【作中設定】汲霧神社
汲霧神社は、靜岡県清岡市北区奥伊香間汲霧にある神社で、縁切り神社としてその名が知られており、主祭神の久比岐立比売命は、古くから厄除けや縁切りの神として信仰を集めており、江戸時代には《悪縁切るなら汲霧に参るべし》と言われるほどであったと伝わっている。
その歴史は古く、創建は崇神天皇の時代とも云われており、長元三年に汲霧山の洞窟から生身の十一面観世音菩薩が出現するのを目撃した行永上人によって汲霧山が霊場として開かれて以降は、縁切りの神、或いは縁切り観音として広く信仰を集めるようになった。
明治期の神仏分離令までは、神仏混合の祭祀形態を採っており、集落にある観音寺本堂(県重文)は、汲霧神社の境内にあった阿弥陀堂を移築したものである。また、観音寺の秘仏本尊・十一面観音菩薩立像(重文)は、行永上人が自らご覧になった十一面観世音菩薩の姿を彫ったものと伝わり、かつては汲霧神社の本殿に祀られていたものである。
【汲霧神社境内案内】
●本殿
三間社入母屋造、銅板葺(附 厨子)
壁面は白漆喰が塗られ、柱には丹が塗られており、周囲は瑞垣で囲まれています。
内部は外陣、内陣に分かれており、それぞれ板壁で仕切られています。外陣正面に当たる板壁にはかつては御正体がかけられていました。
内陣入り口には御簾が掛けられており、中央には御神体を納める造り付けの厨子があります。
厨子の扉は年に一度行われる汲霧祭りの時と一〇年に一度の御綱切の時にしか開かれません。
現在の建物は室町時代中期に建てられ、安土桃山時代に大規模に改修されたもので、原則として非公開ですが一〇年に一度行われる白砂替えの際には本殿前までご参拝頂けます。
●拝殿
三間社入母屋造、向拝一間、銅板葺
本殿正面に位置しており、本殿と同じ入母屋造で、壁は白漆喰、柱は丹で塗られています。
本殿と同様に室町時代中期に建てられ、安土桃山時代に大規模な改修が行われています。
内部の天井には狩野派の絵師の手による百花図が描かれています。
ご参拝の際には拝殿内の板の間まで入ることが出来ます。※拝殿に入る際は靴を脱ぎ、入り口横のスリッパに履き替えてからお入りください。
●禊池
この池に入り禊をしていた事からこの名前が付きました。
懇々と湧き出る湧水は清岡市の名水百選にも選ばれています。
●神楽殿
昭和61年に地元出身の実業家・田中洋一郎氏によって寄進されたものです。
毎年、元日と盆には神楽舞が奉納されます。
●石鳥居
かつては木造の赤鳥居でしたが、老朽化の為、明治36年に石造りの頑丈なものに作り変えられました。
【その他】
●汲霧山観音寺本堂
桁行四間、梁間三間、宝形造、檜皮葺
室町時代
元は阿弥陀堂で、かつては汲霧神社の境内にありましたが、神仏分離令によって境内に安置されていた仏像と共に現在の場所に移築されました。
本殿と同じく室町時代に建てられ、明治時代に大規模な改修が行われています。
●木造十一面観音立像(伝汲霧権現立像)
木造 彩色 平安時代前期 像高135センチ
国指定重要文化財(旧国宝)
観音寺の秘仏本尊で、明治時代までは汲霧神社の本殿に安置されていた。汲霧祭りの際に合わせて開帳される。
明治時代までは厳重な秘仏とされていた為、保存状態が極めて良く、当時の彩色が良く残っている。
内刳の無い針葉樹の一木造りで、頭頂部から蓮肉部までを一本の木で彫り上げ、化仏は別材を寄せる。三面二臂で、頭部の仏面が一般的な十一面観音の仏面よりも大きいという特徴を持つ。また、全体に墨が塗られている。
唐風の衣装を身に纏っており、肉厚な太造りの体躯と深い彫りで表された翻波式衣文から平安時代前期の制作と思われる。
神像彫刻の趣きを残した女性的な顔つきは本作が祭神である久比岐立比売命の本地仏として制作されたことを示唆しており、この地における神仏習合を今に伝える作品として極めて貴重である。
●木造四天王立像
木造 平安時代後期 像高各180センチ
市指定重要文化財
汲霧神社本殿にかつて安置されていた木造四天王立像でいづれも内刳りの施された針葉樹の一木造りで、頭頂部から足までを一本の木で彫り上げている。持物、光背は候補である。
素朴ながらも力強い作風で、平安時代後期の制作と考えられます。
●木造阿弥陀三尊像
木造 漆箔 平安時代後期 像高 中尊座高80センチ、両脇侍像高100センチ
県指定重要文化財
阿弥陀堂の旧本尊で、平安時代後期の作品です。
定朝様式の典型作で、破綻の少ない造形から都の仏師の手によるものと考えられています。光背と台座は補作です。