翌朝
「ひぶっ!」
イルムに殴られた村長は、何が起きたのかも分からぬまま吹き飛ばされた。
それを見ていた村人達はイルムの行動に驚き、石を投げる手を止めた。そして何も言えず、沈黙する。
こういった場面においてイルムのような“守る”立場の人間がよく非難にさらされるが、彼らは反撃など出来ない立場だからこそ、されるがままなのだ。
職責や人間関係を考慮し、身内に迷惑がかかると思えば動けないことは仕方がない。
だが、イルムは誰も助けてくれようとしない現状から、村から出て行くことで腹をくくった。反撃できない理由が無い。強いてそれを挙げるなら、幼い子供や老人に暴力を振るうことを良心が咎めるだけだ。
だからイルム排斥を訴え扇動した村長を殴り飛ばし、場のリセットを図ったのだ。
「俺を殺そうとするなら、俺も自衛のために戦う。
死ねとか言って石を投げるって事は、俺に殴り殺される覚悟があるって事だよな?」
「う、うわぁぁぁっっ!!」
「ひぃっ! ゆ、許して……」
イルムが周囲を睥睨すると、視線を向けられた村人達は逃げるか許しを請う。先ほどまでの強気な姿勢を保てない。
彼らはイルムが反撃しないことを前提に八つ当たりをしていただけで、反撃されるなどと考えていなかったのだ。
別にイルムに思うところがあったわけでは無く、ただ誰でもいいから生け贄が欲しかった、それだけなのだ。自分本位に八つ当たりを出来る相手でないと思い出せば、動けなくなるのは当然だ。
そんな場当たり的な行動を取った“元”村の仲間達を見て、イルムはため息をついた。
あまりにも情けない姿をさらしている彼らだが、そのほとんどがイルムより年上だったからだ。年上がこんなのでは、年下はどう振る舞えばいいのか分からなくなる。
誰もが近くにある他の村を頼るので、今いる村は消えて無くなる。
つまりイルムとこの連中は、もう顔を合わせなくなるだろうから、どうでもいいかと諦めるしかなかった。
これまで同じ村の仲間として接してきてこれかと情けなくもあり、執着する気力が湧かなかったのだ。
結局この日は廃屋となった家の一つで寝泊まりをして、翌日旅に出ようとイルムは決めた。
翌朝。
良く晴れた空。
東から日が昇り、朝日の眩しさでイルムは目を覚ました。
起き抜けに見たのは、東雲。明けつつある夜だった暗い空が白へと変わっていくところ。
地面と風が冷たかったが、毛皮で作った重いマントのおかげで目覚めは悪くない。
イルムは頭を左右に振って意識をハッキリとさせ、妹を起こしに向かった。
「ウノ、起きているか? ウノ?
ルーナ、ネリー。起きているか?」
ウノは自分の家で眠れそうになかったので、信頼している双子姉妹に預けてあった。昨夜の一件でイルムが一緒に寝るより、同性の友人と一緒にいさせた方が良いという判断だ。こういった時、男は役に立たないのだ。
イルムは念のため、外で村人が何かしないか警戒していたわけだ。
イルムが家の外から声をかけるけれど、中からの反応がない。
3人の気配はあるので、まだ寝ているのだろう。その様にイルムは判断した。
昨日の今日なので、イルムは仕方がないかと3人を起こさず、朝ご飯の用意をする事にした。
村の竈が壊されていたので、イルムは竈を組んで火を熾した。
地面に小さな穴を掘り、穴の周囲3方向に壁を作っただけの、簡単な竈だ。その上に鍋を置き、山菜と少量の肉でスープを作る。穀物類はほとんど奪われていたし、この場で使うのも面倒事を引き起こしかねないからと、自重していた。
イルムが竈の火の調整をしていると、クリフがやってきた。
「イルム――」
「悪いけど、許す気は無いよ」
クリフがイルムに謝ろうとするが、イルムは機先を制してその謝罪を受け取らないと、言葉をかぶせた。
イルムにとって、クリフは面倒見のいい兄貴分だった。だからこそ、許せなかった。
これが村長のような奴に石を投げられたのであれば気にもしない。そういう奴だったと割り切れた。
だが、クリフは同年代で一番仲が良かった相手であり、そんなクリフに石を投げられ死ねと言われれば、イルムとて傷付かずにはいられない。だから今は許せないのだ。
「ただ、中の3人がなんて言うかは、俺も知らない。許さないのは俺一人かもしれないね」
「イルム……」
イルムも結局、感情を理性で割り切れないのだ。
そうやって頑なな態度を取るが、今までを思い、妥協点として家の中にいる3人と自分は関係ないと、そう言ってクリフから目を背ける。
これが本当に許せないような相手であれば、中の3人にも接触させはしない。あの3人の性格を把握しているイルムは、きっとクリフが許されるだろう事を分かっている。
3人から許しをもらうこと、イルムに出来る最大限の譲歩はここまでだった。
イルム達はクリフを含む5人で竈を囲み、朝食を取った。
これが、5人が一緒にいた最後の食卓となる。