その死の価値は①
その男が自分の所に来るだろうと、イルムは分かっていた。
「すまんな。ここには茶とか気の利いたものは無い」
「構わないさ。俺だって土産のひとつも無いからな」
イルムの家に、ジャンがやって来た。
「久しぶりだね、ジャン」
「ああ。久しぶりだ、イルム」
以前の様に挨拶を交わす二人だが、その立場や肩書は、以前とは全く違った。
イルムが「ジャンが来るだろう」と思ったのは、ただの消去法だ。
小穂として考えられる者、イルムの知人は非常に少ない。クリフ、ジャン、シャリーぐらいだ。
クリフはきっとイルムと同じ疑いをかけられただろうから動けない。他の候補はシャリーだが、女の旅というのはあまり宜しくない。治安の悪化が叫ばれる昨今であれば特にそうだ。ならばシャリーという事もなく、ジャンしか残らない。
つまりジャンが来ることは、少し考えれば誰にでもわかる事だった。
イルムの家は、一般的な村人の家。一間しかない、ごくごく普通の間取りである。
だから子供たちを妻に預け、イルムはテーブルを挟んで差し向かいに座り、ジャンと対峙した。
「そっちはどうだ? 大変なのは分かるが」
「大変なんてモノじゃない。俺だって、イルムがここに居ると思えなければ動く事すらままならなかったんだ」
「ああ。全く酷い事をする奴がいるものだよな。貴族街で兵士を暴れさせるとか、どこまで常識知らずなんだか.襲われた被害者としては、加害者に賠償請求をしたいところだな」
「首謀者は全員、首を刎ねられたよ。取り立てたければ地獄にまで行くしかないな」
「それは残念」
イルムのけん制。
それに対し、ジャンは苦り切った顔をした。
ジャンはどちらかと言えば腹芸を好まない種類の人間なので、イルムの言葉に、素直な反応をして見せたのだ。
付け加えられた軽口には、互いに軽い態度で受け流す。
「俺を捕まえに来たのか?」というイルムの問いに、「その意思は無い」とジャンが返したとも言う。
「積もる話はあるんだけどな。それよりも、本題に入るぞ」
苦い思いを軽口に隠した言葉の応酬が終わると、ジャンは真顔になって本題を切り出す。
「イルムの、今後の動きを調べに来たんだよ、俺は」
「この村に骨を埋められればいいとしか考えていないんだけどな?」
「本気で言っているのか?」
「もちろん」
ジャンの方は真剣な顔をしているが、イルムの方は飄々とした素振りで押し通す。
イルムは本心で喋っているし、下手な誤魔化しをしようとしているわけでもない。
ただ、互いの価値観に大きな違いがあると、そう言いたいだけなのだ。
「それだけの剣と魔法の腕があり、なんで表に出てこない? 宝の持ち腐れじゃないか」
「剣も魔法も、必要だったから覚えただけにすぎんよ。栄達なんてどうでもいい。家族と静かに暮らせれば、それこそ幸せって奴だろう? 現に、貴族の使いっ走りをしていたらあんな目に遭ったんだ。もう、貴族の目に届くところで仕事はしたくないな」
「人は、出来る事をするべきとは思わないのか? 誰かに任せられる事なら、お前がやる必要も無いだろうに。貴族の件は不幸な事故だ。閣下だって、あんなことを望んでいなかった」
「おいおい、この村で俺がやっているのは俺たちにしかできない仕事だぞ。あと、事故であんな目に遭うなら、遭わない所に避難するのが正解だと、俺は思うぞ」
「……だから、俺はお前がここに居るって分かったんだけどな」
ジャンは自分の価値観をイルムに語るが、イルムはそんな事はどうでもいいと切り捨てた。
また、戻って来いという誘いに応じる意思は無いとも。
この決断を語るイルムは、それまでの軽い態度を崩しこそしなかったが、目だけは全く笑っていない。内心の怒りをほんの少し表に出していた。
もしも物理的に歩み寄るなら、この件をなあなあで済ませるつもりが無かった。
ジャンにとって残念な事に、イルムは公爵に対しても、とても怒っていたのだ。
なお、ジャンがイルムの所在を掴んだのは、イルムが村で作っていた鉄とグラスの販売ルートを辿ったからだ。
イルム自身、自分の所在をジャンに伝えるために物を売っていたという側面があったのだ。
一時的にだが、二人は傭兵時代には苦楽を共にした関係である。鉄はともかく、グラスの件はジャンも知っている。
だからその時の事を覚えているのなら、きっと気が付くだろうと思っていたのだ。
……忘れていたのなら、その時はその時である。
「残念だが、ミルグランデ公爵に与する気もなさそうだし。諦めるとするよ」
「ああ。そうしてくれ」
ジャン自身、イルムがサーベリオン公爵の所に戻ってくるとは思っていなかった。
説得は一応やっただけで、彼自身の仕事は最初に言った通り、イルムの動向を知る事だ。直接敵対しないと分かれば、それで良かった。
ただ。
言われている事はそれ以外にもあっただけである。