* 4-(1) *
日高・秋山・藤崎の怪我の回復を待って10日。
日高は自らの内にある光の力の治癒力に任せ、また、それは他人に向けることも可能ということで、自分の体に障らない程度に、秋山と藤崎の傷も治した。1人元気な小篠の献身的な看護もあって、それぞれが、日常の生活に困らないくらいまで回復していた。
テレビのニュースや新聞で闇変化による事件を目にすることもなく、10日前、逃げる小篠たちを邪魔せず見送ったきり不気味に鳴りを潜めている真姫の動きを気に掛ながらも、日々は穏やかに過ぎていった。
今日は、朝から秋山の様子がおかしい。
起きてくるなり壁に掛けられたカレンダーを5分以上も見つめ続け、その後の朝食の席では箸が進まない。1時間かけて、ようやく朝食を終えたかと思うと、今度は窓辺でぼんやりと外を眺めている。それは、
「オジサン、どうしちゃったの? 」
あまり仲が良くないと思われる藤崎にまで心配されてしまうほど。
小篠も、
(…先生……)
気になって仕方がない。胸の奥の奥の花が、息を凝らして秋山の様子を窺い続けている。
「ねえ、日高クン、聞いてみてよ。日高クンが一番聞きやすいでしょ? 」
藤崎が、小声で日高に持ちかけた。
やはり日高も気になっていたらしく、頷き、窓辺の秋山のもとへ。
「先生……」
遠慮がちに声を掛ける日高。
「どうかしたんですか? 」
小篠と藤崎はソファに隣り合わせで腰掛け、小篠はテレビを見、藤崎は週刊少年マンガ雑誌を開いて、それぞれ聞いていないフリ。
秋山は窓の外に目をやったまま、すぐには答えようとしない。
少しして、
「日高」
日高を振り返った秋山の口から、信じられない言葉。
「オレ、ちょっと花屋に行って来るよ」
(花屋っ? )
小篠は思わず目を見開いて秋山を見た。
(先生が、花屋っ? )
と、秋山と目が合う。
秋山、
「今日、カミさんの誕生日なんだ」
照れくさそうな笑みを浮かべながら、
「毎年、花とワインとケーキで祝ってる。ワインはあるから、あと、花とケーキを買って来ねえと……」
その説明を聞き、小篠は、花とワインとケーキの取り合わせの、あまりの秋山の似合わなさ加減に笑ってしまいそうになったが、
(でも、先生に似合わないってことは、奥さんの好きなものなんだろうな、誕生日だし……)
そう気づいて、何故か少し羨ましく感じた。……奥さんに注がれる、秋山の優しさが……。胸の奥の奥の花が、曇り空の風に揺れる。
藤崎が突然、息を吐きつつ雑誌を閉じて立ち上がり、
「あたしも行くわ。久し振りに外の空気を吸いたいし、それに、この雑誌」
言って、今まで読んでいるフリをしていた雑誌を顔の高さまで持ち上げて見せ、
「新しい号が出てるはずなのよ。続きが読みたいわ。いいでしょ? オジサン。あと、この間みたいに自分が変化の元になった闇変化以外に襲われる例もあるって分かったから、いくら攻撃出来るようになったからって、1人で行動しないほうがいいような気がするし」
「好きにしろ」
答えながら、秋山は藤崎の脇を通り過ぎ、1人、さっさと玄関へ向かう。
藤崎は秋山の後姿を確認しつつ身を屈め、小篠の耳元、早口の小声で、
「いない人の誕生日を祝うための物を買うなんて、やっぱりオジサン、ちょっと変だから、一緒に行ってくるわね」
言って、足早に秋山を追う。
私も一緒に、と言おうとしたがタイミングを逃して言えずに、後悔しながら藤崎を見送る小篠。
ややして、
(……? )
後悔している自分に首を傾げる。
(「私も一緒に」って、何で? 行く必要無いのに……)
闇変化に襲われた時の心配に限って言えば人数が多いに越したことはないだろうが、変だから、という心配なら、藤崎が一緒にいれば充分で、逆に、自分が一緒にいても特に何の役にも立たないだろうし、それに、確かに秋山の態度は、起きた時からずっと変だったが、奥さんの花を買いに行くと言い出したことについてだけ言えば、むしろ、優しさを感じ、奥さんに対して、何故か、本当に何故か、少し嫉妬のような感情さえ抱いた。
(そんなに、変なことなのかな……)
小篠は、自分に置き換えてみる。
(…ヨウくんが大好きなコンビニのおにぎり弁当。あれを、自分の食事の分とは別に買って……。ああ、藤崎サンの言うとおり、やっぱ、ちょっとおかしいかも……)
外で、けたたましいサイレンの音。
小篠が窓を開け、顔を出すと、丁度、下の道路……小篠がいつも夕食を買うコンビニに面した道路を、パトカーと救急車が何台も学園の方向へ走り去って行くところだった。
(何か、あったのかな……? )
小篠は、それらが見えなくなるまで見送り、窓を閉める。
*
「ただいまー」
玄関の開く音と共に、藤崎の声。
出かけてから、まだ30分も経っていない。
テレビを見ていた小篠は、
「お帰りなさーい。早かったね」
座ったまま玄関のほうを覗く。
藤崎に続いて、バラの花束とケーキの箱を手に、秋山が入って来た。
「天気が怪しくなってきたから、傘も持ってねえし、急いで帰って来たんだ」
秋山の言葉を受け、小篠は窓の外に目をやる。どんよりと重たい雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうだ。
と、その時、
「あっ! 」
日高が短く叫ぶ。その視線はテレビに向けられていた。
つられてテレビを見る小篠。
ほんの少し前まで小篠が見ていた番組が切り替えられ、中継で、見慣れた商店街が映し出されている。小篠が通学時に通る商店街だ。
警察の機動隊の後姿をバックに、リポーターがマイクを握り、突如現れた正体不明の生物が商店街の店の店員や買物客・通行人を次々と襲っている、と伝える。
一瞬、黒い影が画面を横切った。闇変化だ。
リポーターの顔が恐怖に強張る。
直後、映像が大きくブレ、消えた。
何が起こったのか、大体想像がついた小篠。頭のてっぺんから爪先までを、緊張が駆け抜ける。
おそらく、他の3人も。
再び元の番組に切り替わったテレビを日高は消し、
「これが、真姫の言ってたイベントか……」
呟く。
秋山、
「『次々と』ってことは、無差別に襲ってるってことか? 」
答えて日高、
「ええ、多分、そうだと思います。10日前に闇水晶は壊したので、それまでの間に、真姫がどれだけの人に力を与えていたか分かりませんし、今、商店街に何体の闇変化がいたかも分かりませんが、無差別と考えずに、偶然、真姫から力を与えられていた人と狙われる予定の人が何組も、あの場に居合わせたと考えるのは、かなり無理がありますよね」
そこまでで、ふと気がついたように、
「そういえば、先生たちが買物に行った時に、何か、変わったことは無かったんですか? 」
それに対し、秋山、
「いや、オレらは、あの商店街には行ってねえから……」
藤崎が頷き、
「あたしたちが行ったのは、この団地の裏手にあるケーキ屋と、その2軒先の花屋よ。毎年、そこで買ってるんですって」
秋山の言葉を補足する。それから、窓を指さし、
「いつもと比べて変わったことって言ったら、ここを出たばっかの時に、商店街のほうに向かってパトカーと救急車が何台も通り過ぎてったことくらいよね」
言いながら外を見て、ハッと息を呑んだ。
その様子に、小篠、
(……? )
見やすいように立ち上がって外を見、
(! )
思わず窓辺に駆け寄る。
そこで見たものは、向かいの家の屋根の上、左右の手にそれぞれ1人ずつ、グッタリとし動かない人間をぶら下げた闇変化が、勝ち誇ったように仁王立ちする姿。
そして、
「ひ、日高クン! あっあれ……! 」
日高を振り返ろうとして微妙に移動した視界に更なる惨状が映り、一瞬固まった。
それは、コンビニの前、5人もの人が血まみれで折り重なって倒れ、その傍らに、屋根の上にいるのとはまた別の闇変化がおり、今まさに犠牲者が1人増えようとしている光景。
よく見渡せば、商店街から続く、コンビニや、この団地のある通り沿い、あちらこちらに闇変化が見受けられた。
小篠に呼ばれて窓辺へ来、外を覗いた日高が、
「何てこと……」
片手で顔を覆う。
日高の後から来て、同じく外の光景を目にした秋山は、窓枠に強く拳を押しつけ、
「どうするっ? 日高! 」
日高の意見を仰いだ。
日高は顔を覆った手をゆっくりと剥がし、
「……こんなことになってしまった今、1体1体の闇変化を相手にしたところで、闇変化は、すぐに回復しますから、所詮、イタチごっこです」
目に考え深げな光を浮かべる。
「被害を最小限に抑えるには、一刻も早く真姫を殺すしかありません」
秋山は頷く。
「分かった。それで、どこにいると思う? 」
「家だと思います。真姫は11日前に生まれて初めて自分の部屋から出たばかりで、外の世界には疎いはずですから、自分は家の中にいて、闇変化に指示だけ出していると思います」
日高の言葉に頷き合い、小篠・日高・秋山・藤崎は、足早に部屋の出入口へ。
狭い廊下へ1歩踏み出した、その時、いきなり、バキッと大きな音をたてて、鍵がかかったまま、外側へ強引に玄関のドアが開け放たれた。
(! )
こんな登場の仕方をするものは、もう、決まっている。一同は、1歩退いて身構えた。
開け放たれた玄関から現れたのは、案の定、闇変化。秋山と同じくらいの上背の、闇変化としてはおそらく小さめな、その闇変化は、明らかに女性の体型をしており、特徴的なところで、左肩が隆起し、左腕も、右腕の3倍の太さがある。
日高、
「先生の奥さんだよ」
小篠と藤崎向けに言った。
(…先生の、奥さん……)
小篠の胸の奥の奥の花が、無音の不思議な暴風の渦に巻き込まれる。
秋山は構えを解き、
「お帰り、美和」
奥さんに向かって優しく微笑むと、小声で、
「手出し無用だ」
短く言いながら、ズボンのポケットから光水晶のカケラを出して、日高に押しつけるように渡し、大きく両腕を広げて奥さんのほうへと歩を進める。
(先生っ……? )
秋山の突然の不可解な行動に、驚く小篠。
日高も、
「先生! 何を……っ? 」
驚いたように叫ぶ。
秋山は、自分を見据え敵意を全身に漲らせて攻撃態勢に入っている奥さんの目の前で足を止め、そっと、抱き寄せて、
「誕生日おめでとう。いつものケーキ屋のケーキと、美和の歳と同じ24本の薔薇を買って来たよ。冷蔵庫に、ワインも冷えてる。お祝いしよう」
何が起こっているのか小篠の位置からでは分からないが、秋山と奥さんの体の接する隙間から血液が床へと滴り落ち、血溜まりを作った。十中八九、秋山の血。後姿で表情こそ見えないが、ガクガク揺れる足がダメージを物語る。
奥さんに動きは無かったが、その全身から何か大きな力が発せられているのが感じられた。
「先生っ! 」
助けに行こうとする日高。
それを藤崎が、
「待って! 手出し無用って、言ってたでしょ」
腕を掴んで止める。
日高、
「どうして止めるんだ! 今、先生はカケラを持っていないんだ。このままだと死んじゃうよ! 奥さんを抱きしめたかったら、真姫を殺して元の姿に戻してから、思う存分抱きしめればいい。今は、その時じゃない。真姫を殺すのが先だよっ! 」
藤崎の手を振り払おうとする。
藤崎は、日高のもう一方の腕も掴まえ、
「お願い、日高クン! 少しだけでいいの。オジサンに時間をあげてっ! 」
力一杯自分のほうへ引っ張った。結果、日高はバランスを崩して転び、藤崎も、勢い余って尻餅をつく。
藤崎、この機を逃すまいといった感じで、
「日高クンは、もしかしたら、まだ、恋をしたことが無くて、分からないかもしれないんだけど」
日高を説得にかかる。
「例えば、自分が原因で自分の大切な人に大変な事が起こってしまった時、相手が家族や友人なのか、それとも恋人なのかによって、全然違うものなのよ。どちらにしても、強く責任を感じてしまうことに変わりは無いけれど、相手が家族や友人なら、冷静に、っていうのはさすがに無理でも、広い視点で、事態の解決を優先に行動できたりするでしょ? でも、相手が恋人だと、出来ない時もあるの。相手の自分に対する気持ちが気になって、時には、そっちを優先させてしまうものなのよ。それが、どんなに重要な場面であってもね。見えなくなってしまうの。……あたしが今日、オジサンの買物について行ったのは、本当は、雑誌の続きなんて、どうでも良かったの。オジサンの様子が変だったから、心配でついて行ったのよ。ついて行って、分かったことがあるわ。オジサンにとって、奥さんは、確かに家族だけど、でも、恋人でもあるのよ」
藤崎の熱い早口を一通り聞いてから、日高は立ち上がり、
「我が儘だよ。先生の命の問題だけじゃない。こうしている間にも、犠牲者はどんどん増えてる。それを最小限に抑えるために、真姫の所へ向かおうとしてたはずだろ? 今は、同じ1つの目的に向かって、団結しなけりゃならない時だ」
秋山と奥さんのほうに目をやった。
「今は、一刻を争…う……? ……」
途端、日高は何かに気を取られたようで、言葉を途切れさせる。
息を呑む日高。視線は秋山と奥さんの方向に貼りついたまま動かない。
つられたか、秋山と奥さんのほうを見る藤崎。日高と同じく吸い寄せられるように、そちらを見つめる。
小篠も、
(……? )
日高と藤崎のほうに逸れていた視線を、秋山と奥さんのほうへ戻す。と、
(……っ? )
奥さんの左肩の隆起した部分から繋がって左腕の3分の2が、その体から剥がれ落ちた。
剥がれ落ち、床に転がったそれは、黒い煙のようなものを立ちのぼらせ、やがて、姿を変えた。
(…赤、ちゃん……? )
そう、奥さんと床に転がった肩から左腕の一部分を、交互に見比べていた小篠の目の前で、床に転がっていたそれは、オムツさえつけていない全裸の生後6ヵ月くらいの赤ちゃんに姿を変えたのだった。
赤ちゃんは、仰向けの状態で頭と足を突っ張り、体を反らせて激しく泣いている。
藤崎が、奥さんに注意を払いつつ赤ちゃんに近づき、自分の上着を脱いで、壊れやすい物を扱うように大事に抱き上げつつ上着で赤ちゃんを包み、あやしながら、小篠と日高のところまで戻って来た。
「どういういこと? 」
藤崎の問いに、日高、
「お子さんのほうは、奥さんの感情に引きずられて変化しただけなんだ」
「引きずられて? 」
「うん。奥さんが変化した時、たまたま、お子さんを抱いてたんだ。だから引きずられた。合体した姿だったのが証拠だよ。お子さんが単独で変化したなら、お子さんだけで1体の闇変化になったはずなんだ。誰かの感情に引きずられて合体という形で変化した場合、引きずられたほうの変化は解け易いって、聞いたことがあるよ」
日高の説明に納得した藤崎の腕の中、赤ちゃんは落ち着いた様子で眠った。
一方、秋山は、もう、抱きしめてると言うよりは、奥さんに凭れるような形で、それでも、なお、言葉を重ねていく。
「お前が闇変化になってから、オレの何がいけなかったのか、ずっと考えてた。正直、今も分からないままだけど、チャンスをくれないか? 今年4月に今の学校に転任して、いきなりクラス担任と部活の顧問を任されて忙しくて、この頃、お前とキチンと向き合って話すことも無かったよな。……話をしたい。その日あったこととか、テレビを見ながら思ったこととか、内容は何でもいいんだ。お前を、もっと分かりたい。努力するから……」
(あ……)
一瞬、奥さんの体全体から発せられていた力が弱まったように、小篠には見えた。
(気の、せい……? )
秋山は続ける。
「…お前が、大切なんだ……」
小篠の胸を、
(先生……)
チクリと正体不明の痛みが襲った。
その時、奥さんの目から、涙のような無色透明の液体が、パタパタと零れ落ちた。
直後、奥さんから、赤ちゃんが元の姿に戻った時のような、黒い煙が立ちのぼる。体は見る見る小さくなり、黒い肌も肌色に。額の赤いマークは跡形も無く消え、煙が完全に出なくなった頃には、身長140センチ程、とても24歳には見えない童顔で小柄な、全裸の女性に姿を変え、秋山のほうへ倒れ込んだ。
怪我人の秋山は、支えようとする努力も空しく、奥さんの背に手を回したままで、一緒に床に崩れる。
「先生! 」
すぐさま日高が駆け寄った。
腕の中で眠る赤ちゃんを気遣っている様子で、ゆっくり静かに歩み寄る藤崎。
正体不明の胸の痛み以降、目に見える、耳に聞こえる全てのものが、何だか遠くに感じられていた小篠も、何となく人の移動の流れにのって、少し後れて秋山のところへ。
日高、
「先生、大丈夫ですか? 」
秋山は、グッタリして反応が無い奥さんのことを気にかける様子を見せながら、奥さんを動かさないよう気をつける感じで静かに半身起き上がり、オレは大丈夫、といったように両手を上げてみせてから、ボロボロになった自分の上着を脱ぎ、奥さんに掛ける。
日高は奥さんの前に片膝をつき、慎重に観察。ややしてホッと息を吐き、
「大丈夫ですよ。眠ってるだけです。変化が解けて疲れが出たんでしょう」
秋山は安堵の表情。その腕に奥さんをしっかり抱きしめ直して日高を見上げた。
「どうして、変化が解けたんだ? 」
日高、
「さあ、それは僕にも……」
首を傾げる。
藤崎の目は、真っ直ぐに秋山を見つめていた。
気づいて、秋山、
「何だ? 」
藤崎は、意味ありげな笑みを含んで秋山を見つめたまま、
「ちょっと見直してたとこ」
返して秋山、
「じゃあ、今までは見くびってたワケか? 」
「あれ? 気づかなかった? 」
冗談めかして言う藤崎。
日高が、
「先生、ひとまず奥さんをベッドに運びましょう。先生の傷を治さないと……」
言って、奥さんを抱き取ろうとする。
それを秋山、
「いいよ。オレが運ぶ。さっきは突然すぎて支えきれなかったけど、コイツ軽いから、大丈夫だ」
断り、奥さんを両腕に抱いて立ち上がった。
小篠の胸の奥の奥の花が、この世の全てのもの、小篠自身の体からさえ取り残されたように遠く佇む。
寝室へ移動した一同。
秋山は、キチンと畳まれた花柄のパジャマがずっと置かれたままだったほうのベッドに、奥さんを横たわらせてから、日高の指示で、ボロ雑巾同然のシャツを脱ぎ、自分のベッドに腰掛けた。
日高が秋山の正面に立ち、藤崎は、どこからか探し出してきたオムツと赤ちゃん用の繋ぎの服を赤ちゃんに着せてから、そのために目を覚まして泣き出した赤ちゃんを再び寝かすべく抱いて優しく揺すりながら日高の隣に立ち、日高と秋山を見守る。
小篠は、藤崎に言われて、奥さんにベッドの上のパジャマを着せる。奥さんは小柄な人だが、眠っているため完全に力が抜けている。その体は意外に重たく、また、裸をあまり見てはいけないと思い、極力目を背けての作業だったため、手間取った。
やっとのことで奥さんに着せ終えた小篠が藤崎とは反対側の日高の隣に立った時には、日高は、既に秋山の血を止め、濡れタオルを手に皮膚表面に残った血液を拭き取っているところだった。
そのあとから、無数の細かい傷痕が現れる。秋山の怪我は、闇変化だった奥さんの体と接していた部分の皮膚の裂傷だった。
日高はタオルを置き、秋山の傷痕に手のひらを向ける。手のひらが鈍く光った。傷痕が少しずつ薄くなっていく。日高の鼻の頭に汗が滲み、息が乱れる。まだ、10日前の怪我以来、本調子とは言えない日高だ。
「日高、無理するな」
秋山が止める。
「でも……」
「もともと、かすり傷みたいなもんだ。血を止めてくれただけで充分。あとは唾でもつけとくさ。……ありがとな」
日高は納得いかないようだったが、これから真姫の所へ乗り込む上で中心を担うべき日高が調子を崩せば皆が困ることになるのだ、と秋山から諭され、渋々、といった様子で手を引っ込めた。
秋山は立ち上がり、タンスから新しくシャツを出して袖を通しながら、静かな寝息をたて始めた赤ちゃんを抱いている藤崎を見、
「ところで藤崎。お前、随分、赤ん坊の扱いに慣れてるみたいだが、ひょっとして、子供いるのか? 」
小篠も、その話題に興味を持った。子供がいるのかも、とは考えなかったが、さっきから、藤崎が赤ちゃんの扱いに慣れているとは感じていた。小篠だったら、自分の目の前で赤ちゃんが冷たい床に転がって泣いていて可哀相だと思っても、扱いに自信が無いため、触れることも出来ない。況してや、抱き上げてあやして眠らせるなど……。
藤崎、
「いないわよ」
半ば呆れたように口を開く。
「あたし、丁度2年くらい前に、こっちに引っ越して来たんだけど、前に住んでた家の近所にイトコが住んでてね、よく遊びに行ってたのよ。そこに赤ちゃんがいたから、じゃない? 」
その答えを聞いて、秋山は舌打ち。
「何だ。つまんねーな」
話しが一段落ついたところに、
「…智広……」
秋山に向けて、小さく声が掛かる。
小篠が声のほうを振り返ると、小篠たちの話し声によって目を覚ましたのだろう、奥さんが起き上がるところだった。
日高、秋山の耳元で、
「変化していた間のことは憶えてないはずですから……」
秋山は頷き、奥さんに歩み寄って顔を覗く。
「…私……? 」
奥さん、ゆっくりと辺りを見回し、日高に目を留めて、日高クン? と呟き、次に、小篠と藤崎を見つけて、
「あの子たちは……? 」
嘘が下手との自覚のある秋山は、言葉に詰まる。
藤崎が、機転を利かせて口を開いた。
「『先生』のクラスの生徒です。初めまして。奥さんがお休みなのに、お邪魔してしまって、すみません」
小篠は急いで藤崎に続く。
「お、お邪魔してます」
「…いらっしゃい……」
マニュアル通りに答えてから、奥さんは自分の前髪をクシャッと掴んだ。
「…ごめんなさい。頭がボーッとしてて……」
秋山、
「疲れてるからだろ? 」
奥さんを優しく見つめて返してから、藤崎の腕の中の赤ちゃんに目をやり、
「アイツも眠ってるから、少し休むといい。オレ、今から、ちょっと出掛けなけりゃならないから、誕生日会は帰ったらやろう」
奥さんは驚いた様子で まじまじと秋山を見る。
「憶えてて、くれたの……? 」
秋山、フッと笑み、奥さんの頭を自分の胸へ引き寄せた。
「当たり前だろ? 」
小篠は、奥さんを愛しげに抱く秋山を見ているのが、何故か、何となく辛くて、そっと、目を逸らした。
日高が、秋山に向けて、
「そろそろ、行きましょう」
声を掛ける。
藤崎、
「『先生』、赤ちゃんはベビーベッドに寝かせればいいですか? 」
出掛ける小篠たち4人を、奥さんは玄関まで見送りに出てくれた。
秋山、靴を履いてから奥さんを振り返り、
「晩メシ、作らなくていいよ。帰りに寿司でも買って来るから」
奥さんは幸せそうに微笑む。
ドアを開け、出て行く間際に、日高、
「奥さん、僕たちがここを出たら、先生が帰って来るまで、絶対にドアを開けないでもらえますか? 」
当然、意味が分からない様子で小首を傾げ、秋山を見る奥さん。
秋山が静かに頷いて見せると、奥さんも頷いた。
奥さんに対して、小篠・日高・藤崎は「お邪魔しました」、秋山は「じゃあ、行って来るよ」、と、それぞれ口々に挨拶を済ませ、玄関を出た。
さっき、まだ闇変化だった奥さんが乱暴な開け方をしたが、さすがに鍵はかからないものの、ドアは一応閉まった。
早速、日高が結界を張り始める。
秋山と藤崎は、不思議な表情で日高を見つめた。
秋山、
「何をしてるんだ? 」
その問いに、小篠は一瞬、あれ? と思ったが、
(……そっか)
秋山も藤崎も、日高の自宅の通用門に結界を張る時には、ほぼ意識の無い状態だったと、すぐに思い出し、結界を張ることに集中しなければならない日高に代わって、
「結界です。これをやっておくと、闇変化が中に入って来れないそうです。でも、1度でもドアを開けたら破れますけど」
説明。
「そうか」
秋山は納得。
「そう言えば、日高は、まだオレの家で寝泊りするようになる前、いつも帰り際に、オレに、ドアを開けるなって念を押してったな」
日高が結界を張り終え、振り返る。
秋山は、
「これで安心だな」
言って、階段のほうへ歩き出した。
その背中を、
「ねえ」
藤崎が呼び止める。
「オジサンは、ここでバイバイでいいんじゃないの? 出て来る前から思ってて、でも、奥さんがいたから言い出せなかったんだけど……。もう、奥さんも赤ちゃんも元に戻ったんだし、わざわざ危険な目に遭いに行く理由、無いでしょ? 」
(…そう、だよね……)
言われてみればその通り、と、小篠は続く。
「せっかく元の姿に戻れたのに、もし先生に何かあったら、奥さんも赤ちゃんも悲しみます」
先程も1度あった正体不明の痛みが、先程に比べて、ごく弱く、チクリと小篠の胸を刺した。胸の奥の奥の花は、遠く遠く霞んで、はっきり見えない。
日高も頷いた。
「先生は、ちゃんと、ご自分の奥さんとお子さんを助けました。だけど、それだけじゃ、家族に対する責任としては中途半端です。家族と一緒にずっと生きていくことでしか、それは果たせません。僕はさっき、あまり深く考えずに、先生に、行きましょう、って声を掛けましたが、訂正します。残って下さい」
秋山は、自分を真っ直ぐに見つめる小篠・日高・藤崎を順番に見、俯いて、フッと小さく笑み、首を小さく横に振った。
「いや、行くよ。オレには、生徒に対する責任もあるんだ」
小篠たちが階段を下り、歩いて、コンビニに面した通りに出た瞬間、小篠の目に、
(! )
5体の闇変化が商店街方向から一同のほうへ向かって、かなりのスピードで近づいて来るのが映った。
あとの3人も気づいたらしく、それぞれに光の球や光線を作り出し、臨戦態勢を整える。
しかし、5体の闇変化は、そんな4人を完全無視。スピードを緩めることもせず、そのまま、4人の目の前を通過。日高の家の方向へと姿を消した。コンビニの前の闇変化も、屋根の上に仁王立ちの闇変化も、5体の後に続く。更に、その後ろを十数体の闇変化が、同じく日高の家の方向へ。




