2.それは突然に
「起立! 礼!」
『ありがとうございました。』
一日の授業が終了して、ようやくこの鬱陶しい学校から開放される……そんな安堵の中、私はカバンを手に席から立ち上がり、クスクスこっち見ながら笑ってる連中を尻目に教室から出ようと歩き出した。
が、目の前に先生が立ちはだかり、私を睨みつける。
「おい中松。ちょっと職員室まで来い。」
「……はい。」
そう言って、先生は先に教室から出て行った……私はまだまだ開放されないみたいだ。
「大体お前は……で……そもそも授業態度を…………だなぁ! ………。」
職員室。他の先生達が見ている中、私は担任の先生のお小言を食らっていた。もっとも、半分以上は耳に入っていない。かと言って、まったく聞いていなかったら……
「おい、聞いているのか!?」
「…すいません、聞き逃してました。」
「何だと!? だからお前は………!」
さらに延長される。
でも聞いていたら聞いていたで、「嘘をつけ!! 目がよそを向いていたぞ!!」といちゃもんつけて結局聞いてない時と同じことになる。
およそ一時間近くまでお小言を食らい、さらに延長するかのように思えたけど……。
「ちょっと、竹林先生。」
ふいに、説教に横槍を入れる人がいた。ちなみに竹林というのは現在説教中のこの先生の名前。本当はどうでもいいけど。
「え、あ、小島先生…。」
さっきまで威勢のよかった竹林先生が、急にしおれた葉っぱの如く勢いが無くなった。
小島 由紀子先生は、今年の春に赴任してきた都会育ちの新人教師で、私のクラスの隣のクラスの担任を務めている。腰まであるフワフワとウェーブがかかった茶色のロングヘアーとシャープな顔立ちに、優しげな瞳とスタイルのよさで、中学校全校生徒の憧れの的になっているとか。
26歳の若さでクラスはまとめれてるし、指導熱心で皆から慕われているから、他の先生達からの評判もいい。
「いくら指導とはいえ、少し説教が長すぎるんじゃありません? もうかれこれ一時間近く経ってますよ。」
「い、いえ。しかしこれは教育でして…。」
さっきまでの迫力はどこへやら。今の竹林先生は、猛犬から負け犬へと成り下がったかのようだ。
「教育でも、同じことを何度も言えば誰だって集中力は切れてしまいます。それに、もう十分言いたいことは伝わったでしょう。」
「…………。」
対し、小島先生は畳み掛けるように竹林先生をどんどん追い詰めていっている。
「とりあえず、ここは私の顔を立てるという形で……お願いします。」
頭を下げる小島先生を見て、竹林先生は明らかに動揺した。相手は新人とはいえ、こうも真剣な顔をした人に、それもベテラン教師としてプライドが高い竹林先生が大人げなく怒鳴るのも気が引けるだろう。それも自分のクラスの生徒がいる前で(=私)。
「…………チッ。」
誰の耳にも届かないくらい、小さな舌打ちが竹林先生から聞こえた。明らかに楽しんでいたのを邪魔されたことで拗ねている……そんな感じ。
「わかりました。さすがに私も怒鳴り過ぎたようですね……中松、もう行ってもいいぞ。」
「はい。失礼します。」
ようやくお小言から開放され、私はペコリと頭を下げて職員室の出口へと歩き出す。
「……ふぅ。」
職員室から出てから、開放されたことによる安堵により思わずため息が出た。
「大変ね、中松さん。」
「…………。」
そして、私に気遣いの言葉をかけてくる小島先生。チラリと振り返ると、フワリと微笑む笑顔が見える。
「あの先生、いつもあなたのこと怒ってるけれど……あなた何かしたの?」
「……いえ、特に何も。」
心配そうな小島先生をよそに、私はそっけなく答える。
「そう? ……あの人、いつ見てもあなたを怒鳴ってばっかりだから、ちょっと不安になっちゃって。」
…………。
「それになんだかあなたのことを目の敵にしてるっていうか……どこか楽しんでる節があるんだけれど……。」
…………。
「それも同じことを何度も繰り返してるようだし……気のせいかしら?」
…………。
「……中松さん、もしまた何かあったら先生に言ってね? 何でも相談に乗ってあげるか「あの!!」!?」
先生の言葉を遮り、私は叫ぶ。
「……大丈夫です。ですから、心配しないでください。」
思わず声を荒げそうになったけど、どうにか押さえ込んだ。
「え……でも、中松さ」
「大丈夫です!!!」
それでも、まだ心配そうに声をかけようとする小島先生を怒鳴りつけて黙らせた。
「……帰ります。今日はありがとうございました。」
怒鳴られてショックを受けている小島先生に早口で捲くし立て、私は踵を返して校舎を出るべく下駄箱へと向かった。
あの小島先生は……嫌いだ。東京のいいところの家の出だか何だか知らないけど、私に優しくするのもどうせこの学校で顔を利かせようとしているに違いない。れっきとした偽善者だ。そもそもあの人に私の何がわかる? 相談に乗る? そんなの適当なこと言ってれば誰だって安心するだろうとか思ってるんでしょう。人の心なんて覗けるわけじゃないのによくそんなこと言えるわ。冗談じゃない。あの人に相談なんか誰がするもんですか。
「……ふぅ。」
そんな悪態を心の中でつきつつ、私は下駄箱でラクガキや泥などで汚れた上履きを履き替え、校舎を出た。すでに太陽はオレンジ色になっていて、私と校舎を照らす。
私を照らすのがもったいないくらい、皮肉なほど綺麗な夕日だった。
「……帰ろ。」
小さく呟いて、私はトボトボ歩き出す。私の長い影が、後ろの校舎まで伸びていった。
ここ、『白樺島』は、昔から何かと古い言い伝えがある島。日本各地から観光名所となるまでのほど、この島は謎が多い。
別に新種の化石が発掘されたとか、珍しい生き物がいるわけじゃない。メインはあの願いが叶うと言われている『大樹』。
あの『大樹』は、伝説が多いだけじゃない。四季によって、いろいろな花を咲かせることができる。
桜であり、キンモクセイであり……春夏秋冬、花の種類が違う。一本の木に様々な花が咲く、というのは専門家でさえもわからない、未知の木。それを一目見ようと『大樹』に観光客が群がる。人っていうのは、理解不能な物には大変な興味を示す。その興味に突き動かされて、わざわざ遠いところから足を伸ばし、こんな島まで来る。
もっとも、この島は本州から大分離れているけれど、施設は充実している。島の西側に繁華街やスーパー、商店街等、島で取れた魚介類や野菜を売ってる店も多く、観光客が飽きることがないような充実ぶり。
それと、島にある中学と高校合わせて五つの学校も全部西側にある。その為、帰り道に遊んでいく人が多い。
また、東は私達の住む住宅街は東側にある。島自体はそれほど大きいわけじゃないから、歩いて十分くらいしかかからない。
医療施設も充実してるし、島の大きさからは考えられないような住み心地のよさっぷりだ。
かといって、私自身、住み心地がいいなんて思ったことはない。帰り道はゲーセンなんて寄らないし、遊ぶ友達なんて当然いない。時々欲しい本があったら買いにいくか、まっすぐ家に帰るか、どっちかだ。
それでも、家に帰るのも億劫……家では何もしない。ゲームも、何もできない。そもそもそんな物なんて置いてない。我が家では勉強。昼寝さえも許せない。それが父親の方針。当然、門限も厳しい。
今日も帰ったら、部屋の中で閉じこもって勉強、勉強、勉強……時々間食はするけど、それも父親の目を盗んで。じゃないと怒鳴られる。あの人の怒鳴り声は今でも慣れない。
「…はぁ。」
そんなことを考えながら、私は天を仰ぎつつため息を吐いた。空は夕焼けでオレンジ色に染まり、カラスがカァカァ鳴いてる。
まるで、私の人生を笑うかのように、鳴いてる。
「……笑いたければ、笑えばいいさ。」
自嘲気味に呟き、口の端を吊り上げて笑う。
毎日毎日、学校では苛められ、家では勉強、就寝、そして学校で苛められて、家では勉強、就寝、さらに学校で……
延々と続けられるこのループ。ホントにうざったくなる。
何回か死のうと思った。でも、死なない。死ぬのは恐い。恐いのはいやだ。
結局、私は臆病者。この生活さえ変えようとさえしない、臆病者。
まぁ臆病者でもいいけれどね……それが私には似合う。
今の、私には。
「…………はぁ。」
そんなこんなで、もうじき家につく……右を見れば海が見える平原、左を見れば向こうまで繋がるブロック塀。少なくとも、平原から見える海の光景は結構好きだ。毎日見る光景なのに、何だか落ち着く。
でも、一つだけ。一つだけ違う光景があった。
「……何これ? 車?」
ふと前方を見ると、ブロック塀に寄りかかるように真っ黒な車が止まっていた。見れば、結構立派な車だった。
ここら辺は何もないはずなのに、何で……?
「……ま、私には関係ないか。」
ちょっと混乱したけど、別に車が止まるなんて珍しいことでもあるまいし……第一、私は何にも関係ないし。
さて、帰って勉強しないとね……嫌だけど。そんな風なことを考えながら、車の横を何事もなく通り過ぎた。
【ガチャッ!】
「へ?」
けど、突然横の車のドアが開いて、中から黒いスーツを着込んでサングラスをかけた大柄の男の人が出てきた。そして、
「―――――――!!!???」
いきなり私の口を、大きな手で抑えつけた。
「よし、捕獲完了!」
「んー!! んーーーーー!!!」
男が確認するかのように言い、私は手を退けようと掴んで必死に引っ張るけど効果なし。叫ぼうにも口は封じられてるから叫べない。
「おい、早く連れ込め!」
もがく私をよそに、車の中から仲間と思われる同じ服装をした男が命令した。私を捕らえてる男は、私を車の中に強引に押し込んで車のドアを閉めた。
「発車しろ!」
「わかってる!!」
「――――!!!!」
捕まえた男が運転手に言うなり、運転手は車を急発進させた。
「なるべく住宅街から離れるんだ。」
「ああ。見つかったらヤバイからな。」
いや私自身もう十分やばいって! そう言いたかったんだけど……
「大人しくしろ!」
「んーーーーー!!!!」
私を捕まえた男が私に猿轡をして、口を完全に封じ込んでしまった。
「ふぅ……こいつ、結構暴れるな。」
「そりゃそうだろうよ。いきなり車に押し込まれて抵抗しない奴なんていないだろう。」
「――――――!!」
必死に暴れたけど、手もロープで縛られて身をよじるしかない。
「でもよ、ホントにこいつか? 見た限りそこら辺にいるガキんちょだけど。」
「情報によればそいつに間違いないだろうけどな……そこら辺は、ボスが判断するさ。」
ボス……その単語を聞いて、私は震え上がった。
この連中、見た目からして完璧な……裏でいろいろするあっち系の人だ。テレビとかで見たことがある……私には関係ないと思っていた人達が、今目の前で、しかも私を拘束してる……。
(……どうしよう……。)
思わず恐怖で失禁しそうになる。このまま何をされるんだろう? もしかして、人身売買か何か? もしそうなら、いずれ用無しになってコンクリに詰められて海にドボン……とか? というよりそもそも……
(何で私なのよ!!)
何で!? 私が、私が何かしたっての!? 毎日皆や先生に苛められて、家でも窮屈な私が何で!? これ以上私にどうしろってのよ!? 何で私ばっかりがこんな目に合わなきゃいけないの!? どうして、どうしてどうして!?
「あ、テメ、暴れるなってコラ!」
「おい、そいつ大人しくさせろ!!」
あまりに理不尽な境遇に、私はただ我武者羅に暴れだす。暴れて、暴れて、暴れまくる。男たちは私を大人しくさせようと、手を振り上げるのが目に入って、
【パァン!!】
「う、うあああああああああ!!??」
「お、おいどうし、うおおおおお!!??」
突然、何かが破裂した音がして、車がガクンガクンと揺れだした。
そして、
「ぶ、ぶつかるううううう!!!!」
【ドォォォン!!!】
〜???視点〜
「あ……。」
心の中で、うあ、これヤベ、と思った。
いやまさかねぇ……女の子が何かガラ悪ぃ連中に車ン中押し込められて、急発進してるの見たら、そら誰だって何かしようと思うっしょ? うん、そこら辺はまぁいいとして。
狙い定めてタイヤ撃ったらアラびっくり。急にスピンしまくった挙句電柱にドーン! いやぁ見事なもんだ。
で気付いたらあ、人質いたんだった、て気付いた。アハハ〜おっせー俺気付くのおっせー。
「……まぁ、いいべ。」
ちゅー感じに自己完結して……と。
ひとまずは、中の様子を見んといけんよな。
「よっと。」
俺は平原にポツンと立つ岩から降り立ち、手にしている銀色に輝くリボルバー拳銃、『コルト・アナコンダ6インチモデル』をクルリと回してから腰のホルスターに収め、ぶつかって煙上げてる車へととっとと走りだした。
風でなびく、忌々しい逆立った頭を抑えながら。
簡易人物紹介
中松 直子(14)
主人公。苛められっこ。いろいろひねくれてる。過去に母を亡くして以来、自分の殻に引きこもるようになった。