* 5 *
ジリリリリ……。目覚ましの音。
小篠は掛布団を被ったまま、枕元を手探りで目覚ましを探し、止める。
時刻は朝の5時。
闇姫の一件が終わってから5日。日高の父の力により、小篠の怪我は完全に回復していた。
小篠は、一昨日の夜に母が出張から帰って来たため、昨日から、この時間に起きている。
家事を手伝い、両親と一緒に朝食をとるためだ。
小篠が眠い目を擦りながら起き上がり、ベッドから下りてカーディガンを羽織り、部屋を出、階段を下りると、リズミカルな包丁の音が聞こえた。
小篠はキッチンを覘き、
「お母さん、おはよう」
「おはよう」
母の笑顔が返ってくる。
それを受け止めてから、小篠はリビングの掃除を始めた。終わる頃に、ピーピーピー、と、洗濯終了のブザー。今度は洗濯物を干しに行く。
洗濯物を洗濯機からカゴに移し、浴室へ。
カゴの中から1枚ずつ洗濯物を取り出しては、昨日の朝に母から教えてもらった、パンパンッと洗濯物を宙に舞わせる方法でシワを取り、干していく。まだ慣れた手つきとまではいかないが、秋山の家で寝泊りしている間も何回か洗濯したし、闇姫の一件が終わり自宅に戻ってからも、こんな朝早い時間にではないが洗濯はしていたため、どう干していいか自分の中で干し方のパターンのようなものが出来上がってきており、初めての時ほど時間がかからなくなっていた。
正直、早起きは辛い。
体を動かしていても、すぐには、ちゃんと目が開かないし、胃の辺りが何となく気持ち悪い。
しかし、それも1週間も続けているうちに生活のリズムとして組み込まれていくに違いないと、小篠は考える。……それこそが小篠の理想だ。
両親との朝食を切に望み、そのために頑張って早起きするのではなく、時間がきたら自然に目が覚め、家事を手伝いながら朝食までの時間を潰した後、当然の顔で両親と朝食を食べる。
……無理かも知れない。
早起きには慣れても、両親との朝食は、きっと、いつまで経っても嬉しいままだ。
それで、いいような気もする。
両親と朝食を食べることが当たり前になって、それについて何の感動も持たなくなってしまったら、多分、もっと父や母との何かしらの係わりを求めて寂しくなる。
今、目の前にある幸せを大切に、味わうように過ごしていけたらいい。葉も、もう少し大きくなって、その気があれば一緒に……。
洗濯物を干し終え、まだ少し時間があるようなので、小篠は玄関の掃除をすることにした。
土間ほうきとチリトリを片手にまとめて持ち もう片方の手で開けた玄関のドアからの、まだ微かに夜の匂いの残る冷たい空気に身を縮める。
「おはよう」
背後から父の声。
振り返り、2階から階段を下りてくる途中のパジャマ姿の父に小篠、
「おはよう」
返して、父がリビングの方へ歩いて行くのを少しの間見送ってから、ほうきで掃き始める。
しかし、ちょっともしないうちに父は小篠のところまで引き返して来、
「萌花、ゴハン出来たって」
呼びに来てくれた父の後について廊下を奥へ進み、小篠は、テーブルの前の自分の席に座る。
母が牛乳を注いでくれながら、申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめんね、萌花。お母さん、本当は今日、行くつもりだったんだけど、急に、どうしても抜けられない仕事が入っちゃって……」
今日は、高等部の文化祭。日曜日だが、小篠の両親は共に仕事のため、もともと来れないはずだった。しかし、自分の娘が泊り込んでまで準備を頑張ったと思い込んでいる母は、有給休暇をとって来てくれようとしていたのだった。
小篠は、気にしないで、と、首を横に振り、
「いいよ。かえって丁度良かった。せっかく来てもらっても、私、1日中ずっと、クラスの展示物の監視当番だから」
小篠の言葉を、父が、パンで口をモゴモゴさせたまま、
「1日中ずっと? 」
聞き返し、小篠が頷くと、牛乳をひと口飲んで落ち着いてから、
「それじゃあ、当番じゃないじゃないか」
せっかくの文化祭なのに残念だな、と、小篠本人よりもガッカリして見せた。
朝食を終え、小篠は、両親の動きに気をつけつつ歯を磨き、顔を洗って、自分の部屋へ戻って制服に着替え、髪を梳かす。
ややして、身支度を整えた両親が玄関へ行ったのを感じとり、小篠も急いで玄関へ。
両親の体越し、開け放たれたドアの向こうには小雨が降っていたが、空は晴れており、もうすぐ生まれる太陽の光を斜めに受けて薄ピンク色に染まった雲が見える。
日曜日ということもあってか、辺りはとても静かだ。
「行ってらっしゃーい」
見送られることに慣れていないためか、両親は、小篠の挨拶に少し照れた様子で、小さく、行ってきます、と返し、出掛けた。
現在の時刻は、6時15分。
学校へは8時までに着けばいい。まだ、時間にかなり余裕がある。
朝、家事を手伝うようになる以前の小篠だったら、まだ、今から数えても、あと15分間は寝ていた。
小篠がリビングへ行き、ソファに座って、先日ソファの下から見つかったリモコンでテレビをつけると、アニメがやっていた。
小篠が見るには少し幼い感じがしたため、チャンネルを回してみるが、他は、極端に趣味に偏ったものか、歳の多い人向けのようなものしかやっておらず、結局、最初のアニメにチャンネルを戻した。
アニメが終わっても、チャンネルはそのまま。次に始まったニュース番組を見る。
ゆったりと背もたれに寄り掛かり、画面を眺めながら、小篠は、早起きっていいな、と思った。
両親と一緒に朝食を食べられるだけでなく、こんなふうに朝からニュースなど見れて、世の中のことを知ることが出来る。時間的な余裕から気持ちにも余裕ができ、間違って葉に冷たい言い方をしてしまう心配もいらない。
葉を起こす時刻の7時まで時間を潰し、小篠は葉の部屋へ。そーっとドアを開け、ベッドへと歩いた。
ベッドの上、葉は横向きに転がり、掛布団を抱きしめている。何の悩みもなさそうな寝顔。そして突然、何の夢を見ているのか、ニカッと笑う。
こんな葉を見ていると、小篠は、つい、いじりたくなってくる。
腕を伸ばし、人さし指で、ほっぺたを、ぷにっ。反応無し。耳の外側の産毛を、同じく人さし指で撫でてみる。反応無し。小篠は笑いを堪えながら、次は、人さし指と中指で、そっと鼻の穴を塞ぐ。3秒後に、ちょっと眉間にシワを寄せて寝返りをうっただけで、全く起きる気配無し。こんな葉を見ていると……。
こんな葉を見ていると、ほんの5日前までの出来事が、悪い夢だったように思えてくるから不思議だ。
今まで自分が生きてきた中で、最も辛く長い13日間だったはずなのに……。
時が経つとともに、闇姫の一件の記憶は、多分、少しずつ薄れていく。
しかし、意識的に憶えておかなければならない、忘れてはならない、そう、小篠は思った。
少しの間違い……自分が葉に冷たい言い方をしたことが原因で、葉に苦しい思いをさせてしまい、自分も苦しんだこと。誰かと関わるときには、1つの言葉、1つの行動を、相手を思い遣って大事にしなければならないということを……。それぞれ別々の人間で、違った価値観を持ち、違った人生を歩んでいる以上、仕方のない部分もあるかもしれないけれど、それでも……。
「ヨウくん」
小篠は葉の肩に手を置き、軽く揺さぶる。
「朝だよ。起きて」
体を揺さぶられては、葉も、さすがに目を開ける。
少し迷惑そうな顔の葉。しかし、小篠が、
「お祭り、行くよ」
と言うと、飛び起き、小篠から言われる前に、さっさと、昨日の夜のうちに枕元に用意しておいた私服に着替えた。
7時45分。朝食を済ませ、歯磨き・洗顔を済ませた葉を連れて、小篠は玄関を出る。
小雨、とも言えないくらいの、ごく小降りの雨の中、葉は、小篠の先に立ち、
「おっまーつりっ、おっまっつりっ 」
と、開いた傘を上下に動かしてリズムをとり、浮かれ調子でデタラメな歌を歌いながら、ピョッコピョッコと歩いていく。
さっき両親にも話したように、小篠は、今日は1日中、クラスの展示物の監視当番だ。
そのため、葉のことは田中に頼んである。
田中が放課後、小篠を待っている葉と遊んでくれていると、以前、葉から聞かされ、礼を言わなければと思っていたが、昨日の時点で、まだ言っていなかたため、また、来る予定になっていた母が来れなくなったことも分かっていたことから、お礼を言いがてら、その上、頼みごとなど、厚かまし過ぎるとも考えたが、文化祭には外部の人も大勢訪れるため、葉を1人で行動させるのは心配で、一緒に連れて回ってくれないかと頼んだのだった。田中は、自分の母も一緒だがそれでよければ、と、快く引き受けてくれた。
葉は以前、田中のことを大好きだと言っていた。田中と一緒に文化祭を回れると聞き、余計に浮かれているのだろう。
葉の明るさに中てられてか、雨がやんだ。
小篠は傘を閉じ、
「ヨウくん、雨、上がったよ」
*
「暇だね……」
教室の片隅、窓際に2つ置かれた椅子に、小篠と並んで座っている日高が呟く。
クラスの展示物の監視当番。日高も小篠と同じく1日中ずっとだ。
悪気は無かった……それどころか、世界を救ったと言っても過言ではない2人なのだが、その事情を説明したところで、理解してもらえるとはとても思えず、表向きにも、病気(仮病だが)という理由をつけてあったにせよ、文化祭の準備をほとんどサボってしまったことは事実なので、クラスメイトからの反感を買うまま、押しつけられるままに、当番を引き受けたのだった。
1学年に7クラスある中で、各学年1クラスは合唱なり演劇なりのステージ発表をし、2クラスは、何か、食べ物の店を出す。残る4クラスは、各クラスごとにテーマを決めての展示発表。
小篠のクラスは展示発表で、テーマは、校章のモチーフにもなっている富士山について。
富士山の起源や歴史をパネルに書いて並べ、あとは、たくさんの富士山に関する本の中から探し出した選りすぐりの綺麗な写真をカラーコピーして貼り出してあり、教室の中央には発泡スチロールで作った富士山が飾られている。
当番は、その展示物を故意に壊されたりしないように見張り、展示を見に来てくれた人に必要に応じて説明をするのが仕事。
だが実際には、クラスの中に、よほど人の恨みを買っているような人物がいない限り、わざわざ展示物を壊しに来る者などおらず、見に来てくれる人はあっても入口から出口へと通り抜けて行くだけで説明を求めたりしないため、仕事が無い。
(ホント、暇……)
小篠は欠伸が止まらない。
と、日高が、
「小篠サン、どこか行きたい所とか無いの? ここは僕ひとりで充分だから、行ってきていいよ」
気を遣ってか、言ってくれたが、小篠、
(…行きたいトコ……)
ちょっと考え、
(別に、無いな……)
母も来れなくなったことだし、特別見たいステージや展示も無い。葉を自分で連れて回りたい気持ちもあるが、葉自身は田中と回れて、ご満悦。少し寂しくはあるが、それはそれで良かったと思う。それに、学校という場所で、これだけ暇に時間を過ごすのも、まあ、ある意味楽しい。
(あ、でも、眠気覚ましに何か食べたいかも……)
そこへ、
「おう、差し入れだ」
声と共に、秋山が教室に入って来た。
タイミングの良いことに、その手には差し入れの焼きそば2人前。
ほら、と言いながら、小篠・日高に1人前ずつ差し出す。
「すみません」
と、日高。
小篠も、
「ありがとうございます」
言って、受け取る。
秋山の後ろには赤ちゃんを抱いた奥さんがおり、小篠たち生徒と接する秋山を、優しく柔らかな表情で見ていた。
小篠の胸に、チクリと、以前にも覚えのある正体不明の痛み。
秋山は、申し訳なさげな低いトーンで、
「何か、悪かったな。お前らがクラスのヤツらから当番押し付けられるの、止めてやれなくて。しかも、オレも、ずっと付き合ってここにいるとか出来ねえし……」
日高、ニッコリ笑顔で、
「仕方ないですよ。先生は先生で色々仕事がありますし、僕たちが展示の準備をほとんど出来なかった事情だって、説明のしようが無いですし、第一、僕に関してだけ言えば、その事情だって、もともとは僕の家庭の事情なんですから」
返してから、
「じゃあ、先生。焼きそば、いただきます」
焼きそばに箸をつける。
小篠も日高に続いて秋山に断りを入れて食べ始めた。しかし、どうしたワケか、味があまり感じられなかった。
突然、赤ちゃんが泣き出す。
秋山は急いだ様子で奥さんの腕の中の赤ちゃんを振り返って覗き込み、我が子相手に何故か少し照れ気味に、あやし始めた。
普段、絶対に見られない姿だ。何だか微笑ましい。
あれから仲良くやっていそうな雰囲気に、小篠は、さっきから続いたままの痛みを感じながらも、安心する。
しかし、もともと秋山と奥さんの間には、秋山にも奥さんが闇変化した理由が分からないくらいなのだから、他人が見て分かるような問題は無かったはずで、例えば今、この夫婦が、再び同じ問題を抱えていたとしても、多分、小篠には分からない。
その時、
「シノちゃん、久し振り! 」
入口方向から小篠に向けて声が掛かった。藤崎だった。入口より微妙に外側に立ち、手を振っている。
藤崎は教室に入って来つつ、何かちょっと疲れちゃったから、そこの椅子使わせてもらっていい? と、教室の隅の余っている椅子を指さし、日高の、どうぞ、を待ってから、2脚、小篠の椅子の隣に運んで来、秋山の奥さんにも座るよう勧めてから腰を下ろして、フーッと、1度、大きく息をついた。
「藤崎サンは、お父さんのところに帰ったんだよね? うまくやれてる? 」
日高の問いに、藤崎、
「お父さんとは、上手くやれてるも何も、初めから仲いいのよ。ただ、あの時は、お父さんより拓実と一緒にいたかっただけで」
(そっかあ……)
小篠は、何度も、ウン、ウン、と感慨深く頷く。
藤崎、そういえば、と、急に思い出したように付け加える。
「拓実も、もう退院したわよ。本当は今日、一緒に来る予定だったんだけど、何か、急に用事が出来たみたいで」
それを聞き、秋山、
「また浮気してたりしてな」
すかさず口を挟んだ。
怒って立ち上がる藤崎。久々に揉めるのかと思われたが、
「あれ? 」
動きを止め、頓狂な声を出して終わり。その視線は、入口に向けられている。
そこには、真姫が静かに立っていた。
真姫は、失礼いたします、と、キチンとした態度で言ってから教室に入って来、しずしずと小篠たちの前まで進むと、
「先日は本当に、ご迷惑をおかけいたしまして……」
深々と頭を下げた。
藤崎は真姫に歩み寄り、その肩に、そっと手を置く。
「いいのよ。終わった事だわ。顔を上げて」
顔を上げ、当惑した様子で藤崎を見、小篠を、秋山を見る真姫。
小篠は、藤崎に同調して頷いて見せた。
同じく同調してから秋山が、
「それより真姫ちゃん」
話を変えるべく口を開く。
「ここの編入試験、受けるんだって? 」
真姫は、まだ暫くの間、戸惑った様子でいたが、ややして、小篠・秋山・藤崎の優しさを理解したようで、小さな笑みを作り、
「はい。家庭教師の先生に来ていただいて、猛勉強中です。父には、無理せず今の自分のレベルに合った学校に行くように言われたのですが、どうしても、お兄さんと同じ学校に通いたくて……」
「ここは結構、程度が高いからな。何か、オレに手伝えることでもあればいいんだが……」
秋山が、ちょっと難しい顔する。
真姫、
「ありがとうございます。お気持ちだけで嬉しいです」
丁寧な口調で言ってから、チラッと小篠を見、
「小篠サンも、ここの学校だったのですね。……意外と勉強出来るのですね」
(意外と?)
小篠、真姫の言葉がちょっと引っかかったが、自分が勉強出来るように見えないのは事実だと思うので、何も言わないでいると、秋山が、
「真姫ちゃん、小篠の成績は学年トップだよ」
代弁してくれた。
ますます驚く真姫。
日高は少し肩を竦めて見せ、
「小篠サンのせいで、僕は万年2位なんだ」
(あ! )
小篠の頭に、名案が浮かんだ。
「東高は? あそこだったら、途中まで一緒に登校出来るし、帰りも、待ち合わせとかすれば一緒に帰れるし! 」
小篠の言葉に、真姫は口元で両手のひらを合わせ、微かに頬を紅潮させて目を輝かせる。
「素敵! 何だか、恋人同士のようですねっ! 会えない時間が2人の愛を育てるのですねっ? 」
日高が大きな溜息を吐き、首を横に振った。
「ダメだよ……。ここ、東高のスベリ止めだよ? 」
(…そうなの……? )
初等部からずっと、この学園にいる小篠。受験をしていないと、周りの高校のレベルの話などに疎くなってしまうようだ。
いい考えだと思ったのに、と、小篠はガッカリ。
秋山が、
「小篠は、勉強は出来るんだけどなあ……」
誰に言うでもなく呟く。
藤崎は、何やら考え込んでいる様子。少しして口を開く。
「東高でいいなら、確か、とっておいたはずだから持ってきてあげようか? 試験問題。あたしも、高1の今頃の時期の編入だったから」
キョトンとしてしまう小篠。話が掴めず、日高と秋山に目をやるが、同じくキョトン。
最初にキチンと話を掴んだのは真姫だった。驚きを露に、
「…藤崎さん……、東高なのですか……? 」
真姫の驚きように逆にキョトンとしてしまいながら返して藤崎、
「……そうよ? 」
ようやく話を掴めた小篠も驚き、
(そうなんだあ……)
感心。
日高・秋山も、本来驚くべきタイミングから何テンポも遅れて驚き、揃って、
「ええっ? 」
大声。
せっかく泣きやんで落ち着いていた赤ちゃんが、ビクッ。泣き出した。
* 終 *




