そして俺は
俺は公園から立ち去り最寄りの駅に向かった。時計を確認すると大分時間が経過しておりサラリーマンの帰宅ラッシュにかち合ってしまった。
骨折して電車に乗って分かった事がある。
それは命がけだという事だ。
帰宅ラッシュという事で当然座席には座れず
立つしか無かった。
怪我してるから席譲ってくれるかな?と
思っていた時期が俺にもありました。
だが誰も譲ってくれずにこうして立って乗車している。
まあ、あれだな。現実は甘くないって事だな。
右手でつり革を掴むため荷物が持ちにくいし何より電車の揺れで隣の人に腕が当たって痛い。それに時折俺を見る、骨折してんなら電車に乗るなよ的な視線も痛い。
自分の降りる駅まで痛みを我慢しながら電車に揺られる。二区間で着くので時間もそれ程気にならなかったのが唯一の救いだろう。
そして電車に降り帰路についた。
外は既に暗く電灯の明かりだけが頼りだった。家は駅から近いとは言えず若干歩くには距離がある。
春風と呼ぶにはいささか冷たい風が俺を包む。今回の件については後悔も反省も思案もした。結論には至らなかったが。
答えが出ない問いを考えるのはゴールが設定されてないマラソンを走るようなものだ。
残酷で過酷で困難だ。
[人は考える葦である]という言葉があるが
逆に言えば考えることを放棄すれば人ですら無くなり、ただの動物未満に成り下がるという事だ。身体能力に置いては他の動物より著しく劣る人間が今日まで生き残り、食物連鎖の頂上に君臨してるのは、考えて知恵を振り絞ったからに他ならない。
だから、考える事がどんなに苦痛で残酷でも、それでも考え続けなければいけない。
それが最低限の人間のなすべき事だ。
つらつらとそんな事を考えてると我が家に着いた。俺は玄関の前で立ち尽くす。
帰宅するのが遅れたため何を言われるか分からない。家に入るのが億劫になっていると不意に玄関が開いた。
「…おかえり」
不機嫌そうな声と表情を見せる母親だ。
「ただいま」
俺は短くそう答えた。
とりあえず家に上がり夕食を食べた。
義父はまだ帰ってなく俺と母親と藍さんと
瑠璃さんで食卓を囲んでいる。
食事中誰も口を開く事はない。
普段はどうでも良い話しをする母親だが、
今日は一言も喋らない。
その事実が普段と違う事を確かにする。
十中八九あの件の事だろう。
多分藍さんから一部始終聴いているはずだ。
だからその事について咎めるつもりだろう。
ただ、俺にはそんな事を言われるつもりはさらさらない。
確かに危険な橋を渡ったし、下手をすれば
今以上に怪我をしていたことだろう。
だが結果、俺も藍さんも怪我することなく
無事だった。
過程はどうあれ、その結果についてとやかく
言われる筋合いはない。例え母親でも。
俺が口を開けば追及されるだろうから、
黙々とただ食べる。
そろそろ食べ終わるという時に声を投げかけられた。
「茜、ちょっと良い?」
普段よりも刺々しい声だ。
「なに?」
「今日の事だけど…」
ほらな、やっぱりこの事か。
俺は沈黙を貫く。
「藍ちゃんから話は聞いたわ。
不良に絡まれたんだって?」
母親の追及に少し苛立ってしまった。
「…ああ」
その苛立ちを隠すように少ない言葉で返す。
「ごめんなさい。私が一緒にいれば…」
母親は先程の態度とは裏腹に申し訳なさそうに謝った。
「今回の件の責任は私にある。
けどね茜。私は少し怒ってるの」
なおも母親は続ける。
「骨折してるのにどうして不良に立ち向かったの?また怪我してたかもしれないのよ。
逃げるのも立派な自己防衛だよ」
ああ、そんな事分かっている。
「それとも…」
母親が一呼吸置き言った。
「まだあの事を気にしてるの?」
その言葉を聞き俺は古傷が、胸が痛むのを感じた。その痛みは俺を苛立たせるのに十分なトリガーになった。
「ちげえよ。そんなんじゃねえ」
感情をうまくコントロール出来ない。
母親相手についそんな口調で言ってしまった。
ただ俺自身、思い出して気持ちの良いものじゃない。早く話を切り上げるため席を立ち自分の部屋に戻った。
戻り際に見せた母親の悲しげな顔が頭から離れなかった。
部屋に戻り結構な時間が経過した。
時計の針も十二時を回ろうとしている。
体は相当疲れているはずだが不思議と眠気がしない。することもなくただベッドに横になる。するとドアをノックする音が聞こえた。
母さんか?と思ったが俺の予想は外れた。
「…お邪魔します…」
ドアから見えたのは藍さんだった。
俺の部屋に入ってきた藍さんの開口一番は
謝罪だった。
「ごめんなさい。今日はご迷惑おかけして、
それと助けてくれてありがとう」
いつもの途切れ途切れの言葉ではなくはっきりと言った。
それだけで誠実さは伝わった。
だからこそ俺もはっきりと言うべきだろう。
「今日のあれは別に助けたとかじゃない」
「俺が早く帰りたかったから、そのために動いただけだ」
だから、と続ける。
「自分のためにやっただけだ」
「感謝されたくて、助けようと思って助けたわけじゃない。だから礼を言う必要は無い」
「それでも、私を助けてくれました」
藍さんが今まで聞いたことがない力強い声で
そう言った。
「それとも…」
さっきの声とは裏腹に急にか細い声で問うてきた。
「私を助けてくれたのは私の事が好きだったからですか?」
一瞬思考が停止した。
へ?まさかあの時聞かれてたのって藍さん?
最悪だー!
よりにもよって本人に聞かれてたなんて!
くっそー、もっと注意を払うべきだった。
告白された男に助けられたんだ。そりゃ自分の事が好きだからと勘違いもするわな。
もういっそこのままで良いんじゃね?と思ったが誤解は解くべきだな。
「あ、あのですね。藍さんの事を好きだと言ったのはその、いろいろあってですね?」
しどろもどろな喋り方になってしまう。
「色々って?」
可愛く小首を傾げながら聞かれてしまった。
こうかばつぐんだ!あかねはめのまえがまっくらになった!
はっ!!あぶないあぶない。意識を持ってかれるところだった。
今の攻撃は童貞男子には耐えられるものじゃない。必死に言い逃れしようと今までで一番脳を使ったと言っても過言ではないレベルで思考を張り巡らせる。
流石に瑠璃さんの事は言うべきではないだろう。いや、瑠璃さんと話してた事はもうバレてるんだよな。瑠璃さん本人もそう言ってたし。言って良いのか?いや、それはリスキーな気がするしな…
一人黙って考えてると不意に声をかけられる。
「あ、あの茜くん?」
やばい、話を逸らさなきゃ!
「あ、あのー藍さん、くん付けはやめません?義理とはいえ家族になんだし」
なら俺のさん付けはなんだって話なんだが。
藍さんは少し考え込んでいる。
「そっか…じゃあ、茜?」
ぐふ!!
今まで可愛い女の子に下の名前を呼び捨てで呼ばれたことがなかった分、ダメージが直撃する。
今までそんな経験無かったもんなー、とつい遠い目をしてしまう。
もうやめて!俺のライフはもうゼロよ!
いやむしろ回復してるな。
俺が昇天しかけていると藍さんがジト目で
こちらを見る。ていうか前と態度違くない?
ねえ違くない?
「それじゃあ…私のことも…呼び捨てで良いよ」
恥じらいながらそう言った。
いやまあそうなるわな。俺の方はさん付けだし。
それでも女子の下の名前を呼び捨てにする勇気は俺には持ち合わせてないのでここは
拒否をする。
「いや、ちょっとあれだから。
女子の下の名前を呼び捨てとか、あれだし…」
そう言ったが我ながら言い訳が下手すぎる。
「呼んでくれないの?」
上目遣いで不満げな声を出す。
キッ、キタ〜。上目遣い攻撃〜。
並みの男子が受けたら悶え死ぬところだったが俺の鋼の心でなんとか耐える。
それよりさっきから俺にダメージ与え過ぎでしょ。絶対わざとやってるな。じゃなきゃ俺がこんなにダメージを喰らうわけない。
そう言いたい気持ちを抑え下の名前を呼ぶため腹をくくる。
あんな声と態度で頼まれたらどんな男も断れないって。
「ら、藍」
つい口ごもってしまう。いやこれはしょうがない。男子諸君ならわかるはずだ。
ただそれでも藍は満足してくれたようだ。
「これからもそう呼んでね」
家に来てから初めて見た、笑顔だった。
まあ、しょうがないな。
お互い少しずつだが距離は縮まったような気がした。
これから週一くらいのペースになります