プロローグ
少なくとも、ゲーム中に主人公が軍属になる描写は無かった。イルムの記憶の中の話であり、それも虫食いではあったが、前後のつながりから見て間違い無い。
では、なぜイルムが軍に徴用されたのか?
その答えは至って簡単で、ジャック卿が亡くなったからである。
ゲームでは、ジャック卿がイルムの徴用を防いでいたわけだ。彼が、軍属にせず自由に動かせる駒として主人公を使っていたという設定があったから、ゲームの主人公は傭兵という身分のままだった。独立勢力になる一部のルートを除くが。
ストッパーが無ければ、有用な駒を有効に使う手腕の持ち主がいなければ、そこそこ使えそうな平民など、貴族の思惑で好きに使われるのが身分差であり、階級社会であった。
だが、イルムはこの命令から逃げることが可能である。
元々の生まれはミルグランデ領であり、サーベリオン公爵領の出身ではない。
移民であり、土地にとらわれない種類の傭兵なので、他の土地に逃げ出すことも可能だ。今の生活を捨てる覚悟があれば。
ジャック卿はその可能性を懸念していたからこそ、徴用命令を出さなかったとも言える。
当たり前だが、ジャンもそれぐらいは理解している。
「俺としては、イルムにはこの命令を受けてもらいたい。何かあった時、敵に回ってしまう可能性があるなら、その可能性を先になくしたいんだ」
「言われなくても。そもそも、俺は戦場に出たくないから流民のままなんだけどな」
苦い顔でジャックが「敵対したくない」と言えば、イルムも「そんなつもりはない」と返す。
傭兵のイルムが敵対するなら戦場であり、ミルグランデ軍に雇われればサーベリオン軍のジャンとも戦う危険性があるわけで。ジャンはそれを非常に恐れていた。
イルムはそもそも戦場に出るつもりがなく、傭兵稼業は盗賊退治専門で行くと決めていた。信頼できる者が居なかったというのもあるが、人数を増やさなかった理由には「戦場に駆り出されないようにするため」というのもあったのだ。規模の大きい傭兵団の主な仕事は戦場だからである。
普通の軍務官なら、たった三人の傭兵団を雇うような真似はしない。それよりも数十人規模の、もっと規模が大きい傭兵団に声をかける。その方が手間がかからない。
ただ、本人にそのつもりがなくとも、戦場が、戦線が動けば何が起こるか分からないのも戦争だ。
自分や味方の命がかかっている為、ジャンの目はどこまでも真剣である。
「悪党の盗賊を狩るのは構わないんだ。俺の中では、な。
ただ戦場に立つならどっちも悪党だ。どっちも正義を掲げているなら、どっちにも正義は無いんだ。そんな悪党同士の殺し合いに混じるなんて馬鹿げたこと、好き好んでしたくないんだよ」
だからイルムはサーベリオン公爵領から逃げる算段を付け始めた。
戦場に出たくないのだから、それが一番だと分かっているのだ。優先順位の付け方を、イルムはしっかりと決めている。
身の安全を一番に持ってきているイルムであれば、「戦場に出ない」というのはかなり優先順位が高くなるのは必然である。
「身の安全」と「戦場」は絶対に両立しない。「現在の生活環境の維持」は徴用されれば失われる為、すでにどうやっても守れない。「生活の糧を得る」はどこでも実行可能。身内の二人と、それはいつも確認し合っている。ならば逃げるのが一番なのは自明の理である。
一方、戦場に立つことを悪行扱いされたジャンは苦い顔を更に苦い物を噛んだかのように歪める。
イルムの言っていることは分かるが、ジャンだって好き好んで戦場に立つわけではないし、立たねば守れぬ物があるのだからそうするしか無いのである。それを悪と言われて面白くないのは当然だ。イルムの言葉は、結局は、守る物が無い者の言葉でしかない。
少なくとも一般的な考えとして、襲いかかってくる者を打ち払い身を守ることは悪ではないからだ。
物事を一律に考えることは間違いでしかない。イルムの言葉をジャンに当てはめれば、イルムの方が間違っている。
ただ、イルムよりも年上のジャンはその言葉を飲み込む。イルムがそういった揚げ足取りで戦場に立つことを悪と言ったわけではないと、分かっているからだ。ただ、自分が戦場に立つことを悪だと言っているのだと。
イルムとの付き合いは半年以上になるので、その程度の理解は出来る。
「追手はかかるか?」
「かかるだろうね。逃げたなら間者として捕まえようとするだろう。
これまでのこと全てがイルムのせいにされる可能性もあるね。八つ当たりを正当化する為に」
「従うならそれで善し。従わねば、それはそれで使い道があるってか」
イルムは言外に、だが直接的に逃げることをジャンに伝える。
そしてジャンは現実が見えていない誰かの行動を予測し、来るべき流れをイルムに伝えた。
おそらくも何も、貴族というのは命令すれば平民は従うと疑わない者の方が多い。事実、ほとんどの平民はそうである。
さすがに法に触れることをすれば逆らうだろうが、それは法に触れることが問題なのであって、貴族に平民が逆らうという発想がない。また、逆らうことそのものが悪であり裁くべき事であると考える。彼らの中の常識ではそうなっている。実際、規範として「身分が下の者は身分が上の者の言葉に従うべし」とある。
もしもイルムが命令に従わず逃げたなら、貴族はそれを理由にイルムを犯罪者に仕立て上げるだろう。
余談ではあるが、貴族が平民に法に逆らう命令をしたとして、平民がそれに従ったとする。
その場合、悪事が発覚し貴族が命じたと分かれば平民は無罪である。命じた貴族が裁かれる。
ただ、貴族が命じていないとなったら、やった平民が裁かれて貴族は当然のように無罪となる。
残念ながら、この例題のような場合は後者の方が圧倒的に多い。
イルムがサーベリオン公爵領で犯罪者になった場合、アブーハ公爵領まで逃げられれば、逃げ切ったとして無罪となる。
だがそれでもサーベリオン公爵領からイルムが犯罪者だという話が流れ出た場合、アブーハ公爵領の誰かが、小遣い稼ぎかご機嫌取りでイルムを捕まえようとするかもしれない。残念ながら、大義名分はある。
なので、イルムはその選択を最初に除外している。
もし逃げるとすれば。
イルムはわざと追手に追いつかれ、それを返り討ちにする。数回やれば、百人も兵士を殺せば、貴族も追手をかける不利益を理解するだろう。
その後はイルムを犯罪者に仕立て上げた貴族を襲撃し、命令を解除させ、慰謝料をせしめればいい。
どうせ本当の腕利きは最前線から動かせないし、こんな事に使えないのだ。だからイルムならそれが出来る。
「待て! 極論に走る前に交渉をしよう!
人間は話し合って互いに妥協点を見いだし、手を取り合える生き物だ! いきなり戦うことなどない!!」
「それが上手くいかないから、戦争をしているんだろうが」
「違う! いや、そうじゃなくて! 彼らとは色々あった末に戦争になってしまったが! 俺たちはまだ一度もこの件で話し合いをしていないだろう!?
まずは、一度ぐらい話し合って、それから今後のことを考えよう」
ジャンと半年以上に渡るイルムとの付き合いの中で、イルムの考え方や能力についてそこそこ理解している。
その考え方が物騒であることも含めて。
イルムの理解者であるジャンは、大声を上げてイルムを制止した。
おそらく、多くの血が流れる未来を予見して。
ジャンとはそこそこの時間付き合ってきたイルムである。
まったく親近感を覚えていないわけではないし、ただの知人と言うほど情が薄いわけでもない。
誠意を持って接する相手には、基本的には、誠意で返すのがイルムである。相手の言葉を無碍にするほど傍若無人ではない。
結局はイルムが折れ、渋々とだが、イルムは貴族と条件闘争をする事でこの話は終わるのであった。




