Lv.19
そもそも俺が此の世界に転生したのは、勿論元の世界で事故死したからと言うのも有るが、最大の原因は水の杜の主、ラディン・ラル・ディーン=ラディンのせいだと思う。
彼の棲み家に勝手に上がり込んだ俺も悪い――とは言え無意識でやった事なので、悪いと言えるかどうか疑問だ――が、面白がってもてなしたラディンも相当問題だと思う。面白がった挙げ句、此の世界に転生させたのは間違いなく彼だ。
何故こんな事を今更訴えるのかと言えば、目の前に居る巫女姫、リディミルア様が俺の持つ加護をペロッとばらしたからだ。
幸いと言って良いのか、ライもルフトも離れた場所に居た為、加護については聞かれていない。
彼奴等なら聞かれても良いとは思うが、【水の杜の客人】は余り聞かれたくない。ああ、後スキルの【脳内情報検索閲覧】も知られたくない。特殊すぎる。
いきなりの暴露に俺が警戒して一歩下がると、気配が伝わったのか、巫女姫は慌てて取り成した。
「ご免なさい、いきなり言う事では無かったわ。あのね、貴殿方が来る前に神託が有ったのよ」
「神託?」
「ええ、水の杜の客人が訪れるから遊……相手をする様に、と」
巫女姫、今絶対『遊んで』って言おうとした。
「ソレは、その、ラディンから?」
俺の問いに巫女姫は曖昧な微笑みを浮かべた。要するにソレが返事だって事だ。
だがしかし。
「其れと俺の加護やスキルを調べるのと、どう言う関係が?」
―――無いだろ。
思わず地が出たがもう知らね。
巫女姫は相変わらず曖昧に微笑み、俺の質問に答えてくれた。
「不思議だったのよ。貴殿方は朝早くに王都を出た筈なのに、此方には昼過ぎに着いたでしょう? 【水の杜の客人】ならもっと早く着くかと思っていたのよ」
「どう言う事だ?」
「迷いの森を抜ければ早く着いたのに、迂回したから遅くなったのでしょう?」
「? 迷いの森は迂闊に入ると迷うから、迂回した方が良いと王都で聞いたぞ?」
勿論俺も地図を見せて貰った時、疑問に思ったさ。
王都と皇都の間を結ぶ街道の途中、大きな森が有り、その手前で道は二つに分かれていた。森を直接抜けるルートと、少し迂回するルート。
当然森を抜けると思っていたが、馭者の選んだルートは迂回する方だった。
どうして遠回りを選んだのか訊ねると、馭者は迷いの森は迂闊に入ると絶対に迷う。急ぐ旅なら迂回した方が早い、と言い切った。
地元民がそう言うのならそうなんだろう、と敢えて迂回路を選んだのだが、それが間違っていたと言う事か?
俺の疑問に困った様に巫女姫が頷く。
「確かに普通ならそれが当たり前なのだけど……ああ、そうなのね。クラウド殿下は他国の方だから御存知無いのかしら?」
「何をですか?」
何となく厭な予感がする。
「――迷いの森は魔宵の森。旅人を迷わせる。悪意を持つ者を閉じ込め彷徨わせ、善意の者は追い返される。森の深淵には何人たりとも辿り着けず――伝承ではこう言われているわ」
それは馭者からも聞いた。誰が入っても迷うなら、迂回しようと言う事になったのだから間違いない。
俺が聞いているのを確認し、巫女姫は続けた。
「伝承には続きがあるの。聖王家と神殿にしか伝えられて居ない話よ。――昼と夜と竜と、雨と大地と風と炎と。彼等に愛されし者は迎えられるだろう、森の主に――」
迷いの森の深淵を越えた場所、水の杜に迎えられる、と。
「水の、杜の……主……?」
またか!!
あの人ちょいちょい俺の前に存在を匂わすと言うか、名前が出てくるな!
然も本拠地、ヘスペリアかよ!! 確か水の杜って此の世界の何処にも存在しない、何処にでも繋がる場所に在るって言ってなかったか? そんな事は知らね? まぁ良い。
……何か、脱力した。
つまりアレか。わざわざ迂回して皇都まで来たけど、俺の加護が有れば迷いの森を簡単に通り抜けられたって事か。時間を無駄にしたって事か。
落ち込む俺の気配に、巫女姫が気の毒そうな顔になっていたが、ふと思い直す。
いや、時間は無駄にしていない。行きの馬車の中、俺と父は有意義に過ごしていた。普段しない会話もしたし、何と言うか親子の絆みたいなものは高まったと思う。
……無理矢理にでも肯定的に考えないと、ラディンの掌の上で転がされている感が拭えない。
はぁ、と溜め息を一つ吐いてから、俺は巫女姫に訊ねた。
「…つまり水の杜は迷いの森と繋がって、迷いの森は選ばれた人しか入れない、と言う事ですかそうですか」
いかん、自己完結してしまった。
幸い巫女姫は気付かなかった様で、俺の言葉に黙って頷くだけだった。
俺が落ち込んだのは、この方が悪い訳では無い。そしてラディンも特別悪い訳では無い。俺が勝手に憤り、落ち込んだだけだ。
……自分でも判っているが、ソレにしても何と言うか、遣る瀬無さと言うか諦感と言うか、押し寄せる虚脱感は何なんだろう。多分一生ラディンの掌の上だと気付いたからか。今も覗き見されて楽しまれていると思うからか。
何時か再会する事が有ったら……殴りたいな。
俺と巫女姫の何とも言えない気まずい雰囲気を破ったのは、離れて待っていた友人二人だった。
「クラウド、巫女姫様と何を話しているの?」
「なぁ、陛下とお祖父様達が戻られるまで時間が有るんだろ? もう少しこの辺の探険しようよ」
巫女姫に気を遣っているのか、恐る恐ると言う感じで話し掛けるライに対し、ルフトはすっかり飽きたのか、キョロキョロと周りを見ながら話す。
二人の声に、巫女姫がハッとした表情をし、微笑みながら言った。
「気が付かなくて御免なさいね。御茶の用意がしてあるの、是非付き合って、ね?」
正直取り繕わされた感が否めないが、丁度小腹も空いたので誤魔化されてやろう、と思う。決して異国の菓子に目が眩んだ訳では無い。
嘘です。目が眩んでました。
ヘスペリアに来てから驚いたのは、食事、特にデザート関連の豊富さだった。
転生してから此方、特に食事関連で困った事は余り無い。
いや、和食派の俺には洋食ばかりの生活は少々厳しかったが、慣れも有ったし味付けが悪い訳でも無いので、我慢出来ない程でも無い。
…暴走して昆布だの煮干等の乾物を作ったりもしたが、アレは許容範囲だ。出汁は文化だ。料理長も喜んでいたし!
だがデザート、甘味に関しては不満がある。
砂糖も生クリームも有るのに、何故ケーキが出ないのか。焼菓子は有ったが、素朴な味わいの物ばかりで物足りない。素朴なのは嫌いじゃない、寧ろ大好物です! だが食べられないとなると、逆に食べたくなるのが人情と言うもので。
煎餅とか白玉団子は作ったが、ケーキ、特にデコレーションケーキ等作った事は無い。
俺のスキル、【脳内情報検索閲覧】も未だ使い熟せていないので、ケーキの作り方を調べても材料やら工程の部分がハッキリしない。
以前と言うか転生前に親しかった女友達から、洋菓子作りは理科の実験の様な物だと聞いた事が有る。分量や工程を一つでも間違えれば、失敗する。適当(根拠の無い自信)、目分量(暴挙)、余計な一工夫(愛情と言う名のテロ)、其れ等全てが失敗の元だと教わったので、俺は洋菓子に手を出すつもりは今の所無い。
煎餅と団子は偶々米粉が手に入ったので作っただけだ。作った事も有ったし。
何時か小豆を手に入れて鯛焼きを作りたい。和菓子は味の調整が俺でもなんとかなりそうなので、食材が手に入ったら挑戦するつもりだ。
閑話休題。
エーデルシュタインでは素朴な味わいの焼菓子ばかり食べていた俺にとって、ヘスペリアで饗されたイチゴと生クリームたっぷりのスポンジケーキは驚きだった。俺だけでなく、父やフォル爺や他の面々も驚きを隠していなかったので、初めて食べる味だったのだろう。
何故斯くも二つの国で食文化に違いが有るのかと言えば、ヘスペリアはやはり魔法発祥の地であった、と言う事だろうか。
今現在かなり普及している魔導具の殆どは、ヘスペリアが開発している。各国で風土に有った魔導具を開発しているので、ウチでは例えば鉱山で使用する掘削機がそうだし、風待国は風を利用した農耕具がそうだ。
そしてヘスペリアはほぼ全ての魔導具を研究していたが、特に生活用品を得意としていた。然も王立魔法研究院だけでなく、魔法使いの塔やギルドとも連携し活用していたので、幅広く研究出来たそうだ。―――この辺は弟子からの請け売りである。
俺が思うに、他国よりも多くの魔導具を開発したのは、恐らく俺の様な前世の記憶が残る転生者や、弟子の様に異世界から迷い込んだ者が手伝ったからなのでは無いだろうか。
その知識を生かし、手伝った若しくは中心になって開発に携わったのだと思う。そしてかなりの確率でソレには日本人が関わっていたと思われる。
だってさ、日本人の道具や食の拘りって半端無いし。若しも此の世界の過去に、現代日本の便利さや知識を持った奴が居たら、少なくとも自分の出来る事から変えていくと思う。
それは外国人でもそうなんだろうけれど、逆境時の日本人の開き直りとタフさは他の追随を許さない……と思う。
あと和を重んじて協調する所も有るしね。郷に入っては郷に従えと言うか。
其れと、ラディンが日本人を気に入っている、と言う発言が有った事も忘れてはならないと思う。
話が逸れたが、ヘスペリアでは他国に先駆けて最新の魔導具が出回っている。
大国である事と魔法発祥の地であると言う利を生かし、様々な研究開発が成され、それを知った研究者が集うと言う正のスパイラルが起きている。其れに伴い魔導具を使いこなす人も多い訳で、自然それらの恩恵を受け様々な技術やら何やらが他国よりも発展しているのだと思う。
砂糖と生クリーム自体が一般に出回っているのに、ホイップクリームが出回らないのは、冷やす技術がそこまで無いからだ。
魔導具製の冷蔵庫が出回る前は、貴族等特権階級が氷室を使って居たのが精々だろうか。庶民には先ず手に入らない。
その後、氷を使用した冷蔵庫が開発され、氷屋と呼ばれる専門業者が出て漸く冷やす文化が生まれた。今も魔導具では無い、氷を使用した冷蔵庫は庶民の間に流通している。
其れにとって変わろうとしているのが、魔石を動力源とした冷蔵庫である。
今でこそかなり広まった冷蔵庫で有るが、元々魔石が高価だった為、多くは出回っていなかった。其処で開発を重ね、少ない魔力でも使える様にして、庶民にも漸く出回る様になった。多分その内電子レンジ擬きが出回る様になるだろうな、と言うのは想像に難くない。
他国に先駆けて冷蔵庫が一般に普及し始めたヘスペリアで、冷やして泡立てて作るホイップクリームが作られたのは、かなり早い段階だと俺は睨んでいる。下手をしたらその為に冷蔵庫を開発したのでは? とまで疑ってしまうのは、仕方の無い事だと思う。
恐らくだが、俺の様な『元異世界人』が食文化に貢献したのは疑い様の無い事だと思うが、保存する技術がその時々で追い付いて居なかったのだろう。
搾りたての牛乳から生クリームを取り出す事は出来る。其処からバターも作れるだろう。だが冷やす事が出来なければ長期保存は難しいし、調理人が氷を用意したり魔法を使わなければ、泡立てて固めるなんて事も出来ないと思うのだ。冬場の寒い時期なら可能かもしれないが、季節限定の調理法等広まらないだろう。……売る分には限定品は魅力的なんだが。
それが今は魔導具の冷蔵庫が普及し始め、調理法も幅が広がった。そんな中、いち早く魔導具が広まったヘスペリアで、ホイップクリームを使った洋菓子が作られるのも、無理がないと言うか自然な流れと言うか、当たり前だろうと思う。
今回皇帝陛下の婚儀に合わせ、各国から使者や観光客が来て、魔導具のみならず最新の料理を知ったからには、近い内に似た様な物が食卓に並ぶだろう。いや、なってください。
エーデルシュタインで洋生菓子を食べる日は何時になる事だろう。
目の前に並べられたケーキやタルトを見て、俺はそんな事を考えていたのだった。
因みに食材やら魔導具が普及しているヘスペリアでも、日本人の心の友、味噌酒醤油は余り出回っていない。
秋津洲で作られ、それが僅かばかりも流通しているので、逆に積極的に作る理由にならないらしい。
そもそも自家製造が可能なので、どうしても食べたければ自分で作れば良い訳だし。……俺もそうしようかな。
そんなこんなで巫女姫におやつを御馳走になり、中庭で暫く遊んでいると、父達が戻ってきた。
俺達の面倒を巫女姫が見ていたと気付き、恐縮する俺達の保護者に対し、巫女姫はコロコロと笑い楽しかったと言って去っていった。
「クラウド、其方に限って無いとは思うが、巫女姫に失礼は無かったか?」
尊敬すべき竜の友の末裔で、然も日々世界の安寧を願い、祈りを捧げ信仰の対象でもある巫女姫に、敬意を表すのは当然である。
「……ナカッタデスヨ?」
父の問いにカタコトで答えたが、別に嘘では無いと思うので、態々サージェントに確認しなくても良いと思うんだ。
サージェントは俺の侍従兼護衛なので、当然側に控えてましたよ? 他人の目が有るのに、そんなに失礼な事をする訳無いじゃないか。
今一つ信用されないのは、普段の行いのせいだろうか。