* 3-(1) *
偽便りを見せなくてはならないため、また寝坊して父にも母にも会えないと困ると思い、小篠は眠らず、秋山の家へ持って行く荷物をまとめながら朝を待っていた。
遠くで、目覚ましの音が聞こえる。まだ、夜は明けていない。暫くして、両親の寝室のドアが開いて閉まる音。スリッパの足音。小篠が自分の部屋のドアを細く、そっと開けてみると、階段を下りる母の後姿が階下に消えていくところだった。
母の朝が早いことは知っていたが、ここまでとは思わなかった。考えてみれば、母は朝食を作り、洗濯をする。家の中のキレイさ加減を考えると、掃除もしていそうだ。大人の女性としては、仕事に出掛ける前にキチンと化粧もしなければならないのだろうし、母は、色々忙しいのだ。
闇姫の件が終わったら、葉の面倒以外にも何か家の手伝いをするようにしようかな、などと思いつつ、小篠は、偽便りを手に部屋を出、階段を下りた。
小篠がキッチンを覘くと、
「あれ? 」
朝食の仕度に忙しなく動き回っていた母は、すぐに小篠の存在に気付き、動きを止め、
「早いね。あの後、眠れなかったの? 」
心配そうに言う。
小篠は実は、これから、生まれて初めて嘘をつく。嘘が書かれた偽便りを渡すのだということばかりに気を取られながら、小篠は首を横に振り、
「ううん、ちゃんと眠れたよ」
肝心の大嘘の前に、母に心配をかけたくないためか、何故か自然と、全く必要の無い小さな嘘が口をついて出た。
「そう? それならいいけど」
母は再び朝食の仕度。
小篠、
(お便り、見せなきゃ……)
母を目で追いながら、
「お母さん」
声を掛け、一瞬、躊躇い、手にしていた偽便りの端を握りしめる。嘘をつくのは嫌だ。が、これは、どうしても必要な嘘、と、自分に言い聞かせ、たった今、思わずついてしまった「ちゃんと眠れた」嘘だって母は信じたようだから大丈夫、と、自分を励まし、
「これ、見せるの忘れてて……」
偽便りを手渡した。
「何? 」
フライ返し片手に偽便りを受け取った母は、顔の高さに偽便りを持っていき、少ししてから、偽便り越しに小篠を窺って、言い難そうに、
「これ、絶対に参加しなきゃいけないもの? 」
その反応は、小篠にとって少し意外なものだった。特に障害は無いはず。プライベート的な外泊ではなく学校関連のもので、担任同伴なのだから、もっと、簡単にOKが出ると思っていた。そのための偽便りなのに……。
「お母さんも、言うの忘れててね。お母さん、明日から2週間、大阪に出張で、家に帰って来られないの。通常の勤務の時だったら、1週間くらい、出勤時間を遅くしたり、葉の学校が終わる時間に合わせて家に帰ることも、出来なくはないと思うんだけど……」
(…そっか、ヨウくん、だよね……)
当たり前のこと。小篠は、母が言うまで、偽便りを渡すという行為自体に気を取られすぎてしまっていて気づかなかった。発案者の日高は小篠の家庭の事情など知るはずがない。当然、そこまで考えられた計画ではない。一方 母は、葉が闇変化になって家を出て行ってしまったことなど知らない。間違いなく、今もいつもと変わらず部屋で眠っていると思っている。連続殺人の件に限らず、ここ数年、小さな子を狙った犯罪が増えた物騒な世の中。登下校、家に1人でいる時間……心配は尽きないだろう。大体、その類の心配以前に、葉はまだ、時計も満足に読めない。小篠の助け無しにはコンビニで買物も出来ない。宿題も、明日の仕度も頼りない。父がいるが、父を当てにすることは無理だろう。小篠は顔に出ないように注意しながら、素早く考えを巡らす。そして、ハッと あることに気づき、
(…日高クン……)
頭を抱え込みたくなった。
日高の計画には、小篠の家庭の事情を知る知らないに関係ない、いや、むしろ、小篠の家庭だからこそ、加えて、たまたま母が同時期に出張だったからこそ、まだ何とかなるような、大きな穴があったのだ。その穴とは、両親が葉がいない事実を知ること。そうなれば、小篠だって呑気に文化祭の準備などしている場合ではなくなる。つまり、外泊は無理、ということだ。外泊を可能にするためには、葉の不在の事実も隠さなければならなかったのだ。小篠は、自分の家庭環境に対して普段はしない感謝をし、母の出張に対しては自分が幸運であることを強く感じつつ、
「ヨウくんのことなら大丈夫だよ。うちの事情を話したら、秋山先生が、ヨウくんも連れて来ていいって」
いかにも本当っぽく、堂々と口に出した。
「でも……」
渋る母。
「ご迷惑じゃないの? まだ小学1年だし……」
「大丈夫。皆、小さい子が大好きだから、逆に喜ぶよ」
「そう……? 」
母の表情と声のトーンの僅かな変化に、少しだが確かな手ごたえを感じた小篠は、
「ヨウくんにとっても、たくさんの歳の違う人たちとお泊りしたりっていうのは、いい経験になるんじゃない? 早く慣れてヨウくんが楽しめるように、今日から一緒に連れてくよ」
いっきに畳み掛けてみた。
結果、まだ気が進まない様子を残しながらも、母、
「……うん、じゃあ、そうしてくれる? 」
小篠はホッと胸を撫で下ろす。が、
「お母さんも、今日は出来るだけ早く帰るようにして、一度、秋山先生に、ご挨拶に行くから」
との母の言葉に、小篠、それは困ると、再び大急ぎで頭を働かせる。偽便りに載っている宿泊先は、「明陽会館」。小篠と葉の通う学園敷地内に建つ、よく部活の合宿などに使われる建物だ。そんな所に行かれても、誰かしらはいるかも知れないが、小篠も秋山も、もちろん葉もいない。
「あ、えーっと……」
(……どうしようか)
急いで、だが、むやみに焦っても頭の中が真っ白になるだけなため、努めて冷静に考え、
(そうだ! )
思いつき、
「お母さん、田中サンって、分かる? ほら、私が初等部5・6年の時から今まで、ずっと同じクラスの子。あの子、初等部の林間学校の時も修学旅行の時も、中等部の修学旅行の時にまで、ホームシックになっちゃって、だから、もし、お母さんが挨拶に来て、田中サンが自分のお母さんのことを思い出したりしたら、また大変だから……」
「お母さんは行かないほうがいいってこと? 」
「う、うん……」
小篠は内心ドキドキしながら、母の出方を待つと同時に、心の中で田中に謝る。田中は、少なくても小篠の知る限り、学校行事の際にホームシックになったことなど無い。全て嘘。誰の名前を出しても、多分、ちゃんとは分からない母。だから、誰でもよかった。たまたま、真っ先に浮かんだ名前が田中だったのだ。
母、仕方ない、といったふうに小さく息を吐き、
「だったら、電話するね。急ぎの電話じゃないから、先生にご迷惑のかからない時間がいいと思うんだけど、いつならいいと思う? 」
小篠、嘘をつくことへの集中力が高まっているためか、頭の中がガシャッガシャッガシャッと大雑把なつくりの機械のような規則的な音をたてたのを感じた直後、
「それなら、夜、お母さんの仕事が終わった後にでも、明陽会館にしてくれたらいいと思うよ? 」
自分でも驚くほど、パッと答え、
「電話番号、書き出しとくね」
電話の下に置いてある「学園内施設電話番号表」を手に取り、特に、意識という意識はせず、その中に一緒に綴じられている教職員の自宅電話番号の中から、秋山の番号を当然のように選んで、電話横のメモ用紙に書き写す。
書き写し終え、朝食の仕度を再開している母に、書いといたから、と言ってから、小篠は、本当は、溜息を吐いてその場にしゃがみ込んでしまいたかった。何だか、とても体力を消耗したのだ。
(…知らなかった……。嘘って、こんなに疲れるんだ……)
もう、二度と嘘なんてつきたくないと思った。
(…でも、まあ とりあえず……)
嘘をつくのは、終わったのだ、と、小篠は溜息を吐く代わりに、鼻から静かに大きく空気を吸い込み、やはり鼻から、母に聞こえないよう静かに小出しにして吐いて、体の中を換気した。それから、
「お母さん、何か手伝おうか? 」
闇姫の件が終わったら、と考えていたが、今は時間が余っている。昨日の夜は一睡もしていないが、何故か全く眠くない。横になるよりは、手伝いでもしてみようか、と、思ったのだ。
母は、目をちょっと大きく開き、驚いた様子。その表情のまま、
「そう? じゃ、お言葉に甘えて……」
小篠が頼まれたのは、洗濯物干しとリビングの掃除。まだ洗濯は終わっていないため、先ずリビングの掃除から。母の指示通りに、近所への配慮から掃除機は使わず、フローリング部分をモップで拭き、カーペット部分は粘着テープがついたローラーの掃除道具でゴミを取り、あとはテーブルを拭く。その後、洗濯の進み具合を確認すべく洗面所へ。ピーピーピー、と、丁度、洗濯終了を告げるブザーが鳴る。母が朝一番に回しておいた洗濯機の中には、脱水が終わったばかりのクシュクシュに固く丸まった洗濯物。それをカゴに移し、洗面所奥の浴室に運んだ。夜、入浴の際に、既に乾いた洗濯物を退かすので、浴室に干すのだということは知っていた。続いて、洗濯機横に置かれている洗濯物干し用角ハンガーを、あるだけ運び込んできて、浴室の壁から壁に渡された竿に引っ掛け、いざ干そうという段になって、少しの間、考え込む。何を、どう干していいのか、良く分からない。とりあえず、カゴから出てくる順に端から干してみた。何か、納得いかない。一度、全部はずし、また初めから。今度は、タオルはタオル、下着は下着、洋服は洋服といったように種類別に分けて干してみる。その仕上がり具合に満足して1人頷いて、ようやくカゴを手に浴室を出、浴室の電気のスイッチの上の、存在は知っていたが一度も押したことのない、「乾燥」と書かれたスイッチを、
(多分、これを押すんだよね)
押す。
小篠がリビングへ戻ると、最近、少なくても小篠はほとんど使っていないダイニングテーブルの上に、朝食が並んでいた。父ももう起きていて、椅子に座り、テレビのニュースを見ている。
「お父さん、おはよう」
小篠が声を掛けると、父も視線をテレビから小篠に移し、
「おはよう。早いな」
そこへ、牛乳を手に母がやって来、
「萌花、ありがとう」
父は不思議そうに母を見上げ、説明を求める。
「萌花が洗濯と掃除を手伝ってくれたの。さ、みんなで食べよう」
言って、母は小篠に椅子を勧め、自分も座った。
何だか懐かしい、と、小篠は思った。遠い昔、こんなことが確かにあった。……自分と、父と、母。3人での食事。両親を独り占めしている、自分……。あまり考えたことは無かったが、自分は、父や母に甘えたかったのだと、実感した。自分は、多分、これが欲しかった。……家族団欒。
(…そっか……)
小篠は、ふと気付く。家族団欒と言えば、真っ先に夕食を思い浮かべがちだが、別に朝食でもいいのだと。それは、自分が早起きするだけで手に入るのだ、とも。
いつもと全く同じメニューだが、3人分の食器がテーブルを埋め尽くしている、その様は、やはり、いつもとは違う。家族の食卓。そして何より、父と母の笑顔。父と母も団欒を望んでいたのだと感じ、甘く幸せな気持ちになる。
同時に、切なくなった。家族団欒には、どうしても1人足りない。
(独り占めもいいけど、ここに、ヨウくんがいてくれたら、きっと、もっと……)
そうなった原因は、自分なのだ……。
*
朝食を終え、身仕度を済ませた両親を送り出した小篠は、急いで自分の部屋へ行き、制服に着替えた。
急ぐ理由は、玄関を開けたことで日高が張ってくれた結界が破れたため。学校へ行くわけでもないのに制服の理由は、近所の人から不審を買って、父の耳に変な噂が入るのを避けるためだ。
まとめておいた荷物を手に部屋を出、階段を下り、玄関で靴を履いた、その時、チャイムが鳴った。
小篠は、ドキッ。もし、ヨウくんだったら、と。
確かに小篠は、日高の仲間になった。しかし、葉を傷つける覚悟など、全然出来ていない。……もっとも、小篠は何の練習もしていないのだから、それだけの力を発揮できないだろうが……。とにかく、葉ではないことを祈り、
(ヨウくんなら、チャイムなんか鳴らさないよ)
などと自分に言い聞かせて落ち着こうと努めながら、恐る恐る、ドアについている来訪者確認用の小さな穴を覗く。
ドアの向こうにいたのは、
(…日高クン……)
小篠と同じく制服姿の日高だった。
小篠は全身の力が抜けてしまい、ドアに肩で寄り掛かるようにしながらドアを開けた。
日高、
「小篠サン、仕度出来てる? 一緒に行こう」




