Lv.02
ふあぁぁぁ、と欠伸と伸びを一つして、ヨイショと跳ね起き、カーテンを開ける。青空と朝日が眩しい。
クロゼットを開け、中から今日着る予定の服を選び、釦に四苦八苦しながらも何とか着替える。今日は茶色のベストと半ズボン、白のシャツと言う出で立ちだ。
三歳に成ったのを機に、幼児服から子供服に変えて貰った。何せ19世紀から20世紀初めのヨーロッパの様な服飾事情の為、幼児服は見た目ほぼ女物だった。
頭からスッポリと被るヒラヒラのレースとリボンの付いたワンピースの様な上着、腰にサッシュ。そんなモノを着せられた日には動くに動けない。
そんな訳で、子供服に替えたい! と訴えた所、まだ早いと却下されたが――普通は5歳〜6歳らしい――一人で着替える事を条件に、許してもらった。
普通貴族の子弟は使用人に身の回りの世話を全て任せる。少しずつ覚えさせ、成人するまでに一通り出来るようになる、らしい。…甘やかされたヤツの中には、成人しても釦どころかシャツも着られないのが居るらしいが、本当だろうか?
俺はそうならないとは思うが……気をつけよう。
着替え終わる頃、ノックの音と共に俺の専属侍女が入室して来た。
本来なら許可を得てから入室するのだが、俺がまだ幼児であり何をしでかすか判らない、と言う事で「入るな」、と言われない限りは自由に出入り出来る様になっている。
…そもそも国王である父も、執務室と公式行事の場以外は拘っていない。作法に煩いのは、成り上がりの新興貴族の三代目位、と何時か教えてくれた事が有った。
古くからの家柄は鷹揚で、新興貴族は二代目位はそんな事言える立場で無いのが理由だ。
昔の言い回しで、初代が興し二代目で波に乗り三代目が潰す、って祖父さんから聞いた気がする。この祖父とは前世の祖父、内蔵助の事だ。時代劇でも大店の三代目は身上を潰す若様と相場は決まっているしな。
…話が逸れた。
専属侍女のマーシャが、俺の姿を見て溜め息を吐いた。
「クラウド様……本当にお一人でお召し替え出来る様になったのですね……。喜ばしい事ですが、寂しいです……」
上から下まで俺の姿をチェックし、ブラシを手に取り髪のブラッシングを始める。
つい先日まで俺の身の回りの世話一切を行っていたマーシャには、着替え一つでも関われないのは寂しいのだろう。だからと言う訳では無いが、髪を梳くのは任せている。
俺自身としては髪なんか二、三度梳かせば充分だと思うのだが、それだとワサワサのバサバサだ。しかしマーシャに任せると何度もブラッシングして、仕上がりはツルツルのサラサラだ。
仕上がりもさる事ながら、ブラッシングの時間は俺の体調等を確認する時間でもある。
熱が無いか、怪我をしていないか、服は小さく無いか等、確認する事は多岐にわたる。
その細々した事をこの時間で行うのだから、俺に不服は無い。…無いよ、本当に。面倒臭いとか思ってないからな!
閑話休題。
俺が何をしでかすか判らない、と言うのは、一度窓からシーツを使って脱け出した事が有ったからだ。シーツの長さが足りず、宙吊りになった所を発見され、大騒ぎになった。
何故脱け出そうとしたかと言えば、体を鍛える為に外に出たかったからだ。
鍛える為に、何をしたら良いか考えた俺は、幼児の頃は無理に鍛えるより、基礎体力を付けた方が良いと考え、それこそ庭を縦横無尽に駆け回り、木に登り、転げ回ったり何だりと色々とやった。子供の遊びは基本全身運動だ。そっと訓練所に忍び込み、隅で棒切れを振り回して素振りもしてみた。将軍とはその時知り合った。
しかし余りの俺のヤンチャ振りに手を焼いた当時の侍女の一人が、俺を部屋に閉じ込めた。多分彼女は余り仕事に熱心では無かったんだろう。
当時は専属侍女等無く、当番で俺の世話をしていたが、その彼女以外は文句は言うものの閉じ込めるまではしなかった。因みに当の彼女は俺が宙吊りになっている間、何処ぞの貴族の侍従としっぽりしていた。…意味は知らないよ? 俺は当時二歳半だったし、カッコ笑い。
兎に角、部屋から脱け出た挙げ句宙吊りになり、大騒ぎになったものの、その時は、振り子の原理で近くのバルコニーに飛び降りて事なきを得た。盛大に叱られ、心配されたがその結果騎士団の訓練所に顔を出しても良いと許可が出たのも良い思い出だ。
放置するより監視した方がマシと言う思惑なのは容易に想像出来るがな。
そして侍女も当番制を見直し、信頼出来る人物を選んで専属にした。侍従のサージェント、侍女のマーシャとメイアである。三人と言うのが多いのか少ないのかは判らないが、俺は満足している。余り多過ぎても気が張るし、少なければ逆に彼等の心労が気に掛かる。心労を気にするなら、大人しくしとけ、って話だが、それでは俺に都合が悪い。
こうして着替え一つでも彼等の手間を少なくし、最終的には専属も無くしたい、と思っている。幼いうちは仕方ないが、もう少し成長すれば何とかなるだろう。
身嗜みを調えたのを確認した後、私室を飛び出し何時もの様に訓練所に向かう。広い場内で走り、跳び、素振りをして朝食までの時間を潰す。
今日の走り込みは、途中途中で宙返りや側転、バック転を何回か入れてみた。勢いがついていたからか、そこそこの成功率で、朝の鍛錬に来ていた兵士や騎士に拍手された。ちょっと嬉しい。
その後食堂へ向かうと、既に父が座っていた。
慌てて駆け寄り挨拶する。
「お早うございます、父上! …母上は?」
見ると母の姿が見当たらない。
俺の挨拶に、にこやかに返事を返す父だったが、最後の問いにバツの悪そうな顔をする。
「王妃は部屋で寝ている……。食事は部屋で済ませるから、気にせず食べよ」
「部屋で? 病気ですか?」
「いや、その、俺…余が……抱…………昼には会える、食事にするぞ!」
耳まで赤くして思い切り話を逸らされた。
……つまりアレか。昼まで起きられない様なコトを致していた、と。で、それを息子の俺に言えない、と。
…夫婦仲が良くて大変結構ですね。この分では近い内に弟か妹が出来そうで何よりです。二人とも若いしね。こんな事しょっちゅう有るのに、何故か初々しい反応をする、可愛い父である。
パンを齧じりながら、赤い顔の美丈夫を生温かい目で見ていたのは秘密だ。
今更ながら、両親の話をしよう。
父はミクローシュ・レフ・アルマース=エーデルリヒト、26歳。18歳の成人と同時に結婚し、王位も継いだ。俺と同じ色の金髪に榛色の瞳の美丈夫だ。降嫁した妹が一人、相手は他国からの留学生で、今は爵位を賜り騎士団で近衛の隊長をしている。コネではない、実力だ。
母はソフィア・グレイス・アルマース=エーデルリヒカ、24歳。亜麻色の髪に俺と同じ青灰色の瞳の美女だ。元は侯爵家の出で、弟が一人いる。領地から出て、王都の学校に通っている。
因みに王家では男子はエーデルリヒト、女子はエーデルリヒカを名乗る事になっている。
元々人気の有る王家だが、特にこの二人の場合、政略結婚にも関わらず熱愛中の鴛鴦夫婦として知られ、女性に人気が有る。なかなか子宝に恵まれず、一部の貴族から王妃が疎まれた時期等は、国民の神殿詣でが盛んに行われたらしい。
祈りの内容は、『早く子宝に恵まれます様に、あと暴言吐いた貴族はもげろ』要約するとこんな感じ。国民の信頼を勝ち得ていて、何よりである。
そんな訳で俺が産まれた時は、国中が盛大に祝ってくれたが、特に王家のお膝元、王都と直轄領地では物凄いお祭り騒ぎだったそうだ。見てみたかった!
待望の子宝、つまり俺が産まれてからは二人の仲は更に深まったと評判である。公式行事では常に寄り添い、仲睦まじさを見せつけ、プライベートではそれ以上。砂を吐きそうな甘さである。然し二人とも決して仕事を疎かにせず、以前よりも精力的に仕事をすると専らの噂だ。
福祉や公共事業、教育、医療様々な分野で、貴族も平民も分け隔て無く利益を享受出来るとあって、国民からの人気は絶大克つ確固たるものとなっている。
そんな両親に、俺は既に前世の記憶が有ると、秘密を打ち明けている。何故かと言えば、その方が後腐れ無いだろう、と判断したからだ。
確かに俺は前世の成人男性、東堂蔵人の記憶を持っている。だが、今は彼等の息子クラウドであり、三歳の幼児だ。
正直な事を言えば前世の年齢等、今世の年齢に引き摺られて、有って無きが如し。精々精神年齢が二、三歳上がっている程度だ。前世年齢+今世年齢=精神年齢、なんて事は無い。
だからと言って黙っていても、俺が前世の記憶から引っ張り出した知識を、突然言い出したりしたら困惑するだけだろう。
早い段階でカミングアウトした方が双方の為になると判断して、宙吊り事件の時に告白した。
そうしたら、どうも俺は記憶が戻る前にも色々やらかしていたらしく、既に両親は俺が前世持ちだと知っていた。何だか物凄い負けた気分である。
だが告白した事で気分は軽くなった。両親の方も俺は俺と言うか前世は前世、今は今、と聞いて安心したそうだ。
どちらかと言うと、以前より可愛がられている気がするし、会話も弾む。無理に子供向けに掻い摘んだ話をしないで済む分、気楽に話せるって事だろうか。避けられるよりずっと良いので、俺としても難しい話もドンと来い、である。ただ、機密事項っぽい話は勘弁して欲しい。俺、三歳だから。忘れられがちだが。
食事も終わる頃、父が話し掛けて来た。
「今日は何をする予定だ?」
「騎士団で遊ばせてもらってから、魔術院で魔法を見せて貰おうと思ってます。後、お邪魔でなければ父上とお話がしたいです」
訳。騎士団で鍛錬後、魔術院で魔法の勉強、父に帝王学を学びたい。
「午後からなら多少時間に余裕がある。その頃に来なさい」
「はい!」
元気に返事をした所で食事が終わる。椅子から立ち上がり、食堂を出ようとした所で父に尋ねる。
「そうだ、父上! 母上のお見舞いは午後からの方が良いですか?」
「いやっ、び、病気ではないから、見舞い等気にするな! そうだな、余と話し終えたら妃と茶でも飲もう」
俺の言葉を聞くなり、父はあからさまに挙動不審になったが、やばい、マジに父が可愛い。
明らかに子供には聞かせられない話を誤魔化す体なんだが。俺が前世では成人してたって知っている筈なのに、何だこの可愛い反応。くそう、美形は何しても許されるって本当かも。
その後予定通り過ごした後、今母の部屋で優雅にティータイムである。
目の前では見目麗しい男女が寄り添いながら甘い雰囲気を醸し出し、お茶を飲んでいる。砂糖入れてないのに茶が甘い甘い。
チラリと傍に控えている侍女の顔を見れば、一様に生温かい目をしていた。慣れてるんだなー……。
母は午前中寝て過ごしたからか、ゆったりとしたドレスを身に着けていた。華奢な細い腰を見るにつけ、良く子供を産めたな、と思う。その癖豊満な胸は、確かに母親の持つものだと思う。
父はそんな母の腰から手を離さず、茶を飲んでいる。見た所、ちょっと母の顔が赤いので腰を抱き寄せるだけでなく色々やらかしているのかもしれない。テーブルの反対からはこれ以上判らないけどね。
「クラウド、お菓子はもう要らないのかしら? もう眠い?」
優しく問われ、俺は自分が舟を漕ぎ始めていたのに気がついた。何だか目がショボショボする。
「お母様と一緒にお昼寝しましょうか?」
「は…「ダメだ。そなたの寝室に余以外の男が入るのは許さん。寝台など以ての外だ」…遠慮します」
父上、息子に嫉妬してどうするよ……。
舟を漕ぎ始めた俺の目の前で、痴話喧嘩を始める両親。瞼がくっつき始めた頃、何だか妖しい雰囲気になり始め、ふと目を向けたらディープキスかましてやがった。更に頭がテーブルに突っ伏した辺りで、母の甘い声しか聞こえなくなって、俺は誰かに抱えられて何時の間にか自分の部屋で寝ていた。
…何だか凄いカオス。
父が母を溺愛しているのが良く判った。
我が親ながら、いちゃつき過ぎだろう、と思う。
だがコレはコレで良いのかな? と思う辺り、俺もこの世界、家族に慣れたんだな、と思うのだった。