ミリアンナ
弟子に魔法を教える、それ以外は自由。
それがイルムの扱いだった。
軍を退役したからか、イルムは貴族連中からはさほど拘束されていない。
婚姻関連に関しても、約1名を除き、なんのアプローチも無い。
「あら? 遅かったわね。お邪魔しているわ」
「ミリアンナさん。また連絡もなく入ってきて……」
「あら、いいじゃない。私たちの仲でしょう?」
その1名というのが、侯爵令嬢のミリアンナだ。
腰まで届く長い黒髪を靡かせて、さっそうとイルムの前に立ちはだかるのだ。
イルムにとって、はた迷惑な客人である。
この日も弟子との時間を終えたイルムが嫁二人と一緒に帰宅すると、家の中で待ち構えていた。
普通の貴族令嬢であれば、単身で男の所に来ないものだ。
それに、顔を出す前に一言連絡を入れるだろう。そうしないとすれ違って会えない事もあるのだから。
ミリアンナはそういった事を一切気にかけず、いつも強引にイルムに近づいている。
「それよりも貴女達、邪魔だわ。私とイルムの間に立たないでくれる?
私たち二人の仲を先に進められないじゃない」
「イルム様が望んでおりませんので」
「お引き取り願います」
「相も変わらず、生意気ね」
全てが当然の様に振舞うミリアンナに対し、イルムだけでなくルーナとネリーもあまりいい感情を抱いていない。
二人はイルムの前に出て、正面からミリアンナの視線を受け止めた。
侯爵令嬢として磨き上げられたミリアンナと、イルム謹製の化粧品で戦闘準備万端のルーナとネリー。誰もが美女と呼んでいい女性である。好みの問題はあるだろうが、ほとんどの男性が美しいと言いはするだろう。
そんな女同士のにらみ合いは男のイルムにとってかなり居心地が悪い。美しい女性たちだからこそ、思わず逃げ出したくなるほど空気が張り詰めていた。
だが、ここでイルムが動かねば、この悪い空気はずっとそのままだ。
だからイルムは一歩前に出てミリアンナを拒絶する。
「申し出はありがたい事だと思いますが、一介の平民には過ぎた話です。
ですので、お断りします」
「ふぅん。
前から言っているけど、私も侯爵家の娘というだけであって、身分は平民よ。気にすることは何も無いわ。
お父様からの紐付きになるような真似もしないし、貴族としてのふるまいを覚えろなんて要求はしていない。だからこそ閣下も口出ししてこないのよ。
何が不満なのかしら?」
イルムの返答に、ミリアンナの目が、すうっと細められた。
彼女も、イルム相手に侯爵令嬢の立場を使った力押しだけで話が進まない事を理解し、彼女なりに譲歩、妥協案を添えている。
なのに、なぜイルムが首を縦に振らないのか。全く理解できないでいた。
別にミリアンナは長女でもなければ一粒種という事も無い。ごく普通の娘として育てられているため、周囲が自然と自分に傅くなどという偏見を持ってはいない。
だが、イルムにとって自分との結婚はかなり有利な条件を出しているので、金銭欲や名誉欲がある程度あれば普通に乗ってくると考えていた。
そして、彼女の周囲にはそういった欲求を強く持つ人間が多くいたため、「金や名誉は誰でも欲しがるもの」と考えるようになってしまったのだ。
それにミリアンナ自身、お金も名誉も大好きな人間である。
イルムとの結婚は自分にとっても有意義であるから、どちらにも損のない関係を築けると考えていた。
家の為とか国の為とか、そういった殊勝な考えで動いているわけではない。
ミリアンナは完全に、根本からイルムと考えが違う事に気が付かない。
「何度も言っていますが、この人を妻にすると男が決めたのなら、その言葉には責任を持つべきです。
そして妻を愛しているのなら、手放すなど論外です。
私は、誠実でありたいのです」
もちろんイルムは言葉を尽くし、とまではいかないが、自分の考えを話してはいる。
それでも持って生まれ育てられた「常識」の壁はどこまでも高く厚い。ミリアンナが「その条件では足りない」などと言葉の裏を勝手に読んでしまうほどに。
「時間切れね。また来るわ」
しばらく押し問答を続けていたイルムとミリアンナ。
そのうち、ミリアンナの従者がイルムの家までやって来た。ここにいるだろうと。
それを理解したミリアンナは、この時だけは素直に去って行く。なんの納得も得られないまま。
イルムの受難は、まだ終わらないのであった。




