絶望に挑む者
イルムが持つのは両手持ちの大剣だ。
それをイルムが力任せに振り回す。
盾持ち歩兵の持つタワーシールドは、金属枠に木板を嵌め込み革を張り付けたもので、成人男子の全身を覆い隠せるほどのサイズを誇る。
盾にはつっかえ棒が付いており、兵士本人の膂力だけでなくより強く場に固定できる仕組みとなっていた。
大剣の一撃を貰おうとも、タワーシールドは、簡単には壊れない。大剣に限った話ではないが、普通の剣で盾に使われている金属枠は切ることが出来ないのだ。
強い一撃を貰おうとも、精々が歪み、持っている兵士ごと吹き飛ばされる程度のはずであった。
それが、イルムの一撃で兵士ごと両断されていく。
“守る”という行為をあざ笑うかのような剣閃が幾重にも煌めく。
血しぶきが舞い、絶叫がほとばしる。
弓は効かず槍は折られ盾すら両断された。
こんなことは、彼らの常識ではありえない。兵士たちが恐慌に陥るのも仕方が無かった。
剣を振れば一刀両断、間合いに入れば死から逃れる術は無い。
そうと分かってイルムに近づくことが出来る猛者がいない。
恐怖が感染すれば兵士は逃げまどい、戦列は乱れ陣を成さない。
そこに今度は大量の魔法が追い打ちをかけ、とどめを刺す。騎兵が背を見せる敵兵に槍を突き立てる。
普段であれば、まだまだ弓と矢の応酬であっただろう。
それが、一刻と経たず壊走と追撃戦へと移っている。
まだ足場はそう荒らされておらず逃げる側の体力が十分であるため、敵兵の逃げ足が速い。多くの兵士が絶望から少しでも逃げようと、武器を投げ捨て散っていく。
だと言うのに、イルムは更に速く走り敵を切り刻んでいく。
振り回す大剣の遠心力すら利用し、戦場を縦横無尽に走り回る。
逃げる先に回り込む事もできるのではないか。遠くにいるアブーハの兵士は自分の方に来ませんようにと祈りながら逃げる。
味方にすれば頼もしいが、敵に回せば悪夢の一言。
これは普通の戦争ではないとどちらの軍も分かっているが、蹂躙劇は易々と止まらない。
戦場は狂気が支配する空間であるが、今は更なる狂気に染まりつつあった。
いや。
そこで一人の男が待ったをかける。
イルムの大剣を弾き、その足を止める男が現れた。
イルムの大剣と比べれば頼りなく映る長剣を手に、熟練の技を持つ騎士が絶望に挑む。
アブーハ公爵の息子の一人。メルヒオール=アブーハ=アードラー。
今回の遠征における大将ではないが、彼はアブーハ公爵の息子としての誇りがあるがゆえに“逃げなかった”。
イルムの剣は、両手持ちの大剣である。
片手剣と比べ、両手で持つがゆえに腕の可動範囲は意外と狭い。重量もあるので、攻撃が単調になりやすいのだ。
その分は威力に振り切っており、片手の剣撃二発よりも両手の一撃の方がよほど重い。
打ち合えば確実にメルヒオールが負けるだろう。
それはイルムだからではなく、相手が誰であれ、当たり前の話でしかない。
メルヒオールは、鎧は金属製の胸当てに小手、具足と固めてはいるものの、まともに食らえば即死は確実。それを理解している。
だからメルヒオールは打ち合わない。
イルムの一撃に刃を合わせるのではなく、大剣の腹に長剣を当て、剣を弾くことで戦いを成立させている。
横薙ぎをされればさすがに躱すが、それ以外の攻撃は確実に弾いてイルムに隙を作り、蹴り飛ばす。
ダメージは無い。
だがまともに攻撃を食らったイルムは相手の強さに敬意を示すため、距離を取り声をかける事にした。
「王女ウノの配偶者にしてサーベリオン領最強の剣士、ミラルド。貴殿の名を問う」
「アブーハ公爵が三子、騎士団では副団長を拝命せしメルヒオール。まさか、大将が単騎でここまでするとはな。予想していなかったぞ」
「それはこちらの台詞でもあるな。公爵の血統が前に出るとは」
「残念ながら、三子ともなれば命を惜しむ立場でもない。俺の替わりなど、いくらでもいるぞ」
イルムは自分より10は年上の男との戦いを予測する。
剣の腕は確実に負けており、技術と経験で大きく引き離されている。
勝っているのは身体能力のみ。後は場の状況であるか。イルムの周囲は味方の兵士が取り囲み、アブーハの兵士は軒並み姿を消している。
剣だけでなく魔法も使えば確実に勝てるが、ミラルドに扮する状態でそれは出来ない。いざという時まで正体を晒したくはない。
――膂力と体力で押し切ろう。
イルムは方針を決め、剣を構える。
相手の方も何らかの方針を決めたのか、剣を構えた。
「いざ!」
「尋常に!」
「「勝負!!」」
二人の男が、互いの武器を手にぶつかり合った。