* 2-(2) *
(今日は1日、過ぎるの早かったな……)
放課後、完全下校の6時まで文化祭の準備をし、家へ帰る道すがら、小篠は葉とともに、いつものコンビニへ。そして、いつもと同じく弁当のケースの前に立つ。
このタイミングで、その日1日の学園での出来事が頭の中に浮かんでは消え浮かんでは消え、することも、いつものことなのだが、今日は何故か、秋山の姿ばかりが浮かんで消える。胸の奥の奥の小さくて可愛い可愛い咲いたばかりの花が、風を受けて微かに揺れていた。
ところで、過ぎるの早かった、などと、1日をキチンと終えたかのように、今、小篠は心の中で呟いたが、今のところ終わっているのは、学園生活の時間帯。まだ、今日は全然終わっていない。やることがたくさん残っている。
受けなかった分の授業のノート4時間分を田中が貸してくれた。それを、自分のノートへ書き写さなければならない。もちろん、それとは別に宿題もある。
多分、ここから先の時間帯も、過ぎるのは早い。やることは、たくさん。
何となく気持ちが焦る。
今日は葉に早めに寝てもらわなければ……。
不思議に満ち足りた気分と焦る気持ちが交錯する中、小篠の手は、今日は迷うことなく一直線に、8種類ものおかずと大盛りライスが入った、大盛デラックス弁当に伸びた。本来なら昼食のはずの時間に朝食用の軽いものを食べただけだったので、腹が空いていた。
デラックス弁当と、葉が今日も選んだ、おにぎり弁当を手に、葉を横に従えてレジに向かって歩く小篠。
と、
「あれ? 小篠サン? 」
後ろから声。
振り返ると、透けるように白い肌、長い睫毛の下の優しげな目、茶色がかったフワフワのクセッ毛、小篠より少しだけ身長の高い少女、のような外見を持つ少年・クラス委員の日高光士がいた。
その手には、ポテトチップ。
日高には、およそ似合わないそれが、小篠の目を引いた。
似合わない理由は、その少女のような上品すぎる外見と、噂に聞く、日高が身を置いている環境にある。
日高の祖父の兄は、小篠や葉、日高本人も通う日高学園の理事長であり、地元の名士。日高の家自体も、父親の職業等は不明だが、どうやら金持ちらしい。つまり日高は、一言で言ってしまえば、お坊ちゃま。
加えて、いかなる時でも絶やされることのない穏やかな微笑みもあって、小篠の中での日高の印象は、おとぎ話に出てくる王子様そのものだからだ。
コンビニに買物に来ること自体、不自然に見える。
小篠、
「日高クン、買物? 」
視線はポテトチップのまま。
それに気付いたらしく、日高は、
「本当は、シャープペンの芯を買いに寄っただけなんだけどね」
ポテトチップを顔の位置まで持ち上げて見せ、
「好きなんだ、これ」
「へえー……。何か、意外」
思わず口をついて出た小篠の言葉。
日高は腕組みをし、ポテトチップを持っていないほうの手の人指し指で自分の眉間を押さえ、目を閉じ、うーん、と小さく唸って、珍しく難しい顔で、
「まさか小篠サン、僕のオヤツの時間は、ジイヤを斜め後ろに立たせてクラシックの生演奏を聴きながら、最高級の紅茶に名店から取り寄せたスイーツ……なんて、思ってないだろうね? 」
言って、上目遣いでチラリと小篠を見る。
その通りだった。どうして分かったんだろう、と、小篠は感心。
「日高クンって、超能力者? 」
すると、日高はプッと吹き出し、腹を抱えて大笑い。
小篠は置いてけぼりにされた気分。
(何で、そんなに笑うの? )
半分不愉快、残り半分は、
(こんな笑い方もするんだ……)
などと思いながら、日高の笑いが治まるのを待つこと数分。
日高、
「ごめんごめん」
笑いを抑えて苦しそうに、
「小篠サンって、面白いよね」
(面白い? )
そんなこと、言われたことがなかった。
(もしかして、バカにされてる? )
小篠は軽くムッとしながら考え込む。
その表情を見てとったか、日高、さっきから引きずっていた笑いを、いつもの優しく穏やかな笑みに替えた。
「別に、悪い意味で言ったんじゃないよ」
「んー……」
納得がいかない小篠は、まだ考え続ける。
「そんなに悩まれても困るんだけど……。小篠さんは、真面目だよね」
それは、よく言われた。
「僕を『超能力者だ』って思ったってことは、僕が言ったこと、当たりだったんだ」
小篠が頷くと、日高は肩を竦め、
「小篠サンと同じクラスになったのって初めてだから、小篠サンは知らないかもしれないけど、僕、初等部の頃のアダ名、『王子』だったんだ。だから今でも、自分がそんな風に呼ばれてしまう雰囲気を持ってるんじゃないかって思っただけ」
「王子? 」
「そう、王子」
小篠は、ふーん、そうなんだ、と、納得。そして、あれっ?
(私、何を考えてたんだっけ……? )
同時に、今日はまだ、やることがたくさん残っているのだということを思い出し、少しでも早く帰らなければと考え、まあいいか、と、半ば強引に自分の中の疑問にケリをつけ、
「じゃあ、日高クン、また明日ね」
葉を連れて、今度こそレジへ。
背中で、
「あ、また明日! 」
ちょっと急ぎ気味と感じられる日高の挨拶を受け取った。
レジを済ませ、左手にコンビニの袋と学校のカバンを持ち、右手を葉とつないで、小篠が出入口方向へと歩き出すと、出入口脇のコピー機でコピーを取っていた背広姿の後頭部の薄い男性が、コピーを終えた様子で数枚の紙をカバンに仕舞い、出入口の方向へ体の向きを変えるのが見えた。
男性と出入口で一緒にならないよう、小篠は僅かに歩くスピードを緩め、タイミングをズラそうとする。
と、男性のカバンから、定期入れが小篠の足もとに落ちた。
床に落ちて開いた定期入れの中には、小篠より少し年上らしい黒髪の少女の写真。
あまり見てはいけないと考え、出来るだけ見ないようにしながら、小篠は拾い上げて、男性に声を掛ける。
「ああ、ありがとう」
振り返った男性は意外に若く、小篠の父と大して変わらない歳に見えた。
男性は定期入れを受け取り、小篠に向けてにこやかな笑みを作りつつ会釈してから、体の向きを戻し、出入口のドアを開けた。
瞬間、ピタッと動きを止める。
(? )
不思議に思い、小篠が男性の体の向こう側を見ると、そこには、定期入れの写真の少女が立っていた。
髪は金髪、化粧もしているが、間違いない。見事に正面を向いた大きな耳と気の強そうな吊り上り気味の目に特徴がある。
「…お父さん……」
少女が驚いた様子で口元を押さえ、呟いた。
「ひびき……」
男性もまた、立ち尽くした状態で呟く。
「ひび…き……」
繰り返し呟き、
「ひび…き……。ひび、ひ、び…き……。ひび…ひ……」
足を、膝を曲げずに引きずって前方へ運び、少女に向けて腕を伸ばした。
何だか、おかしい。
少女は、男性が歩を進めるのに合わせて、1歩、また1歩と後退る。
「ひ…び、ひ、ひ、ひび、ひ……」
男性の全身が、前後に大きく揺れた。
「ひび……ひ……」
息を呑んで見守る小篠の目の前、男性は、
「うおおおーっ! 」
太い叫びを上げながら姿を変えた。
体は倍近く大きくなり、衣服が破ける。肌の色は、月の出ない夜の闇に似た、吸い込まれそうに深い黒。目は鋭く緑色に光り、額には、職員室で見た昼の県内ニュースで取り上げていた、小篠の住む市内で起きた事件の被害者たちの痣と同じ形をしたマークが赤く浮かびあがっていた。
小篠は、
(……)
ただただ、見ていた。化け物と言うより他に形容のしようが無い。
葉が小篠の後ろに隠れ、ウエストにギュッとしがみついた。
騒然となる店内。
小篠の視界の端、店員の女性が、
「け、警察に……! 」
慌てた様子でレジカウンターの隅の電話の受話器を掴む。
そこへ、
「警察じゃ、ダメだ! 」
凛とした声が響き、呆然としていた小篠は、ハッと声のほうを見た。
日高だった。
陳列棚の間から姿を現した日高は、小篠の目の前を素早く横切って出入口を飛び出し、数秒前まで男性だった化け物の前で立ち竦む少女を背に庇う。
「ぐおおーっ! 」
上から覆い被さるように日高と少女に襲いかかる化け物。
日高、静かに化け物に右手のひらを向けた。
直後、その手のひらを中心に強い光が閃き、化け物の巨体を弾き飛ばす。
弾き飛ばされた化け物の体は、店の出入口を直撃。ガラスが割れて飛び散り、化け物は、その上に仰向けに倒れて動かなくなった。
数秒後、化け物は、ゆっくりと頭だけを起こす。そして、警戒するように日高を見据えながら、倒れた姿勢のまま、ズルズルと音を立てて、肘だけで器用に地面を這い、商店街方向へ去って行った。
「大丈夫? 」
日高は少女に向き直る。
少女は目を見開き、ただ、ただ、日高を見つめるばかり。
「こうなってしまった以上、1人でいるのは危険だ。ちゃんと説明もしたいし、一緒に来てほしい」
日高の強引な口調に、つられるようにして少女は頷く。
それに頷き返してから、日高は一旦、店の中に戻り、店員の女性に、ガラスを破損してしまったことを詫び、弁償したいからと自宅の電話番号を告げて、店を出て行った。
静けさを取り戻した店内で、小篠は再びボーッとしてしまいながら、自分の頬を思いきり抓って、
「痛っ! 」
大声。
店内にいる人たちがギョッとしたように一斉に小篠を見たのは、小篠自身気付いていたが、小篠の頭の中は、それどころではなかった。
(夢じゃない)
小篠は考え込む。
化け物に変身した男性。その額の赤いマークは、あの事件の被害者たちの痣と同じ形。そして、不思議な力で化け物を追い払った日高……。
夢じゃないとしたら、今、起こった、何もかもが解らない。
*
帰宅し、今日は葉に早めに寝てもらうべく、小篠は気合を入れて葉関連の日課に臨んだ。
いつも通り、先に葉の宿題と明日の仕度を済ませてから、葉と一緒に夕食。遊んで余計な時間がかかってしまうことを防ぐため、葉の入浴を浴室入口で急かしつつ見守り、葉と入れ替わりで入浴してパジャマを着、すぐ、その場から葉を呼び、葉が歯を磨き始めるのを待つ。
しかし、
(……? )
ハブラシにハミガキ粉をつけたきり、水道の水は出しっぱなし、洗面台のボウル部分を見つめているらしい角度で俯いた状態で葉の動作は止まった。
どうしたのかと、小篠が葉に歩み寄ると、
「ネエネ」
葉は、楽しげに小篠を振り仰ぎ、
「どっちが さきに ながれると おもうー? 」
洗面ボウルの中には、2ヵ所に、チューブからわざと落としたと思われる5センチほどの長さのハミガキ粉。
葉は、その2ヵ所のハミガキ粉のうち、どちらが先に、出しっぱなしの水によって流れるか眺めていたのだ。
いつもの小篠であれば、葉と一緒になって流しの中のハミガキ粉を眺めたかもしれない。
だが、帰宅してから、これまで、田中が貸してくれた授業のノートを4時間分も写さなければならないことを考え、葉のマイペースにそうでなくてもイライラしていた今日の小篠は、葉の問いに答えないまま、ボウルの中のハミガキ粉を手で擦り落とし、水道の水を止めて、
「分かんないよ、そんなの」
葉は一瞬、寂しそうな悲しそうな表情で小篠を見つめた。
小篠は、
(あ……)
自分の言い方が冷たかったと気付き、取り繕うべく笑顔を作りながら、
「それに、ハミガキ粉と水が、もったいないよ」
口を開いた。
葉は、プイッと視線を逸らして、終始無言で歯磨きを済ませ、トイレに行って……。視線を逸らして以降、1度も小篠のほうを見ないまま、2階へと、階段を上って行った。
(ヨウくん……)
小篠は後悔しながら、葉自身の部屋へ入る葉を見送る。




