Lv.15 レオハルト・クルーガー・サーペンタイン=ヘスペリダス
冗談では無い。
何だ、この状況は。
俺の、伴侶が。他の男の腕の中で泣いている。
俺にすら滅多に縋らず、泣き顔も見せない、見せたがらないセンリが、他の男の腕の中で泣いている。
腹が立った。
其処は俺の場所だ。
―――例えそれが幼児だろうと、男は男だ。迷わず近寄り、二人を引き剥がして叫んだ。
「センリ! 何故泣いている?! この坊主に何かされたのか!?」
俺が伴侶に選んだセンリ――杷木千里と言う、異世界人だ――との婚儀の為、各国から使者や公使、親しい国ならば元首が続々と我が国に到着していた。その中で、俺が到着を待ち侘びていた国があった。
輝石光国。風光明媚で知られ、宝石の一大産出国でもある。他国と比べ質の良い宝石に高い加工技術。繊細で優雅に仕上げられた宝飾品は高値で取引され、彼の国を潤していた。
連絡の有った到着日、他国の一行は宰相や大臣に任せて居たが、その国だけは俺自ら迎えに出ていた。何故ならば、この十年、一度たりとも戻らなかった弟が戻って来る事になっていたからだ。
五年前、年に一度、新年の挨拶しか便りを寄越さなかった弟が、時期外れに便りを寄越し、どうしたのかと確認すれば、仰天する事が書いてあった。
曰く、子供が出来ました、結婚します、継承権は放棄します、叙爵されます、移住します。
こんな事を手紙だけで済まそうとした弟に腹が立ち―――弟らしい、と諦めた。それに当時は俺の方も色々と忙しく、正直に言うなら、弟の事に拘らっている暇は無かった。
だからと言って、まさかその後も国に顔を出す事も無く、五年も過ぎるとは思っても見なかったが。流石に俺自身の婚儀を報せたら、帰国する気になったようだ。隠居して元の領地に引っ込んだ両親も参列する、と言う脅し文句も効いたのかも知れない。
そして帰国当日、国王一行の中に、弟の姿を認めた俺は直ぐ様行動に出た。呆気に取られる国王一行も、従兄弟や幼馴染みも無視して弟を構い、嫁らしき女と少し話し、有無を言わさず弟を連れて城に戻った。
戻って両親に会わせた時、初めて弟の嫁と息子を置き去りにした事に気付き、慌てて一行を案内させた離宮に使いを遣り、二人とも無事に合流する事が出来た。
その後は男同士積もる話も有るからと、嫁と息子は先に離宮に帰し、従兄弟と幼馴染みを含めて飲み会をした。
流石に十年も会わずに居たからか、寡黙な弟からは色々と話が聞けた。嫁との馴れ初めやらその後現在に至るまでを、淡々としかし熱く語る様は正にサーペンタイン家の男だと思った。
我が一族、特に男子はこれと伴侶を定めたら、ただ一人を愛する。弟の嫁は、若しかしたら罠にかけたつもりで、罠に捕らわれたのかも知れない。
その後弟を離宮に戻した後も飲み続け、ハッと気付いて寝室に行けばセンリは既に眠っていた。
ガッカリして――センリと、彼女が夜中眠っている間は手を出さない、無理に起こさないと約束した為――渋々抱き締めるだけに止めたのが昨夜の事。目が覚めたら昨夜の分も含めて思い切り可愛がろうと思っていたら、思いのほか酒が残っていたらしく、俺が目覚めた時には既に腕の中は空っぽだった。
腕の中の温もりがすっかり無くなっている事にガッカリし、逃げられた、との思いが強くなる。だが早朝に居なくなったセンリの行き先に心当たりが有ったので、直ぐに着替えて迎えに行く。
恐らく彼女は薔薇庭園に居るだろう、と思い其処へ向かえば、案の定遠目にセンリの姿を認めた。声を掛けようとして、ふと気付く。センリの様子がおかしい事に。どうしたのかと急ぎ足で近寄る間に、彼女は何やら叫び声をあげ、近寄るまで植え込みに隠れてさっぱり見えなかった子供に抱き付いていた。
―――俺ですら数える程しかセンリから抱き付かれないと言うのに。
腹が立って仕方が無かったので、無理矢理引き剥がしたが、其処は理解して欲しい、と思う。
「陛下! いきなり何するんですかさ!」
「何故泣いていたんだ! 俺に言えない事か?! あんなガキに抱き付いて泣く程俺との婚儀が厭か?」
「はぁ? 何訳の判らん事を……」
クソガキはそっちのけでお互い怒鳴りあい、俺が何か禁句を言ったのか、センリが殴り付けてきた。―――蹴りで無いだけ上等だ。あいつが本気で怒ったら、手よりも先ず足が出る。
先に手を出したのはセンリだ。我慢する謂れは無い。
怒るセンリの腰を引き寄せ、身動きが出来ない様にしてから、唇を貪る。腕の中で無駄な足掻きをしているが、無視して尚も味わっていると、段々と力が抜けていっているのが判る。よし、このまま抱き上げて寝室へ、と思った所で声が掛かる。
「…御取り込み中、申し訳有りませんが。俺の存在もそろそろ思い出してくれませんか?」
「……あぁ、クソガキ未だ居たのか」
思わず舌打ちしたが、呆れた様に俺達を……特に俺を見る子供は良く見れば、昨日挨拶したばかりのエーデルシュタインの王子だった。
センリの人脈の広さと多様さは知っているが、こんな小さな子供まで? と疑問に思う。特にセンリはこの五年、この世界に居なかった。弟の話では王子は甥の一つ下、との事だったからますます計算が合わない。
気が付けばセンリは俺の腕から抜け出し、またもやあの王子の傍に駆け寄る。腹は立つがキスも堪能したので、話だけは聞いてやろうと思ったのだが、聞いている内に自分が不機嫌になりつつある事に気付いた。
王子の前世が、センリの剣の師匠などと言われて、ハイそうですか、と直ぐに納得出来るものでは無い。だが二人で示し合わせた様に嘘を言う筈も無い。
これ以上不機嫌になりたくは無かったので、話の最中ずっとセンリを抱き寄せて腕の中に囲っていたが、正解だった。師匠、師匠と懐かしそうに俺の知らない世界での二人の過去を聞くにつけ、疎外感が増していく。それでもセンリを抱き寄せていたお陰か、次第にささくれていた心が癒されていき、落ち着いて話を聞ける様にはなった。
唯一救いだったのは、王子が幼児だと言う事と、センリに対して牡の反応をしない事だろうか。純粋に師匠と弟子の間柄だと判り、ホッとする。寧ろ幼児の外見に対し、素なのかざっくりとした物言いは、センリと似ている気がして微笑ましく思えてきた。
「転生者か……。成る程、その記憶のせいでやたら太太しく見えるのだな?」
「メッソウモゴザイマセン……」
呟いた言葉に棒読みで反応するのも、師弟らしくそっくりで思わず爆笑した。キョトンとした表情も、何故か似ている気がして面白い。
然し例え王子が幼児だろうが、師であろうが、センリの側を彷徨くのは気に入らない。
俺は此処暫くは公務で忙しい。対してセンリは表立った公務も無く、婚礼衣装や宝飾品の用意等もとっくに済ませて暇を持て余している。退屈凌ぎにこの王子と関わろうとするのは目に見えていたので、王子の方に『餌』を用意する事にした。
全くこんな事ならセンリを隠す様な真似をせず、初めから一緒に公務に臨むべきだった。俺としてはセンリはなるべく隠しておきたかっただけなのだが。その為、婚姻の儀とそれに続くパレードや晩餐会や舞踏会。必要最低限しか予定を入れさせなかった。それが裏目に出るとは、と溜め息を隠して王子を案内する事にした。
抱いて運ぶのは王子の足だと遠いのと、ちょっとした意趣返しだ。こうしておけばセンリも黙ってついて来るしかない。…本当はセンリの方を抱き上げたいのだが。
薔薇庭園を後にして、騎士団の訓練所に向かう。
先程の話の中で、王子が訓練所を探していたと聞いたが、其処に突っ込む。
剣術を教えていたと言うなら、今も幼いとは言え鍛練しているだろう。実力は判らないが、放置してセンリと遊ばれるよりはましだ。だが危険な事もさせる訳にはいかない。
念の為どの程度剣を扱えるか確認する為、訓練用の武器を見せてみた。興奮して上気した顔は子供らしく可愛らしい。端から順に見ていく内に、ある武器の前でピタリと視線と足が止まる。
やはり、と思う。
センリの師であるなら確実に止まるであろう武器。彼女もそれを使うが、余り扱う者は居ない。
片刃の剣で独特の反りと光沢を持つ『刀』と呼ばれる其れは、扱う者を非常に選ぶ。普通に片手剣でも両手剣でも、叩き斬るタイプの剣術を学んだ者にはその武器は扱い辛いのだ。迂闊に使えば折れてしまう。其れを敢えて選ぶと言うのなら―――面白い。
じっと見ていると、大振りな刀を手に取り、握りを確かめていた。そして一振りしてみたが、足下が多少ふらついた様だ。アレはあの王子には大きいだろう。
どうやら目に入っていなかった様なので、もう少し小振りの刀を渡してみる。今度は問題無い様だ。
王子が刀の具合を確かめている間に、奥に控えていた従兄弟を目配せで此方に呼ぶ。ディオならば俺の考えている事は言わずとも判る。厭そうな顔ではあったが、既に気配を殺して居た。
一方で刀の検分を終えた王子が、ゆっくりと刀を左の腰に佩く様に手で固定し構えた瞬間に、其れまで王子の纏っていた雰囲気が変わる。可愛いだけの子供から、老獪な将の様な油断ならざる相手として。凄烈な実力者が敢えて醸す静謐な時間がゆっくりと作られる。
しまった、これなら俺が相手をしても良かった。遊びと思わず、真剣勝負の相手として対峙しても良かった。そう思っても後の祭りだ。既にディオは元冒険者としての勘で、王子を油断ならざる相手として見ているし、王子もディオを見ては居ないが気配で認識している。
恐らくほんの僅かな時間だろうが、長くも感じた王子の構えがカサリ、とディオが動いた瞬間に次の動作へと移った。
佩いた刀を一瞬で抜き、流れる様に振り抜きかけて、止まる。刃先にはディオの顔。後僅かの所で止められる技量は凄まじい。惜しむらくは身長差か。彼が若し青年で有るなら、いや、少年で有るなら、もう少し剣筋は上に来ていた筈だ。見せる為の行動だから、わざとディオの顔に刃先を持って行ったが、実戦ならば喉か腹を掻き斬る所だ。
流れる一連の動作の続きは、刀を収めた王子が息を吐いた所で終わった。ディオが恨みがましい視線を向けたが、気にせず王子に話しかける。これだけの技量を持つなら、何ら問題は無い。
改めてディオを紹介し、用件を話す。
「ディオ。これから暫く、この王子が滞在中は、自由に訓練所を使わせてやれ。その間の監督はお前に任せる」
一瞬目を瞠ったが直ぐに「御意」と従う。王子が何者か知らなくとも、俺とセンリが同席してこの発言だ。何か察する所が有るのだろう。苦笑気味のディオとは対照的に、王子は俺の申し出に何も含む所が無いからか、目を輝かせて俺を見ていた。少々後ろめたい、と思ったが―――。
漏れ聞こえるセンリとの会話に、顳顬に青筋が立つのが判った。
俺の事を同性愛者と何故当のセンリが言うのか……。お前は自分の性別を何だと思っているのだ、と問い質したい。
「センリ……お前、未だそんな下らん事を言うのか。俺があれだけ毎晩可愛がっていると言うのに……。俺にとって、お前以上の女は居ないと、何時も言っているだろう? 俺の愛を疑うのか?」
イヤ、そんな、滅相もない、と後退るセンリを掴まえて抱き締めて、口付ける。じっくりと咥内を味わい、舌を絡めて堪能していく内に、腕の中で無駄な足掻きをしていたセンリも、何時しか踠くのを止めて俺に体を預けていた。
それでも暫く濃厚な口付けと、耳や首筋を舐りながら、センリの抵抗が無くなったのを確認して抱き上げたが、未だ理性が残っていたらしく、王子に別れの挨拶をしていた。ちら、と振り返るとポカンとした表情で俺達を見送る王子が居た。
廊下を早足で進みながらセンリに宣言する。
「お前……俺の腕の中で他の男の名を呼ぶとは良い度胸だな。…覚悟は良いな?」
「…イヤ、挨拶は基本でしょ」
「煩い、黙れ。昨夜の分も併せてたっぷり可愛がってやるから、覚悟しろ」
何か反論しようとしたその唇を歩きながら貪り、寝室に着いた後は朝食前の運動をたっぷりと堪能させて貰う。うっかり楽しみ過ぎて朝議に遅れそうになったが、間に合ったので良しとする。
多少、いや、かなりやり過ぎたのは否めない。
だが他の男の話を聞かされて、黙っていられる程俺は出来た男では無い。朝議の後そう言ったら、その場に居た全員――センリと宰相と従兄弟達――に憐れまれたのは解せない。
それよりも、とセンリが言い出した。
「陛下には悪いけど、私は私のやりたい様にやりますよ? それが元々の約束ですよね?」
センリが俺の伴侶となるのを受け入れたのは、彼女が傅かれる事を厭い断っていたのを、自由に行動して良いと言ったからだ。流石にそれだって拙いだろう、とセンリの方が言った――センリは元々責任感が強い。出来ないのなら初めから受けるな、受けるからには全うしろ、とは口癖の様に言う――のだが、此方がやれと言わなければ構わない、と言ってやっと承けて貰えたのだ。
「そうですね。何処かの誰かさんのお陰でセンリ様の予定はがら空きですから、ご自由にどうぞ」
意外なイシュトの言葉に焦る。てっきり今回ばかりは、とセンリの行動を制限するかと思ったのだが、違った様だ。…と思ったが。
「…ですがやはりこの期間中は無闇矢鱈と出歩かれるのは危険ですので、行き先の確認と護衛はお願いします」
続く言葉にホッとする。俺達の婚儀の期間中、他国からの賓客もそうだが、ならず者も稼ぎ時と見て集まって来ている。そんな中、フラフラ歩かれては此方の心臓がもたない。…主にセンリへの心配が少々、ならず者がセンリに難癖をつけた場合彼等が返り討ちに遭う事への不安が大半だ。彼女には既に強烈な護衛が付いている。イシュトがわざわざ『護衛』と言うのは普通に護衛を『見せて』歩き回れと言っているのだ。
だが俺の心配を余所にセンリは肩を竦めつつも頷き、俺に舌を出してきたので、絶対に何処かで時間を作ってセンリの外出に付き合うと決意した。
センリが退室した後、イシュトにその旨伝えると、良い笑顔で「それでは外交は予定を変更出来ませんから、執務の方で時間を調整して下さい」と未決裁の書類を山の様に出してきた。
…………どうも上手く乗せられた気がするのは……。気のせいだと思いたい。