Lv.14
顔に陽が当たり、その暖かさと眩しさに目が覚めた。
とは言え未だ早朝らしく、シンと静まり返った部屋からは、父の健やかな――大の大人に言うべき言葉で無いのは判っているが、そうとしか言い様が無い――寝息と、遠くで誰かが働いている音、鳥の囀りが聞こえるのみだった。
寝台の中で暫く考え、思い切って起き上がる。静かに音をたて無い様に着替えると、部屋をそっと抜け出した。
―――冒険だ。
浮き立つ気分に、苦笑する。
知らぬ土地、見知らぬ人々、その中で誰も供を連れずに歩く解放感。
最近は、何処に行くにも誰かしらと一緒で、一人きりになるなんて久し振りな気がする。…多分他国の王子とか普通の貴族から見たら、これでもかなり自由なんだろうな、とは思うが、何せ前世の記憶持ちとしては、四六時中誰かが居る環境が落ち着かない。そう言えば朝の鍛練も、そんな気分で歩き回ったのが原因だった気がする。
ヘスペリアに来て二日目。
初日は着いた早々お疲れでしょう、と軽く顔合わせをしたのみで、特に歓迎の宴なども無く、身内だけで食事をとった。確かに転移門での移動は楽だが、転移門に行くまでの移動、そしてヘスペリアに着いてから、王城への移動は同じ王都内とは言えかなり距離があり、疲れていたので、その気遣いは有り難かった。
他国の使者や招待客も続々と到着している様で、俺達一行は早い方。恐らく正式な晩餐は招待客が揃ってからだろう。
夕食に、と饗された内容は豪華だった。前菜から始まり、肉料理、魚料理、スープにデザート、味も然る事ながら盛付けが見事だった。舌も目も楽しませる、正におもてなし、と言うものだろう。
案内された部屋も、賓客用に改築したと言うだけあって、快適に過ごせそうで、自由に散策して良いと言われた庭も美しく整えられていた。俺としては騎士団の場所を知りたかったのだが、流石に着いて直ぐに訊くのは躊躇われた。
到着早々、皇帝陛下に拉致られ、実は皇弟と判明した叔父は夜には戻ったが、その頃にはすっかり酒が入った男達による、叔父への愚痴大会が始まっていた。曰く、何故もっと早く出自を教えてくれなかったのか、水くさい、等々父と将軍に責められ、部下に泣かれ、それを宥める叔父の姿が大変印象的だった。
女達は女達で、叔父の兄、つまりは皇帝陛下の美丈夫振りに、話の花が咲いていた。紹介こそされなかったが、同伴していた騎士も中々のイケメンで、目の保養だとはしゃいで彼是噂する。
そんな大人を眺めつつ、子供と言うか未だ幼児の俺達三人は、何処か面白い場所は有るのかねぇ、等と語り合う内に眠りに着いたのだった。
庭を歩き出して一時間程。未だ後宮の庭の中と言う事に愕然とする。なんちゅう広さだ。流石帝国。
ウチも広いが、此処まで広くは無い。島国だからだろうか? 自国が豊かなのは知っているから、国力の差とは思わない。
冬だと言うのに花が咲く庭園は見応えが有る。途中には迷路を模した生垣があり、迷いかけたが何とか脱出できた。…と思ったら、全く違う場所に出て、慌てて戻ろうとしたら本気で迷った。ヤバイ、何処だ此処。
キョロキョロと辺りを見回し、見覚えの有る場所を探す。
遠くに有る木は見覚えがある。建物は……何だか離宮では無い気がする。若しかして、王城か? だとすると随分見当違いの所に出たものだ。
だが王城に行けば、誰かしら見付かるだろう。このだだっ広い庭園で人を探すのは、帰り道を探すのと一緒だ。当てが無い。だったら少しでも当ての有る方が良い。
そう思い目標に向かって歩き出すと、間も無く開けた場所に出た。
低い木立に花が咲いていた。椿とか山茶花に似ている。尚も進むと嗅いだ覚えの有る匂い。甘く芳しい香りに、惹かれて進むと薔薇だらけの庭園に出た。そうか、この香り、バラだ。
薔薇庭園の入口に佇み周囲を見回すと、人影が見えた。
良かった、これで戻れる。そう思い近付いて……固まった。
―――何で。
彼女が、此処に?
頭の中が真っ白になった。
真っ白になった頭のまま、ふらりと彼女に近付く。後ろ姿で顔が判らないが、立ち姿は確かに彼女だ。
冬薔薇を軽く手で撫で、揺れる様を楽しむかの様に歩く姿は、記憶の通り真っ直ぐ姿勢正しい。俯いて猫背になりがちだった彼女に、何度も真っ直ぐ立てと言ったのは何時頃だったろう。
直ぐ近くまで寄った所で、漸く彼女が俺の気配に気が付いて振り返る。
真っ直ぐな立ち姿に、ジーンズを穿いてデニムのジャケットを着た姿は、少年の様で、長い髪も一括りにしているせいで色気など全く無い。何よりその戸惑った顔は少年そのもので―――記憶よりも少しだけ成長した姿だったが、確かに彼女だ。
懐かしさの余り、思わず声を掛ける。
「センちゃん、お前何で異世界に居るんだ?」
呆れた様に呟いた俺だが、彼女からは戸惑いしか返らない。
「えぇっと、坊や……ダレ?」
―――忘れてた。俺は転生して姿も年齢も変わっていたんだった。彼女は然程変わっていないから、転生では無いんだろう。そして転生していたとしても、それではお互い姿が判らない。
姿が違う事を失念していた俺は、少しだけ溜め息を吐き、彼女をもう一度見詰める。信じてくれるかは判らないが、彼女自身もこうして異世界に来ているのだ。きちんと説明すれば判る筈。
困惑する彼女にもう一度、今度は笑いながら話し掛ける。
「千里、莫迦弟子。お前、何でこんな所に居るんだ?」
「えぇっと、ダ、レ? …『私の名を知る貴方は誰? 我が名は千里、遠き道を目指す者』」
「東堂蔵人」
名乗った途端彼女の目が大きく開く。聞こえない程の小さな声で「まさか」と呟く。
「まさか……師匠?」
「そのまさかだ」
笑って応じると同時に「ええぇぇぇぇっ?!」と叫ばれ、抱き付かれて揺さぶられた。
「嘘だっ! 師匠がこんなに可愛くなってる筈無いでしょうがさ!」
「お前、師匠に向かって何と言う口のきき方だ。それより何でお前が異世界に居るんだ?」
取り敢えず抱き付いた弟子の頭をよしよしと撫でる。傍から見たらシュールだろうな。一見幼児が一見少年の頭を撫でてるって。然も抱き合って。
そんな事を考えながら弟子の話を聞いてみれば、彼女は どうやら所謂異世界トリップ、とやらの様で。崖から落ちて気が付いたら此処に、然もこの世界は実は二度目とかで、その時見知った人の所に転がり出たそうだ。
幸い衣食住に不便は無いらしいので、何故王城に――然も後宮に――居るのかはおいといて、俺がこの国に居る理由を説明する。転生した先が王子で、今回この国の皇帝の婚儀に参列しに来たと言うと、何故か微妙な顔をした。そしてしみじみと溜め息。
「師匠の、お葬式にも出たんですよ……もう二度と会えないんだ、と思ってたんですが、こんな所で会えるなんて……」
ホロリ、と涙を零して俺の肩に顔を埋める。よしよしと頭を撫でて落ち着かせ様とした所で、背後から物凄い不機嫌な気配が伝わった、と思うと同時に弟子が俺から引き剥がされる。
「センリ! 何故泣いている?! この坊主に何かされたのか!?」
怒気を孕んだ声で俺を睨み付けるのは、皇帝陛下その人であった。
えーと、スミマセン。今の状況にちょっとついていけません。
先程、前世の弟子と感動の再会を果たしたと思ったら、いきなり皇帝が出てきて目の前で口論を始めました。あ、皇帝殴られた。…しかし負けてない。すかさず腰を引き寄せ羽交い締め……じゃない、抱き締め……って、おいこら、幼児の前でそんなディープなキスをかましてるんじゃねえ。弟子が必死に抵抗しているが、段々力が抜けていっている。
…て言うか、センちゃん何だって皇帝陛下とこんな事になってるんだ?
「…御取り込み中、申し訳有りませんが。俺の存在もそろそろ思い出してくれませんか?」
「……あぁ、クソガキ未だ居たのか」
中々終わらないキスに堪えかねて声を掛けると、皇帝が漸く此方を見てキスを止めた。聞こえてませんよ、チッと舌打ちしたのなんか。
…大人気無いな、皇帝。
皇帝に濃すぎるキスをされてグッタリしていた弟子は、俺の声にハッと気が付いたのか、皇帝の腕から無理矢理脱け出し、俺の前に膝を付いて叫んだ。
「へーか! 師匠との感動の再会を邪魔すんな!! 済みません、師匠。エロハルトのせいで放置してしまって」
「あぁ、うん、お前たちの力関係は良く判ったから、も少し説明してくれるかな?」
弟子よ、もう少し雰囲気を読んでくれないだろうか。お前が俺に抱き付いてるせいで、この辺の空気が氷点下になっているんだが?
何かもう、聞く前から判ってしまったが、俺の弟子は、異世界で皇帝陛下の伴侶になってました。然も温度差酷ェ。皇帝ベタ惚れなのに、弟子の反応薄ッ! オブラートより薄ッ!
そうか、俺は弟子の結婚式に参列するのか……。何だか感慨深い物がある。
「それで? このガキとお前との関係は? 師匠とか言っていたが?」
憮然と皇帝が訊ねる。言いながら弟子を立たせ、さりげに腰を引き寄せて体を密着させているのは、俺を警戒しているのか? 幼児に嫉妬してどうするんだ。そしてもう既に慣れきっているのか、何の反応も示さない弟子。
「言った通りですよ? …王子? の前世が、私の剣術の師匠だった人です」
そう。俺は前世で彼女とその兄に剣術を教えていた。時代劇が好きで、チャンバラがしたかった妹と、忍者になりたかった兄。近所の道場に入門して、剣術を習い始めるのは自然な流れだった。初めは祖父に、次に父。その後俺も加わり剣術を教えたのだった。
「転生者か……。成る程、その記憶のせいでやたら太太しく見えるのだな?」
「メッソウモゴザイマセン……」
棒読みで答えたら、何故か爆笑された。何で? と思ったら、誤魔化し方が弟子とそっくりだと言われた。
その後、漸く俺が何故離宮から離れた薔薇庭園に居たか――知らない場所を探検したかったのと、騎士団の訓練所を探していた事も含めて――説明し、また爆笑された。
「迷子になる辺りは年相応だな」
「初めての場所だし、仕方無いと思います」
何となく面白くなくてそう答えると、頬を抓られ、「膨れるな」と言われた。…あれ、俺拗ねてた? と言うか眩しいよ、皇帝陛下、笑顔が眩しすぎる。此の笑顔をスルー出来る弟子は、案外大物かもしれない。
畏れ多くも皇帝陛下に抱き上げられて、そのまま離宮に戻されるかと思いきや、意外にも連れて行かれたのは何と、俺が行きたかった騎士団の訓練所だった。
大勢の騎士が鍛練しているのを見て、おお、と思わず興奮したが、何故此処に連れて来られたのか判らず皇帝を仰ぎ見る。確かに探していたと言ったが、場所さえ教えて貰えればそれで良かったんだが。
俺の不審そうな表情に苦笑しつつ、皇帝が連れて来た理由を説明する。
「センリの師匠と言うなら、剣は握れるな? それとも幼くて今生では未だ握っていないか? …俺は三歳から剣を握っていたと言われたが」
「軽い木刀なら二歳過ぎには振るっていました」
「…ただ握っていただけでは無いと言うか、面白い」
皇帝はそう呟くと、俺を片手で抱いたまま壁際へと向かい、其処で下ろした。
目の前にはズラリと木剣や木槍が並んでいた。中には刃を潰した模擬剣も有り、並ぶ武器の種類の多さについ面白くなってじっくり眺めてしまう。
ごく一般的な片手剣から、両手剣、長剣、短剣、双剣、大剣、三日月刀、曲刀……と来て、太刀が目に入った。思わず手に取り振ってみると、サイズが合っていない為、若干の抵抗と重さでふらつくが握った感じは悪くない。
「お前なら此方だろう」
皇帝がそう言って、太刀の隣から小太刀を取り出し渡される。所謂脇差しだ。
模擬刀だから期待はしていなかったが、握った瞬間それが手に馴染むのに気が付いた。一振りして風を斬る音を確かめた後、一旦腰に当て居合いの構えをとる。鞘は無いが鯉口を切るつもりで鍔を押し、腰を低くしてその瞬間を待つ。
カサリ、と誰か――皇帝が目線だけで呼び寄せた誰か、だ――が動いたと同時に無い鞘を抜いて小太刀を振り抜く。ピタリ、とその動いた人物の目の前で寸止めし、そのまま腰に刀を戻す。僅かな時間での動作に、誰も動かず……俺が息を吐いたと同時に、止まっていた時間が流れた。
「成る程な、師匠と言うだけあって、剣筋が似ているな」
感心した様に皇帝が呟くが、俺に刃を向けられた騎士は堪ったものでは無いだろう。心の中で謝罪すると同時に、彼が昨日の出迎えに来た一人と気付く。
「陛下、彼は?」
俺の質問に皇帝では無く、本人が答えた。
「ディオノルト・イェーガー・サーペンタインと申します。お見事でした、クラウド殿下」
「従兄弟だ」
顎で刳って説明される。何処と無く似ていると思ったら、やはり身内か。挨拶されたので此方も、と思ったが、既に昨日の内に俺の名前も身分も知られているので、会釈するに止めておいた。
さて、彼は何の為に此処に呼ばれたのか?
その疑問は直ぐに解消された。
「ディオ。これから暫く、この王子が滞在中は、自由に訓練所を使わせてやれ。その間の監督はお前に任せる」
「御意」
え、何その厚待遇。実は皇帝良い人?
思わずキラキラした目で皇帝陛下を見詰めた所で、弟子が後ろからコッソリ耳打ちしてきた。
「騙されないで下さい。アレ単に師匠が訓練に夢中になれば、私と関わる時間が無くなるって思っているだけですから」
「…あぁ、純粋に自分の為?」
コクリと頷く弟子。
セコい、セコいぞ皇帝陛下! 何だか残念な人だ、と思うと同時にやはりあの叔父の兄なんだな、と納得した。
序でなので、弟子と皇帝の関係が判明してから、ずっと気になっていた事を訊いてみた。
「……所で、皇帝陛下ってゲイか?」
「…………違うらしいですよ?」
「何で疑問型なんだよ。自分の彼氏って言うか、旦那になる男の事だろ」
「いや、だってどう考えてもオカシイですよね? 私と陛下の組み合わせ。同性愛者なら何とか判りますけど……」
ああ、自分でもやっぱり疑問に思ってたんだ。そうだよな、どう見ても男同士のカップルなんだよ、この二人……。背も高いし、胸も無い……少しは有るが、ジャケットを着ていたら丸きり判らない。それでも俺の覚えていた頃のセンちゃんよりも少しは女っぽくなった……のかな……?
ボソボソと弟子と話し合っていると、背後から冷気が漂ってきた。
「センリ……お前、未だそんな下らん事を言うのか。俺があれだけ毎晩可愛がっていると言うのに……。俺にとって、お前以上の女は居ないと、何時も言っているだろう? 俺の愛を疑うのか?」
色気駄々漏れの声が背後から響き、腕が俺の頭を素通りして弟子を掴むと、そのまま弟子の体が持ち上がり背後に消えた。慌てて振り返ると、皇帝に抱き上げられて必死にもがいている弟子の姿があった。
何だかんだと抵抗する弟子だったが、終いには皇帝陛下の熱いキスと抱擁に力を無くしていた。
「師匠ー!! また今度ー!!」
何処に行くのか知らないが――予測は出来るが断言したくない――そう叫びながらガッチリ抱かれて拘束された弟子と皇帝は立ち去り、後にはポカンとした俺と苦笑するディオノルトさんが残された。
「……ディオノルトさん、あの二人は何時もあんな感じですか?」
「ディオで良いですよ、殿下。そうですね、あんな感じです」
ディオさんから乾いた笑いと、聞きたくなかった返事。そうか、何時もか……。
「あー、でもああなって居ない時は、センリさんが陛下を振り回してる感じです。陛下はセンリさんが絡んでいなければ、基本、有能な為政者ですから」
うん、それ以上は良いです、お腹いっぱい。
あっま。甘過ぎ。何で俺、他国に来てまで誰かのいちゃつき見なきゃならないんだよ。両親だけでお腹いっぱいなのに。理不尽な。
その後、ディオさんに離宮まで送って貰い、俺の早朝の冒険は終わった。幸い未だ朝食前だったので、俺の不在はごく少数にしかバレては居なかった。心配かけて済みません。
…とっくに起きていた父には、ガッツリ怒られたが、あの二人の甘さに当てられていた俺の元気の無さに、余計な心配を掛けたのは、申し訳無いと思う。