Lv.10 セバス・グラウクス・バーンスタイン=ヴェジール
エーデルシュタイン王国の若き王、ミクローシュ陛下が即位したのは成人したその年で、即位と同時に婚儀も行われた。
前王から戴冠され、妃殿下と二人並んでバルコニーに立ち、民に挨拶する姿は見目麗しいお似合いの一対であった。
仲睦まじく支え合うお二人ならば、直ぐに御世継ぎに恵まれるだろう、との大方の予想を裏切り中々御子には恵まれず、妃殿下は悩み、側妃を召し上げ様と言う動きすらもあった。
新興貴族の中には年若い陛下を侮っているのか、平気でその様な進言をしてくるが、両陛下の仲睦まじさを見ていれば、その様な事を簡単に言える筈がない。
老臣、つまりは昔からの忠臣たちは未だ若い二人、もう暫くは様子を見るべき、と言っているにも関わらず婚儀を挙げてから未だやっと二年と言うのに、己の息女を側妃にと薦めてくる。
勿論その様な事を言う者の息女など程度が知れている。調べてみればとてもではないが、側妃どころか一夜の伽にすら選ばれぬだろう御粗末さ。
妃殿下は元々侯爵家の御息女として幼い頃より教育された生粋の淑女であった。そして陛下の婚約者候補の中でも、一際美しく――当時は未だ可愛らしいと言う言葉がピッタリであった――身分も申し分無い為、当時未だ立太子すらしていなかった陛下と引き合わせたところ、一目でお互いを気に入り、婚約の運びとなった。
以降、未来の王妃として更に努力して自分を磨きあげた――外面ではない。内面や国を背負う者としての覚悟などだ――妃殿下が、己の外面にしか興味の無い頭の空っぽな令嬢に劣る筈もない。
陛下の寵愛は妃殿下一人に向けられ、そんな中、待望の御懐妊。
国中に祝福され、そして無事に男児を出産なされた時の喜びは、今後も忘れる事は無いだろう。
宰相として仕えてもう何年になるか。
そろそろ引退でも、と思っていたが若き王を支える為にも、また新興貴族の莫迦げた野心を潰す為にも、もう暫くは後進を育てると言う名目で宰相を続けていた。
そんな私を王も信頼してくれたのか、産まれて間もない王子を身内以外では私に真っ先に会わせて頂いた。
初めてお会いした殿下は、失礼ながらパッとしない、普通の赤子であった。その前年、降嫁された王女殿下の御子息の素顔を知っていただけに、もしやこの王子も幻視の術が掛けられたのかと疑ったくらいだ。
王女殿下――ラファール・フィアルカ・サーペンタイン侯爵婦人――は妃殿下に勝るとも劣らない美少女であったが、少々……いや、かなり思い込みの激しい方であった。自らの伴侶と決めた青年――ナイトハルト・ヴォルフォード・サーペンタイン、後に叙爵されブラウシュタイン侯爵となる――は外国からの留学生で、その青年を一途に思い続けて五年、最後には強引にも酔い潰し、既成事実を作って降嫁に至った経緯がある。
既成事実と言う事で、婚姻後直ぐに産み月になり、御子息が誕生となった。その時の衝撃は言い表せない。
ラインハルトと名付けられた赤子は、見た事も無い程美しかった。それなのに王女殿下は、何故かその姿を幻視の護符を使用してまで御隠しになり、一見すると何の特徴もない、美男美女の御二人の御子息としては残念な程の凡庸な容姿にしてしまわれた。
そして拝謁を許された王子殿下は、彼の幻視の術を施された従兄弟と良く似たパッとしない容姿であった。
正直、ガッカリしたのは否定できない。心のどこかで、御二人の子供なら嘸や美形だろうと、前例が有っただけに――王女殿下とブラウシュタイン侯爵の事だ――勝手に想像していた。
然し待望の御継嗣誕生で喜ぶ陛下に水を差す様な事が言える訳も無い。
未だ壊れそうな程小さな命が握る拳を恐る恐るつつくと、僅かに開いてそのまま私の指を握り締めた。握る強さに驚いていると、殿下はそのままフニャリと笑い―――
その瞬間に、私は殿下の虜となった。
産まれて間もない為、碌に見えていない瞳は妃殿下譲りの烟る青灰色で、淡く生えた頭髪は金褐色。この色は陛下の幼い頃と同じだ。そしてしみじみ良く見てみれば、両陛下に良く似た目鼻立ち。
笑顔一つで私を魅了した殿下が凡庸な訳が無い。
私はこの時に改めてもう暫くは宰相職を続ける事を決意した。殿下の将来に何の愁いも無い様にする為だ。後進も各部署に育てなければ。そして殿下の優秀な側近も忘れずに選ぶ事。無駄に諂い遜る事無く、然し身分を弁え国と殿下に忠誠を誓う、同じ年頃の子供を探す。
出来れば早い内に選出し、側近と出来れば護衛も兼ねて教育したい。そうなると此処はやはり騎士の家系が良いか。
そんな事を目まぐるしく考えながら両陛下の御前を辞したのだった。
生後七日、神殿にて殿下のスキルが確認され、その特殊さに戸惑い、また得体の知れぬスキル持ちの王子は廃嫡し、新たに側妃を、等と言う意見を一蹴し、クラウドと名付けられた殿下は健やかにお育ちになった。
そして現在。
私の目の前には、得意気な顔をした男が悠々と椅子に座って自慢話をしていた。
「…そしてな、あの小さい体で儂に挑みかかってきてな、その剣筋の良さと来たら! 新人に爪の垢でも飲ませたかったわ!」
「…新人では無く、貴方の息子に飲ませれば良いでしょう」
私の言葉に目の前の男、ヘルムート・フォルティス・ヤーデ将軍がうっと黙りこむ。
代々優秀な騎士や軍人を輩出してきたカヴァリエレ伯爵家現当主が、荒事には全く向かず、文官として出仕して来たのは記憶に新しい。父親、つまり私の目の前にいるヤーデ将軍は、勇猛果敢で剛胆な軍人として名を馳せていたと言うのに、だ。
尤も私も他人の事は言えない。
ヤーデ将軍とは逆に優秀な文官を輩出してきた我が家からは、家督を継ぐ長男の補佐をすべき次男が、騎士団に入り近衛騎士にまでなってしまった。なまじ優秀だっただけに残念だが、クラウド殿下の剣術を指南していると聞いて、溜飲を下げた。
「…そう言えば知っておるか。神殿の司祭長。あやつ殿下にセザールじいさまと呼ばれているらしいぞ」
「…何? 私が知っているのは、筆頭魔導師が殿下の魔術師範になって、色々餌付けしているらしいと言う事だが?」
「これ以上殿下の教師が増えたら、儂と遊んで貰えんな……」
しょんぼりとする爺ィの図は気持ち悪いが同感だ。最近は専属の家庭教師がついたこともあり、以前の様に気軽に私や陛下の執務室を訪れる事も無くなった。執務の邪魔をするのは申し訳無いと言う殿下だが、殿下との時間は大体休憩時間に当たり、少しも邪魔ではない。寧ろ殿下との語らいが良い刺激になるのか、その後の執務が捗ったりする。
そしてこの事は公にはされていないが、殿下は前世持ちだ。少々と言うか、かなり大人びた意見を述べる事が有ると思ったが、其れを聞いて納得した。その記憶は鮮明らしいが、前世の人格と今は別、とはっきり断言した殿下にホッとした。
前世の記憶を持つ者は、人格に破綻を来す者が多い。前世との文化や習慣の違いに馴染めない事が原因と言われている。
幸い殿下はその辺りの事を完璧に割り切っているらしく、今のところ前世の影響は見られない。いや、影響はある。ただ其れは悪いものではなく、良い方に出ているので問題は無い。
先日も、突然殿下が訪ねて来られたが、兼ねてから懸案の学校についてを話し合う事になった。
就学率が低い事への対応策を話し合い、煮詰め実行する手筈を整える。僅か四歳の子供とは思えない提案に、私も陛下も内心では唸っていた。
いつ頃からかは判らないが、貴族も平民も変わり無く教育を受ける権利があると言われ、初めはバカバカしいと一笑に付していた国々も、試しにやってみるかと動いた、小さな国の辺境の村がみるみる豊かになっていったと聞くに及び、少しずつではあるが教育と言う物は広がって行った。
我が国も早い内から試したからか、識字率はかなり高い。だが選民意識の抜けない貴族が多く残っているせいか、折角増やした識字率も最近では下がる傾向にあった。
国民の手本であるべき貴族が、その義務を怠り好き勝手に家庭教師をつけているせいで、働き手の足りない家庭も、やはり好き勝手に子供を働かせるようになったからだ。折角教育の大切さを説いて居たと言うのに元の木阿弥である。
所詮貴族は貴族で固めるしかないかと諦めていたところ、殿下からの打診である。話を聞かない選択肢は無かった。そして実際とても有意義であった。
前世の記憶が有るとはいえ、殿下は同じ年頃の子供と比べてかなり優秀である。家庭教師に訊いた所によれば、既に初等教育の三年生程の勉強をしているそうだ。
単純に前世の記憶のお陰で勉強が出来るのではない。歴史等は却って知識が邪魔をするであろうし、私や陛下と会話すると言う名目での帝王学は、学んでいなかった筈。
努力家の殿下だからこその結果だろう。
従兄弟のラインハルト、目の前の男の孫のルフトは、殿下の腹心として厳選した子供である。性格や能力、家格等、殿下よりも優秀で尚且つ然程差がない程度を選んだ。切磋琢磨するには余り能力に開きが有っては拙い。努力する気も起きなくなる。
三歳の神殿参詣にて、殿下はかなりのスキルを取得していた事が判明した。それらは全て殿下の努力の賜物であろう。
毎日騎士団に通い、遊びながら剣術を学び、体を鍛えていた。魔法院――正式には王立魔法研究院だ――にも通い、魔力を高めていたと言う。
何もそんなに頑張る必要はないと言いたいところだが、殿下は特に無理はしていない。楽しんでさえいるように見える。楽しんでいるのなら良いか、と思ってしまう。
殿下が楽しいのなら、此方もやれることはやらなくては。
「然し良いのか、一年繰り上げて殿下を学校に通わせるとは」
フォルティスが不安そうに訊いて来たので、此方も書類から顔を上げて答える。
「殿下の希望通り、身分を隠すと言うならその方が良い。体格は他の子供に比べて劣るだろうが、体力も知力も何の問題も無い」
「…そうだなぁ。大体殿下の名前や容姿はある程度広まっているんだしな。誤魔化すなら一年繰り上げた方がバレにくいか」
「その通り。それに親なら兎も角、子供なら尚更気付きにくいだろう」
それに王族は家庭教師がつくと言う先入観も有る。自分たちが行きたくない、行かせたくない場所に王族が来るとは思わないだろう。
殿下を学校に通わせる準備は着々と進んでいる。
新たな学校を最初から作るのでは間に合わないので、跡継ぎの無いまま没落した男爵家の屋敷が国に納められているのを利用する事にした。
商売で成り上がった男爵家だったからか、屋敷はかなり大きく、庭の広さも申し分無い。下手をしたら離宮並みの大きさかも知れない。まぁそのせいで商売感覚が無くなった三代目で没落した訳だが。屋敷は少し手を入れれば、学校としての体裁を整えられるだろう。そもそも殿下が通う事を想定しての学校だ。規模は多少小さくても良いだろう。小さいとは言っても、今ある学校と大きさは然程変わらない。貴族特有の見栄の為に少々大きさが必要なだけだ。貴族子弟が通う事を考えて、多少豪華に見えるようにしておけば良い。
トンと申請書を纏める。
「終わったのか?」
「未だですよ。此れから他の大臣と折衝して問題点やら何やら確認して……体が幾つ有っても足りませんよ」
「では儂の方も護衛をどうするか決めてくるか」
「未だ決めてなかったんですか。…近衛でなくても問題は有りません。騎士ではなく、兵卒でも充分護衛になります」
「おお、そうか。ならそれも確認して書類作らせるわ」
ひょいと立ち上がり扉へと向かい、出掛けて振り返る。
「そうだ、お前のトコの次男坊、何か伝言は有るか?」
「特には……あぁ、では殿下の訓練に遠慮は要らないと。御願いします」
次男のリシャールは下手をしたら孫に思われる程若いが、剣の腕は騎士団の中でもトップクラスだ。恐らく五指に入るのでは無いだろうか。そのお陰で殿下の剣術を指南出来るのだから、是が非でも頑張ってもらいたい。
私の言葉にフォルティスは苦笑しながらも頷き、出ていった。
さて、私も少々油を売り過ぎた。
立ち上がり執務室を出る。
どんな舌戦をしようかと、ほくそ笑みつつ私の戦場に向かった。