Lv.08
帰る前に、厩舎を案内してくれると言うので、お言葉に甘え案内して貰う。朝、良く見えなかったから、不満だったんだよな。
フィルさんについて厩舎を見学。
近くで見ると、小馬と違いやたら迫力がある。それも当たり前だ。大人が見上げる大きさの生き物が、四歳児から見たら巨大で無い訳が無い。恐らく、今の俺が見ている馬のサイズは、大人からしてみれば象くらいにあたるのではないだろうか。アジア象ではない。アフリカ象だ。その位デカい。
棟毎に所属が決められているらしく、一般兵が乗る馬と、聖騎士が乗る馬はかなり違いがあった。一般兵の方は頑丈そうで荒々しく、聖騎士が乗る馬は強靭ながら優美でもあった。如何にも騎士団の馬、と言う感じである。
幾つか棟を見せて貰ったが、少し離れた場所に厩舎より更に大きい建物があるのに気が付いた。何だろう、と思って訊ねる。
「フィルさん、あの建物は何ですか?」
「あれは、今は使われて居ませんが、竜舎です。この国に竜騎士がいた時に使われたもので、これからまた現れた時と、国外からのお客様が騎竜してきた時の為に残してあります」
あらら。此処へ来てフラグ立ったか? 何だか竜騎士になれと言う無言の圧力を感じるのは俺だけですかー?
そんな話は捨て置き、そろそろ見学も終盤である。
どうも見慣れない大きさの人間に戸惑っているのか、馬たちの様子に落ち着きがなくなってきた。興奮させて怪我でもされたら困るので、フィルさんに耳打ちする。
「フィルさん、馬が騒ぎだしたので、帰った方が良いですよね?」
「そうですね、残念ながら……」
フィルさんが心底残念そうに、俺達を厩舎の外に連れ出そうとした時、それは起こった。
バキィッ、と言う破壊音が厩舎に響き、蹄の音が近付いてきた。
あっという間に蹄の主が俺達の前に姿を表した。
「コラ! 戻らないか!」
追いかけてきた騎士の一人が、制止の声を掛けるが聞く訳が無い。そいつは目の前、少し先で止まり、ゆっくりと近付いてきた。
―――デカい。
第一印象はデカい、の一言だった。兎に角デカい。他の馬と比べたら一回りは違うんじゃなかろうか。
見事な青毛。鬣から尻尾まで、艶やかな青毛は黒光りし、発達した筋肉を覆っていた。一歩進む毎にその見事な筋肉が動き、黒い毛が艶を放つ。
ポカンと見ていた俺達だったが、目の前に来てやっとフィルさんが正気を取り戻した。
「殿下、危険です! 此方に!!」
俺の手を引き、近付く馬から離そうとしたが、それより先に馬が一声嘶き、駆け寄った。そしてそのままの勢いで、俺の服の襟と言うか、首根っこ? を口で掴むと、グイと俺の体が持ち上げられてそいつの背中に載せられた、と気付いた時には既に遅く、大きな黒馬は俺を背に乗せたまま走り出した。
「殿下! …誰か、馬を寄越せ!! 追うぞ!!」
「クラウド!」
「待てーっ!」
遠去かるフィルさんの声とライとルフトの呼ぶ声。
振り落とされない様にしっかり鬣を握り締め、鞍も着けられていない背中に必死にしがみついていると、フワリと体が浮いた感覚と、直ぐに地に落ちた様な衝撃。チラリと後ろに目を遣ると、柵越えしたのが判った。
無茶すんなよ!! 速歩がやっとの俺に柵越えとか有り得ないだろ! と心の中で馬に突っ込む。
俺を拉致った馬は兎に角速かった。騎士団に併設されていた馬場を飛び出し、追い縋る兵士や騎士を撒いて城から脱出すると、森に向かって駈けていった。
初めの内こそただしがみつくだけの俺だったが、次第に速度に慣れ落ち着いてきた。
落ち着けば周りを見る余裕も生まれる。
下手に体を起こして落ちるのも怖かったので、首だけ動かして流れていく景色を楽しむ。小馬に跨がっていた時と全く違う高さに興奮し感動する。大人になって馬に乗ったら、此の風景が何時でも見られるんだ。
草原は夏になったら青々と繁った草が風に揺れているだろう。その中を走り抜けたら、さぞかし気持ち良いだろう。
半ばうっとりと妄想する俺が気付いた時には、何時の間にか森の中、泉の湧く開けた場所に来ていた。
ゆっくり歩いて泉の水を飲みだした馬が大人しいので、俺はそろそろと身動ぎして馬から降りようと試みた。
…高い。地面がかなり遠い所にある。だが此処で躊躇ってまた何処とも知れぬ場所に連れて行かれては堪らない。深呼吸してから、意を決して飛び降りる。
多少ふらついたものの、何とか無事に着地出来た。うん、足も捻って無さそうだ。
ホッと一息つくと、安心して緊張が解けたからか、足がガクガクと震えだした。あ、これって足が笑うってヤツだ。兎に角震えが止まらないので、腰を落として座り込んだ。
震える足を丹念にマッサージする。…先刻整体師のスキルを得て良かったかも知れない。指導された訳ではないから的確かどうかは判らないが、それなりには効いているようで足の震えと強張りが取れてきた。
ほーっと息を吐き出しリラックスすると、俺を拉致した青毛が鼻を寄せて擦り寄ってきた。
甘えてるのかな、と思い鼻面を撫でてやる。満足そうに嘶くと、俺の髪を食み始める。…えーと、確かこれって毛繕いだよな。毛繕いされるって事は、コイツに気に入られているって認識で良いのかな?
取り敢えず軽く甘咬みされるだけで抜かれている訳ではないので、暫く青毛の好きにさせて自分はマッサージを続行した。
良い具合に体も解れた所で、未だに髪を食み続ける青毛に話し掛ける。
「お前、俺の事好きなの? 何でこんな場所に連れて来たんだ?」
話し掛けた所で返事が返る訳が無い。馬の言葉が判るほどスキルレベルは高くない。
俺の言葉に、青毛はグリグリと鼻を押し付け、転がされるように倒された。
いや待て。倒された瞬間、何か前世の妙に腐った知識が頭を過ってしまったではないか。ケモノと××とか。言っておくが俺にお前の立派なイチモツは入らないからな? てか阻止するからな?
そんな冗談は捨て置き、グイグイ鼻面で転がされて、何時の間にか泉の前で転がっていた。飲めって事かな。確かに喉は渇いているし。
よいしょと立ち上がろうとしたところで、泉の方から笑い声が聞こえた。
え? と思って顔を上げると、泉の中に精霊らしきモノが居た。何故『らしき』かと言えば、泉の中に立っているにも関わらず着ている服は濡れていなかったし、先程まで誰の気配も無く、突然現れたとしか思えなかった。こうなると、人ならざる者、精霊かと思うのだが、再び俺の妙な知識が邪魔をする。
目の前で佇むのは、藍色の光を放つ黒髪の少年だった。
普通さ、泉の精霊と言えば、見目麗しい女性若しくは少女だと思うだろ? 何で少年? しかも着ているのは何故か狩衣だか直衣にしか見えない平安装束で。
誰か、責任者連れて来い! 何でいきなりヴィクトリア調から平安調になるんだよ、おかしいだろ!
俺の心の叫びに気が付いたのか、泉の少年はクツクツと笑った。
「済まぬの、幼子よ。その者に頼んで其方を此処まで呼んだのは吾よ。許せ」
許せと言われても。未だ状況が掴めてないので、詳しい説明を求めたい。てか、聞き捨てならん言葉が聞こえたよな? 青毛に頼んだ?
俺の困惑しきった顔に、再び少年は笑う。
「先頃より此の海域を通る度に馴染んだ気配がした故な、吾の眷属に連なるものに頼んで連れて来て貰うた」
「眷属?」
「地を駆る馬も吾の眷属。吾が一番仮生し易い姿が馬よ」
言うなり、少年は白馬となって、また直ぐに人の姿に戻った。
「えーと、泉の精霊……じゃ、無い、よな?」
何か凄い、魔力とはまた違う、とにかく不思議な力が彼から伝わり、俺は恐る恐る訊ねた。
厭な予感がする。馴染んだ気配って、まさか。
「吾は四天の守護者、東天を司る青龍。其方から吾の主、水の杜の王の気配がした故、参った」
責任者ーっ! 青龍って何だよ!
水の精霊とかならまだしも、青龍って?! 東天て事は西とか南とか北も居るんだよね? …四神じゃん! 何でいきなり東洋の神様が出て来るんだよ!! しかもやっぱりラディンの関係者かよ!
俺の心の叫びを聞き取ったのか、青龍は苦笑して言った。
「いきなりで混乱するのも判らぬでは無いが、吾も覚えの無い場所に主の気配が在ったのじゃ、不審に思うても仕方あるまい」
まぁ判らないではない。
「然し其方、水の杜の客人と言う加護を持っているが……主に気に入られたか? 珍しい事も有るよの」
「あぁ、俺が魂のまま水の杜に迷いこんだからかな?」
開き直って青龍に俺のラディンとの一件を話すと、納得したのか頷いた。
「成る程、彼の世界の者であったか。其れならば主に気に入られるのも無理はない。彼の世界の、特に日本人は中々面白い事を仕出かすのでな、主の御気に入りぞ」
今、何か凄いぶっちゃけられた気がする。そうか、日本人お気に入りなのか、じゃあ仕方無い……って、なるわけ無いだろー!
うん、でも判った。ラディンに関する事は仕方無いと思った方が良いって事が良く判った。きっと俺、この先も水の杜の関係者に振り回されるに違いない。
その後、青龍と一頻り話した後、漸く解放され、城に戻る事となった。
城まで送ると言われたが、それは断った。その方が早く帰れるのは判っていたが、青毛に連れ去られた俺を、追っている人々が居るのだ。フィルさんとか、騎士団の人達とか。
ライとルフトは流石に追っては来れないだろうが、心配して待っている筈なのだ。それなのにちゃっかり涼しい顔で城に戻るのは嫌だ。
俺は、探しに来てくれた人達と一緒に城に戻りたい。
俺がそう言うと、青龍は「そうか」と笑って、一番近くに追って来た騎士――やっぱりフィルさんだった――の方向を教えてくれた。
「有り難う」
「なに、元は此方の我儘故、此の位はさせて貰うぞ」
「それでも、青龍さん? …有り難う」
何と呼んだら良いか判らず、そう言うと、青龍はクスリと笑って消えた。
現れるのもいきなりだが、居なくなるのも急だな。
青毛は俺を背に乗せるのは抵抗無いのか、俺が歩いて帰ろうとすると、再び服を衡えて背中に乗せると、今度はゆっくり歩きだした。
ゆっくりとは言え、速歩だ。落ちないように、でも今度はキチンと背筋を伸ばして馬に身を任せた。
やや暫く行くと、馬の姿と俺の名を叫ぶ声が聞こえた。
「フィルさーん!」
「殿下! 御無事で!!」
半ば泣きそうなフィルさんは、青毛から俺を奪う様に抱き抱えて、城に戻った。青毛は不満そうだったが、俺が我慢してついて来いと言うと、大人しく従った。それにはフィルさんも驚いていたが、俺が青毛を処分しないでくれ、と言うと更に驚いた。
幾ら馬でも、王子を拉致したのだから、処分されるだろう、と思ったのだ。実際このまま戻ったら、そうなっていたらしい。だが青毛は青龍に言われるまま俺を連れ去ったのだ。コイツのせいでは無い。
難しい顔をしていたフィルさんだったが、良い馬だし勿体無い、連れ去られて皆に心配掛けたのは悪いが、それ以外では寧ろ俺は乗馬を楽しませて貰った。また青毛と走りたい、と言って処分はやめて貰った。
「殿下が無事で良かった……。落馬などしていたら、どうしようかと思いました」
「ごめんなさい。でも本当に心配掛けたのは申し訳ないけど、ぼくは楽しかったんです……ごめんなさい……」
「お謝りする必要は御座いません。楽しかったのなら、……何よりでした」
本当に心配してくれたのだろう。一瞬切なそうな表情をしたものの、その後フィルさんは柔らかく微笑んでくれた。
城へ戻る間、俺は青毛に乗っていた時の高揚感や楽しさを延々語り、俺を探していた騎士たちと合流しながら、城に戻った。
両親には心配掛けたが、俺のやんちゃぶりを知っていたからか、有り難いことに誰も処分される事は無かった。フィルさんは監督不行き届きで厳罰が下ると思ったらしいが、あれはフィルさんのせいじゃ無いし、寧ろ早く発見されたのはフィルさんのお陰と言える。
そんな訳で乗馬の練習も続けられる事となり、青毛もいきなりあんな事をしたのは運動量が足りないからだろう、と頻繁に馬場や外へ連れ出されるようになり、幸せそうである。
ただ、俺を見付けると一目散に駈けてきて、髪の毛を食むのはやめて欲しい。