釣り人
「おい、あれを見てみろよ」
「なんだ?」
指された先には中年の恰幅のいい男がのんきに釣り糸を垂らし、堤防に置いたクーラーボックスの上にでっぷりと腰をかけている。
「お前、あいつのこと知ってるか?」
「いや、全然」
「なんだ、知らないのか?」
「あぁ、知らない」
「あいつはここいらじゃ有名な『釣り人』で釣りのために嫁を捨て、職を捨て、家を捨てた男だ」
「そんなやつがいるのか」
「いるんだ、世の中にはそんなやつが」
「そこまで行くともう病気だな」
「そうだな」
「暇さえあれば来ているんだったら『釣り人』ってより『釣られ人』って呼んだほうが正しいんじゃないか?」
そう、冗談交じりに言うと「まぁな」とサラっと返される。
「今の結構ウマかったんじゃないか?」
「まぁ、そうだな。〝言い得て妙〟ってやつだ」
「どういうことだ?」
「ほら、あれ見てみろ」
指した先には大きな魚影が確認できた。
「あれはデカイな。遠くではっきりとは見えないが……サメか?」
「そうだな、恐らくサメだろう」
「食いつくかな」
「どうだろうな」
「それはそうと、毎回ヤツが来てることを知ってるお前もどうなんだって話だけどな」
「それは仕方ねぇだろ、俺たちはこの辺に住んでるんだし」
「それもそうか」
『釣り人』はクーラーボックスに座り、糸をゆっくりと巻きながらタバコをふかしている。
一瞬、『釣り人』の恰幅のいい大きな身体がびくんっと跳ねる。
「食いついた!」
「あぁ、さっきのサメが食いついたみたいだな」
『釣り人』は必死にリールを巻こうとするが巻いては戻され、巻いては戻されを繰り返している。
「難しそうだな」
「ほら、しっかり見てろもうすぐだぞ」
「なにがだ?」
『釣り人』は苦悶の表情を浮かべて「もう限界だ」とでも言いたげだ。
――その時、突然リールを引っ張るサメの力が弱ったのを感じたのか、リールを巻く手の速度が速くなる。
「どうしたんだ? サメも疲れたのか?」
「よく見ておけよ」
『釣り人』は一転、喜悦の表情を浮かべ、軽快にリールを巻く。
――その瞬間、サメが糸を引っ張る強さを最大限に強めた。
必死に抗おうとするが、完全に油断していた『釣り人』は全身の力が抜けきっていた。
サメに釣竿ごと引っ張られ、『釣り人』は海の中へ引きずり混まれて行った。
……。
「な?ヤツはずっとあれを繰り返してるんだ」
「なるほど、確かに〝言い得て妙〟だ」