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聖帰還者のリファミリア  作者: 美音樹ノ宮
2/6

自由落下と記憶の英雄譚

~聖帰還者のRe.ファミリア~






身体が奈落へ落ちていく。

その感覚だけが、嫌に脳裏へと張り付いていた。

背中の痛みはなくなって、五感も限りなく擦り減っていき、意識も確かに失った...それなのに。

わずかに残った神経が、ずっと消えないままで鮮明な心地を呼び起こし、次第に自我までも取り戻していくようなそんな状況に落とし込まれていく。

自分はただ、地面と衝突するタイミングを、知りたくないだけなのだ。

それが死を待つばかりとなった自身に残された最後の悪あがきだというのに。

この非情な現実はこちらの死を望んでいるかのように大きく口を開け、そんな切なる願いごと丸飲みにしようと待ち構えてくれていた。



ビュォォオオ―――――



崖下から響く、姦しいまでの風音が、気持ち悪く身体を支配していく。

そんな違和感に、また更なる理解を得てしまう羽目に陥る、これが夢ではないという事実を。

死を覚悟した瞬間ではなく、今まさに命を落とすであろうといったタイミングで感覚を呼び覚ますなんて、まるで死ぬ瞬間を噛み締めろとでも言いたげに思えてしまう。

一体、自分が何をしたというのだ、記憶喪失の捨て子...ある種苦しめられた側の立場である自身が。

現実はとにかく非情である。

平等に作られているわけではない、それもある程度の誤差ではなく、雲泥の差があるほどの優劣を作って、時には被害者すらも追いやって。

そうして最後は一人で静かにいなくなる、とそんな事を考えた刹那に蘇る大切な人たちとの思い出や笑顔に彼は、「(見つけてもらえないんだろうな)」と寂し気な思いを添え、そっと瞳を閉じてみせた。

間もなく来るであろうその瞬間とその気配を知覚して、またその後の展開へとやりきれない孤独と無力さを抱き、そしt―――――



ドサッッ―――――



静まり返って空虚な辺り一帯に、丁度人一人が砕け散っていくのと同じくらいの鈍い音を響かせていった。

本人も驚くほど唐突に、なんの引っ掛かりもなくあっさりと、誰の意向も聞き入れることなく一瞬で。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




―――――待ち受けていた勇者は、そのまま魔物の王と対峙し、辺りを静寂が包んでいった。

その問いに、彼は何を紡ぐのか。

後方から見守る森の精達は、皆が一様に固唾を飲み、勇者の動向を伺った。



「答えろ勇者、何ゆえ我を(はば)むのか。」


「わからないか...なら、お前と話すことはない。」


「命が惜しくはないのか―――――」


「死ぬことなど恐れてはいない。

 それよりも、ここにいる者たちが死を渇望することの方が、私にとっての恐怖だ。

 だからこそ、彼らを守る。

 私の力は、そのために与えられたモノだ。」


「フン...愚かだ、実に愚かだ。

 ではここで、我の全てをもってキサマを葬り去ってくれよう。」


「かかってこい、魔物の王よ―――――」



そう呟いた瞬間、二人の姿は元々存在していなかったかのように掻き消え、周囲に衝撃波をもたらした。

文字通り目にもとまらぬ速さで、踏ん張る事すら憚られるほどの地響きを伴い、辺り一帯へと数百に及ぶ剣戟の音を響かせながら。

そんな戦場をただ見つめることしかできなかった精霊たちは、彼の勝利に自分たちの命運までもがかかっているのだという事実を忘れ、ただひたすらに生きた心地のしない時を過ごしていた。

魔王の一振りにより戦火を上げる森の様子と、その火を一瞬にして消し去る勇者の素早い防戦(ぼうせん)に、止めどなく繰り出される攻撃の中で。

こんなことになるのなら、もっと早く彼を信じておけばよかった。

こんなことになるのなら、もっと早く彼の助言を聞き入れておけばよかった。

非力である自分たちがこんなにも彼の足枷(あしかせ)となってしまうのなら、そしてその優しさを否定しておきながらも都合よくなれば利用し、結果遅れて彼に全てを背負わせる羽目になるのなら―――――

逆に(・・)もっと早く、もっと強く、もっと確実に勇者を拒んでよかったと、長寿の存在ながらに誰もが子供っぽく怯えた表情を宿し、その光景に戦慄する様を展開して。

いますぐここから逃げ出したり、せめて森の鎮火を請け負ったりなど彼の気が楽になるよう助力できれば、幾分か自分たちの罪悪感も拭えるだろうか。

もしくは即刻(そっこく)勇者に逃げろと伝え、彼が遠くまで逃れられるだけの時間を稼ぐ事さえできれば、幾分か罪滅ぼしになるだろうか。

それが、人間と精霊は共存できないといった歴史ある戯言(たわごと)(のっと)って、彼を一方的に忌み嫌い続けてきた自分たちの(ごう)―――――

それが、この光景を目にしておきながらもその伝承に侵され、彼を信じ切れずにいるどこまでも愚かで自業自得な、自分たちの罪―――――



ドォォオオオオン―――――



「勇者様ッ!!!!!?」



だからこそ本当にこれは...自分たちに舞い戻ってきた(むく)いなのであろう。

と次の瞬間、希望を保ち続けていた精霊たちの瞳へと、頼みの綱であった一人の優男が吹き飛ばされる残酷(ざんこく)無慈悲(むじひ)な光景が飛び込んできた。



「そ、んな...」



おおよそ自分たちの数倍もの背丈を誇る勇者の、そのさらに十数倍(じゅうすうばい)もの存在感を有する巨躯(きょく)の魔王。

そんな物理的な迫力すらも遠く及ばない異形のものに、ただの人間なだけの彼が勝てるはずなど端からなかったのかもしれない。

信じ切るのとはわけが違う、存在感が違う、規格が違う、生きる次元が違い過ぎる。

だからこれも至極真っ当な展開なのであろう、と誰かに指をさされているような心地と共に、また無礼な心情を見せる精霊たちは喪失感よりさらに暗い恐怖を抱きつつ、恐る恐る背後へと目を向けていった。

そして数本の大樹をなぎ倒した(のち)、より一回り大きな巨木のもとで横たわるかの勇者の姿をしかと視界に捉えていくのだった。



「ダメッ―――――!!?」



血まみれになってぐったりとした勇者は目を覚まさず、微動だにもしない。

そんな状況に焦りを浮かべ、すぐに駆け寄っていくのはここまで彼を導いてきた森の精、アーシャ。

ただ一人、始めから彼の存在を受け入れ集落の皆を説得し続けていたよき理解者にして、この森の長をしている年老いた大精霊の一人娘であった。

だがそんな彼女の表情には、いついかなる時も浮かべられていた優しさや暖かさは微塵も感じられず、恐ろしいまでの悲壮感が満ち満ちている。

希望の光が潰えたことに対する『恐怖』などではなく...愛する者を失いかけた、絶望からくる『恐怖』の想いを体現した物々しさを孕んで。



「勇者様、勇者様ーッ!!?」



問いかけと共に彼の肩をそっと抱き、頭から流れる血を拭いながら皆の小言も振り払い生存確認を急ぐ。

人間の血、それが高貴な存在である(・・・・・・・・)自身の衣類に付くことなどお構いなしとばかりに、まだ血液の沁み込んでいない布地を探し出しては一心不乱に抱き寄せて。



「ア、アーシャ様、おやめください。

 あなた様の衣服が―――――」


「―――――ッ!!?

 あなた方はッ、こんな時にだけ行動を起こすのですね!?

 彼がどれほどの思いで戦っているのか、その目でしかと見ているというのに!!!」


「そ...それは―――――」


「それならどうします?!

 この森が焼かれてもいいとお思いなのですね!?

 それとも、自分たちの身が危険に晒されて(なお)人間からの救護は受けたくないと、くだらない矜持(きょうじ)を掲げるのですか?!」


「ですが―――――」



過去、自分たちの住処を奪ったのは同族同士で醜い争いを繰り返す人間たちの、私利私欲に塗れたくだらない戦争であった。

精霊は長寿の存在。

ゆえに今この場にいる者はそのほとんどが、同胞たちを失う光景を目の当たりにしている。

草花(くさばな)は燃え、木々は倒され、森の悲鳴は絶えず、無実な命を狩り尽くしては利用するなんて、そんな無残な情景をも根強くこの地に残して。

だからこそ精霊たちとこの森には、人類を嫌う矜持とその長い歴史が伝えられていた。

二度とこれらの遺恨を忘れぬように、何世代にもわたって継承されるほど執念深く。

しかし今この瞬間ではどうだ。

例え彼の行動が過去の罪滅ぼしであったとしても、命をかけてまで自分たちを救おうとしてくれている覚悟を拒む理由は何なのだろうか。

それが愚かな選択だと気付いて尚、その者の意志を(ないがし)ろにしようとしている理由は何なのだろうか。

私にはわからない。

分かるはずがない。

なぜならこの中で唯一...落ちぶれているのが我々、精霊たちの方なのだという事実を理解しているから。

そしてその伝承の古臭さを認めず改めることもないままで長生きしていただけ(・・)(おご)りと維持(いじ)に、その不遜(ふそん)な態度を目の当たりにしているから。

それなら、それならッ―――――



「それならもう、(わたくし)は高貴な身分など捨て去ります。

 (おさ)の娘だとか王女(おうじょ)だとか、そんなお飾りは捨てて彼と共に戦います。

 例えここで死んだとしても...彼と共にあり続けるため―――――」


「アーシャ。」


「―――――ッ!?

 ...お父様。」



アーシャの身体は怒りに震え、悲しみをまとい、吐き出しそうになるほどの嗚咽を数度と繰り返していた。

そんな彼女の様子に見ていられないと涙を拭うべく、その覚悟を遮ってまで名を呼んだのは、この森の長である彼女の父親であった。

(よわい)数千となる最古の長老で、只ならぬ威厳(いげん)をまとった声にはそれを聞いたものを即座に黙らせるほどの厳格(げんかく)さをも含んでいる。

結果、名前を呼ばれたアーシャは直ちに身体を硬直させて口を噤み、その場で全てを悟ってしまうまでに至るのだった。

この期に及んで勇者が受け入れられないことも、命をかけようと何も変わらないことも、自分の覚悟はすぐに無駄になってしまうであろうことまで、全て。

それだけのことを仕出かしてきたのだ、彼本人でなくとも、過去の人間たちは。

だからこの不条理も、ある程度は仕方のないものだと思って見過ごさなければならなかった。

自身が彼へと向けている、皆からすれば生ぬるいと思われても仕方のない恋心(・・)が、誰にも理解されないことを理解していたから。

そしてそれにより判断力も思考も冷静なものとはかけ離れ、彼に偏った考え方をしてしまうのもまた事実であったから。

だが...それでも―――――



「お父様、間違っているのは(わたくし)たちの方です。」


「...。」


「なぜそれがわからないのですか!!

 大昔からの意地(いじ)のせいで自らを危険に晒しておきながら、一族が助かるかもしれない道があるというのに、なぜ踏み出さないのですか!!

 (わたくし)はただ...ただ皆を失いたくないだけ―――――」


「アーシャ。」



胸に渦巻く怒りの矛先が、失望が、必死さが...皆を想ってのものなのだと、気付いてもらえないのがひどく腹立たしく、苦しくてならない、なんて。

そんな内情を胸に悲し気な印象を浮かべた彼女の様子が、父親だけでなく事の顛末を見守っていたものたちの目にも映っていく。

間違っていないと言いたい、自身が正しいと言いたい、それでも嘔吐(えづ)きまともな言葉が発せないと悔やむ、彼女らしくない情けなさを保ちながら。

しかし、そうやって不甲斐なく振舞うアーシャに対し次いで返った父親からの返答は、彼女が思っていたものとは真逆になんとも暖かなものなのであった。



「焼き払われた同胞たちの、その想いを無下にすることはできない。」


「...ッ。」


「けれど今は、お前と共に勇者様を信じると誓おう。」


「...お父、様。」


「儂も、腐るほどに愚かではない。

 それに、勇者様はこれからの世を担うお方だ。

 過去の因縁も、遺恨も、全くもって関係のない、新たな時代のお方だ。

 ...儂らの古臭い矜持も、彼にとってはもう何世代も前の話...現世(うつしよ)には必要のないものであろう。」



そう言った大精霊は彼女に優し気な微笑みを残し、そっと人差し指を勇者に向けた。

そして空中に輝かしく見事な魔法陣を描くと森の祝福をもってその身体を金色(こんじき)の粒子に包ませ、見る見るうちに彼の傷が完治するように処置を施していった。

ほとんど瀕死の状態であった勇者の身体を戦前よりさらに整調させ、より強靭な肉体と精神に仕立て上げる、大精霊(だいせいれい)にのみ扱える秘術を用いて。



「んッ...ん。」


「ハッ...勇者、様っ...」


「...?

 こ、これは...?」



彼女の腕の中でこと切れていた勇者が、瞬く間に意識を取り戻していく。

掲げた自身の両手を見つめ、その具合の良さを確かめつつ、目をぱちくりとさせては現況へと理解が及んでいないような印象を見せて。



「...アーシャが?」


「いいえ、―――――」



そして腑抜けたような表情の(もと)、急いで息を整えるとその答え合わせのためにと口を開き、自身を抱えてくれている者の名を呼ぶのだが―――――



「...勇者様。

 どうか、愚かな儂の願いを、聞き届けてはくださいませんか。」



フルフルと首を左右に振る彼女に連れられ、促された先で視界に捉えたのは、確かアーシャの父親だとか言っていたような大精霊(だいせいれい)―――――

その迫力ある長老の、にじみ出るオーラや尊厳もグラついてしまうようなセリフと、(こうべ)を垂れ許しを請う何とも潔く勇敢な姿であった。



「この期に及んで、森と民を救っていただきたいなどと、不遜なことは申し上げません。

 愚かな選択をした我々にとってこれは、至極真っ当な罰...。

 しかし娘のことは、あなた様のことを第一に...ただひたすらに(いつく)しんできたアーシャのことだけは、救っていただけないでしょうか。

 どうか、最後の慈悲を...。」


「...長老様―――――」


「いいえ勇者様、お願いです!!

 どうか(わたくし)だけでなく、皆も―――――」


「アーシャ...すまない。

 分かってくれ―――――」



これまでの彼を振り返り、到底聞くことなどないと思っていた言葉の数々に、混乱しているのは勇者だけではない。

その覚悟を聞き届けたアーシャまでもが、その場で狼狽(うろた)え始める素振りを見せていった。

なんの含みも一切なく、ただ純粋に願いを浮かべる、死を怖がりながらも勇猛果敢に立ち向かっていく愚かさ―――――

そしてそんな真剣な雰囲気が、彼女の心を逆に抉ってしまったようだった。

何が言いたいのかは分かっている。

当然その言葉を聞いたからというわけではなく、その覚悟の決まった目を見れば一目瞭然だ。

だがしかし、そんな状況に次いで吹き出し笑みを浮かべる勇者は、彼らの威厳(いげん)などお構いなしとばかりに明るさを振りまき、こう言葉を続けていくのだった。



「―――――ふッ、長老様、頭を上げてください。

 アーシャも、もう泣かないで。」


「...。」


「...私は精霊族と人間の間に過去何があったのか、これでもわかっているつもりです。

 それを踏まえた上で、元よりこれは罪滅ぼしでも何でもない。

 言いようによっては無礼かもしれませんが、私にとってはもう大昔の話ですから。

 だからこれは、私がただ...ただ、皆さんを救いたいだけなのです。」


「ッ、勇者様...。」


「ありがとうございます、長老様。

 ですが今は時間が惜しい。

 すぐに終わらせてきます、この戦いも、過去の遺恨も。

 なのでどうか...どうか最後の瞬間まで、私のことを信じて待っていてください。」



強く(たくま)しい言葉と共にその場の空気を一瞬にして変えた勇者は、彼らの愚行にも完全に目を瞑る様子を見せ、そのまま慈愛(じあい)に満ちた優し気な眼差しを浮かべていった。

そして傍にいたアーシャを抱き抱えながらガバッと立ち上がると、彼女を含めこの場にいるたった一人にも罪悪感を感じさせないよう振舞い、屈託のない笑みを浮かべて言った。



「きゃッ、勇者様!?」


「アーシャ。

 今の私がこうして戦えているのは、君のおかげだ。

 ありがとう。」


「どうされたのですか、急に。」


「ふふッ...だから、君が気負う必要は一切ない。

 わかるね?」


「...はい?」


君から受けた(・・・・・・)、この呪文を解除してくれ。」


「―――――ッ!?」



時間がないとの言葉通り、迅速に行動へ移そうとする勇者。

そんな彼の突如として紡がれた言葉に、覇気を感じたアーシャはさらに目を丸くし、驚きに体をびくつかせた。

初めて感じる、怒られるかもしれないという失望と、自分のせいではないかという恐怖に苛まれ、言葉に詰まる様子まで見せて。

しかしそんな彼女を見つめる勇者の瞳には、やはり他責にするつもりや怒るつもりなどは一切なく、ただ純粋に相手を想う真っ直ぐな愛情が伺えていた。



「気付いて、おられたのですか。


「あぁ。

 だがもちろん、これが私のための思っての幻惑(・・)だとも理解している。

 ただ、これは私の力に反発する。」


「...ッ、そんな...じゃあ私が―――――」


「ううん。

 これがあったから、私は挫けることなくこの場に立てているんだ。

 けれど、もう必要ない。

 今は嘘偽りなく、本当の意味での信頼を、この場にいる皆から受け取っている。

 だから...自由に戦える。

 どれもこれも、全部君のおかげだ。」


「...。」


「アーシャ。

 君の願い通り、全てを救って見せる。

 この森も、君の家族も、全ての命も。

 そして、私が魔王を討つ。

 だから君も最後の瞬間まで、私を信じて待っていてくれ。」



覚悟の込もった真剣な眼差し。

その前では、例え誰であろうと無条件に彼を信頼してしまいたくなるほどの、絶大なる心強さが滲み出している。

そんな光景に周囲を取り囲む精霊たちは皆が一様に言葉もなく、心根を揃えて言った。

生きる次元が、違い過ぎると。

巨躯の魔王がそうであったように、彼もまた、人知を超えた力を有している。

それは恐怖により世界を支配する力ではなく、誰かのために死ぬ気で戦う意志の強さと、信じる者たちの笑顔を守り続ける勇敢さ―――――

そしてそんな彼に惹きつけられ、全てを捧げたくなるような完璧なまでの魅力である。

勇者の本当の力。

彼を思う者たちの、その(ねが)いの(たけ)によりどんな望みすらも叶えてしまえるほど、底なしのエネルギーを生み出す無限の可能性。

ならばこそもっと早く彼を信じていれば、被害も最小限になったというものである。

ならばこそもっと早く彼を受け入れていれば、苦しい思いもしなかったというものである。

と、そんな事実に、誰もがもう何度目ともなる後悔の念を沸かせ、その拳をギリギリと強く握らせていった。

だが、その者たちの表情には少し前とは違い...二度と剥がすことも出来そうにないほどの信頼に満ち満ちた笑みが張り付いていた。

もう死や絶望におびえることのない、そんな未来を無意識に想って、そして勇者を信じて。

刹那―――――



「ありがとう。」



アーシャの幻惑が解除されたことに合わせ、ぽつりとそう口にした勇者は周囲から向けられる自身を信じる心(・・・・・・・)を頼りにその身体を眩い光に包ませていった。

そして再び魔王と対峙するため力強く一歩踏み出し、その迫力を周囲一帯のありとあらゆる生命に轟かせていった。

安心してほしいと、信じてほしいと、そして笑顔でいてほしい、と―――――

自身の力を過信し、勝利を確信してふんぞり返っていた魔王の表情をも曇らせ歪ませるほど、揺るぎない覇気を伴って。



「...おのれ勇者、なんだその力は。」


「魔物の王よ。

 もう、お前の好きにはさせない。」


「勇者の光...か。」


「時間はかかってしまった。

 だが、もう迷いはない。

 誰もが私の勝利を願い、信じてくれている。

 ゆえに私はもう、お前には劣らない。」


「...フフ――――

 フッハッハッハッハッハァッ!!!!!

 もう我に勝ったつもりかッ!」


「つもりなどではないさ...決着をつけよう。

 今ここで、私の全てをもってお前を葬り去ってやる。」


「フン、よかろう。

 愚かな人間よッ―――――!!」



互いに互いを見据えるその瞳には、もう両者を侮る気配など微塵も含まれていない。

次に立ち尽くした時はそのどちらかが敗者となり、この戦いと長き生に終止符を打つことになると、分かっているのだ。

そんな只ならぬ覚悟と雰囲気の流れる静寂の中を、アーシャが皆の元へと向かい駆ける足音が妙に響いていく。

そして彼女が立ち止まり後ろを振り返った瞬間、またもやその場にいた二人は忽然と姿を消し、周囲に衝撃波と剣戟の音を響かせていった。

始まりの時と同じように、それを目撃する者たちへ(おの)が未熟さを押し付け、恐怖に陥れようとする現実離れした迫力を伴って。

だがしかし、その時とは違って今ここには、精霊たちの確固たる信頼が芽吹いている。

命がけで自分たちを守り、あまつさえそれを「ただそうしたいからだ」と言っていた、罪も伝承もくだらぬ意地もない純粋な優しさと底知れぬ温もりをくれた彼を最後まで信じ切る、そんな意志の強さが流れている。

だからもう、誰一人として怖がったりなどはしていなかった。

確かに、全人類を許すわけにはいかないだろう。

今後も時には突き放し、また時には忌み嫌いながら、長き歴史を進んでいくことになるだろう。

だがそれでも、この瞬間に全てを掛けてくれている勇者を通じ、自分たちも変わっていかなければならないと、強くそう思う。

一瞬の綻びが、一瞬の心強さが、一瞬の変化が、今までの愚かな自分たちを消し去り...()いては今後の歴史をも変えていく。

そんな事実と共に、たった今の瞬間を以て勇者が魔王を圧倒し始めた展開へ誰もが目を輝かせ、身体を打ち震えさせていった。



「グッオォォオオオォッ―――――」



そしてその覇気と魔王の苦しそうな悲鳴を最後に、ゆっくりと意識が手放されていく。

温かい心地に包まれるように、この戦火の中でも安心して眠ってしまうように、恐怖から解放された皆は誰もが希望に満ち溢れた表情のままで優しい光の中へと落ちていく。

残ったアーシャも、猛々しい長老も、ただの一人として堪え切れずそっと膝をつき、嘘か真か軽々と魔王を翻弄する、そんな勇敢な背中を最後に―――――

かくしてこの災厄を招く、最恐の予言は敢え無く真の力(・・・)の前に幕を閉じていくのだった。

人を、命を、世界を本当の意味で救えるのはただ一つ、真実の愛なのだという事実を知らないままで―――――




―――――次に目を覚ました時、森の様子はすっかりと変わり果てていた。

日の光を阻害していた暗雲(あんうん)が消え去ったことにより、以前にも増して(きら)めきを取り戻した大樹はキラキラと(かがや)き、周囲一帯に惜しげもなく陽気な雰囲気を漂わせている。

そんな世界樹の森の様子はと言うと、初めから魔の手になど掛かっていなかったと思えるほどに、豊かな光景が流れていた。

病気に侵されていた者たちはすっかり目を覚まし、元気いっぱいに辺りを駆け巡る姿を見せ、新芽(しんめ)若葉(わかば)などのこの数年間見る影もなかった新緑(しんりょく)がすくすくと成長し無数に溢れ返っていく。

それもこれも、全ては勇者のおかげであった。

魔王を倒し、森の平和を守り、皆を救ってくれた彼の何より頼もしい、優しさと強さのおかげであった。

と、次いで目を覚ました者から順に、此度の功労者の元へ多大なる歓声が向けられ、その周りには一瞬で一際目立(めだ)つ人だかりや賑やかさが溢れていった。

そんな中心で笑顔を絶やさず、幸せそうに微笑み抱きしめ合うアーシャとリルはしかと互いの温もりを感じ、ゆっくりと皆の声に応えるよう口づけを交わし合ってゆく。

そうして二人は様々な祝福の(もと)この妖精と幻想の共生する幻想郷にて結ばれ、生涯を通じその愛をこの場で育んでいくのだった。

いついかなる時代も新たな物語の始まりとは、継続からではなく失敗と成長からである。

そう、教えてくれた英雄王リルロット・アーカディアの功績を幾年もこの地に根強く残し、過去の矜持を新たな伝承として塗り替え、言い伝えて行きながら。

最後の瞬間まで妖精たちと語らい、酒を酌み交わし、共に手を取り合いつつ笑顔絶えない森を絶えず繁栄させて。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




勇者リルロット・アーカディアの英雄譚。

それはまだ日本語を勉強していた時期にシスター達が読んでくれた、譚記物(たんきもの)の中で最も印象に残ったおとぎ話。

別段好きというわけではない。

物語もありきたりなもので展開も読め、さらにはことごとく綺麗ごとで片付くタイプのお話だったから。

でも嫌いと言うわけではなかった。

むしろ先にも言った通り、なぜか惹かれる描写の絶えない、そんな書物であった。

真実の愛、それが今の自分にかけているからなのか、はたまた元よりそういう話が好きなだからなのかは知れないが。

なぜそれをこの瞬間で思い出したのか。

そうそれは、物語の挿絵に酷似した幻想を目にしたからであろう。



「...う、わぁ―――――」



奈落の先で見たモノは、ほとんど消えかけていた過去の記憶を引っ張り出してくれるほどに、美しい景色であった―――――

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