その氏の価値は⑬
人として正しく、というのはイルムの根幹を成す在り方だ。
ガチガチに法を絶対視するわけでは無いが、恣意的に法を悪用したりする事は認めず、法の柔軟性とは優しさによって用いられるべき概念だと、彼は生前に語る。
何が正解だったのか。
どうするのが最善だったのか。
答えは“世界がイルムの為に存在するわけで無い以上、最善も最良も存在しない”となる。
まだマシな、次善の選択肢があるだろうという程度だ。
ジャンを見捨てれば良かった、というのが最初の間違いだ。
表舞台に立つ切っ掛けはそこであり、ジャンを見捨ててしまえば貴族に顔を知られるのはずっと後だっただろう。
いずれ名が売れるとはいえ、魔法関連の話が出る事だって無かったかもしれない。
イルムは自身を民間人であると定義し、貴族やそれに準ずる立場を得ようとはしなかった。
婚姻という形でそれを望む事は可能だったが、多くの妻を望まず、すでに得ていた伴侶を大切にする為に成り上がりを拒否したという逸話がある。
それも間違いだったのだ。
婚姻を以て貴族の後ろ盾を得ていれば、貴族の柵が生まれるものの、使い潰されるという事も無い。
何より、立場が明確であれば使う側も分かりやすい。誤解が生まれにくい。
魔法関連の師として目立ったのも良くなかった。
途中までは良かったが、下の者を制御しきれず、大きな事件を起こし信用を損なった。
これは貴族側のミスでもあるが、イルムが教えなければ起きなかった話というのも事実。
短期間で人を成長させる事がどんな事件を引き起こすのか、配慮が足りなかったと言える。
戦争で活躍した事も悪い方に働いた。
活躍した分だけ身内の死が減る事は確かだが、その活躍で感謝されるかは別問題。
“あいつがもっと頑張ればなんとかなったかもしれないのに”と身勝手な事を考える者はどこにでもいて、他の誰にも出来ない事をやった分だけ、イルムは人間ではなく便利な道具として見られるようになっていった。
クリフが仇に殴りかかった事から、妻たちの感情を読み切れなかったのも良くない。
憤りを抑えきれなくなった事、復讐を成すだけの力があった事。
兆候は分からずとも、ちゃんと話し合い、自制するように慰撫を行うべきだったのだ。
イルムの失点はいくつもある。
しかし「イルムが悪い」とは言えない。
今更「イルムがああしていれば防げた」と言うのも、結果を見てから喋っている人間の、軽い言葉でしかない。
「もしも」の先は誰も保証してくれない。ただの妄想なのだ。もっと悪くなる未来もあった。
ただ、結果としてイルムは断頭台の露と消えた。
出来る事は反省だけではなく、教訓にする事だ。
人の枠を超えた実力と、それに見合わぬ心の持ち方をした事で、未来が悪い方に転がった。
ならばどうする?
「もっと傲慢であればいい。力を持つ者は支配者であるべきだ。法とは、弱き種が生き残る為の知恵である。ならば力で法を凌駕する繁栄をもたらせば良い。
もっと自由であるべきだ。下手に被支配階級であったからこそ悲劇が起きた。特権を得て自儘に振る舞う事を、己の正義感情を肯定すれば良かった。他人の作った世界の事情を考慮する事なく、己の正義を押しつけるべきだったのだ。
なぜ、ただの人の枠に収まろうとした?
なぜ、多くの悲劇を防ごうとしなかった?
自儘に在れば、もっと多くの事が出来たのではないか?
多くを分け与える事は混乱を齎すだろうが、それ以上の恩恵を与えたはずである」
「そんな事に価値は感じられなかった。
ただ自儘に在るのは人ではない。獣だ。
結局俺は、人で在りたかっただけなんだ。
人とは個であり全。自分だけで存在するわけではなく、周囲の者と手を取り合ってこそ、意味がある」
「しかし、それは失敗している。
人として正しく在ったのであれば、なぜ処刑された?
妻子のみの安全を保証する為とはいえ、それを強要した社会は間違っているのではないか?
法を、社会を、世界を正せば良い。その為の力はあった。
そうするべきでは無かったのか?」
「その為の力があっても、それを願う心がなかった」
「不可解」
「もっと簡単に考えればいい。
そんな“死ぬより面倒な事をしたくなかった”だけだ」
「死は、個にとって最悪。
汝の死は種としても益は無し。
利は、僅かな個にのみ集約される。
――その死に、価値はあったのか?」
「クッ、ククク。
人であるかどうかは関係なく、理解なんてできるはずがない。
だが、俺の答えは簡単だ。
“人の命に価値はない
故に、人の死にも価値はない”
必要なのは、己の死の間際の感情だけ。
“自己満足”したかどうかだけだ」
「不可解。
価値のない満足とは?」
「それこそ“自己満足”なんだよ」