16.草原の道
〜ライター視点〜
「………以上です。」
「…………ふむ。」
薄暗い部屋。人工的な明かりは一切なく、代わりに部屋を照らすのは縦長の大きい窓から差し込む、淡い月明かりのみ。それでも、月明かりに照らされた黒スーツの痩せた男の姿は認識できるが、部屋の奥まった場所に位置するイスに腰掛けた人物までは見ることができない。声から判断するに、男であることは間違いない。
黒スーツの男は、目の前でイスに腰掛けている男にこれまでの報告を終えて一息入れた。
「……そうか……辰時は、逝ったか。」
ふぅ、とため息をつき、男はイスの背もたれに力なくもたれる。
今回の戦いで自害した辰時は、組織の中でも凄腕……それが呆気なく敗れた。銃器と剣術を使いこなす、謎の青年に。
辰時が死んで、組織内では明らかな動揺が走っている。男自身、辰時には一目置いていた程であり、プライドが高いのが欠点ではあったが、それでも主力には変わりなかった。
その主力の一人が死んだ。誰もが怯えるに決まっている。
「……オイ。」
「は。」
冷たい声が、黒スーツの男に向けられる。向けられた男は、震えるのを必死に抑え、返事をした。
「その辰時をやったガキ……特定できるか?」
「はい。部下の一人が写真に収めてあります。」
そう言って、写真を取り出す黒スーツの男。恭しく頭を下げつつ近づき、その写真を手渡してからまた元の位置に戻った。
「…………フン、見た目は大したことなさそうだが……………事実なんだろうな?」
「は、はい。確かにそいつです。」
疑りの視線を感じ、黒スーツの男は主張する。
「……そうか……なら。」
男は区切り、一呼吸入れる。
すると、部屋の空気が一瞬でピリピリした雰囲気となる。黒スーツの男は、いきなりのことで震え上がり、小さな悲鳴を上げた。
そして、
「このガキをかならず殺せ………かならず、だ。」
ピラリと落ちた、一枚の写真。
そこには、宗次郎が剣を振るっている姿が映し出されていた。
〜直子視点〜
「ふぁ……ぁ。」
太陽が昇って、差し込む朝日に照らされながら、私は起き上がって大きな欠伸をした。
……とゆーより、背中痛い。すごく痛い。
「あ、オハヨーガキんちょ。」
そんな私に向かって、悠長に朝の挨拶をする宗次郎さん。壁に背中を向けてもたれながら寝てたみたいだけど、その顔は実に清々しかった。何故だろう、腹が立った。
「……ここは?」
まぁそれは置いておいて、現状把握するために周囲を見回す。どこかの部屋の一室で、でも家財道具も何も置かれていない、大して広くない上に埃っぽい質素な部屋。ガラスが割れた窓から、爽やかな風と朝の陽光が差し込んでくるのが唯一の救い。
私の目覚めが悪いわけがわかった……こんな硬い床で寝てたら、慣れてない人は絶対に体の節々を痛める……。
「あぁ、さっきの廃れたオフィス街あったろ? あっこ抜けてちょっと離れたところにある、何かの事務所。ほったらかしにされてたから利用させてもらった。」
呆気らかんと答えた宗次郎さんは、立ち上がってぐ〜っと伸びをする。気持ちよさそうな顔で一通り伸びを終えた宗次郎さんは、「よし!」と気合を入れた声で叫んだ。
「じゃ、とりあえずこっから出るか。顔洗いができねぇけど、我慢できるか?」
振り返って聞く宗次郎さんに、いきなりのことで私は慌てた。
「え、いや……はい、一応。」
「そか。じゃとっとこ歩きますか。どこで目ぇ光らせてんのかわかったもんじゃねぇし、歩きながらでもメシは食えるだろ。」
もっともなことを言って、宗次郎さんは部屋の扉を開ける。目覚めが最悪だった私だったけど、そうも言ってられないから後を追った。
扉を開けて外へ出ると、雲がゆっくり流れる空。そして視界の左端に広がる緑色の草原と、右端に見える灰色のビル群……まるで境界線のように、分け隔てられていた。
「うわぁ……。」
私は左を見て、思わず呟く。そこには、決して大きくない、でもどこか偉大さを醸し出している山が見えた。青々と茂った木一本二本がハッキリと見える。
そこまで続く、草原の真ん中を通る一本の道。アスファルトじゃなくて、人の手が加わっていない土の道。風が吹くたびに、草原の草が波のように揺れた。
「すごい……。」
微かに草の香りが鼻をくすぐるのを感じながら、私は思わず呟いた。白樺島は、確かに小さい島……けれど、ここまで広大な草原があるなんて、私は全然知らなかった。
ただ、山があったのは知ってる。家の窓から、山頂がほんの少しだけ見えていたから。
けれど、間近で見るのは生まれて初めて……私はただただ、圧倒されるだけだった……。
「うん、こりゃすげぇな…………つってもここまで開発が行き届いてねぇのはなんでだ?」
「へ?」
「いや、何でもねぇさ。」
宗次郎さんも目の前の景色を眺めてため息を漏らしたけど、最後の呟きは私には聞こえなかった。でも、そんなのはどうでもいい。
「さ、この道歩くぞ。まぁ引き返すなんて野暮なことは聞かないがな。」
「…………。」
言われて、そっと後ろを振り返る。
二メートル先に、アスファルトが切れて土の道に変わっている境界線が見える。そこから先は、私達が昨日までいた廃ビルが立ち並ぶオフィス街。
人工物が多く並んで、多くの人が豊かな生活に満足している西区と東区の街。小さな島からは想像もつかない、満足するに値する施設が充実している、私が住んでいた街。
でも、今さら戻ったところでどうしようもないし、戻る理由もない。学校ではいじめられ、母さんがいない家では父さんが毎日私を監視して、商店街や娯楽街の価値がわからない私にとって、目の前に広がる自然を見た私は、背後に立ち並ぶ建物がとても汚らしい物に見えてきた。
「……行こう。こうしてる間にも追ってきてるかもしれないんでしょ?」
前を向いて、草原の真ん中の道を私は歩き始める。
「はは、ごもっともだな。」
そんな私の後をついてくるように、宗次郎さんが笑いながら歩いてくる。
私は、ゴミゴミした街を振り返ることもしないで前の道を歩いていった。
「ところでさぁ。」
しばらく歩いて、後ろのビルが小さくなってきた頃。宗次郎さんがふと聞いてきた。
「? はい?」
「お前さん、首になんか下げてるよな? 何だそれ?」
そう言って指差した先には、銀色のチェーンが光っていた。
「あ、これですか?」
別に隠すこともないから、チェーンを首から取って目の前に掲げた。
そこにあったのは、表面に綺麗な花の細工が施されてある小瓶。小さくても、どこか立派な雰囲気を醸し出すコルク栓で封じられた中身には、薄紅と深蒼と茜と純白の四色の綺麗な花びらが入れられている、私の大事なお守り。
「おぉ、何だそれ。綺麗だなぁ。」
「えへっ♪」
顎に手をかけて興味深そうに見つめる宗次郎さんの言葉に、私は少し照れた。
「これは私のお守りで、お母さんから譲り受けた物なんです。この花びらは、大樹に咲いている四季の花を使ってるんですよ。」
「大樹?」
首を傾げた宗次郎さんに、私は少しコケそうになった。
「し、知らないんですか……。」
「だぁら言ったろう? いつの間にかここにいたって。知らなくて当然。」
……はぁ………。
「オイ、今呆れなかったか?」
「い、いえ別に…。」
す、鋭い……顔に出てたみたい。
「…あのですね、大樹っていうのは……あれです。」
「あれ?」
私が指差した先。そこには、ここからだと掌サイズになってるけどはっきり見える、大きな木が一本聳え立っていた。
「あの木、あの大樹は、四季によってそれぞれ違う花を咲かせることで有名なんです。」
「お〜、ファンタジー。」
……顔が胡散臭そうですけど。
「……ふ〜ん……で、他に特徴は?」
「ええ、あの大樹のすごいところは、『どんな願いも叶える』っていう伝説が」
「マジで!?」
うわ、ビックリした!?
「え、ええ……ですから、この島には観光客で賑わってるんですよ。」
立ち止まって思いっきり顔を近づけた宗次郎さんから逃れるために体を逸らしつつ説明した。
それと何故か、顔が熱い気が……する。
「……なるほどな……。」
ようやく顔を離した宗次郎さんは、顎に手を添えて考え込み始めた。
そして私は、内心ホっとしながらも、どこか残念に思…………
(って何考えてんの私!!)
変なこと考えた私は、自分の両頬を三回叩いた……痛かった。
「……クリームあんみつ三十年分……フフフ。」
そんな私に目もくれず、なんだかすごいのかしょーもないのかわからないことを呟き始めたついでに笑い始めた。
…………って何考えてんですかこの人は。
「……で? お前は?」
「え?」
と、いきなり考え込むのをやめた宗次郎さんに聞かれて私はたじろいだ。
「なんか願いでもあんの? なんかしたいーとか、成績アップーとか。」
「…………。」
…聞かれるとは思っていたけど…。
「……い、いえ。別に何も。」
「? そっか。ならいいか別に。」
本当にどうでもよさそうな顔で、宗次郎さんはまた歩き始める。
「…………。」
そう言った私だけど、ホントは一つくらい願いごとがある。その願いが叶うんなら、他には何にもいらない…………でも。
ホントは、恐い。その願いが叶うと、叶ってそれっきりだと思うと……恐い。
だから、私は願うことはしない。努力してどうこうなる、という願いでもない。大樹に願いでもしない限り、どうにもならない。
だから、永遠に叶わない、願いなんだ……私のは。
「おーいガキんちょどうしたー。置いてくぞー。」
「……あ、ちょっと待ってください!」
先さき歩いていった宗次郎さんに呼ばれて、私は走り出した。
ふと大樹に目を向けてみたら、風が吹いたと同時に大樹の葉っぱも揺れた……ような気がした。