38.結局のところ、答えはシンプル
魔獣は魔術師を甘噛みするのをやめてシェナにすり寄る。よしよし、とシェナはその頭を撫でた。
「この子、騶虞の幼獣でしょう?」
「……スウグ?」
首をかしげたのはファティマである。意外と余裕があるようだ。ルークもシェナを見下ろす。
「スウグとは? 確かに虎にして大きい気がしたが」
「魔獣の一種です。華原平原に生息する、瑞獣とされますが、かなり珍しいですね。私も初めて見ました」
「待ってくれ。ズイジュウ……とは?」
「良いことがあるときに現れる獣です」
なるほど。すぐに解説が返ってくるが、その前に言葉が難しくてわからない。たぶん、志奈語だとは思うが。
「どうやってこの国に入ってきたんでしょうね」
切り取った人体を販売していたのは、この男だ。と言うことは、このスウグも彼が輸入したのだろう。そして、魔術師に売りつけた。その代金は支払えたのだろうか。そうでないのならば、希少な魔獣だ。回収しに来るのではないか?
見る限り、魔力が強い方に惹かれるようだ。方法によっては、無事に連れ出せるだろう。
「なので、提案なのだけど、この子と彼女を交換しない?」
「……シェナ」
ルークが咎めるようにシェナを呼んだが、彼女は意見を翻さなかった。
「……いいだろう。スウグをこちらに寄こせ」
せめて先にファティマを話してもらいたいところだが、シェナは自らスウグを伴って彼らに近づいていった。スウグが引き渡されると同時に、シェナがファティマを引き寄せてその場で伏せた。
「おわっ」
いくつか銃撃があった。警察の機動隊だ。魔術師は悲鳴を上げてうずくまったが、男の方は両膝を射抜かれていた。
「ファティさん、止血してあげて。ほら、お前はこっちだよ」
シェナがスウグを呼び直すと、スウグはなつっこくシェナにすり寄った。ファティマが男の止血をしているところへ、警察がなだれ込んでくる。ルークとシェナもいくつか事情を聞かれた。
シェナは警察にスウグを引き渡そうとしたのだが、スウグが嫌がった。警察が不審げにシェナを見る。
「何か怪しげな魔術でも使っているのではないですか」
「魔力を封じられているから無理ね。あなたが怯えているのがわかるのよ。魔獣を扱いなれた人を連れて来なさい。素直な子だから、それで保護できるわ」
さくっと怯えていることを指摘された警察は渋面を作ったが、素直に魔獣の扱いに慣れているものを探しにいった。
「……お前が飼えばいいんじゃないか」
「私には免許がありませんから、不可能です」
魔獣を飼うには免許がいる。それを知った時、ルークは「魔獣って飼えるのか」と変なところに感心したものだ。
「だが、良くなついているじゃないか」
ルークが撫でようとすると、スウグは牙をむく。恐ろしいわけではないのだが、何となく釈然としない。
「スウグはめったなことでは人を襲いません。今は私を主人と思っているようなので、私を守ろうとしているだけでしょう」
「つまり、俺は敵ってことか」
「この子の中ではそういうことなのでしょうね」
「……俺はお前に危害を加えるつもりはないぞ」
一応言ってみるが、スウグには通じなかったようだ。シェナがかすかに笑う。
「言葉だけでは意味がありません。あなたが私を信用していないように、私もあなたを信用していないのだから」
「……」
言いにくいこともきっぱり言う。その性格は、ルークにとっては割と好ましいものであるが、多くの人にとっては不快だろう。また、ルークがシェナを信用しきれていないのも事実だ。同じように、シェナはルークを信用していない。信用できるほど、共に過ごしていない。
「……お前の能力は魅力的なんだが」
「私にはそれしかありませんから」
悲しげでもなく、そういうシェナに、ルークは目を細めた。
魔獣になれた警官がスウグを引き取っていった。それを見て、殺人犯の方の犯人を手当てしていたファティマが戻ってくる。
「ねえ、シェナちゃん」
「はい」
「警察が来ること、わかってたの?」
警察に連絡を入れようとしても、圏外だったことをルークも思い出した。シェナは小さく首をかしげて「いえ」と言った。
「私の魔力を封じているこの装具は、私の居場所も示しています。電波が圏外だったということは、そこで信号も途切れていたはずです。おのずと、私の居場所が分かったのでしょう」
それで警察が呼んでいないのにやってきたのか。
しかし、事件が解決したということは、ルークたちがシェナを振りまわす理由もなくなったということだ。ルークがそう思ったように、ファティマもそう思ったらしい。
「シェナちゃん、うちに来るんじゃないの?」
「今のところ、そのつもりはありません」
けど、とシェナは続ける。
「決心はつきました」
何の、かは聞かなかった。おそらく、退役するのだろう。静寂の森事件がある限り、軍が自らシェナの首を斬ることはありえない。かといって、彼女に指揮権を与えてしまえば、その一部隊を率いて、彼女がクーデターを成功させる可能性だってある。彼女はこのまま一生幽閉されるか、自ら軍を去るか、どちらかになる。
十五歳から十年間、軍に身を置いた彼女に、平常の暮らしは難しいのではないかと思う。
ファティマはからりと「そっか」とうなずき、「また会えるといいねぇ」と笑った。シェナを病院に送り届けた後、ファティマはルークに尋ねた。
「ルークはシェナちゃんを勧誘に来たんじゃなかったっけ?」
「ああ。だが、俺が彼女を説得することは不可能だろうな……」
「でしょうねぇ」
ファティマはにべもなく言った。もしかしたら、ファティマにならできたのかもしれないが、彼女は無理強いしようとはしないだろう。
「とても理性的な人だけど、とても感情的でもある。今は理性が勝っているけど、自分が感情的になったら何をするかわからない」
「は?」
「シェナちゃんの考え、と言ったところかな。当たらずとも遠からずだと思う。信用はできないだろうけど、好かれてはいると思うよ」
だから、迷惑をかけたくないのだろう、とファティマは言った。
その後、シェナは本当に退役したと聞いた。なので、退院するという日に病院まで向かったルークである。
「あら、お久しぶりです」
シェナはしれっとそんなことを言った。ルークは顔を引きつらせる。
「前にも言ったが、お前を勧誘に来た」
「そう言えばそうでしたね」
シェナが今思い出しました、と言うように言った。
「シェナ、あんたはもう、自分の能力に期待されるのが嫌なのかもしれない」
「……」
この言葉は、思いがけず彼女の核心をついたようで、ルーク自身が驚いた。
「だが、うちが人手を欲しているのは事実で……俺は今の地位を得たばかりで正直、何をすればいいのかわからん。……俺を助けてくれないか」
じっと、黒い瞳がルークを見ていた。室長は、彼女は優しいのだろうと言った。なら、情に訴える方がいいのではないかと思った。
ルークは現場での判断能力に定評はあるが、深謀遠慮の人ではない。シェナはどちらかと言うと、そちら側の人になるだろう。彼の浅はかな考えは見透かされているかもしれない。
「……ヘル・リヒター。あなたは私が知っている人に似ています」
だから、請われると手を差し伸べたくなる、とシェナは嫌そうに言った。いや、無表情なので雰囲気だけだが。
「……ひとつ、言っておかなければならないことがあります」
「なんだ?」
「私、人に指示を出すのは得意ですが、特段、事務仕事が得意なわけではありません」
さすがは軍学校で才能を惜しまれただけある。出会って半月で、ルークの弱点をついてきた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
某有名な小説では騎乗できるけど、ここではでっかいトラです。一日に千里をかけるのは一緒です。




