった、だから村へと連れ帰り傷が癒えたら解放しようと思ったのだ」


霊峰の民の中でも特に好戦的で敵を殺すのに躊躇いが無い事から、一部の霊峰の民からも恐れられ、人間からは蛮族とも言われている虎の部族だが、ただ血と殺戮に狂うばかりの部族では無いという事はデュミュラを見れば良く分かる。

その気質は武人のそれであり、アズベリアでも武闘派などと呼ばれている偉大な戦士の血を引く家系と近しいものがあった、例えばサルベリアの斧や、カランディアの大槍の様な。


「だがダンスク殿の体は思いの外重傷であったのだ、虎にもそして人間にも隻腕の戦士は存在するらしいが、怪我自体は治ってももはや走る事も鉄の爪を振り回す事も叶わぬ体であった、一人での長旅にも耐えられぬ様な。だからどの様にして解放するか悩み、バスク殿へ宛て迎えを寄越す様書状をしたためて貰ったのだが…」

「デュミュラ殿、私にも喋らせて下さい。ああ皆さん、我が弟ダンスク達の決死の覚悟によって私達はアズベリア王国へと帰り着きました、ですがランデラには既に新たな城主が赴任しており、私達は南部の自領まで引き揚げざるを得なかったのですが…そこで私達カランディアの置かれた状況が非常に危ういものであると知りました」


アズベリア王国の西部と南部は西の民と直接的に国境を接していて、以前より小競り合いは多く常に戦備を怠らない土地柄であり、武闘派の領主同士の結束も固かった…はずであった。

少なくともカランディア家は偉大なカランディアの大槍の血を引く家系で、そういった武闘派の集まりの中でも存在感のある中心的な家系の一つで、国境防衛の要として王からの信任厚い立場であった。

それが今、独断専行による大規模攻勢によって国の治安を脅かしたとして複数の領主達から訴えられていると言うのだ。


「確かに、私達の始めた戦いは突然の事であり私の独断ではありました、ですがそれは商隊を救う為であったはずで、その後の攻勢も無理があったとは思っておりませんでした」


しかし実際には、100年近い平和によって国境を接する領主以外は戦備に金貨を割いておらず、当然の様に戦意も低かった。

王もそれは同様であり、突然始まってしまった戦いをどうするべきか、悩むうちに状況は悪化して行ったのだろう。


「特に北部で森や山岳地帯を挟んで間接的に西の民、いや霊峰の民と国境を接していた領地で大混乱になっていた様で、南部や西部の諸侯も事前に知らせろだとか、抜け駆けであると…とにかく私達の味方は少ない状況でした」


思い出して肩を落とす様子はその時の悪夢がまだ続いているかの様に憔悴して見え、全く当時の状況もアズベリアの内情も知らぬ霊峰の民の心にさえ同情が芽生え始めていた。

後列に座る人間の騎士や兵士達も悔しそうに拳を握り、嗚咽する者までいるではないか、と。

そんな人間達の姿に共感し、優しく労わる様な目を向けるのはデュミュラであり虎の戦士達であり、そこには互いに生粋の戦士であるが故の親近感があるのだろう。


「私達は自らの正当性を証明すべく、救ったはずの商隊やその荷主を探しました、ですがその後に別の場所で襲われてしまったのか、それとも既に国外へ移動してしまったのか…その様な商隊に関する情報は無く、結局七王国暦264年に起きた戦いはカランディア家の独断による侵攻とされました」


この時、バスクという人物を見極めるべくじっと見つめていた大族長クラガットの瞳が震え、その背後の古老達、そして鹿の戦士のまとめ役たるラッシルトが目を伏せた事に気付いたのは狐の族長クロコンテだけであった。


「王も味方はしてくれず、私達カランディア家の領地は王家の直轄地とされ、最終的な処分が決まるまでは領主代行扱いとなりました。…カランディア地方、カランディア城を治めるの領主“代行”のカランディア家です、偉大なるカランディアの大槍から続く代々の先祖達にどのように顔向けすれば良いのか」

「その様な事になっているとは知らず、守ったはずの兄上達を更なる窮地に陥れてしまうとは…」

「何を言うかダンスク!お前が生きていると知って私がどれほど嬉しかったと思う、どれほど…」


しばしの涙を邪魔する者はおらず、デュミュラも、ラッシルトも、居並ぶ戦士達も、静かに杯に口を付けていた。

焚き火の音と風に揺れる草木の音、宴会とも会議とも程遠い空気にはなったが、酒を飲むには悪くない夜だ。


「いや、いや、申し訳ない話しの続きをさせていただこう、ある日偵察部隊が手紙を持ち帰った、国境付近で旗を掲げて近づいて来る小規模な虎の戦士の一団と遭遇し、受け取ったと言う物だった」


ダンスクを引き取る為の迎えを寄越せ、そういう内容の手紙をダンスク本人に書かせたデュミュラは、人間流のやり方で即席の旗を作りそれを掲げて戦士達を国境付近へと派遣した。

少なくともダンスクの件が片付くまでは人間と事を構える気は無かった為、念には念を入れて部族の中でも人間の言葉を理解する者や好戦的では無い者ばかりを選び、最初に会った人間達に敵意を見せずしっかりと手紙がカランディア城へと届くように話しを付けるよう命じたのだ。

だが、王の直轄地となっていたカランディア地方には王軍から少数ながら監視も兼ねた騎士や兵士が送り込まれていたのだ。


「ダンスクからの手紙には別れてからの顛末と自身の状態、虎の部族への感謝と国境付近まで来ても攻撃などはしない旨が書かれていました」


偵察隊に加わっていた王軍の兵士からは、国境付近で好戦的なはずの虎の部族と遭遇するも戦闘には発展せず、むしろ友好的な雰囲気で手紙の受け渡しが行われた事が報告された。

城でバスクと共に届けられた手紙を見た王軍の騎士からは、戦死したはずのダンスクが生きており、蛮族の如き虎の部族の村で治療を受け生きたままカランディアに送り返される計画がある事が報告された。

そしてこの報告を受けた王城の重臣はすぐさま王へと報告したのだ、カランディアに西の民との内通の疑い有りと。


「国境への迎えには弟の娘、ヘリアが手を上げました。私自身が城を離れる訳にも行かなかったので丁度良いだろうと、信頼出来る騎士達を護衛に付けて送り出したのです」


ダンスクの横に座る娘は視線を感じて顔を伏せるが、その耳や頬が赤く見えるのは炎に照らされているからだけでは無いだろう。


「ですが…、その数日後に城に駐留していた騎士から言われたのです、ヘリアに古参のカランディア騎士ばかりを同行させて向かわせたのは国外へ脱出させる気なのでは無いかと、私はその疑いを晴らす為に弟達が戻るまでこの身を拘束して構わないと言ったのですが…」

「申し訳ありません…バスク様…」

「よい。王の騎士は疑惑を炙り出す為にあえて出立を許したのだと、既にカランディアの近隣諸侯に追走の軍を出す様に要請したと、そして疑義無くば城で再会出来るだろうがそうでなかった場合には…彼女や配下達の骸と再会する事になるだろうと」

「申し訳ありま…」

「流石はカランディアの大槍の家系に連なる騎士よ!!あの様な侮辱を許せるはずも無かろう!お前がやっていなければ私がやっていた!」


バスクの側近の一人が王の騎士を刺し、その場にいた王軍とバスクの側近達による斬り合いとなった。

こうしてバスク・カランディアとその軍は“裏切り者”となったのだ。


カランディア家古参の騎士や兵士達はその多くがバスクに従った。

共に雪原を駆け、ダンスク達と合流し、盟友であった近隣諸侯の軍を突破し、国境を越え虎の部族の村へと落ち延びたのだ。

だが両手を広げるデュミュラに迎えられたバスクの背後に続くのは、家族を含め僅か70人ほどであった。


「…そう言う訳でここに居るバスク殿、ダンスク殿、ヘレア嬢とカランディアの戦士が虎の村におる。最初の衝突から2年近く経って状況は落ち着いたと判断した故、クラガット殿に彼等を人の部族として霊峰の地に迎え入れるよう要望した」

「赦されるならば正式な役割を得てデュミュラ殿達に恩返しがしたいと思います」


深く頭を下げるバスク達と、真摯な視線をクラガットへと向けるデュミュラ、その姿はとても、とてもとても眩しかった。


結局。

一連の事件の発端についてその真実を知る鹿の語り部達は賛同も拒否もせず、沈黙した。

まともに会話が出来る人間に対して興味と不安が半々といった様子の山羊は、もう少し時間が必要だと言った。

リスクとメリットを天秤に掛けた狐は、リスクを虎や鹿がしっかり管理する事を前提に賛成を表明した。

戦士として大いに共感し感涙さえして見せた熊は案の定と言うべきか、全面的に賛成だと力強く言った。

変化を嫌いのんびりとした時間の流れを望む山猫は、受け入れは大きな戦いに繋がるとして反対した。

狼は反対の立場を沈黙をもって貫いた。


虎の賛成を加えても賛成は3、反対が2、保留も2。


明確な結論の出なかったこの議題に対し、大族長クラガットはカランディアの人々を霊峰に連なる一つの独立した部族としては認めなかったものの、虎の部族預かりの一部族として霊峰の民に加わる事を承認した。

バスク達はこの決定に感謝し、人間の持つ製鉄に関する技術や様々な道具の作り方使い方などを伝える役割を得たのだ。




───再び七王国暦274年、クラガット村。


「これが8年前に正にこの場所で行われた会議の内容です」

「いやはやいやはや、これはどう書き記したものでしょうか、そのカランディ…」

「ヘリアが、ヘリアが座っていたのはどこでしょうか!」


ラズバンを突き飛ばし目の前に迫ったレダリアに対し、クラガットは優しい目でその位置を指し示す。

スッと村の住人達が道を空け場所を譲れば、広場の一か所にスポットライトが当たっているかのような小さな舞台が出来上がった。

その場へと向かうレダリアの背中に、贈り物が響く。


「ヘリアさんには幼い頃、共に剣に誓ったお友達が居たそうです、互いに苦しい時には駆け付ける約束をした方が。ヘリア・カランディアは現在、虎の戦士の中でも一目を置かれる槍の使い手だそうですよ」

「…私には守れなかった約束があります。まだその約束が有効かは分かりません。ですが例え無効であっても、生きて、話しが出来るなら、会いたいと思います」


そう言って振り返った王女の顔には笑顔と涙が溢れていた。


“遠く離れてもその友情は消える事無く結ばれていると信じているのだろう、果たして再会の日、流れるのは温かい涙か冷たい血か、時を駆ける約束の姫をいかなる運命が待ち受けるのか”


レダリア・アズベリアと、ヘリア・カランディアの友情の物語、それは確かに詩人にとって良い詩の題材となるだろう。

そして喜色満面にペンを走らせるラズバンと、そこへ嬉々として絡むラッシルトも、傍から見ればとても良い友情を育んでいる様に見える。

だから少しだけ、同年代の友はおろか部族のほとんどの者が自分より下の立場にあって同じ目線では話してくれない鹿の姫は拗ねていた。

それはもう齢10らしいいじけっぷりで。


「ねえレダリア、ねえ…私も何か約束したい、レダリアと約束したい」

「え?えーと、それじゃあ…一緒に和平を勝ち取りましょう!」

「それはおおばば様とさっきやってた!」

「えっと、それじゃあ…今夜のご飯を一緒に食べましょう!」

「それは約束するけどそんなのじゃないの!もっとすごい約束!」

「ええぇ?それ…じゃあ~…分かりました、とっても大事な約束をしましょう」


とっても大事な約束、その魅力的な響きに黒曜の瞳をキラキラと輝かせ思わずその場で蹄を踏み鳴らしてしまうシルガットとレダリアの様子は、傍から見ればラズバンとラッシルトの関係にも負けぬ友情がそこに見えるが、しっかりとした言葉や形が欲しいのは幼さ故だろうか。

言葉より先に体が動いてしまうなどおよそいつもの“気高き新芽のシルガット”らしくも無いが、その普段は見せぬ年相応の姿に、密かに当事者達よりも関心を寄せている者がいる。

クラガットを始めとする鹿の古老達である。


「生きている限り、私達はずっと仲良しでいましょう」

「…やだ」

「え?えええええ!?」


まさかの返答に自分でも驚くような声が出てしまい、レダリアは思わず両手で口を押さえる。

それでも真ん丸に見開かれた瞳や一歩二歩と後ずさった足が衝撃の大きさを物語っていて、動揺を全く隠せていない。

だが動揺しているのはレダリアばかりでは無い、声の聞こえる範囲にいた者は皆一様におしゃべりが止まり、ぎこちなく振り返ったり手だけ不自然に動いていたりと、そこは挙動不審者の集会である。

レダリアとシルガットの友情、それこそが人と鹿の部族の融和の要であり、大戦を知らぬ若い世代が新たな関係を構築する第一歩である、と誰もが思っていたのだからそんな反応になるのも仕方が無いだろう。

ここで二人の仲に亀裂が入ろうものなら、今まさに肩を組んで杯をぶつけている兵士と戦士などはどうすれば良いのだろうか。


「あの、シルガット?シルガット…様?」

「ずっと一緒に居ると約束してくれた者がある日突然霊峰に旅立った時、私は約束したのにどうしてと怒り、喚き、その旅立ちをちゃんと見送ってあげられなかった」


慌てた様子で声を掛けようとするラッシルトをクラガットが制する。

そのまま周囲にも黙るようにと示すが、動揺と緊張とでそもそも皆微動だにせず、誰かが唾を飲み込めばその音が聞こえてくるほどだ。

開けた広場とは言え村の外れの一角に村人や戦士が大勢集まっているにも関わらず、炎の燃え盛る音と風の音、そしてペンを物凄い勢いで紙に擦り付ける音ばかりが聞こえる空間というのは異様としか言いようが無い。


「だからその約束はしたくない。私達は…たとえ魂になってもずっとずっと仲良しだ、そう約束したい」


一歩二歩と後ずさって離れていた距離を、大股に一歩二歩と前に進め崩れ落ちる様に小さな体を抱き締める。

泣きたい時に泣けなかったのはシルガットだ、今泣きたいのは見守るクラガットだ、だが代わりに一番大泣きしているのはレダリアだった。

うんうんと頷きながらシルガットの胸を濡らす姉の頭の上には、太陽の様に輝く妹の笑顔があった。



それはアズベリアのラズバンが沈まぬ太陽を見た日、炎熱季でも姿を変えぬ銀世界で雪解けの訪れを感じた日の出来事。

絆に勝る詩の題材は無いと確信した、争乱の嵐が吹き荒れる前の出来事。




◎続く◎


と言う訳で、霊峰の民のちょこっと過去編でした。


虎の部族の過去、そしてアズベリアのカランディア家の過去。

正式な国交の無い霊峰とアズベリア両者に明確な情報と状況の共有は無く、

その中で密かに行われていた鹿の大族長と人間の王との情報交換、それが悲劇を生みます。

そこに悪意ある者は居なかったはずなのに、ちょっとの秘密が、ちょっとのすれ違いが、ちょっとの勘違いが、ちょっとの名誉欲が、全て噛み合わずに歯車を狂わせました。

(…いやこれ王様が悪くね?)


そんなこんなで不穏な虎の部族withカランディアの大槍と国境線。

外交使節的にはこれを対処したい!

んですが、目下交戦中で国境を越えてしまっている虎の部族と直接交渉するのは難しそうです。

そしてレダリア的には8年前の遺恨以上に200年続く遺恨に対処したい!

そう、真に話すべきは…


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