神暦2020年 ヴァルナス共和国 王立大学にて
「――と、いう訳で。この“名も無き魔王”の存在は、サーベリオン公爵による自作自演の可能性が高いわけだ」
「先生! しかし『フレア・ロスト事件』の犯人が魔王であるという説の否定にはならないと思います!」
「そうかな? 事件があったことは間違いないが、あまりにもサーベリオン公爵に有利すぎるこの状況、他の公爵たちの記録の無さを考えれば、魔王とはサーベリオン公爵に政治利用されたという考えの方が自然ではないかな?
特に注目すべきは時系列だ。魔王が現れたのは『フレア・ロスト事件』からしばらくしてからだが、サーベリオン領の公式資料だけは事件直後からとなっている。事件後にアブーハ公爵がサーベリオン公爵に支援を申し出て、ミルグランデ公爵がそれに続いたとあるが、この時に両公爵の資料からは魔王の魔の字も出てこない。サーベリオン公爵領の資料からのみ、魔王の名がある。
両公爵の資料にある魔王の登場はそれから2年先の話なのだよ。
この意図的に作られた空白が何を意味するのか。どのような推測をするのかね?」
「意図的に、と仰いましたが、当時は国が大いに乱れた時期でもあります。資料が混乱期に改ざんされた可能性、もしくは両公爵の所から散逸した可能性もあると思います」
「前者はまだ可能性があるね。が、後者の可能性は全くない。
なぜなら、両公爵は魔王についてサーベリオン公爵に多くを問い合わせているのだよ。そういった資料が多く見付かっており、その信憑性は非常に高い。
改ざんはあっても、散逸したという可能性は低いだろうね」
ヴァルナス共和国、首都、ダーレン。
ダーレン王立大学で考古学を学ぶ者たちのミーティング。
そこでは男女8人がそれぞれの資料を持ち寄り、“語られぬ歴史”について議論をしていた。
今回のテーマは『ヴァルナス王国史』で、年代は王国崩壊前の数年間についてだ。
かつて存在したヴァルナス王国は、王国歴164年を以ってその歴史に幕を閉じている。
その年にあった、『大魔法革命』と呼ばれる市民階級の魔法使いたちを中心とした一斉蜂起で王族や高位貴族のほとんどが捕まり、殺されたからである。
王国末期は貴族同士の仲が非常に悪く、足並みを揃えきれなかった事が原因とも言われる。
市民階級の者たちがどうやって魔法を会得したのかというと、ちょうどこの数年前にサーベリオン公爵領、ミルグランデ公爵領、ダーレン独立自治領を中心にとある魔法書が広まったからだ。
『始まりの魔法書』と言われるそれは、一時期はサーベリオン公爵領にいたミラルドという騎士が書いたと言われていたが、現在は証拠不十分として著者不明となっている。
現在最も有力な説は、この時期に騒がれたという『魔王』が書いたという説。
魔王が王政打破のために魔法を王国中に広めたのが始まりと言われ出している。
王政に立ち向かった何者かがいたというのは、すでに定説として遅着しているが、これまではそれが魔王と結びつくことはあまりなかった。
なぜなら、魔王の名がどこにも存在しなかったからだ。
魔王と呼ばれるほどの実力者であるなら、何らかの形で名が知られていなければおかしい。
しかし当時の貴族、その中に魔王らしき者がいるという痕跡は残っていない。
ならば魔王は貴族の庶子で、貴族家の籍を持っていなかったとすると、それはそれで不自然である。
貴族の庶子が生まれ頭角を現した場合。どうやって魔法を会得したのかという話になるのだ。
高度な魔法が使えるのは、この時代ではほとんどの場合、貴族だけである。知識を得ることが彼ら大学生に比べ、非常に難しい。庶子、平民といった線はこの時点で消える。
だから魔王の存在そのものが創作であり、サーベリオン公爵家の何かしらの失敗、不名誉な何かを押し付けられたスケープゴートというのがこれまでの魔王の定説であった。
ただ、最近になって一つの手記が定説に異を唱えた。
それはアブーハ公爵領の領民の一人が書いていたもので、そこに「伯爵領に攻め入った恐ろしい魔法使い。だけど、私たちに寄り添う優しい人」という一節があったのだ。
その手記を書いた女性は伯爵領が独立するまでの間、商家の生まれであったが、敗戦後に娼婦のような仕事をしていたらしい。その仕事の中で魔王らしき人物の記録が残っていた。
アブーハ公爵領に攻め入ったという戦いは一回のみであり、その当時の将官の記録はすべて分かっていた、はずであった。
しかし記録のなかにある「恐ろしい魔法使い」と思われる人物がおらず、サーベリオン公爵側の記録の改ざん、事実のねつ造が疑われるようになる。
これが魔王実在説の始まりだ。
そこから芋づる式に違和感のある情報が見つかり、魔王の実在が確実視されるようになる。
「しかし先生。だとしたら、その魔王はなぜ、公爵に殺されたというのでしょう?」
「さぁなぁ。それは本人しか分からん何かがあったんだろう」
議論が終わり、生徒たちは三々五々と帰っていく。
議論の中にいた教師は、残っていた最後の生徒と片付けを終わらせ、自身も帰路へとつく。
「じゃあ、気を付けて帰れよ」
「はい! イルム先生も、奥さんに怒られないよう、寄り道せずに帰ってくださいね!」
「余計なお世話だ!」
語られぬ歴史というものは、どんな国にもあるものだ。
しかし、歴史の痕跡から見果てぬ過去を知ろうとする者たちがいる。
中にはちょっとした変わり者も居るわけだ。
英雄の名は残らずとも。
その続きには、誰かが居る。
飛び立つ事の無かった誰かは。
どこかで、やっぱり、何も変わらず生きていた。