Lv.61
じっと見詰める視線の先には、どう見ても猫の足……多分前足だと思うが、手と言うべきか足と言うべきか、非常に悩むところではある。地面からニョッキりと生えた猫の手。…あ、手に変換したら何となくどんなモノか判った気がする。
某国民的有名RPGのモンスターで、マドハンドというのが居た筈だが、それの猫版だ。泥の手ならぬ猫の手。
試しに一歩近付くと、ススッと離れる。一定の距離を取りながら、此方の様子を窺っているらしい。時々ピクピクッと指先が震えて、ギュッと指を握るのが何だか可愛くて癒される。魔物に癒されるっていうのもなんだが……魔物、だよな?
「ディランさん、あれって……」
「申し訳有りません、魔物については詳しく無いので判りかねます」
「魔物図鑑に載って無いんですか?」
魔物図鑑は子供用から大人用……冒険者向けの詳しいものまで多々あるが、全て載っている訳では無い。だが載ってさえいれば、俺のスキルで判るかも? と思って訊ねたが、人界で頻繁に見られる魔物ならいざ知らず、稀少だったり突然変異だったりすると、恐らく魔族ですら把握しきっていないだろう、との事だった。残念。
しかし猫の手なんて……諺で『猫の手も借りたい』なんてあるけれど、この猫の手どももそのクチだろうか? 黒公爵が何でも良いから手伝いに呼んだとか。
因みに何故『猫』の手だと断言するかと言えば、犬とは全然違うからだ。丸みを帯びた猫の手は、肉球も可愛くてささやかにしか爪が見えない(猫の爪は普段は引っ込んでいるのは周知の通り)。犬の場合、少し骨ばった指にしっかりと爪が付いているのが見えるので、一目で区別がつく。……筈。
特に敵意も見せず害も今のところ無いので、戦うのに躊躇する。其れはディランさんも同じな様で、二人してう~んと考え込む。
その間も猫の手は一定の距離を空けて俺たちの前を行ったり来たり。時々止まっては手を動かしている。
「どうした、師匠」
悩んでいる俺たちの背後から、グウィンが声を掛けた。
「実は……」
振り返って猫の手について訊こうとして、視線がグウィンの手元に止まる。
「猫の手か」と呟いたグウィンが持っているのは、ピンクのウサギだ。耳だけ異常にデカいが、確かにウサギである。翼があるから羽兎にも見えるが、決定的に違うのはその形状だ。蝙蝠の被膜の様な赤黒い翼に、取り敢えず羽はない。
「…それは?」
「兎の耳。斥候、だな」
耳を持ったままピンクのウサギをブラブラさせると、猫の手たちがざわつきだす。気が付けば最初に見た時よりも数が増えている。
「兎の耳、猫の手、犬の尾は特に害の無い魔物だ。急ぎの用事が無い場合は、だが」
「用事がある場合は?」
「邪魔だな」
端的に答えるグウィンに更に説明を求めると、懐から何かを取り出した。…って。
「ネコジャラシ?」
「奴等の前で振ってみろ」
言われるままにざわつく猫の手の前でネコジャラシを振ってみる。すると沢山の猫の手が一斉に同じ動きをした。ピクッと震えてから、ネコジャラシを動かす方向に手(前足?)の先が視線を移すように向きを変える。その間も少しずつ猫の手は増えていく。
そんな中で、俺の手の動きに我慢出来なくなったのか、一匹(で良いのだろうか?)の猫の手が俺の手元―――ネコジャラシに向かって飛び掛かった。パタパタ上下に振っていたネコジャラシを、すかさず左右に振って往なす。猫の手は目標物を見失ってザザッと地面に滑り込む様に潜り、その後元の場所に戻る。
猫だなぁ……。
―――なんて思いつつ、ネコジャラシを振り続ける俺。次々と飛び掛かる猫の手。
「…それで何が邪魔で何が問題なんだ?」
今のところ、ちょっとウザ可愛いという感想しか無いんだが。あとチョッと疲れる。
俺の質問にグウィンが答える。
「見ての通り普段は遠巻きに見ているだけだが、興味が有る、遊べるとなると構ってきてしつこい。その割に飽きるとすぐに離れていく気分屋だ。興味が有ると、ずっと後を着いてくるのも邪魔と言えば邪魔、だな」
更に言うならこれは『足止め』の意味が有るそうだ。
兎の耳は斥候、猫の手は足止め、犬の尾は警告。
「警告って何の……」
言いかけて気付く。
何時の間にか猫の手の数が減り、俺たちの周りを囲む様にフリフリと犬の尻尾だけが揺れていた。そして。
ヴォ……ン。
空気が震える様な低音が響く。
ハッとして周囲を見回すと、犬の尾が距離を縮め、猫の手は一ヶ所に固まって震えていた。怖がっている……んじゃ無い! 猫の手たちの中央に、光る円陣が見える。そう、魔法陣だ!!
何か現れる―――!?
ズルリ、と蠢く黒い物体が広がる魔法陣の中央に見え――――。
「邪魔だ」
グウィンが重低音で呟くとともに、猫の手たちに近付いて蹴散らす。ニャー! と叫びながら散々になる猫の手たちと、恐らく魔法陣を維持する何かが無くなったからか、光る粒子を散らしながら揺らめき消えかける魔法陣。その中央にグウィンが思い切り良く大剣を突き立てた。
「ギャアァァァ!!」
ブッシャアアア、と大剣を突き立てた場所から血飛沫なのか体液なのか、紫色の液体が撒き散らされた! 地面の下って言うか、消えかけた魔法陣の中で魔物? がもがいている様だが姿は現さないので、正体はさっぱり判らないけど。大きそうだな、とか虫系か、もしかしてドラゴン? なんて思ってしまう。
尤もこんな事を暢気にボケッと見ていた訳じゃなく、大剣を突き立てたと同時にグウィンが「師匠、止めはアンタが刺せ!」と叫んだので、慌てて大剣の柄に飛び付いて全体重を使って押し込んだ。ついでと言っちゃ何だが、魔力を流し込んでダメージを倍増させる。
「殿下! 危険です!!」
ディランさんが叫びながら俺の代わりに大剣を掴もうとするが、先に猫の手たちを蹴散らしていたグウィンが止めた。
「横から手を出すな、それより補助魔法だ!」
ハッとした表情でディランさんが呪文を紡ぎだす。直ぐに発動した魔法は俺への強化魔法。いきなり剣が軽くなった……訳ではなく、俺の力が増した。お陰で更に大剣が易々と魔法陣の中に押し込められ、柄の部分しか見えなくなる。ガクガクと大剣が揺れて柄から手が離れかけるが、手を離したらまずい気がして必死になって押さえつつ更に魔力を流し込む。もがき続ける魔物らしき存在は多分大剣から逃れたくても逃れられないのだろう。激しく動くが次第に動きが鈍くなってきたので止めとばかりにもう一度魔力を流し込む。
「ギィィアァァァ!!」
断末魔の様な劈く悲鳴が響き、魔法陣が揺れる。俺の掌に、見えない相手が翻筋斗打つ振動が伝わる。次第に振動は小さくなり、止まると同時に魔法陣も消える。
「…やった……か?」
呟いて気付いたが、俺の全身は真紫に染まっていた。魔物の血でびしょ濡れだが、不思議と血生臭さは無い。どちらかと言うと酒臭い様な……?
クンクンと臭いを嗅いでいるとディランさんが浄化魔法を掛けてくれた。序でに解毒も。
「…コレ毒か?」
紫に染まっていたシャツが白くなり、酒臭さが抜けたので訊ねてみる。
俺の問いに答えたのはディランさんで、紫の体液は大概が毒であると教えてくれた。
「酩酊感のある臭いですから、恐らくは神経毒でしょう。出来れば採取して研究したい所ですが、今回は見合わせます」
残念そうなディランさんだが、次は有るのだろうか? 倒した魔物は魔法陣と共に消えてしまったので、どんな姿だったのか判らない。一期一会って言葉があるが、次に出くわした時に倒せるかどうか判らないと思うのだが。…一応一回戦った事で対策が練れたって事かな。
グウィンはと言えば蹴散らした猫の手たちを何匹か捕まえていた。地面から引っこ抜いた猫の手は、やっぱり猫の姿そのままで、違うところは兎の耳と同じく翼が有る事だった。翼猫と違い、羽のある翼ではなく蝙蝠と同じ被膜で、兎の耳と違うのは色だ。赤黒い翼の兎の耳とは違い、紺灰色の翼はハタハタと動くと猫の手の体が浮き上がる。…小さくても一応飛ぶ機能もあるらしい。
ふと消えた魔法陣のあった場所を見ると、先刻とは違う光の粒子が集まり始めていて、また魔物が出るのか?! と緊張しながら様子を窺うと、クルクル回りながら一瞬光った後、柔らかい光を放ちながら俺の手にゆっくりと落ちてきた。
二又に分かれた金属製の道具……。
「……音叉?」
楽器の調律に使う道具だ。んー? て事は音叉が俺の取得アイテム? 楽器本体に関わる物じゃなくても良いのか? 否でも音叉も関わると言えば関わるか。
だが悩んだところで結果は変わらないのだ、多分これで必要な物は全部揃った筈。恐らく説明書の足りない部分はライが見付ける筈だ。後は大人に任せて砂時計の刻を遅らせる努力をして貰おう。
「じゃあグウィン、ディランさん。後はヨロシク!」
「はい、殿下もお気をつけて」
コクリと頷いてミク兄たちの元へ駆け出す。
「待たせた! 何処まで進んだ?」
声を掛けると既にライも戻っていて、三人が顔を上げた。手元を見ると、結構進んでいて組み立てこそしていないものの、すべてのパーツが切り出され、塗料も塗られて乾かしている真っ最中だった。
本来なら乾燥に時間が掛かるのだろうが、そこは迷宮の中だからなのか、課題を仕上げる事に重きを置いているのか、塗った直後は兎も角として乾かす為に置いておくと、かなり早く乾燥されるらしい。俺も触ってみたが確かに最初に塗ったらしいパーツはほぼ乾いて艶が出ている。
「これでも良いとは思うけれど、どうだろう? もう一、二度塗り足したいな」
ミク兄の言葉に俺も頷く。
「うん、少し艶が足りない気がするから……でも時間があるかな?」
「大丈夫だと思うよ。グウィン殿にしろリシャールもディランも砂の追加をしてくれているお陰で時間は進んでいないも同然だから」
言われて見れば黒公爵の脇に置かれた巨大な砂時計は、未だ沢山砂が残っている。いや、追加されている。これだけ追加されると下の容器が満杯になりそうだが、良く見ると落ちた砂は一定量以上溜まらない様になっているのか、全く増える気配が無い。もしかしたらこの減った分がアイテムとして出現しているのだろうか? 永久機関じゃないか。
「それより誰が組み立てる? 私がやっても良いけれど……クラウドがやるかい?」
「クラウドは器用だからその方が良いと思う」
「説明書通りに組み立てるなら、クラウドが向いていると思う」
それはアレか。想像力を要さない事なら良いって事か。確かに否定はしないけど!
絵画や彫刻と違って、始めからある程度仕上がりが決められているものなら確かに俺の得意分野である。例えて言うならプラモデルを作ったら、無塗装のままなら完璧な仕上がりだったのに塗装をした途端に下手な塗装で台無しにするみたいな……判り辛い? ゴメン。
それは兎も角として満場一致で俺が組み立て担当になったので、渡された説明書を読み込む。
既にミク兄が書いてある手順通りに其々のパーツを切り離し、ヤスリ掛けしてあるのでバリの問題は無い。あるとしたらヤスリを掛け過ぎてサイズに狂いが生じるかもしれない事か。だがその辺は魔導具だけにどうにでもなるか?
本体はまだ塗料が乾いていないので、手始めに弓から手を付ける事にした。説明書に因れば弦はスライムの皮から作ると書いてあるのだが……スライムって皮があったっけ?
キョロキョロと周囲を見廻し、弦になりそうなものを探す。本来なら馬の尾毛を使う筈だが無いのだから仕方がない。それに本体の弦は羊の腸が使われていたと言うし、スライムに皮があるなら確かにそれで代用出来るだろう。
そんな事を考えながら見付けたのが、白の巨体の皮である。…確かにスライムの皮だな。これをどうやって弦にするかだが、鞣して細く加工する、とあった。大概アバウトな説明だが、その為の呪文が書いてあった。魔法で時間や手間を短縮するのか、と妙な所で感心。失敗するのも怖いので、ちょっとだけ切り離した皮に対して呪文を唱える。すると僅かに光ってまるで花鰹が躍るかの如く、収縮を繰り返してからとても短い弦となった。材料が少なかったからか、引っ張ると簡単に千切れてしまうのでここはやはり説明書通りの分量で作る事に徹する。菓子作りも初心者はレシピを厳守すれば失敗は少ないのだ、分量と手順をいい加減にするのが問題で……。慣れない作業は説明書通りに従うのが正しい。
呪文を唱えて暫く待つと、先程同様アルベールカの皮が瞬く間に鞣されていく。便利だな、この魔法。説明書を持ち帰って呪文の構成を調べたら面白いかも。革鞣しの手間が省けて良いんじゃないか?
鞣しが終わった所で、説明書通りに今度は手作業で続きを行う。と言っても道具がある訳でなし、然程難しい作業でも無い。単に鞣された革を弦にする為に裂いて縒るだけだ。これも仕上自体は魔法で行うので、難しい作業ではない。説明書に因れば弓と本体とで使う部位が違うらしいので、そこを間違わなければ大丈夫だろう。
キッチリと弦を張り終え、今度は本体の組み立てに入る。皮を鞣している間に塗料はすっかり乾いていたので、糸巻やら顎当てやら細かい部位が沢山あるが、足りない部品が無いか確かめる。この組み立て作業も最終的には魔法で完成させる。どうせなら全部魔法でやれば良いんじゃないかと思うのだが、手間暇かけて完成させるのが目的なんだろう。途中で投げ出したら何かペナルティーがありそう。
俺が黙々と作業を続けている間、ルフトとライは手持無沙汰になるのでグウィン達の手伝い―――見付けた砂を運ぶ作業をしてもらう事にした。ミク兄は迷宮で入手した竪琴を渡して弾く練習。
「竪琴は得意じゃないんだけどね」
そう言いつつも教えた旋律……と言っても主旋律では無くて、伴奏となる拍子と和音の方だが、教えた通りに弾いてくれるのは流石完璧(腹黒)王子様である。…何故か気が付いたら猫の手とか兎の耳とか犬の尾が俺たちを囲んでいるんだけど……ま、魔法陣を作っていないから良いか。
「黒公爵、待たせたな」
仕上がったヴァイオリンを片手に黒公爵の目の前に立つ。
「思っていたより早かったねぇ? …うん、出来も良いねぇ、だけどこれで終わりかい?」
楽器を渡すと仕上がりを確認してから返される。勿論これで終わりな訳が無い。黒公爵が言っていたじゃないか。
『奏でよ森の恵みを、響き歌え郷愁を誘え!』
森の恵みで楽器を創り、奏でる。しかも郷愁を誘うメロディーを。
既に音叉で調律は済ませている。徐にヴァイオリンを構えて、竪琴を持ったミク兄に合図を送ると前奏が始まり、それに合わせて俺も始めの一音を鳴らす。
俺の中で郷愁を誘う曲は決まっている。この世界の誰も知らない……いや、少なくとも一人は知っているけど。でもこの場には知る人は居ない筈の、昔懐かしい日本の唄。
GDGCBm、とビブラートを効かせながら一音一音じっくりと鳴らし、同じコードを竪琴が繰り返して、調和が生まれ、そして弓を外して歌う。
ボーイソプラノで歌う唱歌は、流行りのポップスとは違って古臭い。文語形で綴られる内容は、懐かしい風景や友人や家族の事で、如何にそれらを愛しているか、懐かしんでいるかを切々と語りかけてくる。
「……ッ」
途中で咽喉の奥に何かが込み上げ、声が詰まるが気を取り直して歌い続け、間奏になった所で再びヴァイオリンを弾き鳴らし、竪琴と共鳴させて……続きを歌う。畜生、この歌感情を込めて歌うと、八割の確率で泣くんだよ俺。なので涙を堪える為に目は瞑って、最後まで歌いきるとシンと辺りが静まり返り、頬に風が当たった。
「……風?」
水の匂いを含んだ風に慌てて目を開くと、水辺の森の中に居た。先刻の迷宮最深部に在った地底の森じゃ無く、地上の森だ。梢を渡る風が葉を揺らし、水面が漣を作り出す。そしてフワリ、フワリと光が舞う。
「キレイ……」
幾つもの光が舞う光景に、ライが思わずといった風に呟いた。確かに綺麗だ。幻想的と言って良い。
何時の間に外に出たのか知らないが、日はとっくに暮れて空には満天の星が輝いている。それと同じく、水面や草陰を瞬きながら光が舞う。何だろう、この懐かしい感じ。
「ルシオラの群舞か」
ポツリと呟くグウィンの台詞に、俺も光の正体にやっと気付く。淡く明滅する光はルシオラ―――いわゆる蛍の放つ光だ。直ぐに蛍と気が付かなかったのは、光の色が星と同じ青みがかった色だから。空に星、地上にも星が瞬いているみたいで、現実の光景じゃ無いみたいだ。
ボンヤリと蛍の群舞を眺めていたが、ハタと気付く。何で地上に居るんだ?
パッと振り返ると、一応全員揃っている。突然地上に出たからか、リシャールさんもディランさんも戸惑った表情だが、特に怪我とかはしていない様で安心する。ミク兄やライにルフトはそもそも俺と一緒だったしグウィンは心配するだけ無駄だ。何にせよ全員無事で何よりだが……何で地上に、ってまさか俺の渾身の演奏がダメだった? 地上に戻されて最初からやり直しって事か?
まさか、と変な汗がジワリと滲むが、突然「はーい、お見事お見事、おーみーごーとー!」と黒公爵の声が頭上から響く。パッと上空を見上げると……何もない。あれ? と思うものの考えてみたらアイツは蚊だった。良く目を凝らせば、一匹のルシオラがクルクルと弧を描いて飛んでいて、俺が気付いたのに気が付いたのか、俺の胸元に張り付いて話し掛けてきた。
「よぉく課題をすべて熟したね。感心したよ、おめでとう!」
「…黒公爵?」
「そうだよー、借り物の身だけどね。ホラ僕って一応迷宮の管理者でしょ? 迷宮核を放ってお出掛けは難しいのよ」
つまりルシオラに身体を借りているという事か。
黒公爵の話振りだと、どうやら俺たちは迷宮を無事攻略出来たらしい。全ての謎解きが終わった……と言いたい所だが、グウィンに言わせれば入る度に謎解きの内容が変わるそうだから……それってなんて不思議なダンジョン?
「それにしても少年、なかなかに良い歌だった。魔族の僕の琴線に響く歌なんて、なかなか無いよぅ? 惜しむらくは歌詞がさっぱり判らなかったのが残念かなぁ。何て意味だったの?」
ピッカピッカ光りながら問う黒公爵に、どう答えて良いのやら。別に俺の前世の世界の言葉だと教えても構わないんだが、異世界の説明とか面倒くさい。
俺が躊躇っていると「まぁ良いけど」と言って胸元から飛び立つ。
「兎にも角にも迷宮攻略おめでとう! ささやかながら僕からの贈り物を受け取ってくれ給え。―――もう受け取っているものもあるけれどもね」
全部で三つ。そう言ってルシオラの姿を借りた黒公爵が、クルリと俺たちの頭上を回る。
先ず一つ目は迷宮攻略の証となるもの。
二つ目は其々の記念となるもの。
最後は迷宮からの離脱。
キラキラと頭上から星の様な光が降り注ぐ。
「手を出して」と言われるままに慌てて持っていたヴァイオリンと弓を道具袋に仕舞い手を差し出すと、その手に光が集まり何かを形作る。光が治まってから確認すると、どうやら魔導具らしい。ライは六芒星型の、ルフトは三日月型の護符を手にしていて、俺はと言えば見覚えのある円い形の物――恐らく刀の鍔――が。グウィンも俺と同じく、円い形の違う意匠の物を手にしていた。ディランさんは腕輪で、リシャールさんは大きさと形から佩環だと思う。ミク兄はどうやら指輪みたいだ。これが其々の記念となるもの?
「その魔導具には僕の魔力が込められているからね。魔力の増幅用にすると良いよ!」
「闇の魔力? …魔に魅入られたりは?」
「なーい無い! 闇が悪だと誰か言ったの? 闇は安らぎを与えるものとも言うでしょうにねぇ?」
「…強過ぎる光は時に人を傷つける。全ての力に言える事だ」
ミク兄の疑問に黒公爵とグウィンが答える。…確かに閃光弾なんて目潰しに使われるくらいだ、光属性は善、闇属性は悪と捉えられがちだが、決してそんな単純な話ではない。何せ聖属性・魔属性ですら善悪が曖昧なのだ、物事は多面的に見ろと言う例えにもよく使われる。
それにしてもこの記念品とやらは兎も角、迷宮からの離脱が贈り物ってどういう事? それに迷宮攻略の証って?
―――とそんな俺の疑問もすぐに解決した。
「師匠、アンタ今夜中に別荘に帰らないといけないだろう。忘れたか?」
「そうだった!」
すっかり忘れていた! 日も暮れて星空って事は、真夜中で無いにしろルシオラは陽が落ちる前の黄昏時から数時間しか飛び回らないので、周囲の暗さから考えるにそこそこいい時間である。これから別荘まで戻る時間を考えると、確かに迷宮の最深部から地上に戻るには時間が足りない。まぁ一応離脱符が有るので、それを使えば良いっちゃ良いんだが、離脱符は迷宮の入口に戻る事しか出来ない訳で。今こうして湖の畔に居るという事は、別荘に結構近い筈。かなり時間が短縮されていてありがたい。
「さぁこれで僕からの贈り物はお終い。君たち面白いからまた遊びにおいで。まったねー」
ニコニコ笑っている姿が目に見えるような口調――最初に比べたらかなり砕けた口調――で黒公爵が別れの挨拶をした。俺も挨拶をし返そうと口を開いたが、既に黒公爵の気配は消え去って、残っていたのは高度を下げて飛び去るルシオラだけだった。
その後。湖の畔を暫く進むと見覚えのある街並みが見えてきて、無事に別荘に戻る事となった。
遅い時間にも関わらず別荘の門を開けて待っていてくれた騎士たちに迎えられて、そのまま俺を含めたライたち未成人四人は家族への挨拶もそこそこに、問答無用でひん剥かれて綺麗に洗われ寝室に押し込められた。勿論疲れ切っていたので横になると同時に眠りについて朝まで目が覚めなかった。リシャールさんたちも問答無用では無かっただろうが、似た様なものだろう。
翌朝になってから冒険の話を両親や侍従たちに話して気が付いたのだが、俺の一番の迷宮の思い出は謎解きでは無くて、終わった後の湖での光景だった。ルシオラの群舞と星空と光る湖面、そよぐ梢。何故か一番それが記憶に残っている。
黒公爵からの迷宮攻略の記念品は、折角なので以前手に入れた刀――月光龍雷――に使う事にした。調べてみたら魔剣である月光龍雷は、柄と鞘に含まれる拵えは本体――要するに金属の部分――に含まれていたが鍔自体は含まれていなかった。多分鞘も拵えを外せば取り換えられるんじゃ無いだろうか。雷属性に闇属性が加わった事で、俺の刀の魔剣ぶりが加速した。おかしい、何だか悪役っぽいぞ俺。
そして迷宮攻略の証だが、俺の持っていたヴァイオリンが証左となった。何時の間にやらトウヒとカエデで作られていた筈のヴァイオリンが、弦を除いて全て透明な結晶になっていたのだ。勿論弓も同様だ。何時の間に? と思ったが、確か光が降り注いだ時に仕舞い込んだ時はちゃんと木製だったので、その後だろう。道具袋から出して吃驚した。鑑定してみたら、水晶ではなく魔晶石だったので、冒険者ギルドでちょっと揉めた。『ナハトムジクの楽譜』で出現した迷宮核の代わりとしてはかなりの変わり種で良品だからだそうな。確かにこんなに大きな魔晶石は滅多に無い。結構粘られたが俺にとっても記念だし、何となく手放したら黒公爵が拗ねる気がしたので手元に残す事にした。問題は木製から魔晶石製になった事で重量が増して、俺が持てなくなった事だ。いや、持つだけなら出来るのだが、如何せん弾く事が出来ない。不思議と音自体は多少硬質になったものの、然程変わらないのは魔導具化しているからだろうか? 魔晶石で出来たヴァイオリンなんて恰好良いけど、弾けない楽器はただの飾りにしかならないので、妙に高価そうなだけの飾り物にならなくて良かったと思う。俺がもう少し成長してヴァイオリンが持てる様になったら、一度弾いてみたいし、何だったらまた黒公爵に逢いに行っても良いと思っている。
何だかんだで楽しかった避暑地での休暇も終わり、王都へ戻ってから気が付いた事が一つある。
普段は何も感じないのだが、時々、本当に時々だが背後に何かの気配を感じるのだ。振り向くと誰も居ないし、気配を探っても特に何かが引っかかる訳でも無い。何だろう? と疑問に思いつつ放置していたのだが……。
「クラウド、どうしたんだいソレ?」
「え?」
夏休みも終わる頃、お互い寮に戻るので当分会う機会が無いだろうとミク兄が訪ねてきて、開口一番そう訊ねた。
何の事かサッパリ判らず、言われるがままに振り返って俺が見たものは。
「猫の手ぇぇええ?!」
ナハトムジクの楽譜の最深部に居た魔物。猫の手が俺の部屋に一匹紛れ込んでいた……。
俺とミク兄に見つかって開き直ったのか、猫の手は堂々と俺たちに近付いて足にすり寄って来た。スリスリと足元に来られて呆然としてしまったが、ハッと気付いて猫の手を掴んで持ち上げた。
「ニャーーーーーッ!!」
片手(?)を持たれて暴れまくる猫の手の本体の首の後ろをしっかり掴む。床から生えていた猫の手は、持ち上げてみるとやっぱりどう見ても翼の生えた青灰色のハチワレ猫だ。此処、王城の二階なんだけど……どうやって大理石とかフローリングとか絨毯の中に存在出来るんだろう? 首根っこを押さえたら暴れるのを止めたので、抱き直してから慌ててグウィンに見せに行くと、「気に入られたんだろう」と面倒臭そうに言われた。
「特に害は無い。餌も適当に自分で獲ってくるから飼えば良いんじゃないか?」
「餌って何だよ……って言うか簡単に飼えばとか言うなよ。俺は休みが終わったら寮に戻るんだから、魔物なんか連れていけないだろう」
「連れて行けば良いだろう? 気に入られたのなら喰われたりはしないだろうし」
「猫の手って人間を喰うの?!」
「…魔物だからな。俺も良くは知らん」
無責任だな! と思いつつも確かに魔物だから人を襲う可能性も無きにしも非ずで。そんな危険な存在を王城に置いておく訳にはいかないので、どうやったら元の場所に戻せるか考える。もう一度迷宮に行く? それともグウィンに頼んで戻してもらう?
俺が悩んでいると俺についてきたミク兄がグウィンに訊ねる。
「グウィン殿、そもそもこの猫の手は魔界や迷宮でしか存在出来ない生き物では無いのですか?」
「魔素さえあれば場所は問わない筈だ。雑食性だから何でも喰うしな」
「ではクラウドが襲われる心配は?」
「わざわざ迷宮からついてきた位だ。気に入られているんだ、襲われはしないだろう……多分」
多分ておい。
「それに此奴等は好奇心旺盛で気に入ったものの近くに居たがるんだ。恐らく迷宮に戻したとしても、すぐ戻ってくるだろう。寧ろ厭きるまで放っておいた方が良い。厭きたら自分から元の場所に帰るだろ」
「…だそうだよ? どうする、クラウド?」
「……本当に放置して良いのか?」
「気になるなら自分の魔力を与えれば良い。猫にしか見えなくても所詮魔物だ、魔素が無ければ生きていけないし、魔力が枯渇する前に自分から去っていくだろう」
確かに人界にも魔素は有るが、魔界に比べたらずっと少ないので、魔力不足になる可能性はある。人間さえ襲わなければ別に良い……のかな? あれ、でも待てよ。
「そう言えばグウィン。アンタ迷宮で兎の耳と猫の手何匹か捕まえてたよな? アレどうした?」
「ギルドに渡した。生け捕りにしたから、研究対象に出来て良いだろ?」
「……その猫の手が逃げ出して、王城に逃げ込んだってオチは?」
「…………無い事も無いな」
お 前 の せ い か !
思わず持っていた猫の手をグウィンの顔に投げつけ、「アンタが何とかしろ!!」と怒鳴り付けて自分の部屋に戻った。背後でミク兄の笑い声が聞こえたが知らん!
その後ギルドから正式な報告書が上がってきて、猫の手と兎の耳は魔物図鑑に図解付きで追加される事になった。犬の尾は捕まえなかったので、参考として一文追加されるに留まる。
報告書には事細かく猫の手の生態が書かれていて、この短い期間にどれだけ熱心に研究したんだと呆れる。
俺が少しだけ心配だったのは、猫の手たちが集まって魔法陣を作り出して魔界から魔物を喚び寄せるんじゃないか、という事だったのだがそれは杞憂だったらしい。魔界や迷宮等の魔素が充満している様な場所なら兎も角、人界では魔物を喚び出すには魔素が足りないらしい。それに一匹では魔法陣も作れないとか。最低でも十匹は必要らしいのでホッとした。
…ホッとしつつも俺が気になるのは、寮の俺の部屋にどうやら猫の手が住み着いたらしい事と、手だけでなく全身を出して寛いでいる姿を目撃する様になった事だ。俺が部屋に戻ると素早く逃げるが、ベッドが凹んでいるので其処で寝ていたのがバレバレである。そして逃げた癖に俺の視界の端っこで、様子を窺っているのが丸判りなのだ。何だか済し崩しに同居状態になっているんだが……偶に手が二つ三つ見える気がするのは俺の気のせいでしょうか如何でしょうか。
増えてるんじゃねぇよ!!