プロローグ:開戦
戦場の空気というのは独特なものがあると、イルムは思う。
これから殺し合うんだという人の思いが、死にたくないと震える感情が、生き残りたいと願う人の願いが。
本来は物理的には何の影響もしないはずの「大勢の魂」が、張り詰めた戦場を作り上げるのだ。
それは理屈で測れるものではない。
今回、イルムは護衛対象であるミラルドと同じような姿で戦場に来た。
そしてミラルドはイルムがすべき恰好をする。
二人はフルフェイスの全身鎧を着こんでいるため、パッと見ただけでは中身など分からない。
よくある姑息な手段、人の入れ替わりだ。
そしてこれは、これからイルムがする事への布石でもある。
「友好の使者を殺すなどという暴挙に出た――」
「冤罪により友好を一方的に破棄する――」
戦争前の舌戦が行われる。
本来は大将がすべきことなのだろうけど、ミラルドもイルムもこういった事に向いていないため、サーベリオン軍は文官が声を張り上げる。
互いの持つ戦争への根拠を一通り宣言しあった後、行われるのは正々堂々とした普通の戦争であるはず、だった。
アブーハ軍は定石通り、弓兵とそれを守る盾歩兵が前に出る
後ろには長柄の槍を持った歩兵が待機し、騎兵の突撃に備えた。
対するサーベリオン軍は、たった一人の騎士だけが前に出る。
いや、その後ろには100を超える魔術兵が待機していたが。
それでも、最初に一撃を入れるのは騎士たる彼だと言わんばかりの布陣をしていた。
サーベリオン軍のその様子に、アブーハ軍の前線指揮官は尋常ならざるものを感じる。
何も考えずにそのような事をするとは思えず、どのような作戦なのかと考え、空恐ろしいものを感じたからだ。
つまり、あの騎士を突撃させることがサーベリオン軍の勝利につながると。
相手がそう考えているという事は、何らかの根拠があるという事だ。
その根拠の出所が全く読めず、ただ最低限の対応はせねばならぬと動き出す。
「中央に盾歩兵を集めておけ。中央の弓兵は少しぐらい薄くなっても構わん。左右からの密度を濃くするように兵を動かせ」
「了解であります!」
急ぎ、指揮官は夫人を見直した。
後方の本陣にいた大将らは抗議の声を上げるが、前線の指揮官がそのように判断したなら一定の配慮は必要だ。後できちんと説明させると、文句を言うだけに留め配置換えを止めようとはしなかった。
その判断は、正しい。
ミラルドに扮するイルムは、単騎突撃を申し出た。
英雄の初陣である。
正確には初陣でも何でもないのだが、英雄としては初の戦争参加なので、目立つ功績をミラルドに与えるつもりでいた。
自分が「目立つ」という事に今のイルムは頓着しない。
それよりも大事なのは家族であり、自身のしがらみに拘泥するよりもこの戦争に勝つことを選んだ。
そして、次の戦争を起こさない事を願う。
ただ、イルム本人が目立つよりもミラルドという若き英雄が名を売ったほうが後々まで役に立つからミラルドの扮装ぐらいはしている。
軍としてはミラルドに活躍させたいのだ。このあたりは保身ではなく、士気の問題と政治的な配慮に過ぎない。
少なくとも、作戦を理解している軍の上層部や貴族たちはイルムの実力を知るだろう。
その後の事を、イルムはあまり考えていない。
間違いなく面倒ごとになると分かっていても、まずは目の前の脅威をどうにかすると決めた。
覚悟を決めた男が今、軍に挑む。




